11.現れた第二王子
園遊会期間が終わり、任されている領地へと帰っていく人たちを見送った。
蒼天城の奉公人たちは、一息つくとすぐに第二王子の訪れに備え、少し薄くなった芝生を部分的に張り替えたり、王子と従者、護衛騎士が滞在する客棟を磨き上げたりの多忙な数日を過ごした。
秋も深まり、木の葉が赤、オレンジ、黄色に染まる。雪が降り始めるまでの短い季節を伯爵兄弟は憂鬱な気分で過ごしていた。
「オーサー、シュリンは王宮に上がってもよいと言っておるが、どうだ」
「ああ」
弟は考え込む。ソファに座った双子の兄弟は、琥珀色の酒のグラスに唇を寄せながら夜の中を彷徨っている。
「兄さん、俺はシュリンの好きなようにさせてやろうと思うよ。
見かけより心の強い娘だよ。母を亡くし、寂しいだろうと早く縁付かせようとしたけどね」
「ああ、こちらに引き取って寄子から婿を取って領地を任せようとしたが、嫌がったそうだな」
「うん。それが一番楽だったと思う、俺も」
「理由を聞いたか?」
「聞いてはみたがなぁ、よくわからなかったよ」
「何と言った?」
「おとうさまが後妻をお迎えになりましたら、となぁ」
「ああ、そうか」
「わかるか、兄さん」
「おまえをひとりにしたくなかった、ということだよ」
「あ、ああ、そういう意味だったのか……」
「エレクトラとオクタビアはどうするだろうな」
「ああ、おまえ、何か聞いていないか」
「エレクトラは活発でな、よく話をする。
あの子は、サイラギに帰って、そのまま俺と一緒に暮らすのが一番いいらしい」
兄は、勇気を出して聞いてみた。神の改竄に関わることだから、あまり踏み込みたくはないが、伯爵家当主として第二王子に対応する以上、聞いておく方がいい。
「オクタビアはどう言っている?」
「ああ、姉の方は口数が少なくて、いつもエレクトラの陰に隠れるようなところがあってな。
長く臥せっていて、ようやく外に出てくるようになったばかりだからなぁ。
元気な声を出すのは、剣の練習の時だけだ」
「そうか、特別何も言わないか。
久しぶりに起きてきて、どうだった?」
「嬉しかったさ、もちろんだ。最初、誰だったかとさえ思ったよ、本当に久しぶりに顔を見たよ」
「そうか」
やはり神の改竄が効いていたか、とアーサーは納得した。
「ああ。起きてきたと思ったら何をするにもふたりでな、手を繋いで走り回っている。
しかし、双子といってもあれほど似るかな、兄さんと俺も双子だが、あれほどそっくりだったかな、同じ服を着せたらもう区別がつかない。兄さん、どう思う?」
「そうだな、覚えているか、小さい頃は俺たちもよく似ていて、時々服を取り換えて入れ替わって遊んでたじゃないか」
「そうそう、見分けたのは乳母だけだった、懐かしいな」
双子の兄弟は、昔話へと舵を切って幼い頃の記憶の海を泳ぎ始めた。夜は静かに更けてゆく。
蒼天城の正門が大きく開け放たれていた。
先触れのフットマンが走り込んで1時間、王家の紋章のついた大型馬車が正門を抜け、楡の並木を通り、蒼天城主館の大玄関前に横付けした。
城側で待ち構えていた執事見習いが赤い絨毯を馬車の扉から玄関まで見事な手並みでくるくると転がして伸べる。立ち並んで迎えていた奉公人が思わず見惚れてしまう手際だ。
王子の侍従が馬車の扉を開き、ステップを整えると、にこやかに第二王子が現れた。奉公人が一斉に頭を下げて敬意を表する。
伯爵が後ろに長男を従えて進み出る。
「殿下、ようこそおいでいただきました。ご尊顔を拝し恐悦至極にございます」
アラシュミーとともに礼をとる。
「直るがよい」
「ご訪問とご滞在の栄誉をお与えくださいまして、城を上げて感謝いたます」
再び奉公人一同が深く礼をする。
王子は鷹揚に手を挙げ、「よき奉公人である」と軽く言葉を掛ける。
最年長の執事がまず頭を上げ、さざ波のように順に全員が礼を解き、軽く目を伏せる姿勢に戻る。
第二王子は、伯爵に導かれ、侍従2名、護衛騎士3名を従え、大輪の花々と大振りの木の枝で華麗に飾り付けられた玄関へと、そして絨毯をはじめすべての家具が入れ替えられた美々しい応接間へと進んだ。
壁際には、10人ほどの侍従と侍女が並び、置物のように静かに立っている。
王子が肘掛けのあるソファに座り、流麗な手並みでお茶が供されると、伯爵が蒼天城筆頭執事を王子の筆頭侍従(王子の乳母子)に引き合わせて、連絡責任を確認する。
王子は最上級の客棟で王族訪問の時にだけ使われる特別な館に滞在する。警備は王子側で行うため、厨房、美しく整えられた何か所かの庭、厩、騎士のための宿泊施設なども備えており、石塀を建て回し、隣接する場所からは人が登れるような木は排除されている。
今頃は到着して館へ案内されているだろう、王子に随伴する料理人や下働きの者たちを統括するのは、部屋に入ったもうひとりの侍従だ。その侍従が静かに部屋から出て、城側の若手執事に館へと案内される。
これ以降の連絡が円滑に行われるように顔合わせが終わり、伯爵は王子の向かいに座り、アラシュミーもその右手、少し下がった位置に腰を下ろした。
座ることができるのはこの3人のみ、後は貴人の会話を邪魔しないように静かに立っている。
王子がにこやかに話しかける。
「モンスコンデ卿、今回の訪問で問題が解決することを望む」
「できる限りの御協力をお約束いたします。ご滞在の光栄に浴し、恐悦至極にございます」
「そちらは、ショリンツ卿であるか」
「お見知りおきいただき光栄にございます」
「シュリンの従兄だな」
「仰せの通りにございます」
伯爵と子爵の前に紅茶カップが静かに供され、3人はお茶を口にしながら次に口を開くタイミングを窺う。
「モンスコンデ卿、ジョットリニ卿からの返事はどうであった」
早速かい~、と心で叫びながらも、アーサーは落ち着いていた。
王子の背後では、筆頭侍従が思わず口を開きかけた。ここは咳払いで止めるべきところだからだ。直接話題を振るのは悪手、オーサーの健康についてなどから遠回しに会話を進め、相手の出方を見るべきなのだから。筆頭侍従メーム子爵カットリアニ・ドリエンテスは、あとでたっぷり意見をする(つまりお説教30分)を決意した。
思った通りというか、当然の事に、王子の質問は躱された。
「さようでございますね、弟から直接お聞きくださるのがよろしいかと」
「そうか」
ここでもう一押しするようなら、肩に手をかけてでも制止するところだが、一応は納めたようだった。
メーム卿は胃を抑えたくなりながら静かに立っていた。
そのあとは、何とか社交術を思い出した第二王子が天候と健康の話を無難に振りまくり、滞在する館での部下の体制が整う間を持たせることに成功した。
館から侍従が帰ってきて、準備が整ったことを告げるまで、それは誰にとっても、特にメーム卿にとって、非常に長い時間となった。
フットマン
馬や馬車を使わず、走って馬車列に先行、訪問先に先触れする役割を果たす使用人。
象徴として、美しい色合いのベストを着て、手には紋章入りの短杖を持って走る。フットマンの先触れが遅くなると、準備側の態勢が整わないままに主人の馬車が来ることになるから、特に足の速い者が選ばれる。身分を問わないため、庶民のあこがれの職業のひとつ。
マラソンランナー? 給料はかなりいいらしい。
第二王子筆頭侍従
ドリエンテス侯爵次男 カットリアニ・ドリエンテス、メーム子爵
兄、ドリエンテス侯爵長男は、現時点では第二王子宮の留守番をしている。資格を表す地位は第二王子宮留守居役。王子在宮中は、宮の総責任者。
ドリエンテス侯爵夫人は第二王子の乳母だから、ドリエンテス侯爵家の三兄弟は乳兄弟に当たる。
カットリアニはありとあらゆる冒険といたずらを、王子とともにやり遂げ一緒に叱られてきた、最も親しい乳母子。王子が口にする愛称はカッティ。
第二王子に何か言えるとしたらこの人が一番効果的なのだが、面倒がって放置することが多い。