婚約破棄
読め、将軍家の奥方からの手紙だ!
粗末な椅子に座る我に、むき出しの便箋を突きつけられた。無作法に対し、声を上げたかったのだがそんな事は許されない。
今は何もかも失った敗国の王なのだ。
時間稼ぎになる。確か『マリエーヌ』だったか?良くは知らない、他国の家臣で身内の名前にもなると。
読む為にじっと目を近づけると、ふわりと懐かしい香りが。
マリィが好んでいた香水。ズクン!と心臓が跳ね、握られる様に苦しく痛み、息が出来なくなった!
ご機嫌よう。御即位並びに、ご結婚おめでとうございます。
今、これを夫の屋敷にて、したためております。
夫?夫だと?どういう事だ。
マリィは国外追放したのだ。
喰われたと聞いた。マリィの衣服が破られ肉が髪と散らばっていたと。そう、報告を受けておる。
ミラがそうしろと願ったのだ。
愛しい我が妃、黒髪のミラよ。
無事に逃げおおせたのか。
もう持たぬ、そう気がついた我は密かに命じ、最愛の妃を逃したのだ。
別れ際の切ない言葉が我の心に刻みついておる。それさえあれば、先に天に召されても良い。この首ひとつで残党狩りをせぬと、約定を交わしている。
産まれが卑しいミラは、何時も黙って我に従っていた。そんな彼女がただ一度、強く願ったのだ。
マリィを追い出して、彼女はわたくしを苛めますの。と。
貴方の命により、何も持たされず、着の身着のまま追い出されたわたくし。生きていたとは夢にも思っていらっしゃらない事でしょう。
そうだ。温情をかけてやったのだ。家を取り潰されたくなければ、独りで行けと。しかしあの一族、愚かにもマリィの跡を追ったのか、国に残った者はいないのだか。
屋敷も領地もミラの親族に下げ渡した。
幼き頃からわたくしは、先の王妃になる様、懸命に学んで参りました。寝る間を惜しんで。求められた結果を出さなければ、一族郎党お取り潰しになりますもの。
つまらん女だった。仕事は出来るがミラの様に、我に助けを求める可愛さもなく、奢侈が過ぎると我を諌める。
いらぬ事を思い出しました。今は夫の元で幸せに暮らしております。あの日、わたくしは独り、荒野を彷徨いました。
そうだ、獣に屠られれば良いと。ミラは涙を拭って、それもマリィ様の行いのせいでしょう、と我を慰めてくれた。
右も左も分からない。風の音がヒュルヒュルと耳を切りました。恐ろしくはありませんでした。生き延びる事を考えておりましたの。肝心要な時に、手を貸してくださらぬ神に祈りも捧げましたわ。
そんな時にも生き延びる事を、か。寵妃として相応しくなれと、ミラに難癖をつけていた、そなたらしい。
知りませんでした。わたくしにも知らぬ事がありましたの。わたくしを迎えに来ていたお方がいらっしゃったのです。大きな焚き火がチロチロと見えましたから、そちらに向うと、手勢を連れた夫がいましたの。
なんの話だ?迎え?
わたくしが着の身着のままで追い出される事を、知った御方からの密書が、あの夜直ぐに飛ばされたのですわ。貴方の生誕を祝う晩餐会、近隣諸国の招待客の皆様が、茶番を見るなり皆々、直ぐに動いたのですわ。
密書?動く?
わたくしは学んで来ておりました。国の成り立ちを、国力を、兵力を国防を。貴方様と共に国を担うべく、多くの事を知ることを要求されてました。
貴方は愚かだったのです。わたくしに温情をかけるなど。その場で斬り捨てておけばよろしかったのに。夫の元で名を変え、静かに隠れて暮らしておりましたが、良くして頂いた方々が、貴方様の御代となり不遇に扱われていることを知ると、助けの手を差し出さずにはいられなかったのです。
何を?ミラの一族を重用するのは当然だろう?何をした!マリィ!
国を棄てろと密かに知らせ、時が満ちるのを待ち、何処を攻めれば良いのかと教える事など、造作もなかったですわ。
では。長々と失礼いたしました。
ご機嫌よう。
ふわりと。マリィの香りが鼻をくすぐる。後ろ手に縛られている為、涙を拭う事も出来ない。
神よ!ああ!
立て!と腕を引き上げられた。敵国の、顔を見れば何処かで見知った気がするのは。気のせいか。
最後の時が来る。見苦しい姿を見せぬ様、我は歯を食いしばり、ふるると滴る涙を振り切る様に首を振った。