ダルソーヌ家とミネット
ミネットは白い毛皮で青の瞳の猫です。王妃様と、花の宮殿で暮らしていましたとさ。
ミネットが小さな宝石箱に詰められた、アクセサリーと共に連れてこられたのは、あの夜の前の日だった。
ニャオン、小さな声で鳴く白い毛皮、柔らかな肢体、澄んだ青の瞳の猫。その色は王妃様が身につけられていた石の色によく似ている。
「この子を頼みますとのことです」
嵐の夜だった。重い雲がベッタリと張り付いている。稲光が空を走る。白く雲を照らした後、響きを伴いながら地上に降りる。風が暴れ木々の枝葉を折り、砂を巻き上げ渦を巻く。大粒の雨が轟々と太く線を描く。
しどどに濡れた外套の中から、首には野薔薇の刺繍を施されていたリボン、身体には花の香りをまとったミネットが、しとやかに姿を表した。使いの者はその白い猫を、そろりと手渡してくる。
こちらも、と通した応接室の机の上に、コトリと小箱が置かれる。お茶をと言う当主の申し出を断り、彼は再び外に出た。轟々と空が鳴き、地上が荒れ狂う中を彼は己に課せられた使命の為に、在るべき場所へと戻って行った。
郊外の森の中にある屋敷、ダルソーヌ家にやんどころ無いお方様の愛猫、ミネットと呼ばれる彼女が来た夜は、人の世も自然の世も、激しい嵐が、覆す力がこの国を巻き込んでいた時だった。
気高いミネットは、与えられたクッションの上で、変わらぬ時を過ごす。花の宮殿と呼ばれた、かつての飼い主と共に暮らしたあの場所のままに、時々に歌うような声で鳴き、気が向けば、しゃなりと屋敷の中を散策をする。
気高きミネットは、白い磁器に薔薇の花が描かれた器で、食事をし、銀の器で水を飲む、それらは彼女が来る日、王宮に出向いた時に、ひっそりと手渡された袋の中に入っていた。
気高きミネットは、屋敷の者達には彼女の許しがなければ触れる事は許さない、ただ深く悩み苦しむ当主の側には、物を言わずに、足者にひっそりと寄り添っていた。
ある日、ダルソーヌ家として『仕事』を果たした当主は、年老いていたこともあり、帰るなり病の床についた。ミネットは彼の寝室に入ると、ベットの上にふわりと飛び乗る。
フンフンと鼻を鳴らす枕元のミネット、主は彼女の頭を撫でて謝る。何かわかったのか、わからないのか、彼女は、くるりと丸くなり寝息を立て始める。主の中で密やかに囁かれた、王の末期の声がする。
『朕もこの国の民ゆえ………、処されるのならそなたにと、なので満足だ。そして自分が死する手助けをするのを、自ら作るとは思わなかった、これも運命』
家業は、成人の年を迎えていた息子に引き継がれた。青白い顔をし、震える彼に父親は、ロープを切るだけで良い、と話す。頷きそれに答えた青年。
気高きミネットの双眸の様な青が広がる日、息子は初仕事に家を出た。開け放たれた窓から、野薔薇の香りが入り込む。フンフンと濡れた黒い鼻先でそれを嗅ぐ彼女。
大聖堂の鐘の音も、さざめき集まる観衆の声も、飛び交う野次も嘲笑う声も、物売りの声も、隠れて涙する気配も、この森の中の屋敷には届かない。
ニャオンと、目を閉じ風に心を預けていた彼女が、一声鳴いた、体調も落ち着き、屋敷内では起きてすごいている、先の主はポケットから銀の懐中時計を取り出した。それには王家の刻印が彫られている。
神に召されたか、ミネット、あのお方様が空に召されたよ、と静かに呟く元当主。
さて…………責務を果たさねばならない。パチンと時計の蓋を閉じる。十字を切り神の御言葉をのべ、露となり散った、白のドレスが良く似合い、柔らかな花びら重なり合う芙蓉の花のようだった、ミネットのかつての飼い主の冥福を祈った。
街は祭りの様だと、その日から数えて幾日かたった時、見舞いに訪れた街に住む友人が、そう話した。パンに葡萄酒、果物と甘い菓子を少し、上手く手に入れたから大丈夫、と手土産を手渡して来た彼は、この騒ぎの間に外に出る、故国を捨てるよと寂しげに話した。
「幸い私は途中で調べられても大丈夫なのだが………今は離れたい、美くしかった楡の木は枯れた、空も大地も血に染まっている、これからしばらくは、裏切りと嫌悪と妬むモノが支配するだろうから、そこに私の居場所は無い………」
そうか………お祭り騒ぎか、ならば時が来ている。ありがとう、訪ねて来てくれて、と、元主は友人に少しばかりの餞別を手渡すと、ここに私はいるから戻ってきたら訪ねてほしいと、言葉をそえ前を進む、迷いのない彼の背中を見送った。
夜になるのを息子と共にじっと待った。ゴロゴロとあの時のように空が鳴く。ベッタリとした雲が、幾重にも重なり厚みを増している。
バタ、バダバダバダ、葉を叩く雨。風がが外に出てきた元主と息子の黒の外套を煽る。下男も与えられたそれを、しっかりと身に着けている。
馬車に乗り込む、2頭立ての黒い馬、下男はそれを御する。嵐の中を真反対にある山へと走らせる。街道を走り、街を抜けなくてはならない、城壁が近づくと酒に酔った者達が近づいてくるが、扉に描かれている『ダルソーヌ家の紋様』を見ると、敬意を正して扉を開けた。
ガラガラと走る、大通りには露天が立ち並んでいるが、激しい雨風の中ではどの店も片付けている。バタバタと天幕が風に煽られ踊っている。人々は建物の中で騒いでいる。酒場から漏れる灯りが、チラチラと水たまりに、太い雨に反射をしそこに光を宿す。
ガラガラと馬車は走り続け、目的の場所へとたどり着いた。あそこです、父上、あそこに……場所を知っている息子が馬車から降り、カンテラの灯りをその方向に掲げた。
大きな柳の木の下に、彼女は『棄てられていた』国王は、革命軍の兵士がこの場所にある、王家の墓地に埋めたのを、元主は最後の仕事の時に、密かに訪れて確認をしていた。
下男が麻の布を馬車から下ろす。三人の男は手に地面を掘るように道具を握りしめている。見張りが居れば斬れば良いと、剣を携えていたが、その場には誰もいなかった。
打ち捨てられていた躯を、麻の布で丁重に包む元主。鳥に突かれ獣に散らかされた物を、拾い集める。雨が匂いを幾分流している。妻が用意をし、手渡してくれた香油を振りかける。
そして、祈りの言葉をとなえながら、男たちは穴を掘り、彼女を丁重に葬った。ダルソーヌ家としての、最後の仕事を終えた。
なおん、家に帰るとミネットが出迎えた。疲れた顔色の男達に、湯に入るよう妻が言う。その言葉に素直に従う彼ら達。
洗い流し、着替えると、温かいミルクを出された、ミネットも御相伴している。ぴちゃぴちゃと銀の器のそれを、舐めるように飲む彼女。
気高きミネットは、かつて花の宮殿で暮していた。嵐の夜にダルソーヌ家に連れて来られた。白い毛皮に青の瞳の猫、
そして、彼女の飼い主は、故国を守るために、幼い時よりそうなるべく育てられ、輿入れをした他国の王女。人々には常に笑顔で接する事。それを、頑なに最後まで守り抜いた彼女。
白いドレスが似合い、薄紅色の柔らかな花びらが、幾重にも重なり合う、芙蓉の花のような御方様だった。
終。