6.乗馬の練習
村の探索が終わり、次は何をしようかとなった。
「ねぇねぇ、タビー、馬に乗ってみない?」
「ええー、馬?」
「そうよ、楽しいよ」
「ええ~っと、落ちる?」
「うん、落ちる。絶対落ちる。そういうものなの」
「気絶する?」
「多分」
「落ちて、気絶して転がってると、馬に踏まれる?」
「あ、それはないのよ。馬はたとえ自分が転ぶことになっても乗り手を踏んだりしないの」
「そうなの、うーん」
「ね、やってみよ。最初は毛梳きからやってみない?」
「馬の毛を梳くの?」
「うん、ブラシでシュッシュ、シュシュッって」
「あ、それならいいかも。そこからならできる気がするわ」
とりあえずその日は、いつものように手を繋いで厩舎に馬を見に行くことになった。
「うわー、大きいねぇ」
「うん、500キロくらいかなぁ、体重」
「私の10倍以上?」
「そうねぇ、この子は12歳くらいかな。生まれてから1年で300キロくらいまで育つんだよ、凄くない?」
「凄いねぇ」
エレはタビーの手を引いて、違う馬房に案内した。
「この子から面倒見てみない?」
「ちっさい?こどもの馬?」
「ううん、こういう種類なの。小柄だけど力は強いのよ。
大きい馬に乗るの、怖いでしょ?この子と仲良くなって、この子に乗せてもらうところから始めてみたらどう?
私も、うんと小さい頃、この子のママに乗せてもらって練習したの」
「名前は何て言うの?」
「ポピーよ。かわいいでしょ。
鼻を撫でるところからやってみよう?私がこう、首のところを撫でているから、ね?」
エレはポピーの首を抱え込むようにして、優しく撫でた。そっと鼻づらを撫でるタビーの手が、次第に自信を持ち、こわばっていた顔つきも微笑みを浮かべられるようになっていった。
こうして、タビーは、エレに教えられながら、馬の汗を拭き、毛を梳くところから始め、馬房の藁を取り換え、水を替え、エサの調合を習い、毎日せっせと世話をした。
おはよう、ポピー、と挨拶をしてからお世話をして、手綱を引いて歩けるようになるまででも1週間以上かかった。
初めて乗せてもらったときは、座るのではなく、毛布を掛けた馬の背におなかで乗りかかり、恐る恐る両足を地面から離した。エレがニコニコしながら補助してくれる。
荷物そのものだが、タビーは大きな生き物の高い体温に全身で触れて、すごく感動したのだった。
今はタビーとなっているが、こよりは自分の転移について感謝する気持ちが強くなっていた。
もし、日本での高度医療が奇跡的な効果を生んで、再び歩き、走れるようになったとしても、馬に乗れるまでには遥かな道のりがあっただろう。おそらく一生、馬に触れるチャンスなどなかっただろう。
この世界は確かに不便だ。神さまが言っていたように、トイレやお風呂の問題もある。
階級制度になじめなくて、奉公人と呼ばれる家事などを担当する領民に対する呼びかけもまだ練習中だ。何しろ、日本語なら「斎藤さん」というような、さん、にあたる用語がないから、台所働きをしているニニに対しても、ニニさん、という呼びかけができず、ニニ、と呼ぶしかない。年上の女性を名で呼び捨てるのはすごくつらい。
その代わりに、貴族としての責務がある、と、こよりは心に言い聞かせている。
神さまの要望に応えて、第二王子をなんとかする、いやどうしよう? うまくいくだろうか?
思い迷いながらも、タビーは今日も馬の毛を梳いていた。
一緒になって馬房を掃除しながら、エレが手の甲で汗を拭う。
「ね、楽しいでしょ?」
考えながら機械的に体を動かしていたタビーが話しかけられて我に返る。
「うん、ありがとう。一緒に馬で走れるようになるかしら?」
「きっとできるわよ。おじいさまと一緒に出掛けられるようになるといいわね」
毎朝朝食後に厩舎に通って3か月。どうにか大きな馬にも乗れるようになったころ、本家から呼び出しが来た。