act2 ラヴコメ論 3
新学年が始まって数日。やはり俺は眠い。
理由は言わずもがな、アイドルのメールである。あれから毎日のようにアイドルはメールを送ってくる。今回は少々趣向を変えてきたらしく、抱腹絶倒モノの、ギャグのオンパレードであった。
「おはよう」
「おはようさん」
そんなアイドルは、人気者の癖に寂しがり屋なのか、先日別れた場所で俺を待っており、挨拶をして通り過ぎようとしたところをしっかり捕まった。
「なんで通り過ぎるのよー?」
「まさか俺を待ってるとは思わなかったからな」
並んで歩き出すアイドルに、俺は再び戦慄を覚える。理由は二つあって、ひとつは周囲の目。二つめは昨日のメールのごとき、ギャグを言われたら今まで通してきたクールで鯔背な俺のキャラクターが台無しになるからだ。
「今日は金曜だから、明日はお休みだね」
アイドルが世間話を持ちかけてくる。これはあくまでも前フリと見た。絶対に笑ってはならない。さてはアイドル、この俺に勝負を仕掛ける気だな。ならば俺も負けはしない。どこまでいっても俺はクールかつナイスガイで通してやる。
「せっかくのお休みなんだし、どこかに出かけたいねー」
「ああ、そうだな」
思わずユウコと二人で遊園地にでかける様子を思い描き、俺は一人で悶えた。
決めているのだ。最初のデートは遊園地。人混みの中を手を繋いで歩き、ジェットコースターに乗って、お化け屋敷に入って。休憩のときはソフトクリームをベンチで食べる。締めは夕焼けの中、観覧車に乗るのだ。西日を受け、幻想的な雰囲気に包まれるユウコは、間違いなくこの世に顕現した女神だろう。
「遊園地とか、いいよねー」
「うむ。実に良い」
流石、アイドルは俺を解っている。ユウコは物怖じしないから、お化け屋敷でも驚かないだろうけど、薄暗い中を二人で歩くだけでいいのだ。平気な顔をしたユウコを褒めれば、それはそれで、好感度は上がってくれるだろう。
「明日行ってみようか?」
「大塩も周防も割とそういうの嫌いじゃないし、いいかもな。折角だし、他にも誰か誘うか……」
できればユウコを誘いたい。いやしかし、初デートで遊園地に行くと決めているのだから、このタイミングで行ってしまっては、初デートのときの新鮮味に欠けるのではなかろうか。むう、これは中々の難問である。
「……やっぱりお金ないしいいや」
俺が必死に思案していると、急にアイドルが肩を落として先ほどの発言を取り消した。
折角人が真剣に悩んでいるというのに、いきなり中止とは、女心と秋の空とはよく言ったものである。
「やっぱりもう少し解りやすく言わないと、わからないかなぁ……」
アイドルがぼそぼそと独り言を呟いていたが、独り言とは得てして他人に聞かれたくないものである。紳士を自称する俺は、一度は耳に入ったその言葉を、あっという間に忘れた。忘れるのは何より得意だ。
さて、学校では相変わらず大塩と周防の三人を基本として、隣の席のアイドルや、周防と仲の良い陸上女などと世間話をすることが多い。
「ブンタ。いい加減アタシの名前も覚えろよな」
陸上女は口ではそう言いながらも、別に怒っている様子はない。根っからサバサバした女なのだろう。こういう裏表のない人間は嫌いじゃない。頑張って名前を思い出そうとするが、既に陸上女という渾名が俺の中で浸透してしまっているのか、さっぱり思い出せない。褐色の日焼けした肌が印象的で、確かそれに近い名前だったような気もするのだが。
「えぇと。夕陽丘良子だっけか」
「ヨシ、しか合ってねーよ。赤井佳美だ。どういう間違え方だよ、まったく」
「日焼けしてるから」
「日焼け具合で名字が変わる人間なんていねーよ」
至極真っ当な意見に、俺は思わず深く頷いた。確かにその通りだ。陸上女は見たところ、勉強が得意ではないようだが、頭は悪くない。間違えたことに呆れても、怒りはしない懐の深さもある。ユウコがいなければ、魅力的に見えたかもしれない。
「……ケージローよう。なんでコイツは憎めないんだろうなあ?」
「人の名前を覚えるのが苦手な分、そういう魅力を持って生まれてきたのだろうな」
勝手に俺の魅力について周防が語る。こういうストレートな褒め方を誰彼構わずしてしまうから、周防はクールで気取っているように思われがちなのに、男女共に人気があるのだ。
順調にクラスメイトと打ち解けていた俺だが、その日の放課後、とんでもないことに気付いてしまったのだ。
俺は、ユウコとほとんど何も話していない。始業式以来、ほとんど何も、である。
ユウコと同じ空気を吸えるだけで、確かに目が眩むほど幸せではあるのだが、やはり俺も人間である。同じ空気を吸える間柄なのだから、次は話ができる関係にまで上り詰めたい。
しかし、冷静に考えると、今の俺は会話どころか、目を合わすだけで赤面して、呂律が回らない。このままの俺で次のステップに挑んだところで、何もできずに落胆するのがオチだろう。
ならばどうするか。答えは簡単だ。俺が、強くなればいい。
確かに俺はポーカーフェイスで通っているし、そこらの男子諸君ではできはしない、アイドルとの冷静な会話だって軽くこなすことだってできる。しかし、俺には心の強さが足りなかったのだ。ユウコを前にしてでも、真っ直ぐとその瞳を見つめることのできる強さ。
「……周防、大塩。俺は修行をしてくる。ナニ、月曜にはきちんと学校に来るさ。それまでに一皮むけてくるぜ」
「よくわからないが、前に進むのだな。頑張れ。応援しているぞ」
「ほんと、よくわかんねぇけど、ちょっと格好いいな。頑張れよ」
とりあえず近くにいた二人に意思表明をして、早速修行のために動き始める。やはり修行と言ったら山篭もりだろう。ユウコと真正面から話すためだ。熊ぐらい一撃で倒せる程度の強さは必要だ。
「じゃあ行ってくる」
俺はシュタっと手を挙げ、鞄を引っ掴んで教室を後にした。しばしの間だが、さらばだユウコ。お前のために、俺は強くなって戻ってくる。熊ぐらい、指先一つで倒せるほどに。
「おい、まだホームルームが残っているぞ……と、既にいないか」
「ったく。金池は何か決めたら、ほんと周りを見ないよな」
友人達の声は、既に俺の耳には入っていなかった。