表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公武一体 文之進物語  作者: 膝栗毛


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/2

第一章 風雲の予兆

本作は、江戸時代初期における一つの「もしも」を描いた歴史改変小説である。寛永年間、もし徳川秀忠将軍と後水尾天皇が和解し、真の公武一体を実現していたら――。もし、その統合された力で西洋の技術を積極的に導入し、産業革命を推進していたら――。もし、日本が17世紀において既に近代国家への道を歩み始めていたら――。歴史に「もしも」は禁物とされる。しかし、想像力は時に、現実の歴史が持つ可能性の幅を教えてくれる。実際の歴史において、後水尾天皇と徳川幕府の関係は「紫衣事件」によって決定的に悪化し、朝廷と幕府は二百年以上にわたって微妙な緊張関係を保ち続けた。だが、もし秀忠がより柔軟な政策を取り、天皇の権威を真に尊重する体制を構築していたら、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれない。この物語は、架空の主人公・細川文之進を軸に、実在の人物たち――将軍、天皇、大名、公卿、学者、商人、技術者――が織りなす壮大な国家変革の物語である。彼らは対立し、協力し、時に挫折しながらも、新しい日本を創り上げていく。17世紀の日本は、実は技術的にヨーロッパと比肩しうる水準にあった。鉄砲の生産量は世界一、鉱山技術も高度で、和算は独自の発展を遂げていた。もしこれらの技術が統合され、西洋の科学と融合していたら、日本は世界最先端の工業国になっていた可能性がある。本作は、その夢を追った人々の物語である。公武一体という理想、技術立国という野望、そして世界に伍する強国を目指す情熱。それらが交錯する中で、一人の文官が歴史の渦中に身を投じていく。細川文之進という架空の人物は、実在した多くの優秀な官僚たちの面影を重ね合わせた存在である。彼の目を通して、読者は激動の時代を体験することになるだろう。なお、本作では実在の人物を多数登場させているが、その言動や性格は創作である点をご了承いただきたい。歴史的事実と虚構を織り交ぜながら、一つの壮大な物語を紡ぎたいと考えている。それでは、公武一体が実現した「もう一つの日本」の物語を、お楽しみいただきたい。

寛永元年(1624年)初春 京都

細川文之進は、その日、東山の麓にある細川家の京屋敷で、一通の密書を手にしていた。二十八歳の若さで既に細川忠利の側近として重用されていた彼は、文官としての才能を認められ、このたび江戸と京都を結ぶ重要な使命を帯びることとなった。

「文之進、このたびの儀、まことに重大なり」

細川忠利が低い声で告げた。熊本藩主である忠利は、父・細川忠興譲りの鋭い眼光を持ち、文武両道に秀でた名将として知られていた。

「御意」

文之進は深く頭を下げた。彼の家系は細川家に仕える文官の家柄で、祖父の代から和歌や漢学に通じ、外交文書の作成を担ってきた。痩身で色白、繊細な容貌の持ち主だが、その内に秘めた知性と胆力は並々ならぬものがあった。

密書の内容は驚くべきものだった。徳川秀忠将軍が、後水尾天皇との融和を図り、これまでにない公武の一体化を目指しているというのだ。

「禁中並公家諸法度以来、朝廷と幕府の関係は冷えきっておる。されど、将軍は新たな道を模索しておられる」

忠利の言葉に、文之進は胸の高鳴りを覚えた。

それは単なる政治的妥協ではなかった。秀忠が構想するのは、天皇の権威と将軍の実力を融合させた、全く新しい国家体制だった。南蛮やオランダから入る情報によれば、ヨーロッパ諸国は激しい宗教戦争と領土紛争に明け暮れている。三十年戦争の惨禍は、遠く日本にまで伝わっていた。

「我が国が分裂したままでは、いずれ南蛮の侵略を許すことになろう。将軍はそれを憂慮しておられる」

文之進の脳裏に、数年前に見た長崎の光景が蘇った。オランダ商館の驚くべき技術、精巧な天文観測器具、そして火砲の威力。日本も既にこれらの技術を取り入れつつあったが、秀忠の構想はさらに先を見据えていた。

「朝廷の権威と幕府の力、それを一つにすれば、この国は世界に比類なき強国となる」

忠利はそう言うと、文之進に一冊の書物を手渡した。それは、南蛮の宣教師が著した世界地図と各国の政治体制についての解説書だった。

「これを読めば分かる。ヨーロッパの諸国は、王権と教会権力の対立に苦しんでおる。我が国も同じ轍を踏んではならぬ」

文之進は書物を開いた。そこには、神聖ローマ帝国の複雑な政治構造、フランスの絶対王政、イギリスの議会制度などが詳細に記されていた。

「しかし、殿。朝廷の公卿たちは幕府を快く思うておりますまい」

「左様。だからこそ、お主の力が必要なのだ」

忠利は立ち上がり、庭に面した障子を開けた。早春の冷たい風が部屋に流れ込む。

「文之進、お主は和歌に通じ、古典に明るい。公卿たちとも対話できる素地がある。その上で、新しき世の理を理解しておる。お主こそが、この大業の架け橋となるのだ」


その夜、文之進は一人、書物を読み耽った。

南蛮の技術書には、驚くべき内容が記されていた。蒸気の力を利用した機械の構想、精密な時計の製作技術、航海術の発展。日本でも既に一部の技術者がこれらの研究を始めていたが、本格的な導入には至っていなかった。

「もし、朝廷と幕府が一体となれば...」

文之進の想像は広がった。天皇の権威のもとに全国の技術者を結集し、統一された産業政策を推進する。各藩がばらばらに行っている技術開発を、国家レベルで統合する。それは、ヨーロッパをも凌駕する可能性を秘めていた。

翌朝、文之進は京都所司代・板倉重宗の屋敷を訪ねた。

板倉重宗は父・板倉勝重の跡を継ぎ、京都の治安と朝廷の監視を任されていた。厳格な法律家として知られる一方、文化にも造詣が深く、公家たちとの交流も盛んだった。

「細川殿の使者か。して、用向きは?」

重宗は、文之進を居間に通した。質素だが品格のある調度品が並び、床の間には後陽成天皇の書が掛けられていた。

「実は、将軍家の新たなる構想について、お耳に入れたく参上仕りました」

文之進は慎重に言葉を選びながら、秀忠の計画を説明した。重宗は黙って聞いていたが、時折、鋭い質問を投げかけた。

「公武一体とな。しかし、それは朝廷の権威を貶めることにならぬか?」

「いえ。むしろ、天皇の権威を実質的な統治に活かすことで、より高めることになりましょう」

文之進は、持参した資料を広げた。そこには、新しい国家体制の構想が詳細に記されていた。

天皇を国家元首とし、将軍を宰相的な位置に置く。朝廷の公卿と幕府の諸大名が合同で政策を決定する評定所を設置する。各藩の技術力を統合し、国家的な産業振興を図る。

「これは...」

重宗は資料を食い入るように見つめた。

「将軍は本気か」

「左様にございます。既に、水戸の徳川頼房殿、尾張の徳川義直殿も賛同されているとか」

重宗は深いため息をついた。

「されど、後水尾天皇は紫衣事件以来、幕府を深く恨んでおられる。その心を解くのは容易ではあるまい」

紫衣事件。文之進も知っていた。元和元年(1615年)、幕府が朝廷の紫衣勅許を無効としたことで、天皇の権威は大きく傷つけられた。沢庵宗彭ら高僧が流罪となり、朝廷と幕府の関係は決定的に悪化した。

「だからこそ、このたびの構想があるのです。過去の過ちを正し、真の公武一体を実現する。それが将軍の望みなのです」

重宗は長い沈黙の後、静かに頷いた。

「分かった。余が天皇との橋渡しを試みよう。だが、容易ではないぞ」


文之進は重宗の協力を得て、宮中への接触を開始した。最初に訪ねたのは、後水尾天皇の信任厚い公卿・九条幸家だった。

九条幸家は関白を務めた九条兼孝の子で、温厚な性格ながら、朝廷の権威回復に強い意欲を持っていた。

「細川家の文之進殿か。して、いかなる御用か?」

九条邸の広間で、幸家は静かに文之進を迎えた。初老の公卿は、品格ある所作で茶を勧めた。

文之進は再び、秀忠の構想を説明した。しかし、九条の反応は冷ややかだった。

「美しき言葉じゃ。されど、幕府が朝廷を尊重したことがあったか? 紫衣事件を忘れたとは申されまい」

「その通りでございます。だからこそ、このたびは違う。真の融和を目指しておるのです」

「ほう。では、具体的に何をしてくれるのか?」

文之進は、準備していた提案書を取り出した。

「まず、紫衣事件で流罪となった沢庵和尚らの赦免。次に、朝廷の財政支援の大幅な増額。そして、天皇を真の国家元首として位置づける新しい制度の構築」

九条は提案書を丁寧に読んだ。その目が次第に輝きを帯びてきた。

「これは...将軍が本当にお考えなのか?」

「左様です。そして、さらに申し上げれば、南蛮の技術を導入し、我が国を世界一の強国とする。その頂点に天皇陛下を戴くのです」

九条は深く考え込んだ。

「分かった。余が、陛下にお取り次ぎ申そう。だが、期待はするな。陛下の幕府への不信は深い」

しかし、文之進には確信があった。後水尾天皇は、単に幕府を恨んでいるだけではない。この国の未来を真剣に憂慮しているのだ。その心に訴えることができれば、必ず道は開ける。

数日後、文之進は思いがけない知らせを受けた。後水尾天皇が、直接会いたいと仰せになったのだ。

「陛下が?」

驚く文之進に、九条は微笑んだ。

「陛下も、この国の未来を案じておられる。お主の話を聞きたいと」

文之進は震える手で衣服を整えた。これから、歴史が動く。そんな予感がした。

御所への参内は、厳重な作法に則って行われた。文之進は何度も身を清め、新しい装束に身を包んだ。

紫宸殿の手前、小さな御殿に通された文之進を、後水尾天皇は御簾の向こうから迎えた。

「細川家の者よ、近う寄れ」

若々しい、しかし威厳ある声だった。後水尾天皇はこの年三十三歳。聡明で学問を好み、和歌にも秀でた名君として知られていた。

「はっ」

文之進は平伏した。

「顔を上げよ。そなた、将軍の意を受けて参ったとか」

「左様にございます」

「余は幕府を信じておらぬ。紫衣事件、覚えておろう」

「陛下のお怒り、もっともと存じます」

文之進の率直な言葉に、御簾の向こうで微かな動きがあった。

「ほう。幕府の使者が、そのようなことを申すか」

「私は幕府の回し者ではございません。ただ、この国を憂う一人の臣として、陛下にお願いに参りました」

文之進は、用意していた言葉を忘れ、心のままに語り始めた。

「陛下。世界は広うございます。南蛮の国々は、恐るべき力を持っております。彼らは海を越え、いずれこの国にも牙を剥くでしょう。その時、我が国が分裂していては、滅びるしかありません」

「...続けよ」

「陛下の権威と、幕府の力。これを一つにすれば、我が国は世界に比類なき強国となります。南蛮の技術を取り入れ、産業を興し、軍備を整える。その全ての頂点に、陛下を戴くのです」

長い沈黙が流れた。

やがて、天皇の声が聞こえた。

「そなた、名は何と申す」

「細川文之進と申します」

「文之進か。面白き者よ。余に、その構想を詳しく聞かせよ」

文之進は、持参した資料を広げ、一つ一つ丁寧に説明した。新しい国家体制、産業振興策、軍事改革、教育制度の整備。

後水尾天皇は、熱心に耳を傾けた。時折、鋭い質問を投げかけ、文之進の答えに頷いた。

「なるほど。そなたの言う通りかもしれぬ。だが、将軍は本当に、余の権威を尊重するのか? 口先だけではないのか?」

「陛下。将軍秀忠公は、父・家康公の遺志を継ぎ、この国の永続を願っておられます。そのためには、朝廷と幕府の対立を終わらせねばならぬと、心から思うておられるのです」

文之進は、懐から一通の書状を取り出した。

「これは、将軍直筆の親書にございます」

御簾の奥から、女官が現れ、書状を受け取った。

しばらくして、天皇の声が再び聞こえた。

「...分かった。余も、考えてみよう。だが、簡単には信じぬぞ」

「ありがたき幸せにございます」

文之進が退出しようとした時、天皇が再び声をかけた。

「文之進。そなた、また参れ。余は、そなたの話をもっと聞きたい」

「はっ。お召しあらば、いつなりとも」

御所を出た文之進は、全身の力が抜けるのを感じた。だが、同時に、大きな希望が胸に満ちていた。

歴史が、今、動き始めた。

細川邸に戻った文之進を、忠利が待っていた。

「どうであった?」

「陛下は、お聞き入れくださいました」

「そうか...」

忠利は深く息をついた。

「文之進、お主はこれから、この国の運命を左右する重要な役割を担うことになる。覚悟はよいか?」

文之進は、まっすぐに忠利を見つめた。

「はい。この身、お国のために捧げる覚悟にございます」

その夜、文之進は一人、星空を見上げた。

遠く南蛮から伝わった天文学の知識によれば、この星々は想像を絶する距離にあるという。そして、世界もまた、驚くほど広大だという。

その広大な世界で、日本が生き残るために。いや、ただ生き残るだけでなく、強大な国家として繁栄するために。

文之進は、自分の使命を改めて心に刻んだ。

公武一体。それは単なる政治的妥協ではない。この国の未来を切り開く、壮大な実験なのだ。

翌朝、江戸から早馬が届いた。

徳川秀忠が、京都への上洛を決めたという知らせだった。

本章をお読みいただき、誠にありがとうございます。

この章では、剣や軍勢ではなく、「言葉」と「思想」によって歴史が動き始める瞬間を描きました。

細川文之進という一人の文官が立たされたのは、将軍と天皇、公家と武家、過去の怨恨と未来への希望が交錯する、極めて不安定で、しかし決定的に重要な場でございます。

紫衣事件という深い傷を抱えながらも、なお国の行く末を見据えようとする後水尾天皇の姿、そして「征する者」ではなく「結ぶ者」となる道を選ぼうとする徳川秀忠の決意は、本作における大きな転換点でございます。

ここで描いた公武一体は、理想論や美辞麗句によるものではなく、当時すでに伝わり始めていた国際情勢、すなわちヨーロッパ諸国の宗教戦争や技術革新、海を越えて迫る脅威を直視したうえで生まれた、きわめて現実的な構想として位置づけております。

将軍秀忠の上洛決定は、単なる儀礼や形式的な融和ではございません。

それは、幕府が朝廷に歩み寄るという前例なき政治的決断であり、日本という国が中世的な秩序から脱し、新たな国家像へと踏み出そうとする意思表示でもあります。

次章では、将軍上洛という大事が、京都、江戸、諸藩、そして朝廷内部にどのような波紋を広げていくのかを描いてまいります。

すでに歯車は回り始めており、誰一人としてその流れから逃れることはできません。

引き続き、本作をお読みいただけましたら幸いに存じます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ