第四話
僕と橘が付き合って一週間。
僕たちの関係に何か変化があったかって? ないよ、何も。
学校内でもほとんど喋らない。まぁ当然だ。あっちは元々僕のことを好きじゃない。話しかけてくるわけがない。それは僕も同じで、わざわざ話しかける理由もない。
晃に何度か煽られたけど、それも断った。
答えは簡単。あの筋肉主将こと、真那元のせいだ。
僕だって何度かアプローチを仕掛けようとしたのだが、その度に筋肉主将は僕を試すような目で睨む。
ワーニング、ワーニング。少しでも言葉を間違えたら命の危機だ。
そういえば罰ゲームを盗み聞きしたときに言っていた。
──暦月を傷つける奴は俺がボコボコにしてやる。
もうお前が付き合えよ。
だから今、僕は迷ってる。所詮は橘を安心させるための冗談だろうと思っていたのに、あの目はガチだ。
ほどよいタイミングで自然と別れるのを狙うのが一番良いんだけど、それはそれで橘を傷つけるかもしれない。あんな男に振られるなんて! みたいな。
でもこのままじゃ付き合ったはいいけど緊張して話しかけられない情けない男に見える。笑い者にされるのは嫌だ。
とは言っても、あっちから振るように誘導するのはめんどくさいし、僕のプライドが多少傷つく。
「よう。おはよう」
「あぁ……おはよう」
机に突っ伏してどうするか考えていると、晃がいつもどおり挨拶してきた。
「何か進展あったか?」
「何も……。もうどうすればいいかわからないんだ。そもそもどうやったって僕の進む道は地獄じゃないか」
「いやぁ……」
「僕はもう寝る。現実逃避だ」
「そ、そっか」
「あぁ、でも昨日、橘の夢を見たよ。彼女は泣いてて、僕はこれから来るモンスターに怯えてた。場面が変わると、僕は気づいたらゴミ箱で倒れてるんだ。そしてそれを見て橘が笑ってた。とうとう睡眠の時間すら逃避できなくなったんだ」
「いや……考えすぎじゃないか? ほら、案外暦月がお前に惚れてるかも!」
「一週間一言も話してないのに?」
「いやそれは……」
「じゃあねおやすみ」
僕の意識はそこで途切れた。
そして再起動した。案外すぐに。
誰かに背中を軽く叩かれたのだ。晃か? いや、もっと強く叩くはずだ。今回のは控えめで、まるで女の子のような……。
橘か。
体を起こして振り返る。ほらねビンゴだ。顔を赤らめて、体中に力が入ってるのがわかる。
「あ、あのさ、ちょっといい、かな?」
「今?」
「う、うん……」
「わかった」
暦月の後ろを追って、教室を出る。
けど、これが良くなかった。橘は目立つ。そして彼女が何の接点もない僕をわざわざ起こして外に誘導する。うん、怪しい。扉を閉めるときには、ざわざわとちょっとした騒ぎになっていた。
二人とも無言のまま廊下を歩き、人のいない階段前で止まる。
「どうしたの?」
「そのーさ……、私たち、付き合ってるんだよね?」
いいや。全くの他人です。そう答えられたらどんなに楽か。
「うん」
「じゃ、じゃあさ……」
橘の顔はさらに真っ赤になって、プルプルと体が震えている。顔を伏せながらも僕の顔を何とか見ようとしている。そのせいで、またも破壊力抜群の上目遣いになっている。
と、そのとき、橘の後ろで、ニヤニヤしている神七の方々(晃除く)が見えた。物陰に隠れてるからほんの一瞬だけだったけど。
その瞬間、全てを察した。
「私と、連絡先交換してくれませんか……? ほ、ほら、一応恋人同士だし、RINEやってる?」
「…………」
なるほどなるほど。ようは橘と連絡先を交換してウキウキになる僕を笑ってやろうということなんだな。
「あの、聞いてる……?」
「…………」
橘が顔を真っ赤にして震えているのは笑いを必死に堪えてるから。神七がニヤニヤしてこっちを見ているのは、僕が鼻の下伸ばしながら連絡先を交換するのも見るため。
「い、いや別に無理にしようってわけじゃなくてね? その方が便利っていうか、学校じゃ話せないこともあるけど、スマホでなら」
「…………」
「どう、かな……?」
「いや僕RINEやってな……」
真那元の瞳が赤く光る。捕食者の目だ。
「いや、嘘。やってるやってる超やってる。交換しよう」
「ほ、ほんと? やった」
くっそーあいつ嫌いだ! 超怖いんだもん!
「ふふ、じゃあこれで、家でたくさん話せるね?」
「げぇっ」
「えっいやなの?」
しまった。露骨に嫌な顔をしていたのをばっちり見られてしまった。
橘がいかにも不安そうな顔で僕を見る。
うーんでも、恋人たちが連絡先交換して、テスト前に通話しながら勉強したりするんだろ?あれ、音楽聴きながらやりたいから、正直嫌なんだけどなぁ……。
「いや、別に嫌とかではないんだけど」
「結構嫌なそうな顔だったけど……」
この際笑い者になるのは我慢して連絡を取る? いや、ゲームしたいからRINEとかやる暇ないんだけどなぁ。ただでさえ、晃の相手して、大変なのに……。
ここは上手く誤魔化すのが吉。
「ごめん、ごめん。はい、これでいいかな?」
大人しく、アプリを起動し、交換画面にして、スマホを差し出す。
「うん、ありがとっ」
「一応言っとくけど、九時には寝るから、連絡しても意味ないから」
嘘だけど。いつも二時に寝てるけど。
「ず、随分健康的なんだね」
「まぁね」
「ん、ありがとう。じゃ夜連絡するね」
交換したらしい、橘はスマホを返した後、そのまま教室に入っていった。
スマホを見ると、『コヨミ』と追加されていた。トプ画は夢川とのツーショットだ。そういえば、女子でトプ画をツーショットにするやつは、相手は大体自分よりブスで引き立て役にするって聞いたことがある。
ふーん。意外と性格悪いんだな……。
そのまま僕も教室へ戻ると、なにやらみんながこっちをじろじろ見てくる。
ふっ……隠しきれないスター性
なわけないか。
席に戻り、晃に聞いてみる。
「もしかしてバレた? 二人で出てったし無理もないけど」
「というかバラした」
「誰が?」
「俺が」
「なるほど、許さん」
「わりぃって!」
拳を軽く上げて威嚇すると、晃が両手を合わせて必死に謝った。
「いずれバレることだろ? な?」
「……まぁたしかに。でも、こんなにジロジロ見られるのは嫌なんだけど」
「気にすんなってただの嫉妬だ」
「そうかい」
ただの嫉妬ならまぁ、大丈夫だろ。したいやつは勝手にさせとけばいい。
──なんて考えているときも僕にありました。
「橘さんと基山秀矢はいるかぁ!」
放課後ホームルームが終わってすぐ、男子生徒が教室のドアの前で怒声を上げた。
なぜ僕だけフルネームなんだ。
秀矢でいいのに……いやなれなれしいな。基山と呼べ。
全く誰なんだ。と、顔を向けると……どこかで見た顔。
「うちの暦月になんか用?」
夢川が答える。
「いや、正確には基山秀矢に用がある!」
「はぁ……なんですか?」
しょうがないので近づきながら答える。
そして気づいた。先週晃と一緒に恋愛相談に乗った、最上海斗だ。
「あ、お久しぶりです」
「くっ、くぅ……基山。お前と暦月さんが付き合っているというのは本当か……?」
「一応ね」
「くっ………! お、俺は認めん!」
「そうですか。どうぞお好きに。さよなら」
「ま、待てっ!」
「まだなにか?」
「認めんと言ったんだよ!? もっと何か悔しいとかないのか!」
「えぇ……。ていうか、あのとき言った好きな人って」
「そ、そうだ……。橘さんだ」
「あー、なんかごめん」
「う、うぅっ……。頑張ったのに。勉強たくさんしたのに」
「よかったじゃん」
「よくないだろ! とにかく、俺は認めないからな! どうだ? 悔しいとは思わないのか!?」
「誰に思えばいいの? お前は橘の何なの。そりゃ悪いとは思うけど、そもそも僕が橘と付き合うのにお前の許可なんていらないだろ」
「う、うるさぁぁい!」
「うるさいのはそっちでしょ」
なんだかめんどくさくなってきた。日本語通じない。長身でイケメンなのにもったいない。
「絶対に許さないからな!」
「そ……で?」
「暦月さんをかけて俺と勝負しろ! 基山秀矢!」
「いやです」
「それでも男か!?」
「逆に女に見える?」
「くぅ……貴様、さては自信がないんだろ?」
「そもそもなんで勝負なんか」
勝負の内容もわからないのに自信もクソもないだろう。
まぁ、こういうタイプの人間は、とりあえず頭を使う勝負ではないので、運動系だろう。となると自信はないかな。
とはいえ、ちょっとまずいことになってきた。
とりあえず、カッコよく追い出さないとやばいな。
「橘さんは今まで大勢の男子生徒、いや、たまに女子生徒ですら振ってきた! 俺もこのままじゃおそらく……。お前にあって俺にないものがなんなのか知りたい!」
ふっ。全くわかってないな。
「いいか、恋は理屈じゃないんだぜ?」
「お前先週それは甘いって言ってたじゃねーか!」
そうでした。
「いやもう、めんどくさいから別れるよ。どうぞお好きに告白なりなんなりすれば?」
「は!?」
「だから、僕が付き合ってるから、告白しようにも出来ないので、勝負を仕掛けてきたんでしょ? だったら、僕が別れるから、勝負なんてせずに告白してどうぞ?」
「あ、あ……」
「まぁ、できないよね。振られるって分かってるんだから。橘につり合わないから、俺を試そうとするのはギリセーフだけど、それを利用して、ちゃっかり自分のものにしようとするのは、アウトでしょ」
「でも俺は……」
「いつまでもうじうじするな。僕にあって君に無いもの? 簡単さ。器だよ」
そう器。笑い者にされる人間かそうでないかの器。
「辛いのはわかる。けど切り替えていくしかない。自分磨きを続けてるんだろ? だったらまだ頑張れよ。頑張って、橘に目に物を見せてやればいいんだよ。お前が逃した魚はこんなにでかいぞって。新しく好きな女の子と付き合って、今の方が幸せだって、胸張って心の中で叫べばいいんだよ」
「う、うわぁぁぁぁああ!」
最上は泣きながら走って帰っていった。今のはちょっと面白いな。ふふっ。
ふと、橘たちを見る。橘はちょっとビックリしたような顔をしている。
…………例のあいつは──笑ってた。
……っぶねぇ!
筋肉主将、最上が来てから腕組んで試すように僕を見てたからな。お前は橘の親父か!
「ヒュー! やるじゃん秀矢!」
嘘告の元凶、ツインテールの悪魔。夢川だ。
「うむ。感心したぞ、秀矢。お前は男だ!」
筋肉主将、あんたも俺が女に見えてたのか。
「ハッハハハ…! すげーだろ? こいつはいいやつだって!」
「そうね。なかなか度胸あるじゃん?」
「結構かっこよかった。ねぇ、暦月?」
おっとー、平山初セリフか?
「う、うん。なんかゴメンね…? 基山」
「別にいいよ。気にしてないし」
「それと、嬉しかった。ありがとう」
「いや、どういたしまして」
今のは普通に印象が良かったのか、橘は満々の笑みだった。
そして、この日を境に、僕は神七から最上撃退事件をいじり続けられることになる。
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