act1 恋する少年 2
大塩と一緒に2−Cに入る。ユウコはまだ来ていない。
見知った顔が何人かいるが、どうにも名前が出てこない。それでも、一人だけわかる奴がいた。
「周防、お前も同じクラスか」
「……ああ」
周防慶二郎。寡黙で無愛想だが、割と情に厚く、去年同じクラスだったこともあり、仲がよい。端整な顔立ちと長身で、女子に人気があるのだと大塩が言っていた。
「また一年間、よろしくな」
「ああ」
端的すぎるセリフは決して怒っているわけでもなく、苛ついているわけでもない。出会った当初は最初は嫌われているのかと思っていたのだが、どうやら単純に口下手で、表情をあまり変化させないだけのようだ。
とりあえず、まだ席が決まっていないので、周防の横の席に座ることにした。大塩は作戦を実行するためなのか、一人でぽつんと座っている。
さて、ユウコはいつ来るのだろうかと思っていると、新たに教室に入ってくる人影が見えた。
「あ、周防君。おはよう」
「ああ」
「周防君、同じクラスなんだ。一年間よろしくね」
「ああ」
「お、ケージロー。また一緒か。ま、よろしくー」
「ああ」
三人一組で固まってやってきた女子が、周防を見つけるとすぐに、順繰りに声をかけていく。
周防は相変わらず無愛想だが、反応してくれるだけでも嬉しいのだろう。女子達は笑顔で通り過ぎていく。まあ、こいつも一種のアイドルみたいなものだろう。
「ブンタもまた一緒か。よろしくー」
最後に周防に声をかけていた女子が、通り抜けざまに俺にも声をかけてきた。浅黒い肌に元気の良さそうなショートカット。溌剌とした声は、いかにも陸上とかソフトボールとかやっていそうな雰囲気である。だが、誰だっけ?
「……よろしくー」
とりあえず、挨拶を返してみるが、女子は俺の様子に気付いたらしい。少々間の抜けた顔をした後、大きく溜息をついた。
「うぁ、忘れてやがる。二週間前まで同じクラスに居た人間、忘れるかフツー?」
「すまん。人の顔を覚えるのは苦手なんだ」
もっと言えば、ユウコと大塩と周防以外はほとんど覚えていなかったりする。
「はぁ、まぁ、どうせ自己紹介を最初にするから、良いか」
そう言って女子は他の二人と一緒に少し離れた席についた。
すまん、自己紹介はきっとユウコ以外のは耳に入らない。そう思いつつも、言うと怒られそうだったので黙っておいた。
「……赤井佳美だ」
気を遣ってか、周防が名前を教えてくれる。ああ、なんか聞き覚えがあるような、無いような。
「……金池。少しは協調性を考えた方が良い」
「まさかお前に言われるとは思わなかった」
周防の場合、自分から話しかけることが少ない代わりに、話しかけられることが多いだけだ。協調性があるとは言い難い。
「それよりも、さっきから落ち着かないが、どうかしたのか?」
「ああ、いや、その。まあ、気にするな」
「……小早川か?」
「最近、どこかで聞いた気がするが。えぇと、誰だっけ?」
「アイドルだ。同じクラスなのだろう。小早川を待っているのかと思ったが」
「名前も知らんヤツを待つ気はねーよ」
俺がさっきから待ってるのはユウコ一人だ。正直、他の女子はブサイクばかりでも全然構わない。逆に全員が美少女でも目移りしない。ユウコ一筋なのだ。
「それよりも、大塩は何故一人なのだ?」
「ああ、確かそのアイドルの……こ、こば……小林?」
「小早川」
「小早川を待つらしい。一人なら声をかけてくれるだろうって」
「成る程」
やや呆れた声で周防が溜息をつく。まあ、大塩の気持ちもわからなくはない。俺だってユウコが声をかけてくれる可能性があるなら、三日ぐらい一人で放置されている。
「……ん?」
周防がふと首をかしげて、教室の入り口を見る。何事かと振り返る前に、周防の口が開いていた。
「高山か。久しいな」
高山とな!!
神速をもって振り返り、その姿を確認する。
ユウコだった。
相変わらず地味で、表情も特に明るくも暗くもない。ぼーっとした感じで、周防の声に気付いて、ややスローな所作でこちらを見ていた。やべえ、今俺は、ユウコの視界に入っている。どうしよう、顔が一気に赤くなるのが自分でもわかる。気付かれないように、下を向いておこう。
「ん。周防……同じクラス?」
声が少し近づいた。もしかしてユウコが、こっちに来たのだろうか。動悸が激しくなる。顔もますます熱くなる。
やばい、呼吸の方法忘れた。
「同じのようだな。中学以来か」
周防と同じ中学だったのか。初めて知ったが、ナイスだ周防。これで色々とユウコのことが聞ける。お前と友達で良かったと思う。
「周防と同じ高校だと忘れてた。ま、よろしく。そっちもよろし……誰?」
ユウコがさばさばした声で、俺の方を指さした。
ユウコが俺を見ている。あまつさえ指をさしている。なんという僥倖。
俺は、今日という日を生涯忘れない。
「高山。人を指さしてはいけない。こいつは一年の時の同じクラスの、金池文太。こっちは高山優子」
「ふぅん。よろしくカナブン」
俺に声をかけた!
しかもイキナリの渾名である。今日という日を、たとえ死んでも忘れないようにしよう。
「高山。カナブンはないだろう」
「いや、カナブンでいい。よろしく……えと……」
感動に打ち震える間に話が進みそうだったので、慌てて周防の言葉を遮り、決死の覚悟でユウコと目を合わせて、言葉を紡いだ。せっかく渾名で呼ばれたのだ、このチャンスを逃してなるものか。
「えぇと……」
しかし駄目だ。続く言葉がうまく出てこない。脳味噌が溶けそうだ。高山さんと呼ぶべきか。それともこちらも渾名を付けるべきか。いっそユウコと呼んでもいいのか!?
「タカさんでいい」
「ごめん、それはちょっと無理」
その渾名はいただけない。なんか色々マズイ。
しかし、まともに喋れない俺に即座に突っ込ませるとは、流石ユウコだ。やるな。
「好きに呼んで。つまらないの却下」
すげえ。ぼそぼそと喋るのに、どことなく不思議な感じがする。すごく自然体というか、平淡な口調なのに、ユニークなのである。
「じゃ、じゃあ……ユ、ユウ」
「ん、何?」
ユウコと、呼んでいいのだろうか。いきなりこんな展開、良いのだろうか?
よし。ここは正念場だ。ユウコと、ユウコと呼ぶぞ。呼んで良いんだよな?
「……ユ、ユウ……ユウ……」
「ユウ、か。高山さんとか優子とか、ゆうちゃんとかよりマシか」
「そ、そうか……」
チキンハートのおかげではあるが、コの文字を出さなくて良かった。それにしてもいきなり愛称。しかも今、俺とユウコは会話している。くそ、こんな幸運が続くなんて、後で何かあるんじゃないだろうか。鉄筋とか頭に落ちてくるかも知れない。無論、今の俺なら指先だけで弾く自信がある。
「……高山という呼び方はつまらんのか?」
周防が自然な様子でユウコに話しかける。俺も周防みたいにさらりと会話がしたい。さっきから俺は、ぼそぼそと喋るつまらない男である。
「周防は元々つまらないから、期待してない」
「……成る程」
俺が言われたら首を吊りかねない言葉だが、周防はさほど興味がないのか、軽く頷いただけだった。こいつの場合、つまらないとか面白いとか、そういう次元ではないだけの話だろう。
ユウコに惚れて、アイドル……小林だったか。その小林に惚れていない俺が言うのも何だが、世の中は顔だ。容姿だ。同じ性格で同じ境遇の美人とブスがいたら、誰だって美人を好きになるだろう。俺だって美人のユウコとブスのユウコなら、美人のユウコを取る。つまり、顔が良いということはそれだけで有利なのだ。周防は確かに特に面白可笑しい男ではないが、なんといっても男前なのだから、面白くなくても許される。
「じゃあね」
ふと気付くと、ユウコはぼそっと呟いて、俺達のところから離れていった。くそ、折角だからもっと話しておけば良かった。せめて顔を見ておけば良かった。いや、でも、そんなことしたら俺、死んでしまうんじゃないだろうか。
「……金池、一人悶えているところ悪いのだが」
「お、おう。どうした?」
周防に話しかけられて、ようやく平静を取り戻す。同じクラスになれただけでも幸せだったのに、いきなり会話までしてしまって、あまつさえお互いを愛称で呼び合うにまで至ったのだ。悶えも呆けもする。
「高山に惚れているのか?」
「な、何を馬鹿なことを言っているのかね、君は?」
周防め、俺のポーカーフェイスを見抜こうとしている。普段、ぼんやりとしているから油断していたが、こいつはもしや、鋭い男なのではないだろうか。
「いや、何でもない。それより、見ろ。小早川が来たぞ」
「小早川?」
「アイドルだと言っている」
「ああ、小林な」
周防に促されて、仕方なく教室の出入り口に目を向ける。
成る程、アイドルという名前に負けない、美人だ。黒くて長い髪はさらさらしてるし、ぱっちりとした目は、快活かつ慈愛に満ちている。それでいて、細く引き締まった腰元なんて、健康な色香が漂いまくっている。まあ、だからといって、興味は無いが。
「おはよう、雫」
「おはよう、小早川さん」
「シズクー、おはよー」
あちこちから、声があがる。人気もアイドルに相応しいな。ユウコが入ってきたときなんか、周防が声をかけた程度だったというのに。
「おはよう、みんな。今年も一年、よろしくね」
アイドル小林はにぱっと笑って、教室を見渡した。ふむ、どの席に座ろうか思案している様子だ。
「どうだ、金池。お前もたまには、女ッ気を見せてみるというのは」
「興味ない」
「全く。本当に恋愛に興味がないんだな。まあ、大塩のようになっても困るが」
周防がやれやれと溜息をつく。ついさっきまで、ユウコに惚れていると勘ぐっていたのに、恋愛自体に興味がないという判断をするとは、やはり周防は超のつく鈍感だ。
「あ、おはよう。金池君」
「ん?」
見ると、目の前にアイドル小林がいた。何故、俺に挨拶をしているのだ、この女は。
「……?」
「あれ、金池君?」
「ん、ああ。おはよーさん」
まあ、クラスメイトになるわけだから、挨拶ぐらいは礼儀だろうと思い、軽く片手を挙げて返す。アイドル小林はにっこりと笑って、周防にも目を向けた。
「えぇと、そっちは周防君だっけ。おはよう」
「おはよう」
ほら、周防にだって挨拶している。比較的、教室の扉とも近かったからだろう。手始めに挨拶をしたと言うところだ。そろそろ、寂しく待っている大塩のところにも行ってやるといい。俺なんかより、よほど歓迎するはずだ。
「金池君、席はここなんだ?」
「ああ、そうだな」
「じゃあ、隣いいかな?」
「ん、まあ構わんが」
本当ならば、ユウコが良かったのだが、まだ逆隣も空いているし、そもそも暫定的な席配置なのだから、どうせ一日二日のお隣さんだ。それに、肝心のユウコは少し離れた席で、ぽつんと座っている。俺もアイドルぐらい親しげな態度ができれば、ユウコの隣を申し込んでいるところなのに。それにしてもわざわざ、俺の隣に座るというのはどういうことだろうか。
「嬉しいな。金池君と同じクラスになれるなんて」
「そりゃ、光栄のいったりきたり」
ああ、こんなセリフをユウコに言われてみたいものだ。何故アイドルなのだろうか。世の中は上手く行かない。
「もー。つれないなぁ」
「こんなもんだ。なあ、周防」
「そうだな。むしろ、普段よりはマトモな応対だ」
「あ、そうなんだ。嫌われてるのかなって思って心配しちゃったよ」
アイドル小林はころころと笑って、俺の隣の席に座った。アイドルの考えはよくわからない。
「クラスメイトへの挨拶はいいのか?」
「うん、仲の良い人たちには、もう挨拶したよ」
「新しい友達ができるかもしれんぞ」
「それは追々かな」
ふむ、流石はアイドル。追々、向こうから声をかけてくるのを待てば、自動的にお友達も増えるという寸法か。ユウコとどうやったら会話ができるのだろうと、真剣に悩んでいる俺とは大違いだ。
「それより、金池君は春休みとか、何してたの?」
アイドルはにこにこと笑って、世間話を始めた。まあ、新しいクラスメイトと交流を持つのも、悪い事じゃない。ユウコともっと話したいと思うが、舞い上がりすぎてロクに喋ることができないし、ちょっとクールダウンしておいたほうがいい。
「まあ、勉強したり、バイトしたり、家事手伝ったり、犬の散歩したり」
「わぁ、すごいね。偉いなぁ」
「別に。ただ暇だっただけだから」
「ううん、凄いよー。私なんて、課題とか、昨日終わらせただけだし」
「やることがなかっただけだって」
どうにも、アイドルは俺を偉い人にしたいらしいが、実際にユウコに会えない時間を如何に費やすか悩んだ挙げ句の、苦肉の策だったので、ちっとも偉くはない。
ユウコと同じクラスになるとわかっていたなら、色々と対策を練っておけば良かったと、後悔しているほどだ。
「あ、でも、私もアルバイトしてたんだよ。ファミレスで」
「へえ。人気あっただろう」
「あはは、そんなことないよ。高校生だからって、ちょっと甘やかされたぐらい」
「俺もファミレスだったが、ちっとも甘やかされなかったぞ」
「それは、金池君ならもっと伸びるって期待されてたからだよー」
アイドルは天真爛漫な笑みを浮かべて、なおも俺を褒める。
俺のことを謙虚とか言っているクセに、アイドルはアイドルで、謙虚な上に他人を褒めるのも上手い。俺よりよほど出来た人間だ。
「……そういえば」
ふいに、ぼそり、と周防が呟いた。
「二人は知り合いだったか?」
そういえば、あんまり自然に話しかけてきたものだから、忘れていた。アイドルと俺は確か、今まで話をしたこともなかったはずだ。去年も違うクラスだったし、アイドルが俺のことを知っているとは思えない。
「そうだよ。ね、金池君」
「あれ、そうなのか?」
いきなり同意を求められて、首をかしげてしまった。はて、廊下ですれ違うぐらいのことはあったと思うが、会話をした記憶など、これっぽっちもないのだが。
「ううー、ひどいよ。忘れちゃってるー」
アイドルは眉をひそめて、ちょっと悲しそうにしながら、唇を尖らせた。
「すまん。全く身に覚えがない」
「もう。小学校から一緒じゃない。確かにあんまり、お話とかしたこと無かったけど」
「すまん。俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手なんだ」
「中学校でも同じクラスだったよ?」
「中学校で覚えてるのは、一人ぐらいだな」
基本的に友達は少ない。小学校、中学校の間で顔と名前が一致するのは、せいぜい二、三人だろう。
周防と大塩。友達が二人もいることに、俺が驚いているぐらいだ。
「……まあ、金池だからな。毎日一緒にいる俺の顔を覚えるのに、一週間かかった」
「名前を覚えたのは、つい最近だな」
そう言って、俺と周防は呵々と笑う。アイドルはそんな俺達の様子を眺めて、くすくすと笑っていた。
「じゃあ、ちゃんと私のことも覚えてね。小学校以来の友達に覚えられていないなんて、ちょっと悲しいしねー」
「おう。善処する」
流石に、これだけキラキラした美人ともなると、俺だって覚えることが出来るだろう。
ちなみに、俺に最速で名前を覚えさせたのは、大塩だったりする。会ったその日に携帯電話の番号を交換させられて、三日三晩メールを寄越してきて、無理矢理覚えさせられた。
「ああ、携帯のアドレス教えろ。メールとかで名前表示されたら、覚えやすい」
「あ、そうだね。うん、いつでもメールしてね。私からもメールするよー」
「なるべくウイットに富んだユニークなメールを頼む」
大塩のように、やれあの子が美人だとか、彼女が欲しいとか言う、ただの愚痴のようなメールが来ても困るだけだ。
アイドルと電話番号、メールアドレスを交換する。
そういえば、名前なんだっけ。えぇと、小林だっけか。
こばやし、と。登録完了。覚えようと思えば、これだけでも覚えられるもんだな。