act.5 黒衣のサムライと小説家の卵 2
しばらく談話を続けていると、サムライさんは「仕事だ」と言って席を立った。
「中々面白い文章を書くらしい。嘉納妙という子なのだけどね。会うのが楽しみだ」
嘉納妙。サムライさんが担当する小説家の卵のことだろう。
しかし、その名前には聞き覚えがあった。
「嘉納……妙?」
「妙ちゃん?」
俺とアイドルがぽつりとつぶやく。
妙ちゃん。ああ、そうだ。小学校からの同級生で、確かそんな名前の子がいた。
「なんだ、知り合いか?」
「ええ。中学校まで一緒で……金池君も覚えてないかな?」
「覚えてるぞ。仲良かったからな」
もともと、推理小説が好きな俺と、小説を書くのが好きな嘉納とは話が合った。中学一年生の頃に同じクラスになり、よく図書室で彼女の小説を読んでは感想を言っていたものである。
中々愛らしい容姿をしていたのは確かで、サムライさんの食指が動くのも致し方ない。
「じゃあ、ブンタ。アンタも一緒に行きなさい。マサトが変な色目使わないように見張っててね」
「ん、まあ昔のツレに会うだけだからいいんだけどよ。サムライさんにとっちゃ仕事だろ。俺がついていくのはアリなのか?」
ツンデレさんの言葉に、サムライさんを見ながら尋ねると、サムライさんは「かまわんだろう」と答えた。
「別に色目を使うつもりは毛頭ないのだが、仕事と言っても今日は初顔合わせで、概ね仕事というよりも懇談会のようなものだ。お互いを知るブンタがいれば会話も円滑に進むだろう」
「ん。じゃあ俺は行くか。アイドルはどうする?」
「ごめんね。私はちょっと用事があるから、先に帰るよ。妙ちゃんによろしく言っておいて」
何でも、弟の宿題を手伝う約束があるらしい。俺も妹の宿題を世話することがあり、それによって兄は偉大な存在であると思わせているので、無碍にさせるわけには行かない。
「では、そろそろ行こうか。小早川さん、また機会があればゆっくりと喋ろうか」
「は、はい……金池君と一緒に来ますね」
アイドルは少しサムライさんが苦手なのかもしれない。
アイドルを見送った後、俺とサムライさんはてくてくと近所の喫茶店に向かって歩いた。
ついこの間、みんなで行った喫茶店である。どうやらサムライさんも常連のようで、嘉納も場所を知っているので、そこでゆっくり話をするらしい。
行く道々、最近のサムライさんについてあれこれと聞く。
どうやら美人さんと結婚はするようだが、他の四人とも関係は続けるらしい。
「一応、シーガイアではフルちゃんと結婚しているのだが……まあ、フィア達がそれでいいと言うのでな」
「いいんじゃねえかな。全員がそれでいいんなら」
俺はユウコ一筋であり、ユウコへの愛が強すぎて目移りなんてしないが、サムライさんが全員に等しく惹かれ、全員から等しく好かれているのは俺もよく知るところである。
それに、シーガイアでは一夫多妻が貴族などでは認められているし、サムライさんはそのためにわざわざ爵位を手に入れている。魔王討伐の恩賞でサムライさんは爵位という名の一夫多妻の許可を得たようなものである。
ちなみに俺はシーガイアの大国リガルドにおける、帝都での永久居住権なるものを所持しているが、ユウコと結婚したときに別荘地として活用するつもりでいる。人間、何事もこなしておくべきだ。すべてはユウコにつながるのだから。
「……ブンタも年頃か。さっきの子がお目当てではないようだが」
「おう。まあ仁科先生にでも聞いてくれ」
「あの馬鹿たれは、生徒の恋愛にまで首を突っ込むか」
サムライさんは呵々と笑い、喫茶店の扉を開く。妙齢の美人マスターが俺とサムライさんの姿を認めて、奥の席でちょこんと座っている女の子を指差した。
「もうとっくに来てる。若い女の子を待たせるものじゃない」
「客に対して無礼な口だ……旦那の顔が見たいものだ」
サムライさんが笑うと、マスターもふと笑みをこぼす。どうやら知り合いのようだ。サムライさんいわく、かつては陽桜高校のスケ番と呼ばれた無敵の女史らしい。
奥の席へと進むと、中学時代よりもぐっとかわいらしく成長した嘉納妙が座っていた。
俺が名前を覚えている数少ない人間の一人で、中学校からの友人では嘉納と、もう一人ぐらいのものである。もう片方は中学時代に一時期、同じ塾に通っていた女の子で、どこかここのマスターと雰囲気がよく似ている。
雪吹実代という変わった名前だったから覚えたのだが、彼女もまた小説をこよなく愛する変人だった。同じ高校に進んだのでたまに連絡もするほどである。
「はじめまして。君の担当編集者になった高木です。よろしく」
「よお、嘉納ちゃん」
「あ、はじめまして……あれ、金池ちゃん?」
お互いに苗字にちゃん付けで呼ぶのが、俺と嘉納の流儀である。何故かそういうことになってしまったのだが、慣れとは怖いもので、久しぶりの再会でもすぐにその呼び方が出てきた。
「ブンタとは昔からの付き合いでね。たまたま話に君の名前が出て、友人だというから連れてきた」
サムライさんは嘉納にとって予想外であろう俺の出現を説明してマスターにコーヒーを注文した。
俺はとりあえずサムライさんの隣。嘉納と向かい合うように座り、久々の嘉納の笑顔を堪能する。
「前より可愛くなってるな」
「金池ちゃんが私を褒めるときは、別に好きな子がいるときだね」
「おうよ。そうでなきゃ軽々しくこんな台詞、言えねえからな」
「あはは。どうしてこんな男ばっかりなんだろ」
嘉納は笑いながら溜息をつくという難易度の高いウルトラCをかましつつ、改めてサムライさんを見た。
「嘉納妙です。これからよろしくお願いしますね」
「ああ。既に原稿は読んでいるが、とてもいい文章を書くね。ただし、売り物になるかは話が別だ」
サムライさんはふと柔らかい声音から、急に抜き身の真剣のように鋭い言葉を放った。この人の十八番で、途端に嘉納の笑顔が陰りを見せる。
「自分で書いたものだから、いくらか想像がつくだろう。如何せん、主人公に魅力がない。男性視点の物語を、若い君がここまで書き上げるのは相当に苦労したのだろうし、才能も十二分にあるとは思うのだが、いまいち若い男としての迫力がない。いっそのこと、最初から書き直してみるといいと思う」
仕事の話はしないと言いながら、自己紹介もそこそこにこれである。この人の嘘には慣れているが、よくもまあ舌の根乾かぬうちからこんなことが言えるものだ。
「……なるほど、そういうことですか」
しかし、俺の予想を裏切って嘉納はにこにこと笑顔を見せた。とたん、サムライさんの顔も明るくなる。
「ブンタ。君は自分の欠点がわかるか?」
「んー、名前が覚えられないところかな」
「ふむ。それもあるが、一番の欠点は馬鹿だということだ。そして、それは君の最大の長所でもある。若い男の迫力とはつまるところ、どれだけ馬鹿かということでな。僕も昔は馬鹿な真似を色々したものだ」
サムライさんが俺の肩をポンと叩いて、嘉納を見る。
「そういうわけで、参考資料として金池文太を提供しよう。ちょうど恋愛中のようだし、取材すればいい。何なら、嘉納さんがアドバイスなり助力なりで、彼の恋愛をサポートしてもかまわない」
「……ノンフィクションを書け、ということではないですよね。あくまでも、金池ちゃんを元にして、主人公像を確立して……好みの展開に仕上げていく、と?」
「ああ。ブンタにもそろそろ恋愛のアドバイザーとして女性をつけてやったほうがいい年頃だろうしな。そういうわけで、一ヶ月ほど取材してみろ」
少し、雲行きが怪しくなってきた。
なぜ、俺が嘉納に取材されねばならんのだ。そもそも俺は偶然サムライさんと行き会い、たまたま嘉納と知り合いだということが知れて、その場の流れでここまで来ただけの存在である。
しかし、サムライさんはまるで俺の存在がなければ成り立たないような話を進めている。しかも、雑談で終いのはずの初顔あわせだというのに、取材の命令をしてしまうなど、かなり怪しい。
これではまるで、俺が騙されて連れてこられたよう――!!
「サムライさん、謀ったな?」
「ああ、今頃気がついたか。大体、少し考えれば想像がつくだろう。妙のプロフィールは担当編集の僕が当然把握しており、君の通っていた中学校と一緒だと気づくのも当然のことだ。後は、学校帰りの君を捕まえて、それとなく話を振ればいい。妙と知り合いならば連れて来るのも容易いし、知り合いでなければ、この場で仲良くさせてしまえばいい。とにかく、乗りかかった船なんだ。おとなしく取材されろ」
やられた。
わかってはいたが、サムライさんは悪魔ですら騙してしまうような男なのだ。実際に悪魔を騙した経験すらあるので、もう折り紙つきといっても差し支えない。
そんなサムライさんが何の意味も無く、ただ旧友だからという理由で俺を仕事の場に連れてくるだけで疑問を覚えるべきだったのに。
「それにな、妙は見てのとおりの美人だ。おそらく恋愛経験は中々のものだろうし、いいアドバイスがもらえるぞ。意中の人間ともきっと急接近できるに違いない」
「よっしゃ、存分に取材しろ。そして俺とユウコを急接近させてくれ」
これはもう、間違いなくサムライさんの甘言なのだろうが、それでもユウコとの仲が少しでも縮まるのであれば、それに越したことは無い。
いや、どうせならば自分の力だけでユウコを振り向かせたいのだが、ユウコという太陽の化身が俺の如き凡夫に興味を持ってもらうためには、少々の絡め手も必要なのだ。事実、料理部に入ったり、色々と行動を共にすることは増えてきたのだが、こう、恋愛的な意味で距離が詰まっているかといえば、まったくもって詰まっていない。
こうなれば、悪魔に魂を売る覚悟でサムライさんの言葉を鵜呑みにして、嘉納という強力な助っ人を手に入れたほうが早い。
「……わかりました。金池ちゃん、よろしくね」
「おうよ!」
嘉納が真剣な目で頷き、俺がそれに笑顔で応える。
サムライさんだけが、いかにも楽しそうな目で俺たちを見ていた。