act.5 黒衣のサムライと小説家の卵 1
学校帰りにアイドルと二人で帰っていると、見慣れた顔と出くわした。
「やあ、ブンタ」
「ちっす、サムライさん」
今日はユウコと俺の美しい恋愛物語ではなく、風変わりで歳の離れた友人の話をしようと思う。
サムライさんは近所に住む背の高い男で、今年で二十五歳になるという。
職業は鈴ノ宮出版の編集者。文芸部門の編集者で、いわば小説家と協力して物語を作り上げる人間でもある。
鶴のように細い体躯と、銀縁眼鏡。地味ながら整った容貌をした中々に渋い男である。
もっとも、俺が小学生ぐらいの頃から顔をよく合わせていたので、いまだに近所の兄ちゃんという印象はぬぐえないのだが。
「仕事帰り?」
俺が尋ねると、サムライさんは首を横に振って「仕事中さ」と答えた。なんでも、近所に小説家の卵がいるとかで、その人の担当編集に任命されたとか。
今から初顔合わせなのだという。
「まだ高校生なんだけどね。豊かな才能の持ち主だ。まあ、見た目もかわいらしい女の子らしく、これは是が非でも担当したいと思ってね」
サムライさんはニヤリと口の端を吊り上げて、スーツの内ポケットから煙草を取り出した。
「道端だぞ」
「ああ、そうだった。待ち合わせまで時間があるからな……ブンタ、少し付き合ってくれ。よければ、恋人と一緒に」
サムライさんは俺と、隣で不思議そうに首をかしげていたアイドルを見て笑う。
「恋人じゃねえよ。まあ、俺は暇だしいいけど。アイドルはどうする?」
「ふふ、恋人かあ……うん、私も行くよ」
流石はアイドル。他人の失礼な思い違いにも強靭な精神力で笑顔を作るなどお手の物らしい。まるで心から喜んでいるように見えるのだが、それができねば超のつく美人であるアイドルは、嫉妬やら逆恨みなどの負の感情に潰されてしまうのだろう。
「じゃあ、僕の家に招待しよう。ここからすぐ近くなんだ」
サムライさんの家は築数十年のオンボロアパートだ。
オンボロアパートとは言っても、どちらかというと下宿屋に近い。つまり、居間やトイレ、風呂などは共用で、借主は個人部屋のみを間借りしている形である。
陽桜荘という名の下宿屋の居間に案内されると、アイドルは物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡した。俺はすでに何度か来たことがあるので、勝手知ったるというところだ。
「あ、マサト。おかえりー。ブンタ君もお久しぶりだね」
サムライさんがコーヒーを要れようと隣接する台所に入ったところで、日本人とは思えない赤い髪をショートカットにまとめたお姉さんがひょっこりと顔を出した。
下宿屋の住人で、サムライさんの恋人である……名前を忘れた。年上なのだが妹っぽいので妹さんと呼んでいる。
「そっちの子ははじめまして。エリシア・フォウルスです」
「あ、はい。小早川雫です……」
「シズクちゃんだね。マサト、コーヒーは私が淹れるよ」
「そうか、ありがとう」
妹さんは面倒見の良さそうな笑顔で台所に入る。代わりにサムライさんが戻ってきた。
「いや、待たせてすまない。ブンタ、最近はどうだ?」
「そうだなあ。料理部に入ったらいきなり副部長に任命された」
「ほう。確か陽桜高校だったな。ということは、顧問は仁科だろう?」
「え、仁科先生を知ってるのか?」
「親友でな。なんだ、不思議な縁だな。ブンタの顧問だったのか」
サムライさんは嬉しそうに笑い、煙草に火をつける。吸い始めたのは大学に入る前という。
「あの……サムライさん?」
アイドルがおずおずと声をかける。サムライさんはふとアイドルを見て、それから苦笑した。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだった。僕は高木聖人。ブンタがサムライさんと呼ぶのは、まあ渾名のようなものだよ」
「あ、そうだったんですか。てっきり、剣術の先生か何かだと思いました」
「はは。そんな大層な腕前じゃないさ」
暗に剣術がそれなりに使えることを示唆しながらも、サムライさんは笑う。
妹さんが五人分のコーヒーを淹れて戻ってくると、再びアイドルが首をかしげた。
「五人分?」
「うん。フィアも呼ばないとね」
妹さんはそれだけ言ったときに、ちょうど居間に一人の女性が現れた。
長くウェーブがかった金髪の、サムライさんと同じ年頃の美人で、気の強そうな凛とした目をしている。
「ブンタじゃないの。来てたなら言いなさいよ。あ、そっちの子は恋人かしら」
フィアと呼ばれた女性――本名は長いので覚えていない。
「アスタルフィア・エルヘルブムよ。よろしくね」
そう。そのツンデレさんである。彼女はサムライさんの恋人で、妹さんの姉のような存在でもある。
ここでひとつ、誤解を解いておかねばならない。
サムライさんの恋人という二人の女性。妹さんとツンデレさんであるが、別に二股をかけているわけではない。
正確に言えば、ほかにも純日本人のアイドル並の美人さん。青い髪の巨乳さん。上品で清楚な王女様と、五股をかけている。
「人聞きの悪い。全員納得の上でのこの形だ」
サムライさんは笑いながら言うが、アイドルはぽかんとしていた。
俺だって最初は驚いた。およそモテるタイプではないサムライさんに、美人が五人も惚れ込んでいるのだ。なにやらいろいろな事情で全員に惚れられ、一人を選ぶことができずに全員とくっついてしまったという。
ユウコ一筋である俺にしてみれば、これはもう軽蔑の対象でもあるのだが、恋愛とは人それぞれ形が違うものらしいし、サムライさんも相当に悩んだ結果、この状況が一番全員にとって幸せだという結論に至ったという。妹さんやツンデレさん。ほかの三人も納得済みらしく、だとすれば浮気や五股というよりも、一夫多妻という言葉のほうがしっくりくるだろう。
「は、はあ……すごいんですねえ」
アイドルがいまだに信じられないという様子で、妹さんとツンデレさんを見る。
「最初は、なんだか変かなって思ったんだけど……えへへ。みんなと一緒にいたいから」
「……正直、一緒にいる時間が長すぎたのよねえ。狭い馬車で身を寄せ合って、三つぐらい世界を飛び越えて……
馬車やら世界を飛び越えるやら、なんともファンタジーな話である。アイドルは冗談かと思って愛想笑いしているが、俺は中学生の頃にうっかりサムライさんの召還魔法に巻き込まれてシーガイアとかいう世界に連れて行かれたことがあるので、これが本当のことだと知っている。
サムライさんと、サムライさんの親友である勇者っぽい騎士と俺。さらに妹さんやツンデレさんたちと別世界からやってきた魔王を倒したのも、今となっては懐かしい記憶である。
「そうそう。リッカがブンタに逢いたいって言ってたわよ。たまには顔を見せてあげなさい」
「リッカか、また一緒に風呂とか言い出さないだろうな」
「いいじゃない。おねーさんに背中流してもらいなさいよ」
ツンデレさんが楽しそうに笑い、サムライさんの背中を後ろから抱きかかえる。リッカというのはシーガイアで何かと俺の世話を焼いてくれたお姉さんで、唯一、俺が名前を覚えた異世界人でもある。
まあ、妙に裸で迫ってきたりするが、基本的にはいい人だ。
「……金池君?」
アイドルが空恐ろしい目で俺をにらんでいた。
流石に現代日本で「お姉さんに背中を流してもらう」というのは不味かったかもしれない。うっかりこのことがユウコにバレたら大変である。
「ああ、小早川さん。ゲームの話でね。黒衣のサムライというゲームなんだけど、知らないかな?」
サムライさんが渋い声でアイドルに尋ねる。アイドルが「ゲーム?」と首をふるふると横に振った。
「多人数参加型のオンラインゲームでね。まあ、僕やブンタ達は少し前、ずいぶんとそれに熱中していたんだ」
流石はサムライさんである。この人の唯一最大の武器、口八丁は悪魔ですら騙してしまうと評判なのだ。
年上で貫禄のあるサムライさんの言葉は、それだけで説得力がある。アイドルは「そうだったんですか」と微笑を取り返した。
「ふむ、久々にゲームも悪くないか。ブンタ、そのうちログインするから君も一緒にどうだ。リッカもだが、ファウストが君に魔法を教えたがっていた。なんでも、ひとみに次ぐ才能の持ち主だそうだ」
「あの人の講義、眠たくなるんだけどな」
「まあそう言うな。あれはあれで良い男だ」
サムライさんは静かに笑い、懐かしむように目を細めた。
出典:黒衣のサムライ