おまたせしました百合要素です
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この時は、本当にグリフォンと戦うなんて、思ってもみなかった。
「[魔王の進撃]で[グリフォン]をデッキからサーチ。そのまま参戦。[魔王]の効果で≪攻/守≫が≪+2≫、はおいといて、[グリフォン]参戦時の効果で[勇者リオン]にダメージカウンターを4つ乗せる」
「うぅ、[魔女]の効果で無効化」
「はい、これで無効化はおしまいね。[シャドーランス]。[アミュレット]の軽減あっても勇者を撃破。残機はもうないよ。今日は勝てそうね」
「ぐぬぬぅ。まだ分からないよ。今トラッシュ置き場何枚?」
「ちゃんと25枚超えてるよ。……。あ、31枚か、次の効果まであと4枚、このターンは無理かな。まぁないならないで構わないわね」
現在[勇者リオン]のレベルは5。
とはいえさっきのターンに[魔王]を倒しきれずにこちらへターンを渡した時点でノアの敗北はほぼ決まっている。
「[グリフォン]2つめの効果、1ターンに一度相手キャラ一体にダメージカウンターを1個乗せる」
「[追い打ち]はやめて、[追い打ち]はやめて」
「持ってない訳ないでしょ。[ゴブリンの追い打ち]、このターン攻撃できない代わりにダメージカウンターが乗っている相手キャラ1体に7点ダメージ」
「サレンダー」
「[魔王]の効果、トラッシュの枚数が10枚以上の時、ターン終了時まで[魔王]以外のカードの≪攻≫を≪+2≫」
「サレンダー」
「[グリフォン]の効果3つめ、攻撃の代わりに自身の≪攻≫と同じだけ相手のキャラクター1体にダメージカウンターを乗せる、11個ね」
「サレンダー」
「[魔王]の効果、トラッシュの枚数が25枚以上の時、相手のキャラクター1体にダメージカウンターを10個乗せる」
「クリスちゃんの意地悪」
「ノア、貴方さっき私に何をしたか忘れたの?」
「な、なんのことかな」
忘れているなら仕方ない。
仕方ないから思い出させてあげないと。
偏見ではあるのだけど、カードゲーマーという人種は性格が悪い。
私も、もちろんノアもだ。
相手がサレンダー――負けを認めたくらいで手を緩めることはしない。
大会とかで他人とやるなら別ではあるけど、勝ちに拘るデッキを積極的に使う人なら、自分の組んだ通りの展開に持ち込みフィニッシャーを十全に活かせる機会を逃すものか。
もし違うというなら、その人はカードゲーマーじゃない。
「本物のグリフォンにも命乞いするつもり?」
「ん、んー。ひょっとしてまだその方が生存率高いかもね」
「あ、そうかも。グリフォンって特災級の魔物だしね。街に連れて逃げるだけで犯罪、下手したらここ王都ですら被害は甚大なものになる。運よく英傑のいるところに来てくれればいいんだけど」
「個人で戦うならママレベルじゃないといけないとか正しく災害だよね。王都は英傑の人が何人かいるからまだマシ、他の街はもっと大変だから巻き込んだら絶対ダメ。一人で、あるいはパーティで死ねって結構キツイものだよね」
「私達じゃあ時間稼ぎすらできるかどうか。まぁ特災級の魔物なんてそうそう出会う訳でもないわ」
だって、特災級の魔物は目撃情報すら碌にない。
十数年前は魔王がいたからそうでもなかったらしいけど、魔王が討たれ、英傑の人々が頑張ってくれたおかげで世界は随分平和になった。
でも、人類は一部の例外を除いて弱い。
それを忘れていた。
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鷲獅子は現在、不思議なことに、こちらに向き直ってその場で浮遊したまま空中で止まっている。
その光景を見てつい、現実逃避のように楽観的な考えをしてしまう。
「どういうこと? もう襲ってこないの?」
「たぶん違うよ。さっきのが不意打ちだったからね。今度はこっちに先手を譲ってくれる気なんだ」
ノアがいつになく頼もしい。
立ち上がったノアの右手にはいつの間にか砕かれたガラス玉があり、手が開かれ地面にパラパラと落ちて破片が広がった。
セレナさんに持たされている、砕くことでこちらの居場所を伝える魔道具だ。この魔道具が砕かれた以上、間もなくセレナさんが来てくれる。
「なら、このまま膠着状態を続けていればいいの?」
恥ずかしながら、私はまだ動けそうにない。
トレントとグリフォン、同じ魔物とはいえ格が違う。
ノアがいなかったら手も足もでない。
「うーん、ちょっと望み薄だね。すぐにでも突っ込んできそう。なんとかママが来るまで生き残らないといけない」
聞き間違いだろうか。
ノアの声がどことなく楽しそうだ。
自分の何倍も強い魔物に襲われて、命の危機にさらされて、楽しい訳ないのに。
気が動転して、私の耳は――もしくは頭は――おかしくなってしまったんだろうか。
「クリスちゃん、直線でどのくらい速く飛べる? あ、私を抱えてくれると嬉しいかな」
流石においてかれると困る、と冗談めかしたつぶやきは面白くもなんともないので黙殺。
というかそもそも……。
「ノア、ちょっと手を握って貰っていい?」
私一人だと、心がざわついて魔法なんて全然紡げない。
精神を安定する術なんて、非常時にはなんの役にも立たない。
「はい。左手でいい?」
ノアは今、グリフォンから目を離せない。
それでも、背中越しにこちらへ左手を伸ばしてくれた。
差し出された左手を右手で握る。
その小さなぬくもりでようやく、少しだけ安心できた。
「あー、時間切れか。来るよ。私は多少手荒にしてもいいから、とにかく速度優先で逃げよ、合図したらすぐね。こっちでも適当に投擲系の魔道具とか投げてみる。当たったら少しはダメージ出るだろうし、なんとか生き残ろう」
それは空元気のはずなのに、ノアが力強く言ってくれるだけでできる気がしてくる。
その小さな背中に、私は勇者を見た。
ノアに勇気づけられ、なんとか左手に魔法長杖を構え直す。
飛翔の魔法は……
大丈夫、なんとか使えそうだ。
多分予備動作はあったと思うのだけれど、気がついたらグリフォンはこちらに向かって突進していた。ついノアの手を握る右手に力が入る。
そして、向かって来るグリフォンに、ノアがボウガンを向け――取り出した瞬間は私には分からなかった――先程セットしたまま使わなかった火矢が射出される。
「今!!」
その矢がグリフォンの顔に当たった瞬間、全速力で真後ろに飛ぶ。
大丈夫、風は私に応えてくれる。
「ごめんクリスちゃん、外した」
「え、当たってなかった?」
後ろを確認したかったけど、それで減速して捕まったら元も子もない。
でも後ろに逃げ出す寸前、確かにグリフォンに当たったのを見た。
「ホントは右目を狙ったんだけど、防がれちゃった。あの距離で対処できるなんて、流石グリフォンだね」
私は必死にグリフォンの目を見ないようにして自分を奮い立たせていたんだけど、ノアはその目に向かって狙いを定めていたらしい。
迫り来る強大な気配を背に、決死の覚悟で飛び続ける。
幸い、今すぐ追いつかれるほどの速度差はないらしい。
「!?」
「おぉ。クリスちゃん、悪いけどニュアンスで感じ取って」
背後で魔力の高まりを感じる。
そしてそれは、いくつもの塊となってこちらに向かって来た。
「右、みぎ。左! うえー。このまま正面。左、上! 左右ひだり下うえ下みぎ右上まっすぐ……停止!! ゴー!! 下下、そのまま地面すれすれまで行って――、切り返す!」
グリフォンが放つ魔力弾。その威力はもちろんさっき私がトレント相手に放ったものより数段上だ。
無我夢中でノアの指示通りに飛ぶ。
まだ被弾していないということはちゃんとノアの言うニュアンスを読み取れているということだろう。
私達に当たらず、地面にぶつかった魔力弾が轟音を上げる。
正直耳を塞いでしまいたいけど、生憎私の左手は飛翔魔法のサポートをしてくれている魔法長杖を、右手はノアの左手を握っているためそれは叶わない。
「羽根の一枚一枚に魔力乗せて飛ばしてるんだね、微妙にホーミング性能あったけどなんとか第一陣は凌ぎ切――」
「gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!」
風を奪われた。
「あっ、……ぐっ、……うぇっ、……。…………」
その咆哮で飛翔の制御が失われてノアと一緒に地面に投げ出される。
何度もバウンドしてようやく止まった。空が見えたことで自分が仰向けで止まったことを知る。
結構な速度で飛翔していたので、服が破れ、魔法長杖も手から離れてしまった。
どこからこぼれ落ちたのか、【マジック・ブレイブ】のカードが辺りに散乱している。
ノアとも手を離してしまった。
不幸中の幸いだったのは、あまり高くを飛んでいなかったから落下による怪我は最小限で済んだこと。
とはいえもう魔力を熾すどころか呼吸もままならない。
何かが、いや、現実を見よう、グリフォンが私の近くに降り立つのが分かった。
必死に息を整え、絶望の渦中にいる私を見て、グリフォンは確かに嗤った。
――キンッ――
横から飛んできたナイフをグリフォンが左の鉤爪で弾く。
「こっちだよ!!」
明らかに右足を庇いながら、それでもノアはグリフォンの気をひくために動いていた。
怪我を感じさせない力強い声に、もう一度私の心に火が灯る。未完成でもいい。あいつに一泡吹かせてやる。
散らばったカードで一番最初に手に取ったカードをグリフォンに向けた。
「[パラライズネット]」
――――――
[パラライズネット]
カード種:スペル
参戦している相手キャラクター(英傑・魔王を除く)を2体まで選択する。次のターンの間、そのキャラクターは移動することができない。
――――――
普通、【マジック・ブレイブ】のカードは現実に影響を及ぼしたりしない。
カード達はあくまで盤面の中で完結する遊戯でしかない。言ってみればごっこ遊びだ。
だけど、私が持っているいくつかのカードは例外だ。
まだ試作段階ではあるけど、実際に魔法として使うことができる。
一枚目のカードの効果を確認する暇もなく立て続けに二枚目のカードをきる。
「[幻惑の杜]」
――――――
[幻惑の杜]
カード種:≪街≫
≪森≫属性を持たないキャラクターは、移動する際にコイントスを1回行わなければならない。裏の場合、その移動は失敗する。
この効果はカードの効果によって移動する場合には発動しない。
魔素:3
――――――
私の不安をよそに、二枚のカードはその効果を発揮した、してくれた。
グリフォンは光でできた網に囚われ、荒野と草原の間くらいの景観が、森へと変わる。
自分でもビックリするくらい変化があった。
でもこの変化に囚われている時間はない。
目を丸くしているノアのところまで駆けて行き、その手を取る。
そしてカードを二枚切る。
「[敗走]」
――――――
[敗走]
カード種:イベント
自分のキャラクター一体を選ぶ。
選んだキャラクターを1マス下げて魔を+1する。
――――――
手を繋いでいるから一枚でも良かったかもしれないけど、出し惜しみなんてする余裕はない。
転移の気配に身を任せ、だけど今度こそ手を離さないと握った手に力を込める。
こうして、私達は傷を負いながらも、なんとか戦線を離脱した。
転移した先は、幻惑の杜の中にある開けた場所だった。
勇者達も、魔王討伐の旅の途中で立ち寄ったとされる黒い百合が咲き乱れている場所だ。こんなところまで再現できていることへの感動を感じている暇がないことが悔やまれる
「きゃっ……」
走りながら転移した所為でつんのめる。
でも、ノアと地面の間に入って受け身を取ることくらいはできた。
柔らかい草花に倒れこみ、ノアを抱きしめる。
「ノア! 大丈夫?」
「大袈裟だよ。このくらい平気平気」
ちょっと笑われてしまったけど、抱きしめる力を弱めることができない。
ノアは足を怪我しているから、すぐに容態を確認しないといけないのに、それを邪魔しているのは私だ。頭では分かっているのに、それができない。
「クリスちゃん。さっきの……【マジック・ブレイブ】のカード、だったよね?」
しかたないなぁ、と私を受け入れてくれたノアは、一番気になっているであろうことを訊ねてきた。
でも、その問いの先に私が答えてあげられることは少ない。
「そうだけど泡沫の夢はちょっと普通のカードとは違うっていうか」
秘密にするつもりなんてない。そもそも明日か明後日くらいには試運転を兼ねて一緒に使ってみるつもりだった。可能なら全てを話してしまいたいけど、私も泡沫の夢の力を最初に使えたのはつい先日。必然、知っていることは少ない。
「この際あのカードが何なのかは置いといて、1ターンってどのくらい?」
グリフォンを足止めしている[パラライズネット]の効果は1ターン。
それが終わればまた私達に襲いかかって来るはず。セレナさんに早く来て欲しいけど、最低でももうあと数分はかかるだろう。
「ごめん、分からない」
この辺り一体の森を作り上げてなんだけど、ここはカードゲームの世界じゃない。だから、カードの効果終了を待たずしてグリフォンが動き出す可能性だってある。
「ホント、まだ実用段階じゃないの。だから、ひょっとしたら今すぐ解けちゃうかもしれない。ここまで効果が強いって知っていたらもっと早く使ったんだけどね」
「そんな感じかー。あ、[回復薬]系統か[起源の聖女アリスの奇跡]ある? ひょっとしたら足治るかも」
その言葉で、私は抱きしめていた手を解き、ノアにどいてもらって上体を起こすとカードを探し始めた。さっきの衝撃で大部分のカードを失ってしまったけど、なんとか数枚のカードが残ってくれていた。
改造制服のヒラヒラの隙間に仕込んだカードを一枚取り出す。
「[マシロ村の回復薬]」
青い液体の入った透明なガラス容器が出てきた。
……どこから出て来たんだろう。
さっきは余裕がなくてあまり考えていなかったけど、冷静になってみると結構変だ。カードは、消えたりはせずに力を失っているようだ。となると[敗走]や[幻惑の杜]も向こうに残っているかもしれない。
何も分からないのがもどかしい。使い方をもっと研究する必要がある。
「んっ、んっ……。おー。すっかり治っちゃった。クリスちゃんも飲んで……って、あぁ」
ノアがぴょんぴょんとその場で跳ね、足の状態を確認してから薬が半分くらい残っているビンをこちらに渡そうとした瞬間、そのビンは塵となって消えた。
「そっか、これで回復できるの一人までだもんね」
――――――
[マシロ村の回復薬]
カード種:道具
≪人族≫≪英傑≫≪獣人≫のキャラクターを一体選ぶ。
そのキャラクターに乗っているダメージカウンターを全て取り除く
――――――
ゆ、融通が利かない。
まぁ、私の方の怪我は打ち身と擦り傷が主で、動けなくなるようなものはないから構わないか。
というかこれ効果が切れた瞬間ノアがまた怪我した状態に戻るってことだよね。
それともずっとこのまま?
[幻惑の杜]は元に戻って欲しいなぁ。
「――――――――――――!!!!」
咆哮が聞こえた。
空気が震え、思わず首が縮こまってしまう。
魔法長杖を構えようとするが、さっきの場所に置いて来たままだったことが分かっただけ。簡単な魔法なら使えないこともないけど、あの魔法長杖がないとグリフォンに通用しそうな魔法は編むことができない。
ノアは、辺りをキョロキョロと見渡して、疑問を口にする。
「この咆哮ってあの魔法無効化させた奴だよね、[幻惑の杜]大丈夫?」
「泡沫の夢って厳密には私の魔法じゃないんだ。だから簡単には破れない……はず」
解ける心配はあっても破られる心配はしていない。
「ぽえとりー、ね。後でもっと聞かせてよ」
だから発動の方には不安があったけど、時間等で自壊する以外の心配はひとまず置いておける。
「グリフォンってコイントスするのかな」
「コイン持てないじゃん。原典から考えると幻惑の杜は道を正しく進める、進めないだからそっちが適用されるかもね。クリスちゃん、[聖剣:オラシオン]持ってる?」
「うーん、あるかなぁ」
もしもを考えると仕方ないことだけれど、それでも考えてしまう。
ここが、引き返す最後のタイミングだった。
例えば、もし生徒会室で引き留めてもう一戦カードゲームに興じていれば
例えば、もし学校から寮までいつもと同じ道を通っていれば
例えば、もしトレントを見つけたとしても私達でなんとかしようとはせずに、騎士団に任せていれば
例えば、もしこの時、[聖剣:オラシオン]以外のカードで戦うことを選択していれば
これから起こることはもう少し違うものになっていたはずだ。
――私が知っておかなければならなかったこと
一つ、ノアは生まれた直後、セレナさんによってその力のほとんどを封印されていた。
二つ、聖剣オラシオンは、'あらゆる魔を切り裂く'。
知らなかった代償を払う時が来た。
どうしてあの娘大好きなセレナさんがノアの力を封印しなければならなかったのか、私はそれを身を持って知ることになる。
「あった、でもどうするの? 魔法長杖とかさっきの場所において来ちゃったし、この場で時間稼ぎに徹すればいい訳よね」
セレナさんなら、あのグリフォンにだって負けたりしない。
カードゲームのように制約があるわけでもない戦いで、あの人が負ける訳ない。
「それでもいいんだけど、やられっぱなしはちょっと癪じゃない?」
その言葉に、その表情に、その瞳にのまれてしまう。
ノアならなんとかできるんじゃないかと、期待してしまった。
「[聖剣:オラシオン]」
魔王を倒したとされる勇者リオンの愛刀が主人とともに失われて14年後、レプリカとはいえ再びこの世界に姿を見せる。
柄を握ってみたけど、私じゃ使えないことが瞬時に解った。本物の聖剣も勇者以外使えなかったとされている。
「クリスちゃん。マズい、見つかった。その剣はやくこっちに!!」
急かされて剣をノアに渡した直後、ノアに吹き飛ばされた。
相当開けた場所だったはずなのに、一瞬後には端まで来ていた。
「gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!」
樹にぶつかった衝撃で一瞬息が止まったその直後、現れたグリフォンの咆哮で思わず目を瞑って体を小さくする。
その後、激しい風によって目が開けられなくなった。
ほとんど風で聞こえなかったけど、斬撃の音が次々と鳴る。
そして、おぞましいほどの魔力の奔流を感じて気絶する寸前まで意識が遠のいてしまった。
気絶していれば良かった。
だって、この魔力は、グリフォンのものじゃない。
グリフォンの魔力も強大で、逃げ出さずにはいられないほどおそろしい物だったけど、それでもこれに比べたら可愛いものだ。
これは、なに?
信じたくなかった。
だけど、それなりに戦えるようにセレナさんによって鍛えられた私には分かってしまう。
ノアに聖剣が触れた瞬間、ノアの持つ魔力が爆発したように感じた。
ノアが怖い。
ノアが怖い。
ノアが怖い。
ノアが怖い。
ノアが恐い。
ノアが恐い。
ノアが恐い。
ノアが恐い。
……。――。…………。
……。――。…………。
ひたすら目を閉じて、今目の前で起こっているであろう出来事から目を逸らす。
まるで目を開けてさえいなければ、それが存在していることを認めないことができるのではないかというように拒絶した。
風が周囲の木を削り幾つかは耐えきれず倒れる。両手で耳を塞いだ。
雷鳴が轟き、稲光の閃光が閉じていた瞼を貫く。膝を使って目を塞いだ。
炎が燃え上がり、あたりの空気を焦がしていく。熱くなんてない。
突如現れた冷気が霜柱を成し、世界が凍てつく。知らない知らない知らない。
私は、自分の感覚を否定して否定して否定し続けた。
ノアの力が、今までと比べ物にならないくらい大きくなっている。これは断じて成長なんかじゃない。世界が歪んでしまうんじゃないかと錯覚してしまうほどの力の奔流にさらされ、私は錯乱してしまった。
そんな私をよそに、世界は時を進めていく。
斬撃の気配が止み、戦闘が終了したことを知った。
それでも、目を開けることができなかった。
だって、一番恐い存在は、一番怖ろしい存在は、まだ消えてない。
この瞼の向こう側に、見てはいけないものが在る。
「クリスちゃん、もう大丈夫だよ。目を開けて」
ノアの声が聞こえて、間違いだと分かっていても反射的に目を開けてしまった。
そこには、たくさんの黒い花弁が舞っていた。
ここに群生していた百合で、珍しく黒い花を咲かせるこの森の特徴の一つ。
その中央にはグリフォンの返り血を浴び、こちらに向かって笑いかけるノアがいた。
ただ、私にとってその姿は安心とは程遠いもの。むしろ恐怖の象徴だった。首だけになったグリフォンと自分を重ねてしまう。次は自分の番だと虚ろな目と目線を合わせてしまった。
ノアが、こちらへ一歩。
「ひっ!?」
私は、この日呪いの言葉を口にした。
「来ないで、バケモノ!!」
この言葉が刺さって抜けなくなることなんて分かってた。
恐怖に駆られたからといって言っていい言葉と悪い言葉がある。
これは間違いなく後者だ。
次回
2日 12:00