虹色薬局『フォーアイ堂』 おばあちゃんが店主です。〜目は口ほどに物を言う
路地を入った奥に、小さな薬局がある。店主は風変わりなおばあちゃん。今彼女は、住居スペースの二階のキッチンで、何やら調合をしている様子……。
「ふふふふん、テレビを見ていてピーン!と来たねぇ、これは売れる、それにしても便利な時代だねえ、角のコンビニで売ってるんだよ『高い山の湧き水 ミネラル天然水』これは!バッチリ使えるよ、昔は近場の神社に行って、そこの湧き水汲みに行ってたけど」
フンフフンと、鼻歌をうたいつつ彼女は、ペットボトルの水をコポコポコポ………と、片手鍋に入れる、そしてそこに水晶の欠片をザラリと入れた。
「え、と、レシピ、レシピ………」
使い込まれた小さめのダイニングテーブルの上に、でん、と置かれた年季が入った革表紙分厚いの本、それをペラペラとめくっていく。
「えとぉ?あったあった!これだよこれ!『人魚姫の涙』これを瞳に1滴垂らせば、あら不思議、目は口ほどに物を言う、恋する者には有り難い惚れ薬」
ステンレスのトレーをゴソゴソと取り出し、あちこち棚を漁りながら、そこに書かれている材料を載せていく。
「新月の夜に摘んで乾かした紅薔薇の花びらひとつかみ、同じく乾かした白い菫を匙に一杯、ベラドンナ一杯、ローズヒップ2個、砂糖が一つに……えとえと?アドリア海のチョウザメのヒレを一欠片……、ありゃ!いっ回分しかないね、ジャックにまた獲ってくる様に言わなきゃ……、星の欠片三ふりね、それと、ユニコーンのゲップに、イエティのラリホーの声……それと、」
まともなもの、訳のわからぬ物がつまっている、ビンやら革の袋やらをいくつも取り出し、ほくそ笑みながらいそいそと準備をしていた……。
――― ハァァ、一人の男がため息をつき廊下を歩く。すれ違う若い社員が、お疲れ様です課長と、目配せをして頭を下げる。声を出さないのは、マスクをしているからだ。それに手を上げ応える男。
「あーはいはい、お疲れね、残業は程々にしてくれ、あー、胃薬、家にあったっけ?」
最後は独り言の様に呟くと、オフィスビルから外に出た。腕時計を見る。
「んー。6時か……、混む時間だな……、一駅歩くか、そっから地下鉄に乗れば座れるし、ん?何だ?」
スーツのポケットから携帯を取り出し開いている。
「『燃えるゴミビッグ』と、『草っぱらの恵み87%ミルク』買ってきてね、パパ、愛するママより、あー?これ……確か隣の駅前スーパーにしか無いぞ、この牛乳、68%ならコンビニでもあるのに、まぁいいか、えっと『了解』」
どうせ歩くしな、と駅に向かう人に逆らい、彼は歩き始めた。
□□□□□
……、全く……、右を見ても左を見ても、マスク、マスク、マスク……、風邪の季節だしな、インフルエンザの季節だしな、わかる、うん、よぉぉぉく!わかっている俺は中間管理職………。
「しかしなぁ、こう、なんだかなぁ、課長、書類見てくださいの時ぐらいは、そう外して欲しいんだよな、メールはいい、手渡しの時は体調不良でもない限りは、外して欲しいんだよ、何だか侘しいんだよ、はぁぁ」
と言いつつ、彼のポケットには、電車に乗ったらマスクを必ずして、と妻に言われたソレがしっかりと入っている。
………目だけって。何か苦手なんだよなぁ、目だけは笑ってるけどマスクの下の口元がさ、あー。いてててて
つらつらと愚痴めいた事を考えつつ、胃に手を当てる。悩み多い彼には、春から新入社員の教育という荷が課せられている。
春……それはときめきの季節。
若人達は希望で胸を膨らませ、猫はにぁおにゃおと恋の相手を探し、キューピッド、キューピッドと繁殖の為に海を超え飛んできた燕が、つがいを求めうた歌う季節。
それは植物も同じ。雄が一斉に子孫を残すべく、雌を求めて花粉を空に放つ。遠く離れた山から、気まぐれな春風に乗り、それは街までやってくる
マスク本番の季節なのである。
「あー、いてててて、イヤだなぁ、新しい子達入ってくるの、今じゃ100%マスクしてからに、ゔー、目だけ笑ってるのって嫌なんだよな、胃薬欲しい、ドラッグストアこの辺に………あ?あそこ」
路地を入ったその奥に、小さな薬局の看板があった。即効性の胃薬あるかな?それとも漢方とか、男は引き寄せられる様に、細い路地裏に足を踏み入れた。
【虹色薬局 フォーアイ堂】
「はい!いらっしゃい。奥様を悦ばすのなら、昔からすぐ効く『赤マムシ』は如何ですかね?生きのイイのを仕込んでるこの店特性だよ」
レトロな入口を開けて入ると、店主がどんな時でも直ぐに声をかけて来るのは、この店ならでは。その日も入口に背を向けているにも関わらず、お客のなりに応じた声掛けをしてきた。
そして振り向いた時、客である男は思わず身を乗りだすように、じっと彼女を見てしまう。聞こえた声はよく通っていたにも関わらず、マスクをしていたからだ。
「あ!すみませんね、ちょいと薬を作ってたんで、外すの忘れてましたよ、ごめんなさいね、ハイハイ」
「あー、胃が痛くて」
「ほうほう、恋の悩みなら………良いのがあるよ、『人魚姫の涙』これは出来たてホヤホヤ、目薬でね、よーく効くよぉ!自分の中に眠る願いを知りたいのなら、虹色金平糖、夢で欲しいものが分かる」
マスクを外してポケットに入れた店主、田舎の母親位の年代か、と彼は思いながら風変わりな話を、適当に聞き流す。
「いえ、普通の胃薬でいいんですよ、あ、その棚にあるやつ、それよく飲んでるのでそれください」
「ん、市販薬ですか、ハイハイえ、と『スッキリーノ』ですね、顆粒タイプでいいんですかね、最近こういった液体のも売ってくれって言われてるんだけど……」
「へえ、そういやコマーシャルで見たな、水無しで飲めるし、これください」
カウンター代わりのショーケースの上に、茶色の小さなビンが置かれていた。見慣れたラベルが貼ってある。それを手に取ると、代金を払おうと財布を取り出しながら、耳に残った事を何気なく聞いた。
「……、人魚姫の涙……さっき変わったこと言ってましたけど、なんですか?それは」
「ああ、目薬なんだよ、これを1滴瞳にさせば、眼力ってのが上がる代物、恋する気持ちを込めれば、視線一つで女はイチコロ」
「……、他に気持ちを込めることって、できますかね?例えば、仕事サボってる若いのを見れば、あ!ヤベっなる様な……」
「ふううん?そういう使い方も出来るかもしれないね、昔から言うだろ『目は口ほどに物を言う』って、どうだい?試してみないかね?お試しにひとつ持って帰ってみるかい?」
「そうだな、そんなのがあれば使ってみたいのは、山々だが、値段によるね」
小さなビンにスポイトが添えられている『人魚姫の涙』を出してきた店主に、男が値段を聞いた。聞けばそれほど高くない値段だったので、胃薬と共に男は金を払うと店を出た。
「毎度あり、よければご贔屓にしてくださいな」
年の割に華やいだ声で送った店主。ニマリと笑った事に男は気がついていなかった。
□□□□□
翌日………、デスクでイライラとしながら、一人の若手社員をチラチラ見ていた男。
マスクをしている彼は、先程午後一番の会議に使う書類に、目を通して欲しいと持ってきたので、男が目を通し修正箇所を指示をし、手渡すと一礼をし戻ったまでは良かったのだが、ポイと置いたままで手つかずなのだ。
時間を確認をする、昼の休憩迄、30分を切っている……、1時半迄に修正をし、部数をコピーするのだが、間に合うのだろうか、何を考えているのだろう、声をかけようかと思うが、
「今やろうと思ってたんすよ」
「昼休み早めに切り上げてする予定ですが、何か?」
こう返ってくるのはわかっていた。
―― 忘れてるだろ、お前……さっき隣の伊藤君と昼メシの話してたな、外に出るとかなんとか?ならばそれ迄に仕上げてないと、いけないんじゃないのか?
じっと見てみても、暖簾に腕押し、相手はきょとんとしている。こいつ本格的に忘れていやがると、思った時、例の目薬に気がついた。鞄の中に入れっぱなしのそれ……、
――、試しに使ってみるか、1滴だったよな。
取り出すと、くるりと背を向け目にそれを落とした。スウゥと広がる心地よい冷たさ、目の疲れも消え去るよう、いいなコレ……ハンカチで抑えるように拭くと、息を吸い込み吐く、そして………、くるりと戻る。
『おい!コラ!この野郎!こっち見ろってんだよ!さっき渡した書類はどうなっていやがるんだ?は?間に合うのか?あああ?』
そう思いつつ、じいぃっと見る上司、目薬の効能なのか、直に視線に気がついた若い社員。目と目が合った瞬間、慌てて彼は立ち上がりマスクを外した。
「は、はい!課長!今すぐ仕上げます」
そう一言。90度に頭を下げた。そしてそれを手にすると、懸命に任務をこなして行く……。満足感溢れる上司の男。
「良いもの手に入れたもんだ」
そう呟いた課長。胃が痛くなるのも無くなるかも知れないな、使い方は少しばかり手加減がいるかも、そう思いつつ男は視線を彼から離した。
そして午後からの会議に無事に間に合う事に、ホッとした彼もまた、それに備えて仕事をこなしていく。
終わり。