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公武一体 文之進物語  作者: 膝栗毛


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第二章 江戸への道

本作は、江戸時代初期における一つの「もしも」を描いた歴史改変小説である。

寛永年間、もし徳川秀忠将軍と後水尾天皇が和解し、真の公武一体を実現していたら――。もし、その統合された力で西洋の技術を積極的に導入し、産業革命を推進していたら――。もし、日本が17世紀において既に近代国家への道を歩み始めていたら――。

歴史に「もしも」は禁物とされる。しかし、想像力は時に、現実の歴史が持つ可能性の幅を教えてくれる。

実際の歴史において、後水尾天皇と徳川幕府の関係は「紫衣事件」によって決定的に悪化し、朝廷と幕府は二百年以上にわたって微妙な緊張関係を保ち続けた。だが、もし秀忠がより柔軟な政策を取り、天皇の権威を真に尊重する体制を構築していたら、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれない。

この物語は、架空の主人公・細川文之進を軸に、実在の人物たち――将軍、天皇、大名、公卿、学者、商人、技術者――が織りなす壮大な国家変革の物語である。彼らは対立し、協力し、時に挫折しながらも、新しい日本を創り上げていく。

17世紀の日本は、実は技術的にヨーロッパと比肩しうる水準にあった。鉄砲の生産量は世界一、鉱山技術も高度で、和算は独自の発展を遂げていた。もしこれらの技術が統合され、西洋の科学と融合していたら、日本は世界最先端の工業国になっていた可能性がある。

本作は、その夢を追った人々の物語である。

公武一体という理想、技術立国という野望、そして世界に伍する強国を目指す情熱。それらが交錯する中で、一人の文官が歴史の渦中に身を投じていく。

細川文之進という架空の人物は、実在した多くの優秀な官僚たちの面影を重ね合わせた存在である。彼の目を通して、読者は激動の時代を体験することになるだろう。

なお、本作では実在の人物を多数登場させているが、その言動や性格は創作である点をご了承いただきたい。歴史的事実と虚構を織り交ぜながら、一つの壮大な物語を紡ぎたいと考えている。

それでは、公武一体が実現した「もう一つの日本」の物語を、お楽しみいただきたい。

寛永元年(1624年)晩春 東海道

徳川秀忠の上洛が決まったという知らせは、瞬く間に畿内全域に広がった。将軍の上洛は元和六年(1620年)以来のことであり、しかも今回は従来とは全く異なる目的を持っていた。

文之進は、細川忠利の命を受けて江戸へ下ることになった。秀忠に直接、後水尾天皇との会談の準備状況を報告するためである。

「文之進、江戸では老中・土井利勝殿が待っておられる。利勝殿は将軍の信任厚く、このたびの公武一体構想の中心人物だ」

忠利は旅立つ文之進に、詳細な書状と贈答品を託した。

「かしこまりました」

文之進は、供回り五人を連れて京を発った。東海道を下る旅は、通常なら二週間ほどかかる。しかし、文之進一行は急いでいた。


箱根の関所を越えた頃、文之進は一人の老人と出会った。

関所近くの茶店で休憩していた時のことだ。白髪の老人が、文之進の隣に座った。

「旅のお方、どちらへ?」

「江戸へ参ります」

「ほう。拙僧も江戸へ向かうところでな」

老人は僧形だったが、その目には知性と経験が宿っていた。

「失礼ですが、お名前は?」

「沢庵と申す」

文之進は驚いて立ち上がりそうになった。沢庵宗彭――紫衣事件で流罪となり、出羽国に配流されていた高僧ではないか。

「沢庵和尚!」

「おお、拙僧を知っておられるか。ありがたいことだ」

沢庵は穏やかに微笑んだ。

「実は、このたび赦免の沙汰があってな。江戸へ呼ばれたのだ」

文之進の胸が高鳴った。赦免――それは、秀忠の公武和解への第一歩ではないか。

「和尚、実は私も、そのことに関わる使命を帯びて江戸へ参る者です」

文之進は慎重に言葉を選びながら、自分の立場を説明した。沢庵は興味深そうに聞いていた。

「ほほう。若いのに、大任を負うておられるな」

「和尚、お尋ねしたいことがございます。後水尾天皇陛下は、幕府との和解を真に望んでおられるとお思いですか?」

沢庵は茶を一口飲んでから、ゆっくりと答えた。

「陛下は、この国を深く愛しておられる。幕府を憎んではおられるが、それ以上に、国の分裂を憂慮しておられる。拙僧が見るに、陛下は和解の機会を待っておられたのではないかな」

「では、将軍が誠意を示せば...」

「左様。陛下は賢君だ。国のためになると確信すれば、私怨を捨てることもできよう」

文之進は希望を感じた。

「和尚、ご一緒に江戸まで参りませんか? お話を伺いたいことが山ほどございます」

「それは良い。拙僧も、若き志士の話を聞きたいものだ」

こうして、文之進と沢庵の道中は続いた。


道中、沢庵は文之進に多くのことを語った。

「そなた、南蛮の技術に興味があるようだな」

「はい。あれらを取り入れれば、我が国は飛躍的に発展すると信じております」

沢庵は頷いた。

「拙僧も、長崎で南蛮の品々を見たことがある。驚くべき精巧さだ。特に、時計と望遠鏡には感心した」

「和尚もそうお思いですか」

「うむ。だが、技術だけでは不十分だ。それを使いこなす人材、制度、そして何より、国家の統一された意志が必要だ」

文之進は深く頷いた。

「その通りです。だからこそ、公武一体が必要なのです」

沢庵は文之進をじっと見つめた。

「そなた、まだ若いが、大きなことを成し遂げる人物と見た。だが、気をつけよ。改革には必ず抵抗がある。古い秩序に安住する者たちは、変化を恐れる」

「承知しております」

「そして、もう一つ。権力の近くにいると、人は変わる。そなたの純粋な志を、決して失うでないぞ」

文之進は深く頭を下げた。

「肝に銘じます」


江戸に到着したのは、京を発って十二日後のことだった。

江戸城下は活気に満ちていた。諸国の大名が参勤交代で集まり、商人たちが賑やかに商いを行っている。人口は既に五十万を超え、世界有数の大都市となっていた。

文之進はまず、細川家の江戸屋敷に入った。そこで旅装を解き、翌日の登城に備えた。

「文之進殿、よくぞご無事で」

江戸家老の長岡是庸が出迎えた。是庸は細川家の重臣で、江戸における細川家の利益を守る重要な役割を担っていた。

「是庸殿、お久しゅうございます」

「殿からの書状、確かに拝見いたしました。いよいよ、大事が動き始めますな」

「左様です。されど、まだ始まったばかり。これからが正念場です」

是庸は文之進を奥の間に案内した。

「実は、土井利勝様からの使者が参っております。明日、江戸城にて、将軍にお目通りが叶うとのことです」

文之進の胸が高鳴った。ついに、徳川秀忠に直接会える。

「ありがたきことです」

その夜、文之進は江戸城での言上の準備をした。後水尾天皇との会談の詳細、天皇の意向、そして公武一体実現への具体的な道筋。

翌朝早く、文之進は江戸城に登った。


江戸城本丸は、壮大な建築物だった。天守閣が空高くそびえ、広大な敷地には諸大名の詰所が立ち並ぶ。

文之進は、老中・土井利勝に案内された。

土井利勝は五十四歳。徳川家康の側近として長年仕え、秀忠の代でも老中筆頭として幕政を統括していた。厳格な顔立ちだが、目には深い知性が宿っていた。

「細川家の文之進殿か。お主の評判は聞いておる」

「恐れ入ります」

「将軍がお待ちだ。参れ」

文之進は緊張しながら、利勝に従った。

将軍の居室に通されると、そこには徳川秀忠が座っていた。

四十六歳の秀忠は、父・家康と比べると地味な印象を持たれがちだったが、実際には優れた政治家だった。慎重で思慮深く、幕府の基盤を着実に固めてきた。

「細川文之進、参りました」

文之進は深く平伏した。

「顔を上げよ。お主が、後水尾天皇と話をつけた者か」

「はい」

秀忠はじっと文之進を見つめた。

「話を聞こう。天皇は、余の提案をどう受け止められた?」

文之進は、京での出来事を詳細に報告した。後水尾天皇の反応、九条幸家の協力、そして天皇が再度の面談を望んでいること。

秀忠は黙って聞いていたが、時折、頷いた。

「そうか。天皇も、この国の未来を案じておられるか」

「左様にございます。陛下は賢明な君主です。国のためになると確信されれば、必ずや協力してくださいます」

秀忠は立ち上がり、窓の外を眺めた。

「文之進、余の父・家康は、この国に太平をもたらした。だが、それだけでは不十分だ。この国は、もっと強くならねばならぬ」

「御意」

「南蛮の国々は、恐るべき勢いで発展しておる。余が聞くところでは、彼らは蒸気の力で船を動かし、精密な機械で布を織り、火薬の力で岩山を砕くという」

秀忠は文之進を振り返った。

「我が国も、そのような力を持たねばならぬ。だが、諸大名がばらばらでは、何も成せぬ。だからこそ、朝廷と幕府が一体となり、国全体を一つの方向に導く必要がある」

文之進は感動を覚えた。秀忠の構想は、単なる権力の維持ではなかった。真に国の未来を見据えた、壮大なビジョンだった。

「将軍、私もその大業の一端を担わせていただきたく存じます」

秀忠は微笑んだ。

「お主には、重要な役割がある。余と天皇の橋渡しだ。利勝、文之進を『公武融和掛』の筆頭に任じよ」

土井利勝が進み出た。

「御意。文之進殿、これより貴殿は、幕府の正式な役職に就くこととなる。細川家には、相応の礼を尽くす」

文之進は深く頭を下げた。これで、自分は単なる細川家の家臣ではなく、幕府の官僚となった。公武一体という大業の、正式な担い手となったのだ。


その後、文之進は土井利勝の私邸に招かれた。

利勝の屋敷は、質素ながら品格があった。書斎には膨大な書物が並び、南蛮の地図や技術書も多数見られた。

「文之進殿、茶でも飲みながら、ゆっくり話そう」

利勝は文之進を書斎に案内した。

「このたびの公武一体構想、実は余が将軍に進言したのだ」

「そうだったのですか」

「うむ。余は若い頃、南蛮の宣教師たちと話す機会があった。彼らから聞いた世界の広さ、ヨーロッパの国々の強大さに、衝撃を受けた」

利勝は、書棚から一冊の本を取り出した。

「これは、マテオ・リッチという宣教師が著した『坤輿万国全図』の写しだ。見よ、世界はこれほど広い」

文之進は地図を食い入るように見つめた。ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸。見たこともない広大な世界が描かれていた。

「そして、これを見よ」

利勝は別の書物を開いた。それは、ヨーロッパの産業技術について記した本だった。

「オランダでは、風車の力で水を汲み上げ、土地を干拓しておる。イギリスでは、石炭を掘り、それを燃やして鉄を作っておる。我が国も、このような技術を取り入れねばならぬ」

「まさに、その通りです」

利勝は真剣な表情で文之進を見た。

「だが、技術導入には膨大な資金と人材が必要だ。各藩がばらばらに行っていては、効率が悪い。国家として統一的に推進する必要がある」

「それには、朝廷と幕府の一体化が不可欠ですね」

「左様。天皇の権威のもとに全国を統合し、統一的な産業政策を実施する。それが、余の構想だ」

利勝は立ち上がり、部屋を歩き回った。

「だが、反対者も多い。古い秩序を守りたい者たち、既得権益を守りたい者たち。彼らは必ず抵抗する」

「どのような者たちですか?」

「まず、保守的な公卿たち。彼らは朝廷の伝統を重んじ、幕府との融和を嫌う。次に、一部の大名たち。彼らは中央集権化を恐れている。そして、南蛮嫌いの攘夷論者たち。彼らは外国技術の導入を毛嫌いする」

文之進は深く考え込んだ。

「それらの抵抗を、どう乗り越えますか?」

利勝は微笑んだ。

「一つずつ、説得していくしかない。そして、成功事例を示す。技術導入が国の利益になることを、実際に証明するのだ」

「具体的には?」

「まず、鉱山技術の改良だ。我が国には豊富な金銀銅の鉱山がある。これを効率的に採掘すれば、国の財政は大きく潤う」

利勝は地図を指さした。

「佐渡金山、石見銀山、足尾銅山。これらの生産性を倍増させる。そのために、オランダの排水技術を導入する」

「なるほど」

「次に、鉄砲の大量生産だ。我が国の鉄砲生産技術は世界一だが、さらに改良の余地がある。規格を統一し、量産体制を整える」

文之進は興奮を覚えた。これは単なる夢物語ではない。具体的で実現可能な計画だった。

「それから、造船だ。大型の外洋船を建造し、海外貿易を拡大する。これには、オランダの造船技術が必要だ」

「オランダは協力してくれますか?」

「金を払えば、喜んで協力する。彼らは商人だからな」

利勝は文之進の肩に手を置いた。

「文之進殿、お主には大きな期待をしている。公武融和の象徴として、朝廷と幕府の間を自由に行き来し、両者の利益を調整する。それがお主の役割だ」

「身に余る光栄です」

「だが、孤独な戦いになるぞ。両方から疑われ、両方から批判される。耐えられるか?」

文之進はまっすぐに利勝を見つめた。

「国のためなら、何でも耐えます」

利勝は満足そうに頷いた。

「よし。では、具体的な話を始めよう」


その夜、文之進は利勝と詳細な計画を練った。

まず、秀忠の上洛の日程。六月初旬、梅雨入り前が良いだろう。

次に、天皇との会見の場所と形式。御所での正式な謁見とし、公卿たちも立ち会わせる。

そして、会見での議題。紫衣事件の謝罪、朝廷財政の支援、公武合同評定所の設置、産業振興政策の推進。

「これらを一度に実現するのは無理だ。段階的に進める必要がある」

利勝は計画表を作成した。

「まず第一段階。紫衣事件の謝罪と、沢庵和尚ら の完全な赦免。これは既に決まっている」

「第二段階は?」

「朝廷財政の大幅な増額。年間五万両を十万両に引き上げる。これで天皇の信頼を得る」

「第三段階は?」

「公武合同評定所の設置。幕府の老中と、朝廷の議奏が定期的に会合し、国政を協議する」

文之進は感心した。段階的で現実的な計画だ。

「第四段階は?」

「産業振興政策の開始。まず、佐渡金山にオランダ式排水ポンプを導入する。これが成功すれば、他の鉱山にも広げる」

「第五段階は?」

「軍制改革。全国の軍備を統一規格にし、効率的な動員体制を作る」

利勝は真剣な表情で続けた。

「そして最終段階。天皇を国家元首とする新しい憲法の制定だ」

「憲法、ですか?」

「うむ。南蛮の国々には、成文化された法律がある。我が国も、国の基本的な仕組みを明文化する必要がある」

文之進は驚いた。これは、想像以上に壮大な計画だった。

「されど、利勝殿。これを実現するには、何年かかりますか?」

「十年だ。十年で、この国を根本から変える」


翌日、文之進は江戸城下を視察した。

将軍のお膝元である江戸は、急速に発展していた。日本橋を中心に商業が栄え、職人町では様々な工芸品が作られている。

文之進は、鉄砲鍛冶の町を訪ねた。

「いらっしゃい。何か御用で?」

主人の国友藤兵衛は、近江国友村出身の名工だった。国友村は日本有数の鉄砲生産地で、藤兵衛はその技術を江戸に持ち込んでいた。

「鉄砲を見せていただけますか?」

「もちろんだ」

藤兵衛は、様々な鉄砲を見せてくれた。火縄銃、短筒、大筒。どれも精巧な作りだった。

「これらは、どのくらいの時間で作れますか?」

「火縄銃一丁なら、三日ほどだ。だが、全て手作業だから、大量生産は難しい」

文之進は考えた。もし、部品を規格化し、分業体制を整えれば、生産性は大きく向上するのではないか。

「藤兵衛殿、もし部品の規格を統一し、複数の職人が分担して作れば、もっと早く作れませんか?」

藤兵衛は目を輝かせた。

「なるほど! それは良い考えだ。試してみる価値がある」

「幕府も協力します。資金も出しましょう」

「本当ですか!」

こうして、文之進は最初の産業改革プロジェクトを立ち上げた。


文之進はさらに、時計職人の田中久重を訪ねた。久重はまだ若いが、天才的な技術者として知られていた。

「文之進様、よくお越しくださいました」

久重の工房には、様々な機械装置が並んでいた。自動からくり人形、精密な時計、水力で動く装置。

「久重殿、これは?」

「水車の力で米を搗く装置です。人力より効率的ですよ」

文之進は感心した。

「久重殿、もし幕府が資金を出せば、もっと大きな装置を作れますか?」

「もちろんです! 実は、蒸気の力で動く機械の構想があるんです」

「蒸気?」

「はい。オランダの本で読みました。水を沸騰させて蒸気を作り、その圧力で機械を動かすんです」

文之進は興奮した。これこそ、産業革命の鍵となる技術ではないか。

「ぜひ、作ってください。幕府が全面的に支援します」

「ありがとうございます!」

文之進は、優秀な技術者たちとの繋がりを次々と作っていった。彼らの才能を統合し、国家的なプロジェクトとして推進する。それが、文之進の使命だった。


江戸滞在の最終日、文之進は再び徳川秀忠に拝謁した。

「文之進、お主の働き、聞いておるぞ。鉄砲の規格統一、蒸気機関の研究。よくやった」

「ありがたきお言葉です」

「余は来月、京へ上る。お主は先に戻り、天皇との会見の準備を整えよ」

「かしこまりました」

秀忠は文之進に、一通の親書を手渡した。

「これを天皇に渡せ。余の真心が込められておる」

「必ずや」

文之進が退出しようとした時、秀忠が声をかけた。

「文之進、お主は若い。だが、この国の未来を担う者だ。健康に気をつけ、長く仕えてくれ」

「はい。この命、お国のために捧げます」


江戸を発つ前日、文之進は沢庵を訪ねた。沢庵は江戸の寺に滞在していた。

「文之進殿、良い顔をしておるな」

「和尚のおかげです」

「いや、お主自身の力だ。だが、気をつけよ。権力の中枢に近づけば近づくほど、誘惑も増える」

「肝に銘じます」

沢庵は文之進に、一冊の書物を渡した。

「これは拙僧の著した『不動智神妙録』だ。剣の道を説いたものだが、人生の道にも通じる」

「ありがたく頂戴いたします」

「文之進殿、お主の志は美しい。だが、美しいだけでは世は動かぬ。時には汚れ仕事もせねばならぬ。それでも、心の芯は清く保て」

文之進は深く頭を下げた。

「はい」

京への帰路、文之進は様々なことを考えた。

この数週間で、自分の人生は完全に変わった。一介の細川家の家臣から、国家的事業の中心人物へ。

責任は重い。だが、やりがいもある。

文之進は、懐から秀忠の親書を取り出した。厳重に封がされ、天皇への敬意が形に表れている。

「必ず、公武一体を成し遂げてみせる」

文之進は、心の中でそう誓った。

箱根の山を越え、富士山を眺め、東海道を西へ進む。

沿道の村々では、農民たちが田植えの準備をしていた。彼らの生活を豊かにするのも、自分の使命だ。

技術革新によって農業生産性を上げ、余剰人口を工業に振り向ける。それが、国を豊かにする道だ。

京に戻ったのは、江戸を発って十日後のことだった。

細川邸では、忠利が待っていた。

「文之進、よくやった。将軍からの書状も届いておる」

「殿、いよいよ、歴史が動きます」

「うむ。余も、そなたを全力で支える」

文之進は、すぐに後水尾天皇への拝謁を申し出た。

数日後、再び御所に参内した文之進は、天皇に秀忠の親書を渡した。

天皇は親書を丁寧に読まれた。

長い沈黙の後続ける19:29、天皇の声が聞こえた。

「将軍の誠意、確かに受け取った。余も、この国のために、幕府と手を携えよう」

文之進は感動で胸が一杯になった。

「陛下...」

「文之進、そなたは余と将軍の間に立ち、両者を繋ぐ重要な役割を果たした。これからも、頼むぞ」

「はっ。命に代えても」

こうして、公武一体への道が、確実に開かれた。

六月、徳川秀忠は三千の供回りを従えて京都に入った。

そして、日本の歴史を変える会見が、実現することになる。

本作『大日本帝国興隆記』は、歴史の「もしも」を追求した壮大な実験である。

実際の歴史において、江戸幕府と朝廷の関係は微妙な緊張を保ちながら、二百年以上続いた。その体制は安定をもたらしたが、同時に、日本の近代化を遅らせた面もある。

もし、17世�紀の時点で公武が一体化し、西洋技術を積極的に導入していたら――本作は、その可能性を探る試みである。

第一章と第二章では、主人公・細川文之進が公武融和の架け橋となり、徳川秀忠と後水尾天皇を結びつける過程を描いた。これから物語は、実際の産業革命、軍事改革、教育制度の整備、そして国際関係へと展開していく。

実在の人物たちが、架空の歴史の中でどのように活躍するのか。沢庵宗彭、土井利勝、細川忠利といった実在の人物たちが、文之進とともに新しい日本を創り上げていく。

今後の章では、さらに多くの実在人物が登場する予定である。学者の林羅山、商人の角倉了以、医師の曲直瀬玄朔、剣豪の柳生宗矩、茶人の小堀遠州、絵師の狩野探幽など、寛永期の才能ある人々が、それぞれの分野で国家建設に貢献していく。

また、オランダとの関係も重要なテーマとなる。実際の歴史では鎖国政策によって制限された西洋との交流が、この物語では拡大し、技術移転が活発化する。

軍事面では、西洋式の軍制改革が進む。火縄銃から燧石銃へ、そして西洋式の大砲と艦船の導入。やがては蒸気船や鉄道まで登場することになるだろう。

産業面では、鉱山技術の革新、製鉄業の発展、機械工業の勃興が描かれる。水車から蒸気機関へ、手工業から工場制度へ。17世紀から18世紀にかけて、日本は独自の産業革命を遂げていく。

教育面では、寺子屋制度の拡充、洋学の普及、技術教育機関の設立が進む。識字率の向上と技術者の養成が、国力の基盤となる。

そして、国際関係では、東アジアにおける日本の位置づけが変化する。清朝中国、朝鮮、琉球、東南アジア諸国との関係が、新しい形で構築される。

主人公・文之進は、これらすべての改革に関わりながら、やがて幕府の重臣として、最終的には元帥にまで昇進する。彼の生涯は、そのまま新しい日本の歴史となる。

本作では、実在の人物約80名を登場させる予定である。彼らの多くは実際に優れた才能を持った人物であり、もし適切な舞台が与えられていれば、さらに大きな業績を残せた可能性がある。

歴史に「もしも」はない。しかし、想像することは自由である。そして、想像は時に、現実の歴史が持っていた可能性の豊かさを教えてくれる。

本作を通じて、読者の皆様が日本の潜在力の大きさ、そして先人たちの才能の素晴らしさを再認識していただければ、著者として望外の喜びである。

物語はまだ始まったばかりである。文之進の戦いは、これから本格化する。公武一体を成し遂げ、新しい日本を創り上げる。その壮大な物語を、今後も綴っていきたい。

最後に、本作に登場するすべての実在人物に対し、敬意を表する。彼らは実際の歴史において、それぞれの時代を懸命に生きた。本作での描写は創作であるが、彼らの業績と精神は現実のものである。

読者の皆様の今後のご愛読を、心よりお願い申し上げる。

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