仮面舞踏会Ⅰ
ガタガタと揺れる馬車の車内で、アンネは興奮を抑え切れないように話し続けていた。
「ねえ!これがどれだけすごい事だかわかる!?私たち、国の代表として参加するのよ!?」
赤毛と合わせたえんじ色のドレスに、エメラルドやルビーなど派手な宝飾品をつけたアンネはいっそ悪趣味なくらいだったが、仮面舞踏会はこれくらいでいいとメリオットが言うので、シャノンも金地にファーのついた派手な上着を着ていた。
「ねえシャノン、これは本当に本当に本当に素晴らしい事だと思うわ!でも、仮面舞踏会に参加するってことを周りに秘密にしておかなくてはいけなかったのは……何故かしら?」
急に水を向けられ、窓の外を見て考え事をしていたシャノンは慌てて視線を戻す。
「そうだね……とても名誉ある事だし…。やっぱり、嫉妬する人とかもいるんじゃないのかな?」
「…確かにそうね。妬まれて、ありもしない醜聞を流されたり、足を引っ張られたんじゃ
たまったものじゃないもんね」
持ち前の気の強さから同性の敵が多いアンネは思い当たる節があるらしく、シャノンの口からでまかせを素直に信じた。
この仮面舞踏会には複雑な事情が絡んでいるため、政府の高官達にも知らせていない。そのため、どこからか情報が漏れる事は絶対に避けたかった。その点、どこの馬の骨だかわからない娘よりも、口が堅く、シャノンのことを決して裏切らないアンネは確かに適任だったのだ。
そんなメリオットの采配に感服すると同時に、それだけの慧眼の持ち主であれば、玉座転覆を狙うものたちに担ぎ上げられるのも無理はないと思った。
だからこそ、そんな有能な彼が側にいてくれる事が心強く、また気心知れた幼なじみがパートナーであるのも、正直とても有り難かった。
これから行く場所はシャノンにとって戦場だ。罠だとわかっていても、愛する人を取り戻すために挑まなければならない。
「とにかく、問題を起こさないようにそつなくこなそう」
メリオットとの取り決めをそう告げる。舞踏会には他の招待客たちも多く参加する。注目を引き、
また新たな厄介事を抱えたくなかった。それは向こうも同じはず。だが、そのリスクをおかしてでもメリルを衆目の面前に連れ出すのは、こちらに強硬手段を使わせないためだろう。
何も事情を知らないアンネには申し訳ないが、はしゃぎすぎて目立つ行動をされても困るのだ。
だから、あえてそんな水を差すような事を言う。
「わかってる。せっかくシャノンと二人で舞踏会に参加できるんだから、きちんとやり遂げたい」
それを聞いて安心したように微笑むシャノンに、アンネははにかんだ。実の所、誰に頼まれたからなどと言うのはどうでもよくて、ただシャノンの横に立てるのが誇らしかったのだ。
「まかせて!仮面舞踏会らしく、私がどこの誰だかわからないようにする」
「頼もしいな」
明るい笑顔を見せているアンネだったが、その実、とても緊張しているのをシャノンは見逃さなかった。
その丸い額に垂れてきたほつれ毛を指ですくい、耳にかけてやりながら、優しい声音で語りかける。
「大丈夫。さっきはあんな事言ったけど、何も特別な事なんてない。ただ俺と、いつも通り舞踏会に参加すると思えばいい」
鼻先が触れ合いそうなほどの距離にアンネは視線をそらし、強張った声で答えた。
「シャノンは変わったわ」
「そう?」
「まるで……ポーカーに誘ってくる時の兄みたい」
意表を突かれシャノンは小さく噴き出した。
「アンネのお兄ちゃん?あのギャンブル好きの?」
「そうよ。私からお金をだまし取ろうって時の顔」
「………」
思わず黙りこくってしまったシャノンを見て、アンネは眉根を寄せた。
「……冗談よ。気を悪くした?」
「いや……いや、違うよ。ごめん。そうか、アンネのお兄ちゃんとは長らく会ってないから、思い出すのに時間がかかって」
「ごめんなさい。シャノンとあのバカ兄貴を一緒にしたら失礼ね」
「いや、違うよ。そう言うんじゃない。大丈夫。ただ……変わったって言われたのに驚いて」
動揺を悟られぬよう取り繕うシャノンの目を見つめ、アンネはもう一度ハッキリと告げた。
「シャノンは、変わったわ」
返答に窮し、視線をさまよわせるシャノンを真正面に捉えたまま、アンネは身を乗り出す。
「非難してるわけじゃないの。ただ……さっき、まるで私を手懐けようとしてるみたいだったから……父や兄がよく使う手法なの。大人の男の狡さよ」
「………そう…ごめん、でも、全然そんなつもりじゃなくて……」
「いいの、わかってる。シャノンは私を安心させようとしてくれただけなんだって。だから……これは私の感じ方の問題」
一旦言葉を切ると、移ろいで行く外の景色に目をやりながら、アンネはぼんやりと口にした。
「きっと、シャノンはこの数ヶ月でたくさんの大人の世界を見たのね。だから、今までの私が知ってるシャノンとは違って見えた」
通り過ぎていく木立が彼女の顔に暗い影を落とす。その横顔を目にし、シャノンは心の中に押し込めていた罪悪感がむくむくと存在を主張し始めたのを感じた。毒のようにゆっくりと全身に回り、それは今にも喉元から真実を発しそうになる。
彼女は大事な幼なじみだ。彼女を傷つけたくない。
……だけど、本当の事を言うわけにはいかない。
葛藤する心とは裏腹に、馬車は徐々に目的地に近付きつつある。
焦ったシャノンが何か言おうと口を開いた時、馬車が急停止する。大きく車体が傾き、バランスを崩したアンネがシャノンの腕の中に倒れ込んできた。しっかりと両手で受け止め、ドレスがしわにならないように注意しながらそっと抱き起こす。
「大丈夫……?」
顔を覗き込み、問うも、真一文字に引き結ばれた唇が彼女の心の内を表していた。
「男の人はずるいわ。いつも女を城の奥に閉じ込めて、自分たちだけは外の世界を見て大きくなったつもりで、それでいざとなったらこちらを世間知らず扱いするんですもの」
しがみついたまま離れようとしないアンネに、シャノンは小さく首を振る。
「アンネ……ここに君を縛り付ける人間はいないよ」
悔しさを湛えた瞳が、ゆっくりとシャノンを見上げる。
「それに……君の父上や兄上は、君の事が心配なだけだよ」
「だって、私……シャノンと結婚できないなら、もう誰とも結婚しないって言ったの。働いて父様の仕事を手伝うって……!なのに、父様ったら……」
まくし立てるようにそこまで言うと、アンネはハッと口を噤む。
「………ごめんなさい……私ったら……」
「いいよ……その話はまた後でしよう」
微苦笑して受け流そうとしたシャノンに、アンネは激しく首を振る。
「違うの!その話はもう終わった事なの!と言うか、そもそも最初から関係ないの!私は……ただ自立したいだけなのよ。シャノンなら分かるでしょ?女は結婚して子供を産むのが仕事だなんて、私の性に合わない」
「確かに……アンネは昔から貿易の仕事がしたいって言ってたよね」
「そうよ。いろんな国を旅して、珍しい物を集めて……たくさんの人や文化と交流したいの」
生き生きと語るその表情をシャノンは眩しそうに眺める。国の未来を語っている時のメリルも、そう言えば同じような目をしていたと思い出す。
「アンネなら……きっとできるよ」
慰めでもなんでもなく、思いのままを口にしただけなのに、何故だかアンネは疑いの目を向けてきた。
「……本当にそう思ってる?」
「もちろん!」
「じゃあ………シャノンは?」
「え?」
「シャノンのしたい事って、何?」
決まり悪そうに視線をそらしたシャノンに、アンネは詰め寄る。
「ないの!?ここ最近実家にも寄りつかないで、ずっと都にいるからには何かあると思ってた!」
「いや……そうなんだけど……」
言葉を濁したシャノンに、アンネはますます追求の手を厳しくする。
「まさか……悪いことしてるんじゃないでしょうね?」
「まさか!そんな事しないよ」
「そうよね……シャノンに限ってそんな事するわけないもんね」
どうやらいつもの調子を取り戻しつつあるアンネにホッとしつつも、早くこの話題から逃れようと、シャノンはアンネを元の座席に座らせた。
「そろそろ到着する頃だから、降りる準備を……」
にわかに外が慌ただしくなり、御者同士の言い争う声が聞こえてくる。先程の急停止も、他の招待客たちの馬車で混雑していたせいかもしれない。
「アンネ、仮面を……」
「言えないの?」
つけようとしていた仮面を下ろし、シャノンは息を吐く。
「……何が?」
「目的もなく都にいるわけないもんね。何か理由がある。でも……言えないのよね?」
否定も肯定もせず、床の一点をじっと見つめ動きを止めたシャノンの手から、アンネは仮面をそっと抜き取った。
「いいの……言わなくても。ただ、あなたの足を引っ張りたくないだけ」
そう言って、手にした仮面をシャノンの目元に押し当てる。ハーフマスクと呼ばれるその仮面は、身につけた者の目元だけを覆い隠す仕様だ。デザインはこの日に合わせてかなり派手にしてある。目尻からこめかみにかけて大きくつり上がった形をしており、金の塗装の上からはツタの文様が彫り込まれている。
王子っぽい格好といい、全身に散りばめられた金色がシャノンの薄茶の髪とマッチしていて、まるで「星屑の王」がいたらこんな感じだろうと思わせた。
「正直に言うと……本当にないんだよ。やりたいこと。だから、アンネが気を遣う必要はないんだ。それに、今日はアンネの夢が叶う第一歩じゃないか」
窓の外を指差し、色とりどりに着飾った招待客たちを見て、思わず二人で苦笑をもらす。
「すごいね……目眩がしそうだ」
「衣装が派手すぎないか心配してたけど、どうやら杞憂だったようね」
シャノンが仮面の紐を後頭部で結び終えるのを待って、アンネは自分の座席に戻る。
「……まあ、シャノンがそこまで言うなら信じるけど。でも、覚えておいて?今夜は仮面舞踏会よ。本当の自分を隠せるの」
今度は自らの仮面を手に取り、装着しようとするアンネをシャノンは手伝う。アンネの仮面は、紅い蝶を象ったものだ。燃え立つ炎のように羽を広げた蝶が、彼女の顔にとまっているように見える。
「似合うよ」
「やっと言ってくれた」
照れくさそうにはにかみながら、アンネはシャノンの仮面の歪みを直す。
「ずっと上の空だったから……言ってくれないのかと思った」
「ごめん。気がきかなくて……」
「嘘よ。シャノンは誰よりも気遣いができるし……きっと人のサポートをするのに向いてると思う」
「本当?」
仮面の奥のサファイヤの瞳がきらめく。
「本当よ。確かに、シャノンは率先して前に出るタイプじゃないし、能動的に動く性格でもないけど………でもその分、空気を読むのには長けてるし、いつも誰かの支えになってる」
「空気を読むのは、きっと兄弟が多いせいだよ。末っ子は何かと羨ましがられるけど、4人も兄がいれば
気を遣わざるを得ないんだ」
「一番上のお兄さんは元気?」
「もう1年くらい会ってないかな……軍隊の規律は厳しいから、なかなか帰って来れないんだ」
懐かしい兄の顔を思い浮かべながら、前述のアンネの言葉を思い出し笑みを深くするシャノン。
「人のサポートに向いてる、って嬉しいな。最近、誰かを側で支えられたら…って思ってたんだ」
「誰か……?」
「そう、誰か」
耳ざとく聞き返して来たアンネを軽くいなし、シャノンは外の様子を確かめる。
人々のざわめきが大きくなり、徐行していた馬車がゆっくりと停止する。フットマンが扉を開けるのを待って外に下りたシャノンは、アンネへ手を差し伸べる。
「行こう、アンネ。今日は君の記念すべき1日になる。生まれ育った故郷を離れて、新しい国と人々を見に行くんだ」
本当はもう少し何か聞きたそうにしていたアンネだが、その言葉につられ思わず手を重ねる。
「シャノンがエスコートしてくれるの?」
「もちろん。アンネに危険が及ばないように、きっちりと護衛するよ」
大げさね、と小さく笑ったアンネは、シャノンが仮面の奥で瞳を鋭くしたのには気付かなかった。自分たちの馬車の後方にメリオットの馬車も乗り付けたのを確認し、シャノンはアンネの手を引きながらエントランスへ向かう。
「何か興味を引く物があったらいつでも言って。今日は、もし君がお宝を前にした海賊のような顔をしていても、咎める
人は誰もいないんだから」
堪えきれず大きな笑い声をたてたアンネに、眉はひそめる者は誰もいなかった。それどころか、互いの声を聞き取るのも難しいほど、会場周辺は話し声や音楽で満たされていた。
「本当に優しいのね、シャノンは」
はぐれないようにと密着した体からは、互いの体温や鼓動を感じた。ちょうど入場待ちの列にぶつかり、二人で寄り添い合うようにして並んだ。前にはもう50組ほどが並んでおり、その混雑具合からも舞踏会開始は少し遅れるであろうと予測された。
「すごい人ね……」
「はぐれたら一巻の終わりだね」
アンネと会話しながらも、さりげなく辺りに視線を配り、メリルの姿を探す。まさかこの人混みに紛れさすほどスタンリーの愚かではないだろうが、それでも一縷の望みを捨てきれなかった。
「どうしたの?」
「……ん?いや」
「この人じゃ、例え顔見知りがいても分からないわね」
その言葉に一気に不安が込み上げてくる。本当にこの中からメリルを探し出すことが出来るのだろうか?
心配に追い打ちをかけるように、後方から大きな破裂音がした。




