act3 料理と先生1
好きな女の子にメールを送るというのは、すごく勇気の要ることだ。メール自体にさほどの魅力を感じない俺にしてみれば、その目的は則ち、ユウコとの仲を深めたり進展させたりすることにある。意味のないやりとりでは駄目なのだ。
「おはよう、金池君」
とまあ、無い知恵を振り絞ってユウコに送るメールを考えているうちに土日が過ぎてしまった。例の如く、家からほど近い場所でアイドルが俺を捕獲して、今日も一日が始まる。
「おはよう、金池と小早川。どうだ、一皮剥けたか?」
「おはよ。シズクとカナブン」
教室にはいると、既に周防とユウコが来ていた。二人して、世間話でもしていたのだろうか。ユウコが俺の席に座っていた。俺は半ば当然ながら、今日一日、椅子に座ったが最後、放課後まで一度も立ち上がらないことを決意する。
そんな決意とは別に、周防とユウコのツーショットに、当然俺の心は激しく揺れている。旧知の間柄であることは知っているが、朝の教室で二人きりの会話を交わすほど、深い仲だったとは思っていなかった。もしかすると、この二人は、こっそり影で付き合っているのだろうか。
「二人で登校とは、中々熱いな。こっそり影で付き合っているんじゃないのか?」
周防が俺の心を見透かしたかのように言う。ただ、言葉は同じだったが、対象は俺とアイドルだった。
確かに、言われてみると朝から一緒に登校する男女となると、そう見られてもおかしくないのかもしれない。だが、俺とアイドルが交際しているはずもない。つまり、ユウコと周防もそう見えてもおかしくないだけで、付き合ってなどいないはずだ。そう信じるしかない。
「あはは、実はそうなんだ」
「やめろ。冗談でもそんなこと言うと、殺される」
アイドルが冗談で肯定したところを、俺が間髪入れずに否定した。その僅かな間で、周囲に殺気が湧き、それが俺に一斉に向けられるという事態が、俺の言葉が冗談ではないことを物語っていた。
まあ、ユウコにメールをするという難題を抱えたものの、日常はさして変わらない。
周防や大塩と世間話をして、アイドルが会話に加わり、たまに陸上女も混じったりする。肝心のユウコは、たまにふらっと現れて、少し喋ったりする程度だ。
何かしらの変化でもあれば、それをネタにすることもできるのだが、メールを送るほどのことがあるわけでもない。まあ、ユウコも別に俺からのメールを心待ちにしているわけではあるまい。まだアイドルからの挑戦状である暗号の解読もできていないわけだし、取り急ぐ必要もない。
「今日は妹と出かける用事があってな。先に失礼する」
気付けば放課後。周防はホームルームが終わるとすぐに教室を出て行ってしまった。周防は妹を溺愛しているのだ。
なんせ、両親が離婚して、周防は母親に引き取られ、妹は父に引き取られたということで、滅多に会えないらしい。五つ下の妹を心から愛している周防は、何よりも彼女を優先する。勿論、愛していると言っても、それは家族愛だ。
「これで、モテる要因になるんだから男前ってのは羨ましいもんだ」
いつしか隣に来ていた大塩が、言葉とは裏腹に微笑ましい目で周防を見送っている。少々朴訥だが、家族思いの優しいイケメンは、大抵の女子に好かれてしまう。
本来ならば、大塩はもう少し悔しがるのだろうが、大塩と周防は家庭環境が似ている。そもそも、このタイプの違う二人が仲が良いのも、そのせいだろう。周防と妹が仲睦まじい様子を好ましく思っている。
家族仲という点で言えば、ユウコも家庭に事情があるらしいし、まったく、俺の周りにはそういう人間ばかりだ。俺自身は、両親や妹とは仲が良いと自負している。ふと気になってアイドルにも聞いてみた。
「お前の所の家族は、仲が良いのか?」
「けっこう良いと思うよ。弟なんて、すごく可愛いし」
「……まあ、お前の弟ならさぞかし美少年だろうな」
ナイスミドルな父と、年相応の美しさを持つ母。さらには紅顔の美少年たる弟に囲まれるアイドルが簡単に想像できる。これだけの美人になるには、相応の遺伝子が必要だろう。家族全員が美男美女に違いあるまい。
結局、周防といういつもの面子がいないことで、俺達は別々に帰ることになった。アイドルは同じクラスの女子連中と一緒に。大塩はいつの間に仲良くなったのか、男連中と一緒に。
「金池も一緒に帰るか?」
帰りがけに大塩に誘われたが、あんまり知らない人間と一緒にいるのが得意でないので、丁重にお断りしておいた。そんなのだから友達が出来ないんだと大塩に言われそうだが、生憎、これ以上友達を増やしたいとも思っていない。
クラスメイト達を見送り、俺も帰ろうかと思っていたところで、不意に担任が教室にひょっこりと顔を出した。
「おう、金池。暇か?」
まるで同い年の友達に声をかけるような気軽さで、担任は俺に近づいてくる。
「暇っすけど、どうしたんスか?」
「教師としちゃ、勉強でもしとけって言うべきなんだろうが。まあいいや。ちょいと付き合えよ」
いよいよもってただの友達感覚である。親しみやすいのは良いことだが、そこには聖職者としての自覚らしきものは見当たらない。それでも、この担任は締めるところはきちんと締めるので、我がクラスの人間からはけっこう信頼されている。俺だって嫌いじゃない。
「ま、ちょいとした役得にもなるかもな。小腹が空いてるなら、尚更だ」
「茶菓子でも出るんスか?」
にやりと笑う担任に、俺は訝しがりながらも、小腹が空いていたのも事実であったので、素直についていくことにした。