姫はキリキリと踏んで飛んでった
アンデルセンの人魚姫を、モチーフにしております。
空気の娘となった姫がしくしくと、哀しい涙を溢していました。彼女は、自分の心が分からなくなっていました。
最後のお別れの時、何も思わずに心から、王子様の幸せを願い、キスをすると、空へ天へと昇っていった筈なのに。どうしてかしらと……。
頬を伝う涙は熱く、あつく、そして重く、おもく。
地上の幸せな恋人達を見るたび、キリキリと、胸が焼けた鋼で締め付けられるのです。
短い髪のお姉様達が嵐の夜、深い深い海の底から上がってこられて、手を繋ぎ歌を唄う姿を見るたび、チリチリと音立て胸が痛むのです。
美しい声と髪を手に入れた魔女が、乙女に化けて地上の男を誑かし、恋人達の仲を引き裂きほくそ笑んでいる姿を見ると、ピリルピリルと歌い弾むように心が喜ぶのです。
頬を伝う涙は熱く、あつく、そして重く、おもく。
軽く、かるく宙に溶け込んでいた娘は、ある日気が付きました。風とひとつになっていた筈が、地上へとゆるゆると堕ちて行っている事に。仲間が引き上げようと、たおやかな手を差し伸ばしてくれました。
心に満ちた涙は、熱くあつくそして、重くおもく。
天から厳かな声が響きました。
『娘よ、全てを忘れた筈が、そうでなかったのか。仲間の元に戻りたいのなら……見つけて来なさい、答えは地上にある、そなたを自由にする力をあげよう、正直になり使いなさい』
はい、と空気の娘は答えました。彼女は既にわかっておりました。なので真っ直ぐにその場へと、風を切り飛んでいきます。
お城の庭で、パーティーが開かれておりました。気まぐれな王子が、華の香りの中で愛する妻と、ダンスがしたいと催していたのです。
手に手を取り踊る二人。
側で宙に留まりながら眺める娘。
生きている人間からは姿は見えません。楽師達による、楽しげな音楽が流れています。この曲に乗り踊った頃を思い出しました。足は剣で刺されるように痛み、それ以上に心が悲鳴を上げた最後の夜。
『正直になりなさい』
はい、神様。娘は与えられた御力を使います。妻となった彼女には、恨みつらみはありません。ただ……悔しかったのです。ただ、悔しかったのです。
偶然か、神様の思し召しか……、横から出てきた彼女。王子を助けたのは自分と信じて疑わない彼女。
妻の手を取り踊る王子。微笑みを交わし合う二人。娘はスルリと妻の身体に入り込みました。そのまま彼女に成り変わる事は出来ません。
娘もその気はありません。暖かな身体。痛まぬ足。自分を蕩ける様に見てくる王子。
くるくる、くるくる、二人は踊ります。
くるくる、近づき、ターン、離れて、踊る……。
優雅な曲に乗り踊ります。皆が幸せな二人を、じっと眺めています。
くるくる、くるくる、二人は踊ります。
くるくる、近づき、ターン、離れて、踊る……。
綺麗だよと王子が、ぐいっと引き寄せた時に、甘く甘く、囁きました。
聞きたかった言葉。言ってほしかった言葉。
にっこりと微笑み、引き寄せられたままに、王子の胸に寄り沿います。
そして……
「うぐ!い……くうぅ」
突然襲う、キリキリキリとした痛み。一瞬、しかめっ面をする王子、声を押し殺します。平静をよそおう為に、ピクピクと頬を動かしてます。視線を下に下ろします。
妻の靴が、キリキリキリ!、側近くな王子の足を踏みしめておりました。
……、ホホホ、ホホホ、スッキリ。
早く足をどけろというかのように、視線を送る王子に、にっこりと花開く様に笑う妻。
クン……、軽さが空気の娘に戻って来ました。入った時と同じ様に、スルリとそこから出ていきます。
上に空に宙へと昇って行く彼女。仲間が祝福の歌を唄って迎えてくれました。
空気の娘は……、神様の思し召しに従い、その後おつとめを立派に果たして……。
普通の人間の娘に生まれ変わり、普通の人間の男と出会い、ごくありふれた恋をし結ばれて、子供を沢山産んで、喧嘩をしながらも幸せに暮らしたそうです。
終わり。