act2 ラヴコメ論 1
ゲームセンターでの親睦会は、概ね楽しかったと言うことが出来るだろう。
俺の隣には基本的に周防とアイドル、大塩がいて、ユウコは別のクラスメイトと一緒に動いていたが、ユウコの姿を眺めることが出来ただけでも、十分に幸せなのである。
そして、翌日。俺は相変わらず、一人で登校している。友達が少ないということもあるが、周防は自宅が高校の近くなので、徒歩通学。大塩は俺より一本遅い電車に乗るので、会うことがない。
「ふあぁっ……」
てくてくと駅に向かって歩いていると、定期的に欠伸が出る。畜生、アイドルのやつめ。大塩の言葉を真に受けたのか、本当に一晩中メールを寄越しやがって。
まあ、夜の二時を過ぎたあたりで、俺が限界を迎えて寝たからいいものを、本当にウイットに富んだ、ユニークなメールを送ってきたのだ。あそこで寝ていなかったら、確実に徹夜していただろう。
「おはよう!」
そんなことを考えながら歩いていると、後ろから声がかかった。振り返ると、件のアイドルが立っている。確か、小学校が一緒とか言っていたので、家も割と近くなのだろう。
「おう、おはよーさん」
「どう。名前覚えたかな?」
開口一番にそれか。眩しい朝日の下、それを凌駕するようなきらきらした笑顔を浮かべるアイドルは、とても寝不足には思えない。
「えぇと……ああ、覚えてる。小林だろ」
「もう、小早川だってばー」
そういえば、確かそんなことも言っていた。直すのが面倒だから、小林のままで覚えてしまったのだ。
「まあ、名字ってあんまり好きじゃないんだけどね。そうだ、折角だから、下の名前はちゃんと覚えてよ」
自分の名前を間違われたのに、アイドルは笑顔を崩さない。彼女ならば、芸能界で通用するかもしれないな。顔も美人だし、ありえない話ではないだろう。演技さえ出来れば、女優すら目指せそうだ。
「えぇと、ちょっと待てよ。ああ、なんか水っぽい名前だったような」
「水っぽいって、なんか嫌だよぉ。当たってるけど」
アイドルはむー、と眉を寄せて、可愛らしく怒ってみせた。ポーズだとしても、違和感も嫌味な感じもない。そりゃモテるだろうな。
しかし、水っぽい名前ってところまでしか覚えてないからな。その辺りから、適当に考えていくか。
「うーむ。えぇと、ナギサ」
「それじゃ塩水だよー」
「ウシオ」
「それも塩水……」
「シブキ」
「あ、ちょっと近くなったかもー」
「アケミ」
「水違いだよー。なんか、お水っぽいよー」
成る程、割と頭の回転は速いらしい。俺の素晴らしいネタにもついてくるとは、中々やりおる。
「えぇと、そうだ、そうだ。思い出した。ツユだろ」
「自信満々に言って間違ってるってばー」
そろそろ、悲しくなってきたのか、アイドルは携帯電話を取り出して、何やらピコピコと文字を打ち始めた。
すると、不意に俺の携帯電話が鳴る。見ると、小林シズクからメールが来ていた。
「ああ、小林シズクな」
「小早川シズクなんだけどなあ……」
アイドルはなんだか不満そうだった。
結局、クラスメイトと出会った手前、一緒に登校することになってしまった。駅で一緒に電車を待ち、狭い車内で微妙に身体を密着させつつ。
昨晩中、ずっとメール交換をしていたわけだし、やぶさかではないが、こんなところをユウコに見られたら、誤解を生んでしまう恐れがある。
まあ、相手はアイドルなので、むしろ男子からの突き刺さるような殺意の視線の方が怖いわけだが。
結局ユウコと遭遇することはなく、満員電車を抜け出して、陽桜駅に降り立つ。ここから、我らが陽桜高校までは、徒歩五分と言うところだ。
「おはよう」
駅前を通り過ぎてすぐに、周防と出会った。実に良いタイミングに、俺は笑顔で周防を迎える。教室までアイドルと二人で行くなんて、周囲の目が怖くてできやしなかったのだ。
「よお、一緒に行こうぜ!」
「おはよう、周防君ー」
「ほう、小早川も一緒か。珍しいな」
「私と金池君、同じ小学校出身だもん。乗る駅も一緒だからね〜」
「成る程。金池はこれで中々気の好い男だ。これからも仲良くしてやってくれ」
周防はまるで俺の保護者のように、アイドルにぺこりと頭を下げた。アイドルはそれを冗談と受け取ったのか、笑顔で「もう、とっても仲良しだよー」と、冗談で返した。
教室に入ると、既にユウコの姿があった。他にも、半分くらい席が埋まっている。
「おはよう、高山」
律儀な周防が、旧知の間柄であるユウコに声をかける。ぼんやりと本を読んでいたユウコは、ちらりとこちらを見て、うむと大仰に頷いた。
「おはよう、周防の。それに、カナブンとシズクだったか」
やはり改めて聞いても、ユウコの声は素晴らしい。しかも、きちんと愛称で呼んでくれている。これに勝る感動があるだろうか。
「おはよう、ユウコちゃん」
アイドルも挨拶したので、続いて俺も挨拶をしようとする。しかし、折角愛称を呼ばれたのだから、こちらも愛称で応えねばなるまい。
「えっと……お、おはよう。ゆ、ゆ、ユウ……」
たったこれだけのことで、顔から火が出そうになる。
まったく、ポーカーフェイスで通っている俺を、ここまで狂わせるなんて、なんという罪な女なのだ。
「カナブンは名前を覚えないと聞いたけど、覚えているじゃない」
ユウコは少し驚いたように顔を上げて、俺を真っ直ぐと見た。
ぬう、傍にいるだけで動機に眩暈、神経衰弱さえ引き起こしかねないというのに、まだまだ追い打ちをかけようというのか。流石は俺が惚れた女だけのことはある。
「ねえねえ、カナブンって金池君のこと〜?」
俺が固まっていると、アイドルがユウコに話しかけた。ふう、なんとか話が逸れたようである。助かったぞアイドル。
「金池文太。だから、カナブン」
「うーん、カナブンかあ。なんとなく、わからなくも無いような……」
「雰囲気もカナブンみたいだし、気に入っている」
お、俺の渾名をユウコが気に入ってくれている!
しかし、雰囲気もカナブンみたいというのは、一体、褒められているのかどうか、かなり怪しいラインだ。
カナブンって、あの、カブトムシの角を無くして、二回りぐらい小さくしたヤツだ。
なんか、弱々しいというか、庶民的というか。
「あ、でも、カナブンって可愛いよね。それに、なんか優しそうじゃない?」
俺がさりげなく落ち込んでいることに気付いたのか、アイドルが必死のフォローを入れてくれる。しかし、カナブンの庶民的なイメージが強すぎて、俺も周防も、ユウコも微妙な顔だ。
しばし微妙な空気が流れたが、それを打ち消したのが大塩であった。
「おっはよー。お、皆さんお揃いで。昨日は楽しかったよな!」
教室に入ってくるなり、騒々しい声で俺達に近づいてくる。名目は俺と周防がいるからだろうが、目的は間違いなくアイドルだろう。こういうときに大塩の無神経な明るさには救われる。
担任(また名前を忘れた)が入ってきたところで、大塩の馬鹿話が終わりを告げ、それはつまり、俺とユウコの会話が終わったことも意味していた。
「あー、そういや席替えしてなかったけど、まあ、いいだろ。とりあえず一ヶ月ぐらいそのままにしてみる。不満があるなら聞くが」
いい加減な担任の台詞に、俺は不満たらたらであったが、まさかユウコの隣じゃないから席替えをしろとも言えない。隣でアイドルが嬉しそうに俺を見ていたことは覚えている。
「良かったな、金池」
周防が後ろから声をかけてきた。何が良いものか。