沙羅双樹の花香り、熱波のヤミヨが世界を襲う
鬼の持つ宝がそれ程欲しいかどうかは知らぬが『神の子』を大将に頂き、対岸に住まう国の者達が時折、島に乗り込んでくる。退屈を持て余している暮らしの中で、そんな日はお祭り。
人間との戦いは相手は真剣、我等は遊び。だから上手く負ける。そしてそれ用に王が用意している財宝を手渡して、めでたしめでたし。だから我も含めここに住まう者達は、喜び勇み場へと飛んで行く。
今宵はひとつ目の月が昇る季節。絶好のごっこ遊びの季節の到来。
我は他の者達の様な、湯気立つ血肉は口にはせぬが、戦う事は大好き。その日も同じ様に攻めてきたソレらを切り裂き、胸を穿う。久しぶりの高揚感。とても良い気分で身体を動かしていると。
「戦うソナタは美しい」
黒鋼の刃を私に振り下ろしながら、奇妙奇天烈な事を言われた。言われたばかりか、熱く潤む視線を送られる。
白銀の爪で刃を受け止めながら、変わった男がいたものだと思った。そして動き回る内に気が付いた。
我が雌になっている事を。跳び上がる時、身体が妙に軽くなったと思ったら、胸は膨らみ尻も丸みを帯びている。背が伸び子供の身体から大人へと全体が変わっている。髪は艷やかに伸びて空に舞う。一度に羽化した様。うっとりと敵に眺められつつ戦う等、産まれて初めての経験。
「このままずっと戦い続けたい、ああ、姫。ソナタだけとずっと……」
はっきり言って気持ち悪い。相手にしたくは無かったのだが、大将らしいトンチキ男は、どうやら破邪の力を持っている為、他の鬼達だと下手をすれば滅せられてしまう。なので自分が相手をしていたのだが。
「こっそり残る、何としてでもここに残るから、また戦ってくれる?美しい人よ」
ああ!何たる事!最後の一言で、我の目覚めたばかりの雌が反応してしまった。そして彼は戦いが終えるとこの島にこっそりと残った。それには、我の術を少しばかり使う必要があったけれど。
白い髪、白い肌を持ち産まれた我は鬼の一族でも異形の存在。『冷鬼の姫』と呼ばれ、他者とは違う力を持つ自分は、王にも一族の皆にもそれはもう、大切にされている。
だから我は一族の存続の為なら全ての力をソレに注ぐと決めている。
★
ひとつ目の星が昇る時に辿りついたその日から、男は黒鋼の刃を奮う。
空にはひとつ半の星明かり。
「姫……、覚悟!」
上段に構えた男。引き締まった顔で睨む先には、艷やかな黒髪、小さな角が額にふたつ、白い肌は月光を浴び青く燐光を放っている様。血の色をした唇が微笑みを宿す姫。
「下賤な人間に何が出来る!」
キャハハハ!声立て笑う。
もろ肌を脱いだ男に視線を向ける姫。あの日から戦い続けているせいか、厚く膨らむ胸板。力を入れ握りしめているせいか、腕の筋肉も良く張っている。
「掛かってこい!鬼を斬るため与えられし、黒鋼の露となれ!」
「望むところ!そなたを穿つ為に与えられた、我の白銀の餌食にしてくれる!」
売り言葉に買い言葉。姫が指先に吐息を掛けると、爪が長く伸び白銀の小刀の様に鋭く光る。シュッ!飛び上がる、勢い良く男目掛けて手刀を振り下ろす!
キィィン!黒鋼で弾く男。
キィィン!白銀を繰り出す姫。
右に左に、飛び上がる。屈み込む、受け止める!
舞の様に身をくねらせ、袂を翻し襲いかかる姫を男は見惚れる。
一番、美しい姿と彼は思っている。
変わればかわる。日々を共に過ごす内に、かつての嫌悪は消え去り、剣舞の如き黒鋼を操る男の姿に、姫は今ではすっかり虜になっている。
一番、雄を感じるその時。
そして、姫の甲高い声が上がる。
「動きが甘い!オン ベイシラ マンダヤ ソワカ」
真言を述べた後、術を発動し力を手に宿す姫。ズブッ!ボキ!グチャ……。ド、ポトポト、ザザッ!二人の動きが止まった。
白い手首はその胸板を穿いている。指先を元に戻すと、そこで心の臓の規則正しい鼓動を熱く、愛しく感じている冷鬼の姫。
目と鼻の先には、氷で出来た刃が、肉を突き刺し骨を折り潜り込む感覚に耐える顔。
恍惚と肉体的な苦痛が混じり合う。色を青くし震える唇をなぞる様に、姫はそろりと指を這わす。
「今宵は手を抜いたか?」
甘く囁くと術を唱え始めた冷鬼の姫、中の傷を治しつつ手をぞろりと抜き出した。血がボトボトと落ちる。
気を失い、柄を握りしめたまま、そこに倒れる男を腕の中に抱き留めると、風を起こしねぐらにしている砦へと飛んで行く。
寝床の上にそろりと下ろすと、姫は月光に晒した水瓶から手桶に水を汲むと、血糊で汚れた手を洗う。手拭いを四つに折り、水に浸すと、わざと少しばかり残したパックリと口開く傷跡に乗せる。水と赤が混じり合う。
……、龍の骨、海月の骨、赤土を砕いて粉にする。蓬を少し刻んで、樟脳、薄荷に酒と油を入れて良く混ぜる……。鬼の一族に伝わる秘薬を作り始める。
「ウ……」
「気がついたか?」
いそいそと男の側へと寄る姫。
「何時もの様に、我が術にて中身は治してある」
「どうせならついでに外側も治して欲しい。出来るのであろうに」
「その様な事をしたら、我がそなたをこうして、介抱出来ぬでは無いか!」
むくれた様に姫は可愛らしく文句を言うと、酒徳利から一口含み、ブシュッ!手拭いを取り除き、残した傷口に霧のようにし吹きかけた。
ツッと走る焼ける痛みを堪える男。
「あとはこの薬を鵲の羽で塗り込めば、直に治る。して今宵はどうして手を抜いた?」
「……、こうして姫の手を借りたいから、わざと手を抜いた」
囁く様な男の声を聞きながら、ペトペトと秘薬をヤワヤワ塗りこむ姫。
「痛いだろうに、阿呆か?」
「その冷たく清らな手が潜り込む痛み等、どうって事はない」
ふふっ、男の言葉を受けいたずらっぽく笑うと、姫は鵲の羽をわざと荒く使う。
「痛!」
「やっぱり痛い」
新しい手拭いを水で浸し、絞ると胸に当てる姫。そのまましどけなく頬を寄せる。耳に届く先程感じた鼓動。手に伝わる男の熱、恋しい雄の香りは鼻孔に入る。
「トクン、トクンと何という愛しい。あのまま触れて握り締める事ができたら……、何たる幸せ」
クスクスと笑う。こんな男に惚れるなんて、どうかしていると思う姫。あの夜を思い出す。
どうしても残ると言い、聞かない男を、雌に目覚めた姫は無下に出来なかった。
人間が勝ったと信じ込み、差し出された財宝を船に積むのを眺めながら、そろそろこの島にも飽きたと、言い出した皆が、アジトを変える話をしている最中に紛れ、運悪く死んだ別の男を材料に、秘術をかけた冷鬼の姫。
仮初の命を吹き込み、男の木偶を創った。それは生き残った仲間を引き連れ、鬼に勝った総大将として船に乗り込み帰って行く……。
そして姫もこの地にて修行があると嘘八百を並べ立て、王に願い、そして許しを得ると仲間と別れる事を選んだ。
それからずっと、二人きりでここで暮らしている。月が昇れば力の限り戦い、愛を感じ確かめ合う。何方かが怪我をすれば心を込め介抱し……、仲良く過ごしている。
「術を使わずに、あまり長くそうするのは良くない。お前の肌が焼けてしまう。痣が出来る」
寝たままでそろりそろりと愛おしげに、冷えた白い髪を指で梳く男。
「大丈夫。これ位。痣が出来ても薬がある。お前が残ってくれて嬉しい」
「俺が辛い。姫の肌を傷つけたくない」
「ふふ、傷付けばお前が介抱してくれるから構わない」
熱い素肌に頬寄せ甘く笑う姫。そして風が知らせた事を男に教える。
「木偶が知らせて来た。ククク、『熱波のヤミヨ』がお前の国に舞い降りたらしい」
「それは何なのだ?」
「疫病とでも言うモノ。それは人の身体に順々に入り込み、中身を焼いて溶かす程の熱が出る。ソレは貪欲、喰い尽くす迄、姿形を変え続け生き延びる。消える事は無い」
……、フフ。多くのニンゲンが死んでるとさ。男も女も子供も年寄りも……。木偶に話が持ち掛けられた。
姫の話に問い返す男。何を持ち掛けられたのかと。かつての自分は国を守り、人々を守る事が全てだと思い生きていた、それが当たり前で、成すべき事をやり遂げたら、皆に褒められ幸せだった、優しい祖父母との暮らしを思い出す男。
……、どうしてこうなったのかは、わからない。おじいさんとおばあさんよりも大切な人が見つかるなんて。ただ……、戦う姫がとても美しくて、即座に俺は心を喰われたんだ。ただ、それだけ。
今の暮らしを守るためならば、何でもしようと男は密かに決意を新たにする。胸元から顔を上げ、しどけない姿で姫は答える。
「我を捕らえろ。陰陽師の卦に出たらしい。三つ目の星が昇る時、島に居る冷鬼の姫の血肉を天に捧げよと。それで、一度行ったことがある者達の中で、病に伏していない輩を集めていると言う事」
★★
ふたつ目の星が中天で輝き泉に映るふたつの星。姫のお気に入りである、沙羅双樹の花が咲いている。香り良い風が辺りを舞うその木の根元で、男は何時も刃を砥ぐ。
「ここの島の砥石は良い」
姫は泉の傍に座り、針を手にしている。
「上手くなった」
チクチクと運針をする姫を褒める男。お前の為に覚えた。姫は嬉しそうに男の一重を縫い進める。おいで、とそれを遮る声を掛けた。
「お前の爪も砥ぐから、そこの岩に座ってくれないか」
言われる通りに動く姫。岩に座ると指先から長く伸びる白銀のそれを出すと、ひざまずく男に差し出す。一本、一本。細い棒に切り出した砥石で砥ぐ男。
「あれから何か知らせは届いたか」
「知らせ。ああ……、酷い有様らしい、隣国にも広がっている。そのまた向こうにも……、そして山にアジトを移した仲間達にも近づいているそうだ」
「鬼も熱波のヤミヨの病にかかるのか?」
「かかる。あっという間に広がり鬼はバタバタと死ぬ。そして鬼がかかればその時は薬として、人間の肝を食べて治すのだ。王は人間狩りの許可を出しているだろうな」
そうか……。一言を返すと黙り込む男。シャッシャッ、シャッシャッ……、鋭く、そして美しく煌めく様に砥いでいく。
静かな二人を中天から、ふたつの星が甘く照らす。
出来た。砥石を草地に置いた男は具合を見る為に隙きを見せた時を狙い、即座に柄を握りしめると素早く動く!
黒鋼を抜き、姫の柔らかな白い首元に砥ぎ澄まされた刃を当てる。
「……、もうすぐ三つ目の星が昇る」
「……、お前の肝を王に差し出そうか」
姫は白銀の爪を、男の腹に突き立てている。
「世界が滅ぶ。かつての自分は、こういう時は迷わず、動く!人間を守る事に躊躇はしない。そう……、ヤミヨを消すには、姫の血肉を捧げる事が必須!国には育ての親もいる!」
チリ……、力を込める男。
クッ……、力を込める姫。
「人が滅ぶ、鬼も滅ぶ、何もかもこのままだと、滅んで消える。世界の終わりはすぐそこだ。喰い尽くしたらヤミヨも消える」
お互い動けば肉に即座に潜り込む危うさの中、見つめ合う。沙羅双樹の花の香りさえも、二人の空間には入り込めず、辺りをフアフア流れ行く。カサカサ……、枝に住む夜啼鳥が動き、ヒュルルゥ、ヒュルルゥと唄を歌う。
「だけど、今の俺の世界は、そう。姫だけだ」
いたずらっぽく、くしゃりと笑う男。
「フフフ。私の世界も、目の前のお前だけ」
とろける笑顔を花開かせる姫。
カチリ。鞘に黒鋼を仕舞う男。爪を収める姫。
「人が滅びようと、どうでもいい。姫が世界の全て」
「鬼が滅びようと、どうでもいい。お前が私の世界」
二人は応じ合う。
「ここにもう少しすると、海を渡り、かつて真人間だった時のお前の仲間が来るだろう」
「斬って捨てる迄、姫には指一本触れさせん!イヤ……、その麗しい姿を見られるのも嫌だ!こちらから売って出る!小舟にて潜み、船に潜り込みそこで皆殺しにしてやろう!馬鹿な奴らだ、国に居れば、ヤミヨに襲われる迄の僅かな時を長生き出来ただろうに」
男の言葉を聞き、クスクスと可愛らしく笑う姫に、ふと聞きたくなった事を問いかける。
「ここにヤミヨが来たらどうする?」
「その様な事今更。我等二人が掛かればあの様な下衆な疫病神等、簡単に滅する事が出来る」
「そうか、ならばその時は力を合わせて戦おうか」
「ふふ、人を、世界を助けに行くと言わないのか?」
姫は問いかける。
「昔の俺ならば言っていたが……、今はそんな気はさらさら無い。俺の力は、姫との時間だけに使うと決めたから」
「我もそう、お前にだけに、この力を使うと誓った。お前だけにしか使いとうない」
夜啼鳥が枝葉の中で、ヒュルルゥ、ヒュルルゥと唄を歌う。
さて……、何方ともなく始めようかと動く。
「今宵は手は抜かない」
男は姫に宣言をした。
「私は手を抜き、お前に介抱されたい」
姫は甘えて男に話す。
沙羅双樹の花の香りが涼やかに甘く、二人の世界を幸せ色に満たす。
海渡ればそこに広がるは、熱波のヤミヨが嗤いながら生きる者を蹂躪しながら広がる世界。
……、疫病とでも言うモノ。それは人の身体に順々に入り込み、中身を焼いて溶かす程の熱が出る。
……、ソレは貪欲、喰い尽くす迄、姿形を変え続け生き延びる。消える事は無い。
滅する力を持つ者達は、知らぬ顔をするらしい。
男は透き通った光をコウコウと放っている、ふたつの星を見上げながら愛しい姫に言う。
「直に三つ目の星が昇る。その前に来た輩を叩き切る!後悔はしない。育ての親も何もかもよりも、姫が何より大事、姫さえ俺の側に居れば何もいらない」
姫は沙羅双樹の花の香りを、胸いっぱいに吸い込みながら男の熱い視線を全身に感じ、一族の存続も何もかも忘れ、男の言葉に甘く溺れ幸せを噛みしめる。
終。
うわ~ん。:゜(;´∩`;)゜:。メリバ企画に参加したく、書いたけどなんか違うー。
二人は幸せ(メリーエンド)、世界は滅びる(バットエンド)を目指したのにー、
リベンジをします(変な王子ネタが既にある)最近、黄砂とヒノキにヤラれているのと何か変に忙しく、ぼちぼち更新中なのです~時間が欲しいー。