魔法書
手の掛からない赤子という評価は俺がハイハイを始めると瞬く間に消滅していった。なんせ家中をハイハイしまわり、書庫や倉庫にまで入り込んだものだからどうやって戸を開けたのか皆不思議がらせるほどであった。大小さまざまなトラブルを起こしながらもすくすくとそんな調子で気づくと5歳になっていた。
「坊丸様。そんなところ危ないですよ」
俺はすっかり小さな暴君としてこの小さなコミュニティに君臨していた。とはいえ悪ガキか手の掛かる子供くらいの感じであったが、村々の子供のリーダー的存在となる。その中には孤児となってしまったものやまだ幼い少年少女も多い。そして活発に村を回って5年もたつと自身の立ち位置というかここがどんな場所で両親はどういった立場の人間かおぼろげながらわかってきた。
「見てみろよ。あの山に竜神様が住んでいるんだろ?でっかいよな」
この村は田舎というよりは辺鄙な場所であった。俺が村周辺の小さな森や荒れ地を拠点に出来る位には平和というかのどかで土地が余っているほどだ。まあ、国自体が田舎にあるのでその端っこなら辺境って感じだろう。国の名は巴。この村から王都まで1カ月以上かかるらしく近隣にある国の中でも大きい部類に入るらしい。
「それよりもうすぐ市が起ちます。早くいかないといいものなくなっちゃいますよ」
そう不満を言いながらついて来るのは乳兄弟の元介、あやの子供である。歳はだいたい同じくらいなのだが、どこか心配性で常に安全であることが最優先の線の細い童だった。見下ろすと同じくらいかより幼い子供たちが山菜や団栗を集めている。俺の部下というか悪ガキ集団だが、この小さな森の山の幸はこの子供たちが取る権利がある。というか俺が親父に無理してねだった。中途半端な大きさで手を付けられなかったので多少なりとも食糧事情に余裕が出ることは好ましいことだと判断したようだ。この小さな拠点はいくつかあり、特に孤児となってしまった子供には貴重な収入源だ。
「そうはいってもな~。あまり品数はないではないか」
俺がそういうと元介は少し不思議そうな顔をした。確かに隊商は大きな馬車が10両以上引き連れてくるもので確かに少ない数ではない。しかし、
(物品の多くは生活必需品でその他は少量だ。しかも複数の村の分もあるからそれ程潤沢ってわけでもないしな)
そして俺は一応この辺りを収める地方領主の子供だ。領主に配る品は別に収められるのでそれほど目の色を変える必要もない。
「でも・・今回は書肆(本屋)も来ているみたいですよ」
「それを先に言え」
現代日本と違い、活字はかなり貴重だ。なんせ家にある本は一応領主であるにも関わらず先祖の日記が数冊に母上の恋愛物、親父の軍記物が僅かばかりとかなり寂しい。それも読み書きの教材って感じで使われ、親父が日報を書き上げている隣で木片につらつらと書き写しをやらされていた。とはいえ読み物としてはかなり面白いものなので純粋に読み物が増えるのはかなり楽しみなのだ。
「ここは任せるぞ。三輔」
「へーい」
「では行くぞ」
「まってくださいよ」
童二人が走り出してしばらくすると村の中央には人だかりが出来ていた。さすが年に数度の大催しだ。村中の人口が集まったのではないかと思えるほど繁盛している。
「さあさあさあ、鉄製の鋤や鍬だよ」
「海産物の干物だよ。大特価だ」
「麻布だよ。反物もあるぞ」
騒がしい市場の様子はやはり胸が躍るものがある。
「坊丸様。瓜がありますぞ」
「いらんいらん。小遣いは少ないのだ。書肆はどこだ?」
信じられないという顔をしている元介をおいてずかずかと進むとぽかりと人っ気のいない一角へとたどり着いた。
「おや坊主。ここには甘味はないぞ」
「いや、書を求めにきたのだ。なんか面白いもんはないのか」
「ああ?」
書肆の店主はキツネにつままれたような顔をして
「坊主、文字が読めるのか。もしかして手習い所でもあるのか」
「いやいやないよ、そんなもの。それより面白いものないの?」
「まあ、立花物語とか大将記とか・・」
「それはもう読んだ。他にはないか?」
「ああ?いや手習い所向けに持ってきただけだしなぁ。あとは魔法書くらいか」
「魔法書?魔法って本当にあるの?」
「おや、知らないのか?まあ、使い手なんて万に一人だからなぁ。でもこれは薬科辞典としても使えるからなぁ。それなりに有用ではあるぞ。面白くはないがなぁ」
「うーん・・ちなみにいくら?」
「塩なら大袋2つ。ポメなら俵1つだな」
「たっか!」
(とはいえ魔法か・・・使えればかなり有用そうだし・・薬科辞典としても使えるなら無駄にはならないか・・・でもなぁ・・・)
悩むことしばしば。俺はここでジョーカーを出すことにした。
「龍鱗1欠片でどう?」
がば!っと擬音が聞こえてきそうなほど飛び上がった店主。龍鱗は一片で塩大袋10個になる高価な品だ。俺は川遊びの最中にひとかけらのひとかけらみたいな小さな断片を偶然発見していたのだ。
「おめぇさん。それ本物か?」
「おっさん。みたことあるのかよ」
「うっ!」
当たり前だが貴重な品は見る機会は非常に限られる。高価な品だけに大きな儲けが期待できる反面、大損する可能性もある取引なのだ。
しかし、店主はこれが本物だと確信しているようだった。
「う、う、う・・売った・・・」
何度も何度も小さなかけらを眺めながら声を引き絞るようにしてそう答えた。
「やった!」
この一冊の本が俺の人生を大きく変えるきっかけになることはまだ知らなかった。