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伯爵令嬢は度重なる災難にも負けない

作者: 空木 想

前作がテンプレ階段落ちものだったので、今度はテンプレ婚約破棄ものを。

ゆるふわ世界観でお送りしています。




「エメリーヌ! もう貴様のような冷酷な女はうんざりだ。婚約は破棄させてもらう!」


 会場の片隅とはいえ、怒鳴り声に近い大声は注目を集めるには十分である。エメリーヌ・ワロキエはなんとか淑女の笑顔を保ちつつゆっくりと振り返った。


 どうか人違いでありますように別のエメリーヌ・何某嬢には申し訳ないけれど"エメリーヌ"違いでありますようにこんな恥知らずな修羅場に私は無関係でありますように!!!

 

 振り返るまでのコンマ数秒の間に怒涛の勢いで神に祈りを捧げたが、視界に入ったのは勝ち誇った顔で小鼻を膨らませたカンタン・トリブイヤール子爵令息。つまりは間違いなくエメリーヌの婚約者であった。

 

 ……最ッッッ悪。


 急に始まった婚約破棄という刺激的な見せ物に、会場中の貴族たちが聞き耳を立てているのが分かる。立場上関心のない表情を取り繕ってはいるものの、実際のところ貴族というものは醜聞の類が大好きなのだ。今日の顛末はあっという間に社交界全体に囁かれるようになるだろう。

 後でこいつ締める。少なくとも向こう脛くらいは蹴飛ばしてやる。と固く決意していることはおくびにも出さずに、エメリーヌはあくまで理性的に会場からの撤退を図った。


「カンタン様。そういったお話は家同士で解決すべき問題です。一度会場から出て……」

「そういうところが冷酷だと言うんだ! 愛する婚約者から別れを切り出されたのだ、涙のひとつくらい見せれば少しは可愛げのあるものを」


 ハンッとせせら笑いながらカンタンがエメリーヌの提案を遮った。あくまでこの会場内で話を続けるつもりのようだ。


 淑女が知らないはずの罵詈雑言が飛び出しそうになるのをエメリーヌはすんでのところで堪えた。常識的な案を提示しただけなのに冷酷と言われる意味がわからない。

 そもそもエメリーヌとカンタンは完全に政略的な婚約をしてまだ数ヶ月で、会ったのだって婚約のための両家の話し合いも含めてまだ六・七回程度。せっかく縁あって結婚するのだから仲良くなりたいとは思っていたが、お互いの性格や好みだってまだ分かっているとはとても言えないし、いつ愛が芽生えるほど関係を深めたんだと逆に尋ねたい。


 カンタンに動く気がないのであればどうしようもない。エメリーヌは諦めた。こうなった以上ワロキエ家に瑕疵がないことを全力でアピールして帰ることにしよう。


「あまりにも突然で……驚きが先に立ってしまいまして。どうして突然、そのようなことを?」

「前々から貴様の態度にはうんざりしていたが、政略結婚ゆえ諦めていた。だがっ、俺は出会ったのだ! 貴様よりも優しく慎ましく美しい、運命の女性と……!」


 よくぞ聞いてくれたとばかりに芝居がかった仕草をまじえて語るカンタン。


 うわすっごい馬鹿。

 何を堂々と自分は浮気者ですと宣言しているんだろう。自分の婚約者はこんな阿呆だったのかとエメリーヌは唖然とした。数回行ったお茶の席で「ん?」と思うことはあったが、まさかこれほどとは。


 正直これだけでエメリーヌが馬鹿の被害に遭った不憫な令嬢であることが周知できたのではと思うので、もう帰りたい。そういう意味では馬鹿で助かった。

 ただ少し水を向けただけでこんなにベラベラ喋ってくれるのであれば、もう少し情報を引き出した方がこれからのトリブイヤール家との話し合いで優位に立てるかもしれない。有責の証拠は多ければ多いほどいい。


 エメリーヌは仕方なく、本ッッ当に仕方なく再度相槌を打った。


「そうですか。それはおめでとうございます。しかしその場合ですと婚約破棄ではなく、解消では?」


 お前有責のな。たんまりふんだくってやるから覚悟しておけよ。という副音声を観衆のほとんどが聞き取ったであろう。


「解消だと? よくそんな口が叩けたものだな。知っているんだぞ! 嫉妬に狂った貴様が俺の最愛に酷い虐めを繰り返していることを……!」

「はぁ、私心当たりはございませんが。ええと、そもそもカンタン様の最愛? の方とはどなたです? 私と面識のある女性なのでしょうか……?」

「とぼけるな! 知らぬとは言わせないぞ! さぁ、おいで。俺の最愛。二人であの性悪に引導を渡してやろう」


 普通の神経をお持ちのご令嬢だったら、こんな最低の前振りで登場するのは絶対に嫌だろうなと軽く現実から逃避をしながら待っていると。


「ご、ごめんなさいお義姉様……っ。私、こんなつもりじゃ……!」


 カンタンに強く腕を引かれ、可哀想なほど怯えた様子で姿を現したのはエメリーヌの義妹。ノエル・ワロキエであった。



「こんなに怯えて……可哀想に。エメリーヌ! 貴様が睨みつけるから彼女が怖がっているじゃないか。大丈夫、俺がついているよ」


 義妹にとろけるように甘い視線を向け、エメリーヌを怒鳴りつけるカンタン。

 エメリーヌは睨んでいない。見ただけだ。つり目だから普通にしていてもきつい印象を与えてしまうのは、エメリーヌの密かなコンプレックスである。色合いの暗い髪と目も、もしかしたらその印象を強めている原因かもしれない。

 比べてノエルはふわふわの金髪に、やや垂れた大きい瞳は吸い込まれそうな青色。庇護欲をそそる華奢な美少女である。

 エメリーヌはため息をつきたくなった。


「……まさか"最愛"とは義妹(いもうと)のことなのですか?」

「そうだ! 聞けば現ワロキエ伯爵夫人は後妻で、エメリーヌとは血が繋がっていないそうだな。父であるワロキエ伯爵が亡くなったのをいいことに、彼女らを冷遇しているだろう! もう十五歳になるのにノエルがろくに夜会に顔を見せないのがその証拠だ!」


 ()()()()()()()()()()()()

 私が、ワロキエ伯爵の実娘である私が、たった一人の父親が突然死んだことを"いいこと"だと思うだろうと、この男はそう言っているの?

 本気で?


 あんまりな侮辱だった。怒りのあまり、エメリーヌは言葉を失う。



 エメリーヌの父、ヴァランタン・ワロキエが亡くなったのはエメリーヌが十二歳、ノエルが十歳の時であった。その年は領地で激しい豪雨による災害が頻発し、被害を少なくしようとヴァランタンは奔走していた。そして視察現場での二次災害に巻き込まれ、命を落としたのである。



「カンタン様、やめて下さい! 確かに私は夜会に出席していませんが、お義姉様に冷遇されているからではありません!」


 黙ったエメリーヌに代わり、カンタンへ反論したのはノエルであった。カンタンとエメリーヌの間に割って入り、エメリーヌを背に庇うように両手を広げる。

 ノエルは心根の優しい少女だ。エメリーヌと違い舌戦には不向きな質である。懸命に訴えてはいるが本当は恐いのだろう。手も声も震え、目じりには涙が浮かんでいた。


 ああ、あの時と同じだ。

 エメリーヌは父の葬儀の日のことを思い出した。

 あの時も、いつも大人しいノエルが一番勇気があったのよね。






「エメリーヌ……様」


 硬い顔をした義母サラに呼び止められたのは、父を見送って墓地から屋敷へ帰った直後であった。

 父ヴァランタンの事故の知らせを受けてから葬儀が終わるまでのことはほとんど記憶に残っていない。目の前に次々と運ばれてくる雑事を必死で片付けているうちにいつの間にか葬儀が終わっていたというのがエメリーヌの正直な感想である。


「……はい」


 急な敬称呼びとサラの表情に、エメリーヌも改まった口調で返事をする。ただ事ではない様子を感じとり、ノエルも体を強張らせた。

 サラはエメリーヌの前に進み出、最上級の礼をとり、言った。


「今後、なるべく早くに私たちをワロキエ家から除籍していただきたく存じます」


 当然の決断だわ、と心の中の冷静なエメリーヌが言った。

 ヴァランタンが急死した今、ワロキエ家は嵐の中の小舟と同じだ。いつ大波に飲まれてもおかしくない。ネズミですら、沈みかけの舟からは逃げ出すのだから。


 行く宛はあるのだろうか。せめてできるだけのことはしようと決意し、了承の意を伝えるべく口を開く。


「やめて!」


 重い空気を切り裂くように叫んだのは、ノエルであった。サラのスカートに縋りつき、瞳を潤ませて母を見上げる。


「どうしておねえさまをそんなふうによぶの!? "じょせき"って、()()()()()おうちをおいだされることでしょ? そんなことたのまないで、お母さま!」

「ノエル。元々私たちは旦那様のご好意で、この家で養っていただいていたの。旦那様が亡くなってしまって、これからこの家と領地を建て直すのにとてもお金がかかるのよ。養う頭数は少なければ少ない方が……」

「いや!」


 ノエルは肩に置かれたサラの手を振り払い、エメリーヌに飛びついた。勢いが強すぎて受け止めきれず、二人して床に倒れ込む。


「わたしたち、家族でしょう!? わたし、おねえさまといっしょにいたい!」

「ノエル……」


 普段にないノエルの激した様子に口を出せずにいたエメリーヌは、ノエルのおかげでサラの真意を誤解していたことに気づいた。ノエルは、庇護者がいなくなっても自分を家族と呼んでくれる。サラは、逃げ出す訳ではなくエメリーヌを少しでも助けようとしている。ならば、自分は。


「…………お義母様」


 いつものようにサラを義母(はは)と呼ぶと、ノエルを嗜めようとしていたサラはハッとしてエメリーヌを見た。


「……お父様が亡くなったら、もう、私はお義母様の娘ではいられませんか……?」

「そんなこと……」


 硬い顔で堪えていたサラの頬にとうとう涙が流れた。膝をつき、エメリーヌとノエルをまとめて抱きしめる。絞り出すような声で叫んだ。


「そんなこと、あるはずないじゃない! エメリーヌ! でもこれから中継ぎを立てるにしろ、婿養子を貰うにしろ私たちは邪魔……」

「うるさーい!」


 エメリーヌも、いつの間にか流れていた涙で顔中をベタベタにして叫ぶ。立場の話なんか聞きたくない。ノエルの言う通り、血が繋がっていなくても私たちはちゃんと家族だったでしょう?


「お父様が死んじゃって、お義母さまとノエルまで居なくなったら私は誰と手をつないで生きていけばいいのよ

……!! どうにかなるわよ! どうにかするわよ! 一緒にいればがんばれるのよ!!!」

「エメリーヌ……」

「おねえさまの言うとおりよ。わたしもがんばるわ……!」


 三人はそのまま屋敷の玄関ホールで、喪服のまま床に座り込んで涙が枯れるほど泣いた。エメリーヌたちは気づいていなかったが、屋敷中の使用人たちは一部始終を見守っており、各々ハンカチをベショベショにしていたのだそうだ。

 彼ら全員を雇い続けることはできなかったが、辞める使用人には次の働き口を紹介して送り出した。


 当然女三人で領地経営や爵位相続がすんなりいくはずもない。被災地の復興は遅々として進まず、ワロキエ家を乗っ取ろうと企む会ったこともない自称親族に悩まされた。


 それでもここまでやってこられたのは、伯爵夫人として経営補佐をしていたサラと、同じくヴァランタンの補佐をしていた家令の助力。そしてヴァランタンの知己であった隣の領の伯爵が後見人になってくれたことが大きい。

 エメリーヌもノエルも、子供なりにできることはなんでもやった。日々学び、領民と話し、考え、意見し、動く。弁舌が立ち、次期女伯爵であるエメリーヌが外向きの仕事、内向的で事務仕事の得意なノエルが内向きの仕事を主としているという違いはあったが、この四年間二人は休む暇もなく走り続けてきたのだ。


 それが、義姉の婚約者を略奪? しかも冷遇されていたという冤罪まででっち上げて?

 ありえない。

 

 そもそもノエルは……。






「ノ、ノエル。どうしてそんな女を庇うんだ? 俺は君を救い出したくて……」

「私、お義姉様にいじめられてなんかいませんっ」


 カンタンの情けない声が耳に届いてエメリーヌは追憶から覚めた。ボーッとしている場合ではない。いい加減この場を収めなくては。

 ノエルの腕に軽く触れ、前に出る。


「カンタン様はノエルをあまり夜会に出さないから冷遇していると仰っておりましたが、それは違います。私が婚約しており、結婚次第伯爵位を継ぐことが決まっていましたので、それを待ってもらっていたのです。デビューが遅くなってしまうのは申し訳ないと思っていますが……」

「残念だったが俺はノエルを愛しているんだ。君とではなくノエルと結婚してワロキエ家を継ぐ!」


 カンタンは何故か胸を張ってそう言い放った。何も残念じゃないんだが。と言いたいが、そこを掘り下げても話が進まないので事実だけを淡々と告げることにする。


「ノエルはワロキエ家を継げません」

「バカなことを言うな! 母親が違うとはいえノエルは君の妹だろう? 継承権はあるはずだ!」

「いえ。ノエルは義母の連れ子なので、父とは血が繋がっていません」


 エメリーヌの母が流行病で亡くなった後しばらくしてヴァランタンが連れてきたのがサラとノエルだ。サラは子爵家の令息と結婚しノエルを授かったが、その後嫡男でもあった夫がエメリーヌの母と同じ病で他界。跡を継いだ義弟夫妻に追い出され途方に暮れていたそうだ。

 それをたまたま知ったヴァランタンが、自分と同じような境遇の母娘を憐れみ、エメリーヌの母親代わりになって欲しいとサラに打診したと聞いている。


「なんだと!?」


 驚愕したカンタンがバッとノエルに目を向けた。

 そんなに驚かなくても婚約時の話し合いの段階で説明したんだけどとエメリーヌは遠い目になった。同席していた癖に何を聞いていたんだろう。

 ノエルがしっかり頷くのを見てようやくまずいと気づいたらしい。真っ青になって震え出した。今さらである。


 ここまで事情を明らかにしておけば私たちが帰ってもないことないこと吹聴して回ることはないだろう。そもそも誰も信じまい。


エメリーヌはこちらを伺っていた招待客たちに向かって声を張る。


「皆様、お騒がせして申し訳ございませんでした。誤解も解けたようですし私たちは退席させていただきます」


 ノエルと二人、カーテシーをして歩き出す。


「ま、待ってくれエメリーヌ。俺は……」

「婚約解消に関してはご安心下さい。明日にでも書類をお持ちいたします」


 エメリーヌはカンタンの話を容赦なくぶった斬った。ここで復縁を迫られたらたまったものではない。


「ノエル……」

「大好きなお義姉様を傷つける殿方なんて、大嫌いです」


 とりつく島もないエメリーヌを見て、カンタンはノエルに縋るような目を向けたがノエルにもそっぽを向かれがっくりと膝をついた。


 遠くにカンタンの兄を連れたサラの姿が見える。騒ぎを聞きつけて呼んできてくれたようだが少々遅かった。

 せっかくのトリブイヤール家次期当主のお披露目会で、実の弟とその婚約者がこんな騒ぎを起こすとは彼も思わなかっただろう。本日の主役である彼が可哀想ではあるが、仕掛けたのはカンタンなのでお叱りはそちらにお願いしたい。気づかなかったことにして帰ってしまおう。


 サラにだけ分かるようにそっと合図をしてエメリーヌとノエルは会場を後にした。






「ひゃはは! ははははは! それでお前、失意の婚約者をほっぽって帰っちまったのか? 冷ってぇなあ!」


 ワロキエ家の応接間のソファーにだらしなく腰掛け、遠慮も何もなく大爆笑する青年をエメリーヌはじとっとした目で睨んだ。


「元婚約者、よ。とっくに婚約解消したんだから」

「兄さん、そんなに笑ったらエメリーヌさんに失礼だよ」


 何がツボにはまったのか、腹を抱えて笑い転げているのはセヴラン・アルノワ。セヴランを嗜めているのが弟のセルジュだ。父亡きあとエメリーヌの後見人をしてくれているアルノワ伯爵の息子たちで、父親同士が親友だったのもあり生まれた時から付き合いがある。

 兄の笑いが止めて止まるようなものではないと早々に見切りをつけたセルジュは、エメリーヌとノエルに向き直った。 


「エメリーヌさん、大変でしたね。ノエルも」

「大変だったのはお義姉様だけよ。……でも最愛だなんて……いつの間にか思わせぶりな態度を取ってしまっていたのかしら。本当にごめんなさい、お義姉様……」

「隠れて会っていたのならともかく、私とのお茶会の時に挨拶を交わしていた程度なんでしょう? そんなのどうしようもないじゃないの。謝ることはないわ。むしろあんな奴と結婚しなくて済んだのを感謝しなきゃいけないくらいよ」


 ようやく上戸を抜けたセヴランがニヤッと笑いながら会話に混じる。


「ノエルは天使だからなー。微笑まれて舞い上がっちまったんだろうよ。男なんて単純なもんさ」

「セヴラン。あなたどっちの味方なの?」

「もちろんお前のだよ。今日もほら、エメリーヌお気に入りの店の新作買ってきたろ?」


 お茶と一緒に供されている焼き菓子を指して言う。物に釣られるのは癪だが、お菓子に罪はない。それも新製品だ。エメリーヌは鼻をフンとひとつ鳴らすと、それ以上の追求はやめて焼き菓子をひとつ齧った。バターの香りが鼻に抜けて大変美味である。セヴランのバカ笑いについては勘弁してやることにしよう。


 お茶も一口いただいて気持ちを切り替えると、エメリーヌは真面目な顔でセルジュとノエルに向き直った。


「二人には謝らなきゃいけないわね。私が結婚したあと、あなたたちの婚約も発表する予定だったのに、予定が延びてしまったわ」


 実はセルジュとノエルは幼少時から相思相愛で、内々に結婚の約束をした間柄である。貴族社会には年功序列にうるさい貴族が一定数存在するため、エメリーヌが結婚するまで公表を控えていた。

 そのこともあってエメリーヌは早々に結婚相手を決めたのだが、まさかあんな変なのに当たるとは。二人には本当に申し訳ないと思う。


「あぁ、それは本当に気にしないでください。僕たち結婚は急いでないんです。僕の収入もまだ安定していないし、会おうと思えばすぐ会いに来られる距離ですから。ね、ノエル」

「ええ。だからお義姉様を本当に幸せにしてくれるお相手をゆっくり探して欲しいわ」

「そうは言ってもね。こっちは全然悪くないのに傷物にされて、次を探すにもやりづらいったらありゃしない。大迷惑よ」

「それなら大丈夫じゃないでしょうか」


 セルジュは悪戯っぽい顔で微笑むと自らの兄の方を見た。セヴランも企み顔で笑う。ノエルが喜色を浮かべてセヴランに尋ねる。


「セヴランお兄様、どなたか心当たりがいらっしゃるの?」

「あぁ。爵位と年齢に開きがなくて、エメリーヌが一度婚約解消してても気にしない、ノエルの天使っぷりを見てもエメリーヌだけを見ていられる男だろ? いるぜ」


 エメリーヌも期待の眼差しを向けた。

 

「奇特な方もいたものね。どちらのご令息かしら?」

「俺」


 ドヤ顔で言い切ったセヴランにエメリーヌは思い切りため息をついてみせた。


「期待して損した」

「何だよ、俺じゃご不満か?」

「不満も何も、貴方アルノワ家の跡取り息子じゃない。うちが欲しいのは婿養子なの」

「あぁそんなことか。継承権はセルジュにやった」

「なんですって!?」


 エメリーヌは思わず椅子から立ち上がった。隣で息を呑んだところを見るとノエルも知らなかったらしい。セルジュは「譲られちゃった」と笑っている。

 

「こんなチャンス二度とないからな」

「どうして……」

「どうしてって、お前が好きだからに決まってる」


 臆面もなく告げられて、エメリーヌは絶句した。

 セヴランなんて、昔っから自信家でお調子者ですぐ余計なことを言ってエメリーヌを怒らせて。今だって、子供の頃と変わらない悪戯小僧の顔で笑ってる。

でも、笑うセヴランの瞳が見たこともないほど真剣な色を帯びて居ることにエメリーヌは気づいた。

ボフッと音がしそうなほど急激に顔が赤くなる。

赤くなったエメリーヌの顔を見つめて、セヴランが笑みを深くする。


「お前も、俺が好きだろ?」


 悔しい。何よ、自信満々に。決めつけてんじゃないわよ。そう言ってやりたい。

 でも。

 セヴランは嫡男だから。私も後継だから。立場をわきまえて早々に蓋をした想い。好きな人と結ばれるノエルを心の奥では何度羨んだか知れない。本当はずっとずっと……。


「ばっかじゃないの」


 今更素直になれなくてそっぽを向いて憎まれ口を叩いたが、真っ赤な顔は隠せなかった。


「素直じゃねえな」

「貴方だってふざけてばかりじゃない」

「愛情表現ってヤツだよ」

「胡散臭いわね」

 

「うっ……うぅっ……」


 まだまだ言い合いが続きそうだったが、堪えきれず漏れたという様子の嗚咽が聞こえてエメリーヌは我に返った。

 慌てて周囲を見回すとハンカチの意味がないくらい泣きに泣いているノエル。ニコニコとその背をさするセルジュ。空気のように控えているのが仕事のはずなのにこちらも滂沱の涙を流す使用人たち。

 顔が真っ赤になった。今度は羞恥で。


「と、時と場所を考えなさいよセヴランっ!」

「何言ってんだ、これ以上ないタイミングだったろ?」


 また自信満々のドヤ顔をして見せるセヴランにエメリーヌが食ってかかって。またまた言い合いが始まった二人を見てノエルが泣きながら噴き出す。泣いたり笑ったり忙しいノエルの様子についエメリーヌも笑ってしまって。セヴランセルジュも笑い出して。



 ワロキエ家は順風満帆とはとても言えなかった。悲しくて、辛くて、物凄く腹が立って。でも、それでも母娘三人手を離さなかったら、きっとこれからもこうやって笑って生きていける。

 

 エメリーヌは大笑いに紛れさせて、一粒だけ涙を零した。



 

 いつまでも大笑いしている子供達の様子を見にきたサラが、事情を聞いて涙腺を決壊させるのはもうすぐ。




たくさんの作品の中から拙作を見つけていただきありがとうございました。


何故か今までになく盛り込みきれなかった設定、テンポ的に入れることのできないエピソードが発生した作品でした。いつかどこかでお披露目できる機会があることを願います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ええ話や(T ^ T) と読んだ途端思いました。義母も義妹も素敵ですね。 とても良いお話有難うございます。
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