二話
▶︎村人は 神を 祀っている!
チュンチュン。チュン‥‥。朝早く、まだ太陽が昇ったばかりの頃にパチリと瞬きをひとつ。男__久世伊織は、なんだか身が落ち着かぬまま常より早くに目を覚ました。
思い当たる理由などない。ただ、無性に身体が落ち着かなかったのだ。
支度を整え、寝泊まりをしている集合所の小屋から外に出る。ざり、と土を踏みしめば、雨上がり特有のさわやかな葉の香りが風に乗って鼻に届いた。
(今日もいい日になりそうだ‥‥)
気分は爽快ながら、未だ身体が落ち着かない。もだもだしていても仕方ないので、足早に畑の様子を見にいくことにした。農夫らしい時間の過ごし方だ。翌る日も翌る日も畑と向き合い、そして丹精込めて実らせなければならない。白蛇ヶ淵村は山に囲まれた盆地状の閉鎖地形ゆえに、なかなか作物の育ちがよろしくないのだ。村全体の悩みどころである。
ふわり、ふわりと変わらず爽やかな香りが伊織を包む。畑には朝霧が薄くかかっており、日の光に反射してキラキラ、チラチラと輝いていた。
葉や根、茎などを獣に食い荒らされてやいないかと畑に近寄ったところ、ふと違和感に気づいた。なにか、なにか。なにかが、おかしい。よくよく目を凝らして畑を観察すると、可笑しなことに気が付いた。
(畑が増えている‥‥?)
昨日までは確かに、林だった場所が整然とした耕作地となっている。つまるところ、一晩限りで畑の一角が新たに増えたのだ。
足早に近づき、観察してみるもよく出来た普通の畑だとしか分からない。その特殊な背景さえなければ、伊織はこの畑を作ったものをよくぞ耕したなと柔らかく賞賛しただろう。
ふと、手を伸ばし土を握る。黒く、柔らかい。雨上がりのためか僅かに湿っていて、ほどよく水分を含んでいるようだ。まるで、人の手で耕したような均一さ。
だがしかし。最も不可解な点として、ひとつ。ヒョコっと生えてきたその畑には、どこにも、どこにも足跡は見当たらなかった。まるで狐につままれているようだ、と伊織は薄ら寒さを覚えつつポツリと考えた。
しばらくそこでぼうっとしていると、にわかに村が騒がしくなった。どうやら伊織の他に、畑の異変に気付いたものが現れたらしい。ぽつぽつと人が増え、視線が増え、同時にまた、どよめく声も増えていく。
「昨日まで、あそこには木があったはずだ」
「誰だ、誰がやった」
「夜通し作業したのか?」
「そのような話、あり得るわけが‥‥」
戸惑いの波紋は広がるばかり。顔を突き合わせ、口々に可能性を吐き出すもそのどれもが荒唐無稽なものだ。だがしかし、そう考える他ないのもまた事実。畑の様子を見に来た村のものは皆、混乱の渦に突き落とされていた。
(違う‥‥これはもっと不気味で、冷たくて、ぞっとするほど強大な“なにか”が動いた痕跡だ)
伊織には言いようのない、しかして明確な予感があった。正しくこれが、不吉の象徴とも思えるものだと。足先から頭のてっぺんまでを虫がズザザ、ズザザと這いずり回っているかのような、兎にも角にも気持ちの悪いものだと。
その予感を裏付けるかのように、白蛇ヶ淵村で祀っている神・白禍大御神さまに仕えている神職・御堂朔之進が祠の方から静々と歩んでくる姿が見えた。畑手前まで来ると立ち止まり、おもむろに声を張り上げた。
「此度の騒ぎ、この素晴らしき畑の所以は全て、白禍大御神さまの御業である!」
いつもより些か青白い顔をしていながら、その態度は至極落ち着いて見えた。白禍大御神さまに仕える彼の言葉は、説明ではなく“確定”として村に落ちる。それだけ、村全体として白禍大御神さまへの信仰心が強いのだ。
故に、いくら数ある可能性の中で最も馬鹿げた理由であろうと、誰からも反論はでない。
なぜなら。なぜなら。なぜなら。それ以外に、持ち合わせる説明が存在しないから。
日もとっくに落ちた暗がりの夜。ひゅうひゅうと肌寒い風が吹き、伊織の体を楽しそうにいじめてくる。
日が落ちると同時に眠りにつくのが当たり前の時代、農夫の模範とも言われる伊織は、誰もいない畑にひとり、夜ふかしをしに来ていた。
白禍大御神さまが増やしたという畑の元へとゆったりと足を進める。朝と同じように、繰り返すように膝をつき、土を握った。握ればギュッと固まり、手を緩めればホロホロと崩れてゆく土。まだ温かく、それでいて湿っている。本日の天候はよく晴れ、よく日差しが降り注いだ快晴日だ。日も昇っていない夜中にこそ雨が降っていたが、それも僅かばかりのこと。燦々と昼の空にて輝く日に勝るほど、土は水分を含んでやいなかった。
まるで、今さっき耕されたような。朝から時が止まっているかのような。ここまできてやっと、伊織は神、ひいては白禍大御神の存在を信じざるを得なくなった。ほんに、それ以外の説明がつかぬのだ。といっても、元からうっすらと存在を感じてはいたのだが。この村で神などおらぬと大っぴらに口にすることなど出来ずとも、それでも心のうちでは否定していたかったのだ。
そこまできて、伊織ははたと考える。
この畑が白禍大御神さまの御業だとして。果たして神は、何故このようなことをなさったのか。しなければならぬ理由でもあったのか、と。
未だひゅうひゅうと風がふく。冷たいそれは、伊織の体をとっくに氷のような体温へと変えてしまっていた。ムクムクと疑念を胸に膨らませるもしかし、夜はいつも通りに静かだった。
誰も鍬を振るっていない。誰も畑に立っていない。誰も土を見ていない。
ふと、空を見上げた。祠の屋根の向こう側。夜の蚊帳に隠され、何も見えたものではないが、確かに。確かに、視線をこの身に受け止めた、ような気がした。
幾許かの日が巡った数日後。伊織は、畑の異変を他の村人たちと共有しあっていた。
目の出方が異常に早い。
どの作物もみな一様に成長してゆく。
葉がいつもより青く濃いようだ。
虫がつかない。
これまでにない豊作ぶりに、村は歓喜した。収量、均質ともにすべてが一級品。一介のちっぽけな村には到底似合わぬ盛況具合だ。どれもすべて、すべて、あの畑から始まった。あの畑の付近からすべて広がってきた!
神職・朔之進は宣言する。
「白禍大御神さまは我らを見ておられる」
言葉少ないものであったが、ただそれだけでカラリと村の空気が変わったのを伊織は肌で感じた。村の皆が喜んでいる。信仰が感謝から確信へと変質する。祈りから信仰へと変わってゆく。
伊織にとっても大変、喜ばしいことだった。なんといったって、伊織は根っからの農夫であったからこんな予想はずれもいいところの豊作ぶりはうれしくてうれしくて堪らなかったのだ。だが喜ばしいという感情とともに、「見られている」という感覚もまた、強まっていた。
畑に立つと背中が冷える。風がなくとも葉が揺れる。土の中でナニカが動く錯覚を見る。
ふと、思うのだ。ただの一瞬。一時限りの考え。
「もし、神がほんとうに耕していたのなら」
それははたして、救いなのだろうか。祝福なのだろうか。褒美なのだろうか。加護なのだろうか。
それとも。
ふううと大きなため息を吐いた。思考を止める。考えても、きりのないことだ。無駄なこと。不敬なこと。
そう、伊織はいつの間にか理解している。
夜更け。常ならばみな眠り、灯りなどひとつもない時間だったが今夜はひとつもふたつも違う。
祠に灯りがともる。こんな夜更けに関わらず、自ら集まりに来る村人たち。誰が言い出したでもない。ただ、祈りを捧げようとしたのだ。かの神様が人知れず畑を作り、耕し、水を含ませ、種を蒔いたこの時間に。感謝を捧げようとしたのだ。
続々と祈りが増えてゆく。供物が増える。中には早速、豊作ゆえに瑞々しく甘く美味しく育った作物たちもある。
朔之進が紡ぐ祝詞が低く響く。空気が自然と揺れ、ひとつになっていく。冷え冷えとした夜であったが、祠でチラチラと主張を強める灯火と、村人たちの必死の祈りで場は嘘のように熱気がある。
巫女が祠の奥で静かに座している。我々の祈りの代弁者が朔之進だとして、我々が祈る姿の写し身は巫女だと言えた。
しんしんと空気が張り詰める中、伊織もそっと手を合わせ、頭を下げた。以前までより長く、深く。その祈りの中で確かに感じたもの。
“応答”。言葉ではない。いうなれば、感触だろうか。土を握り、様子を伺うさまとよく似通っている。感じるは土を耕すときと同じ、重い圧。
神はいる。
疑いようはない。
祈りが終わった後の帰路で、伊織は村人たちから静かに離れ、田畑の元へと向かっていた。月明かりに照らされ黄色い光を帯びる畑。
月明かりの元、土の表面が僅かに波打ったように感じた。まるで呼吸するかのように、脈打つかのように。一瞬だけ、瞬きをすれば収まるような一瞬だけのことだった。
きっと、伊織以外は誰も気づいてなどいないだろう。いや、神職たる朔之進ならば勘づいてくらいいるやもしれない。
ゾワゾワと背筋に虫が這うような感触。伊織はそっと目を伏せると、ポツリとちいさく呟いた。自分に言い聞かせるように、繰り返し。
「白禍大御神さまは、慈悲深きお方だ」
「白禍大御神さまは、‥‥白禍大御神さまは‥‥慈悲深きお方‥‥」
胸のざわめき、虫の這う感触、頭の奥底に鳴り響く警報音。そのどれもが、白禍大御神を肯定するたびに安らいでいく。まるで「正解だ」とでも言うように。けれど。本心ではどこか、恐れているからだろうか。懐疑心をもっているからだろうか。
この感触たちは、完全に消えてくれそうにはなかった。
久世伊織:白蛇ヶ淵村のいち農夫。体力旺盛な働き盛り。どうやら、白禍大御神から視線を感じるらしい。嫌いなものは動物。




