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転結

第二章 転結(チュアン・チエ)


   一 戦争の根源


 アルカディア宙域代表フランソワ・カサブブの葬儀は、人類宇宙連盟の主宰で、惑星メインランドにおいて、厳粛に、且つ、しめやかに執り行われた。

 泣き崩れる小柄な母親の痛ましい姿が人類宇宙中に報道され、テロリストへの非難を煽る。

〈……彼はまだ三十四歳の、前途洋々たる好青年でありました。われわれは、彼という、これからの世界を引っ張っていくべき掛け替えのない若者を、このような憎むべき暴力で失ったことを誠に悲しく思い、また、暴力で以って、自らの要求を通そうとするテロリストに対し、非常な怒りを感じるものであります。彼は……〉

 人類宇宙連盟の代表として、壇上で追悼の言葉を述べているのは、メインランド宙域代表の、クリストファー・ハーヴェーである。彼は、個人的にもフランソワとは友人であったし、かの式典にも、故人とともに出席していたのであった。

(彼は、個人として恨まれるような人間ではなかった)

 主催者側として参列したイエフアは、涙声になりつつある追悼の言葉を聞きながら思う。フランソワは、人類宇宙連盟という巨大なものを背負わされて死んだのだ。その死を悼む群衆を見つめて、イエフアは、隣に立つアーリに小声で言った。

「テロリストと、開拓・発展途上惑星の住民が同一視されないよう、手を打たねばなりません。このたびの、途上惑星解放戦線による戦隊乗っ取りテロは、途上惑星住民の総意に拠るものではないのですから。徒に、反途上惑星感情を煽るのは、よくないやり方です」

 アーリからの返事はなかった。


          ●


「本当に巧くいったなあ」

「ああ、全くだ。それにしても、途上惑星を抑圧するための人類宇宙軍に、途上惑星出身のおれ達を大勢雇うなんて、連盟は大間抜けだな。反乱を起こされるなんて思ってもみなかったんだろうか」

「ふん。自分達がどれだけわれわれを苦しめてきたか、分かっちゃいなかったのさ」

 好戦的な会話で盛り上がる戦艦リリーの食堂の片隅で、ジョヴァンニ達は、この艦に乗り込んで初めての食事を取っていた。彼らは、戦勝気分の輩とは一線を画すようにテーブルを確保し、特に年少者達は、バイキング方式の豊かなメニューに夢中だった。

「スープ、旨いか?」

 ティエンの問いに、ジャマルは確信を持って答えた。

「ああ、一番右のが一番旨い」

 育ち盛りの十二歳は、並んだメニューを粗方攻略してしまったようだ。

「お代わり、取って来る」

 ダイチが席を立とうとするのを制し、スレシュが席を立つ。

「ついでに入れてきてあげますよ。バニラアイスでしょう?」

「うん!」

 十歳の少年は幸せそうに頷いた。アイスクリームをお腹一杯食べられるなど、彼には初めての体験なのだろう。

 ジョヴァンニは半ば呆れて年下の二人を見ながら、それでも妙に反省してしまうのだった。彼は、父親のお陰で、空腹に悩んだことなど、ただの一度もない――。

「ハサンは?」

 ジョヴァンニは、自分達をこの状況に連れ込んだ張本人を目で捜した。が、寡黙な少年の姿は見当たらない。

「あいつなら仕事だろう」

 スープを注いで戻ってきたティエンが、極低い声で答えた。ハサンのことは、あまり口にするなということらしい。

(あいつ、無茶しなきゃいいが)

 ジョヴァンニは、ふと不安を覚えてフォークを置き、空になった皿を見つめる。――戦争では、人が死ぬのだ。そんな当たり前のことが、俄かに身近に感じられて、背筋が寒かった。



 その頃、リリーの第一作戦室では、戦線幹部達による作戦会議が行われていた。

(イアマール)基地及び、人工衛星群の通信施設破壊に成功しました。しかし、地表はやはり、われわれに賛同してはくれないようです」

 「イオタ」の報告に、幹部達は一様に暗い表情をした。惑星バー・レーンで最も広い国土を有するスレイマーン王国内には、戦線を指示する動きもあり、王権の中枢近くに、「シグマ」、「タウ」という二人の協力者も得ている。けれど、やはり王国全体として表立って、連盟に反駁する訳にはいかないのだろう。ムスタファは重々しく頷き、一同を見回した。

「だが、これでバー・レーンの宇宙はわれわれの手に落ちたも同然だ。妨害電磁波を発し続けろ。連盟にわれわれの正確な位置を知られてはならん」

 幹部達が頷くのを見て、ムスタファはマイクを取り、艦内放送及び、通信ケーブルによって各味方艦に送信するスイッチをオンにした。

〈同志諸君〉

 ムスタファの断固とした声が、途上惑星解放戦線艦隊の各艦内に響く。

〈わたしは諸君らのリーダーであり司令官であるムスタファ・シャーである。われわれは現時点において、イアマール基地及び、バー・レーンの人工衛星群の通信施設破壊に成功した。これで、惑星バー・レーン周辺宙域は、われわれが掌握したことになる。だが連盟は強大だ。われわれは戦闘員、艦の絶対数において、圧倒的に不利である。従って、連盟がわれわれに向かって集結し、包囲網を完成させる前に、その喉元を突く戦法を採る。われわれの目的は、あくまでも、連盟の現体制を崩壊させ、人類に新たな進化を促すことにある。苦しい戦いになるだろう。だが、頼む、同志諸君よ。殺し合いのない未来、弾圧のない未来、人類宇宙の恒久平和のために、わたしを信じてついてきてほしい!〉

 演説が終った瞬間、各艦内は歓声に沸いた。そんな中、ジョヴァンニは一人、渋い顔をする。

(おれは「同志」じゃねえんだけどな……。これじゃ、いつの間にか運命共同体だ……)

 流されることに不本意な者も巻き込む、時代の潮流が見えるようだった。


          ●


「では、ジョヴァンニ様は、エデン宙域で消息を断たれたのち、バー・レーン宙域へいらした形跡がある、と?」

 ミシェルは、PCアニェスの報告に、眉をひそめた。

〈はい、収集した情報を分析する限り、そのように考えられます〉

 擬似人格プログラム内蔵のアニェスは、やや沈痛な人工音声を作って説明する。

〈ジョヴァンニ・アレアルディ男爵はエデン宇宙港にてホテルに滞在され、宇宙定期船内爆破事件の重要参考人としての役目を果たされたのち、バー・レーン宙域行きの宇宙定期船に乗られたようです。エデン宇宙港の監視カメラの映像、宇宙定期船利用者記録、公開されている日記文や映像などインターネットを通じて収集できた情報から、そのように判明致しました〉

「では、その後は? ジョヴァンニ様は、今どうなさっているの?」

〈残念ながら、不明です〉

 アニェスは、申し訳なさそうな人口音声で答える。

〈全力で情報を収集中ですが、今のところ、男爵の乗船された宇宙定期船がバー・レーン宇宙港に到着したという記録しか収集できておりません。基準時間にてその五時間後に、「戦隊乗っ取りテロ」の第一報がバー・レーン駐在艦隊より発信されているため、情報が混乱している模様です。また、途上惑星解放戦線が惑星バー・レーン周辺の通信施設を破壊した影響により、バー・レーン宙域との交信は非常に困難となっています〉

「そう。でも、引き続きジョヴァンニ様の所在に関する情報を収集しなさい」

 ミシェルは暗い表情で指示した。

〈畏まりました〉

 アニェスの返事は、やはり機械的な感じを拭えない。ミシェルは腰掛けていた椅子から立ち上がって、窓辺に歩み寄った。学園はとうとう休校し、彼女も明日には寄宿舎を出て、自宅へ帰ることにしている。窓を開けて外を見ると、寄宿舎の広い庭は、月光に薄明るく浮かび上がっていた。夜空を見上げれば、惑星メインランドの一つきりの月、ティアドロップが、半分近く欠けた姿ながら、皓々と光っている。

「遠いわね……」

 ミシェルは夜気を肺に吸い込みながら、そっと呟いた。この夜空――宇宙の彼方、宇宙門を抜けて更にその先に、バー・レーン宙域はある。普段はさほど意識しないその遠さも、交信が難しくなった途端に、ひしひしと感じられるのだった――。


          ●


  われらはこれを定め(カドル)の夜に下した。

  定めの夜とはそも何ぞやと何で知る。

  定めの夜こそ千の月にも優るもの。

  この夜、諸々の天使、並びに聖霊、主のお許しを得て、

  全ての神勅を携え静々と降臨し給う。

  ああ何たる平安ぞ、黎明の光立ち昇るその時まで。


 子守歌のようなものだった。ハサンは、単座式宇宙哨戒艇のコクピットで、宇宙に散在する星々を眺めながら、低い声で聖典を暗唱していた。自動操縦なので、目的ポイントに着くまで何もすることがない。少年は、ただ一人の空間で、耳に残る聖典を暗唱し続ける。それは、母の子守歌に等しく、彼の心を落ち着かせるものだった。



「軍艦の居住ブロックは、艦の中心部の、遠心力式擬似重力区画の中にあるから、普通に歩ける。だが、それ以外の区画は、全て無重力状態という訳だ」

 食堂から出ながら、ティエンは皆に説明する。

「そこにある昇降機(エレベーター)を使えば、擬似重力区画の中心の通路に出る。そこが、他の区画と繋がる通路だ」

「へえ……!」

「行ってみようぜ」

 ダイチとジャマルがさっさと走り出し、一行はエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターが「上がる」につれ、体が軽く感じられていく。到着した中心部の通路は、完全な無重力状態であった。

「うわ……」

 ふわふわと漂うダイチの体をティエンが支えた時、ジャマルの情けない声が響いた。

「止まらないいいいい!」

「ジャマル!」

 スレシュがトンッとエレベーター脇の壁を蹴って追いつこうとしたが、ジャマルの方向とは微妙にずれた方向へ飛んでしまった。

「おい、やばいぞ」

 ジョヴァンニはエレベーター脇の取っ手に掴まったまま言った。授業で無重力生活実習をしたことはあるが、実際そう巧くは飛べないのだ。

「ど、どうしたらいいんだよ?」

 かなりの速度で飛んでいくジャマルが焦った声を出す。ティエンは、抱えていたダイチをスレシュへ渡し、ジャマル目掛けて正確に壁を蹴った。

 ヒュ。

 風を切って、ティエンはあっという間にジャマルに追いつき、追い越しざま彼の腕を掴む。次に、掴んだ部分を中心に生じた遠心力を利用して体を反転させ、壁に足裏をぴたりと付けた。途端に磁力靴が作動し、ティエンの体は壁に固定される。ティエンは残るもう一方の手も使ってジャマルを壁に引き寄せ、彼の足も壁に付けさせて、浮遊状態から抜け出させた。

「あ、ありがとう」

 ジャマルが照れ笑いしながら礼を述べた時、パチパチと拍手が響いた。ジョヴァンニ達がそちらを見ると、通路の向こうから、ゆっくりと一人の男が漂ってくる。

「見事だな。さすがはわたしの教え子だ」

 にこやかに言った三十半ばの男に、ティエンが強張った顔をする。

「……ムスタファ……」

 八歳の時売られてより、実に八年ぶりの再会であった。


   二 覚悟の上に


「丁度おまえを捜していたところだ。作戦室へ来てくれ」

 当然のことのようにティエンを誘おうとするムスタファと、当のティエンを見つめて、スレシュが懸念する顔をする。ティエンは、大丈夫だと頷いて見せてから、壁を歩いてムスタファのほうへ行った。

「こっちだ」

 ムスタファはにこやかに言って、通路を元来たほうへ飛び始めた。

「おれがここにいることを知っていたんですか」

 後からついて飛びながら、ティエンは鋭い目をして尋ねた。

「ああ」

 ムスタファはあっさりと肯定する。

「あの暗殺屋、『剣』の連れだろう? 他に質問は?」

 かつての師は、ハサンから全て聞いているというふうに、どこか愉快そうに振り向いた。

「何故おれを作戦室へ連れて行くんです? おれはもう、あなたとは何の関係もないはずですし、あなたの依頼を受けた覚えもありませんが?」

「だが、おまえだって、今一緒にいる彼らを、見す見す死なせたくはないだろう? となれば、われわれは運命共同体、仲間だ」

 断言されて、ティエンは押し黙った。そこへ、畳み掛けるようにムスタファは話す。

「恨むなら、『剣』を恨むのだな。奴は、おまえが『テータ』のことを口にしたところから、おまえがおれ達と繋がっていると推測して、わざわざおれに、おまえも利用すべきだと進言してきたのだ。やるべきことのためになりふり構わない人間は強いな」

「――おれは、まんまと彼の罠にはまったという訳ですか……」

 ティエンは顔をしかめた。迂闊だった。暗殺屋の世界では、ギリシア・アルファベットの暗号名は有名なのだ。そのテータを知っているとハサンの前で言ってしまった時点で、自らの素性の一部を明かしてしまっていたのである――。

 リリーの第一作戦室では、赤い格子模様の布を頭に巻き、白い丈長の服を着た少年が、一人佇んで二人を待っていた。

「久し振りだね、クシー」

 右手を差し出して、浅黒い肌の少年は微笑む。

「……イオタ?」

 ティエンは記憶を確かめるように問うた。テータとは、約三年間一緒にいたのでよく覚えているが、「イオタ」とは、ムスタファに拾われてからエデン内戦が終結して暫くのちまでの、一年ほどしか一緒にいなかったので、記憶が朧なのだ。

「覚えてなくても無理ないよ。あの頃は、お互い、五、六歳だったし、一年くらいの付き合いだったしね」

 穏やかに答えた少年をまじまじと見て、漸く、ティエンの中で繋がるものがあった。

「そうだな。おまえはいつの間にかいなくなっていた」

「きみ達はムスタファと開拓途上惑星サン・マルティンへ調査がてら同志を募りに行き、ぼくはゼータ、エータと、ここバー・レーンへ組織の拠点造りに来たからだよ」

「随分と戦線の事情に詳しいんだな」

「ぼくはきみ達と違って体が弱くてね、工作員にはなれない。代わりに、戦線の中枢での仕事をすることにしたんだ。今は、最年少幹部だよ。で、握手はして貰えないのかな?」

 ずっと差し出されたままの「イオタ」の右手を一瞥して、ティエンは首を横に振った。

「おれは、おまえと握手できるような手は持っていない。人殺しからは足を洗ったんだ」

「そう。じゃあ、仕方ないね。でも」

 あっさりと手を引っ込め、「イオタ」は真顔でティエンを見据える。

「作戦には参加してくれるよね? 守るために」

「人殺しはしない。おれがするのは、防戦だけだ」

「それでいいよ」

 「イオタ」は答えてムスタファと目配せし、左手に持っていたリモコンを操作した。途端に、部屋の照明が消え、同時に、付近の立体宙域図が部屋を満たすように浮かび上がる。

「じゃあ、われわれの方針を説明する。まず、ここが今、ぼく達のいるところ、これがこの艦、リリーの印だ」

 指し示された、胸の辺りの高さで光る三角形の印を、ティエンはじっと見た。場所は、惑星バー・レーンの月、イアマールの裏側から少し離れた辺りだ。

「リリー以下、われわれの乗っ取った艦は、艦隊を組んで、このポイント・イアマールE127‐S15‐88を通過、ポイント・サハラE068‐0‐100へ進路を取って航行中」

 惑星荒れた土地(サハラ)は、惑星バー・レーンのすぐ内側を周回する、月を持たない無人星である。しかし、その静止衛星軌道上には、人類宇宙軍の監視衛星、攻撃衛星があり、戦隊も常時駐在している。何故なら、ポイント・サハラ000‐0‐100には、バー・レーン宙域の玄関口、バー・レーン宇宙門が設置されているのである――。

「宇宙門へ行くのか」

 ティエンは、敢えて確認した。ハサンから、惑星メインランドへ行くことは聞いているので、それは分かり切ったことだったが、宇宙門は、人類宇宙を支配する人類宇宙連盟の言わば生命線である。ゆえに、人類宇宙軍はその威信にかけて、宇宙門を防衛しているのだ。突破は容易ではない。

「きみの懸念は分かる。だが」

 「イオタ」は淡々と言い、宙域図のポイント・サハラ000‐0‐100を見つめた。

「その件に関しては、きみの友人が頑張ってくれる手筈になってる。駐在戦隊の中にもわれわれの同志がいるし、いざという時にはこの艦隊の戦力も使える。バー・レーン宇宙門突破は難しくない。問題は、その先だ」

「メインランド宙域、惑星メインランド、フロリダ共和国、か」

 ティエンは、また敢えて確認した。宇宙門は調整次第で、どの宙域に設置された宇宙門とも繋ぐことができるが、ハサンの言葉からも、ムスタファ達が目指す先はそこしかないと分かっている。ムスタファ達の狙いは、ただ、人類宇宙連盟という組織の中枢の破壊なのだ。

「そう。さすがに、きみは分かってるね。われわれの目的は、ただ一つ。人類宇宙連盟は絶対じゃないということを人類宇宙中に知らしめること」

「クシー」

 不意に、ムスタファがティエンの暗号名を呼んだ。三十を過ぎた男は、ドア付近の壁に凭れた姿勢のまま、じっとティエンを見つめる。

「おまえを売ったおれを、恨んでいるか?」

 ティエンは、かつての師をじっと見つめ返した。彼に拾われて死を免れ、殺すことを覚え、そして殺した。それは、未だ清算できていない過去。けれど――。

「――本当に恨んでいたら、あなたに教わった方法であなたを殺している」

 硬い声で答えたその言葉に、ムスタファは表情を和らげ、優しい口調で宣言した。

「おれも『剣』と同じだ。己の大義のために、これからもおまえを利用し続ける。それが嫌なら、早めにそうすることだな」

「――了解です」

 冷ややかに答えて、ティエンはドアへ向かった。だが、内心、自分がムスタファを殺すことはないだろうと確信もしていた。

(生きてさえいれば、過去の痛みを和らげることができる)

 それは、彼が自由になってから、自力で学んだこと。

(これは、あなたにも言えることです、ムスタファ――)

 作戦室を出た「クシー」の背後で、自動ドアが閉じるのを待って、「イオタ」――ハーミドがムスタファを直視する。

「そんなことは、ぼくが許しません」

 少年の真摯な言葉に、ムスタファはただ苦笑を返し、胸中で呟いた。

(わたしは、わたしの大義のために誰であっても利用する、罪深い人間だ。その罪を免れようとは思わんよ、ハーミド)


          ●


「……戦隊乗っ取りテロに参加したのは、非独立宙域出身者の内の、極一部の人々です。非独立宙域に対し、貿易や物資提供の停止等の制裁措置を行うことは、決してありません」

 イエフアは記者達に向かって、きっぱりと断言した。今回のテロに参加した元人類宇宙軍兵士達の大半は途上惑星出身である。途上惑星は、独立宙域にも非独立宙域にもあるが、独立宙域の総意である人類宇宙連盟に、非独立宙域への制裁が求められるのは、仕方のない動きかもしれない。けれど、そんなことをしては、途上惑星解放戦線への協力者を増やす結果にもなりかねないのだ。

「テロリスト艦隊に対しては、今後どのように対応しますか?」

「彼らは、話し合いを拒否しました。こうなってしまったことを遺憾には思いますが、せめて、これ以上の被害は出さずに一刻も早く平和を回復できるよう、それ相応の対応をしていきたいと考えています」

「それは、戦闘も辞さないということですか?」

「――そういうことです」

 イエフアは、厳しい表情で肯定する。

「既に、人類宇宙軍に『途上惑星解放戦線艦隊』の鎮圧に当たるよう、指令しました。しかし、途上惑星、先進惑星、どちらにおいても、地表での生活に御迷惑をかけることは、まずありません。人類宇宙軍が、各有人星のポイント100以内で途上惑星解放戦線艦隊と交戦すること及び、その圏外であっても有人星方向に対してミサイル等を発射することは禁じております。人類宇宙軍は、有人星から離れた宙域で途上惑星解放戦線艦隊を鎮圧致します」

「では、地表にいる限り、安全ということですか?」

「はい。けれど、航宙の安全は保障しかねますので、一般市民の皆様は、でき得る限り、宇宙には出ないで頂きたいと存じます」



 記者会見が終わった後、イエフアは、待っていたアーリ・パシャとともに、人類宇宙連盟総本部ビルの中の、喫茶室へ行った。

「御苦労様です」

 向かいの席で、アーリが微笑む。

「何が言いたいのですか」

 察しのいいイエフアは、珈琲カップから口を離して問うた。

「では、お尋ねします」

 青年は、真面目な顔になって言う。

「本当に、地表への被害は出ないと思いますか?」

「分かりません」

 イエフアは正直に答えた。が、その黒い双眸は揺らがない。

「けれど、最大限の努力をします。そして、それでも被害が出た場合には、連盟の財政の全てを傾けて、惜しみなく損害賠償に努めましょう。それで全てが償えるとは思いませんが」

「覚悟の上、という訳ですか」

「覚悟もなく、どうして戦争が始められるのです。あなたは、まだ覚悟をなさっていなかったと仰るのですか?」

「……いいえ」

 アーリは低い声で否定して、自らの珈琲カップに視線を落とす。

(ぼくは、むしろ、誰よりも大きな覚悟をしているつもりです)

 友が命を懸けている。自分も、この連盟の中枢にあって、無事には済まないだろう。否、無事でいようなどとは毛頭思っていない。人類の新たな進化のためなら、命など安いものだ。

 ――心の内で燃える、青白い炎。ムスタファとの誓いで灯された炎が、静かにその温度を上げるのを、アーリは自覚した。


   三 ニコルの困惑


(とりあえず、地表は安全、か……)

 ニコルは、自作の擬似人格プログラム内蔵PCドゥニで最新ニュースを確認して、安堵の溜め息をついた。人類宇宙連盟は基準時間で百年以上も前からある強大な組織だ。人類宇宙のただ一箇所で起こった反乱など、すぐに鎮圧してしまうだろう。となれば、彼の関心はルチアーノ・イーチュン・アレアルディのことに戻る。

「ドゥニ、ルチアーノさんの調査結果出して」

 命じて、ニコルは画面に現れた資料に素早く目を走らせていく。

 ルチアーノの生母、シアンムーは、元々アレアルディ家の家政婦だった。

(基準暦五三五年、当時、エデン内戦の元ともなるエデンの地下資源争いから早々に手を引き、安く速くいいものを、と物流分野に的を絞った会社経営を展開して利益を上げたアレアルディ兄弟に雇われ、基準時間で一年後に兄のほうと結婚。恋愛結婚と噂される。基準暦五三七年、長男ルチアーノ・イーチュン誕生……)

 生まれた時の記録は、やはり正確だ。だが。

(ここだ。ルチアーノ・イーチュン・アレアルディ、九歳の時に半年の入院)

 ニコルは、そこで目を留める。どこを調べても、新しい情報は掴めない。どこを調べても、ルチアーノ・イーチュン・アレアルディが「入れ替わった」という証拠は見つからない。

(やっぱり、ぼくの考え過ぎだったんだろうか……)

 顔予想プログラムの精度が、ルチアーノの場合だけ悪かったのは、何か、別の要因があるからかもしれない。

(でも、他の誰の顔で試しても、それなりの精度で予想できたのに……)

 その事実が、どうにも引っかかる。暫く考えたのち、ニコルは椅子から立ち上がった。

(本人に直接訊いてみよう。何か分かるかもしれない)

 八歳の少年は、コンパクトに作ったPCドゥニを折り畳んで抱えると、自室を出て、分厚い絨毯の敷かれた寄宿舎の廊下を、ルチアーノの部屋へと足早に歩いて行った。



「へえ、顔予想プログラムか。きみは面白いものを作るね。結構実用的だし、売れるんじゃないかな」

 ルチアーノの感想に、ニコルは些か戸惑いながらも、再度、話の核心の部分を繰り返した。

「あなたの顔予想だけ的中率が低い、というのは、何故なんだろうと思うんですけれど」

「予想しにくい顔、なんじゃないかな」

 ルチアーノはあっさりと答える。

「ほら、遺伝情報の発現の仕方によっては、小さい頃、髪の毛に癖なんかなかったのに、大きくなったら癖が出てきた、なんていう例もあるし。ぼくの顔も、そういう類なんじゃないかな。確かに、自分でも、小さい頃からは大分印象の違う顔になったと思うしね」

「成るほど、そうですね……」

 ニコルはとりあえず納得の返事をした。――そうするしかなかった。あまり食い下がっては、不審に思われてしまう。

(もし、本当に入れ替わったのなら、こうやって訊いただけで、充分不審に思われてるだろうけれど)

 少し黙ってしまったニコルに、ルチアーノは緑茶の入ったカップを差し出した。

「口に合うといいけれど」

「ありがとうございます」

 受け取ったカップの緑茶は、丁度いい頃合いに冷ましてあった。

「おいしいです」

「よかった」

 にこりと笑って、ルチアーノは自分も緑茶を口に含んだ。その隙を突くように、ニコルは何となく、部屋の中を見回す。

 寄宿舎のルチアーノの部屋。最低限の装飾しかなされていない、落ち着いた感じの、どちらかと言えば殺風景なこの部屋に入ったのは、初めてである。そして、こうして、ルチアーノと一対一で向き合ったのも。

「何にもない部屋だろう?」

 カップから口を離したルチアーノが、苦笑するように言った。

「でも、落ち着く部屋です」

 ニコルは率直に答えた。

「それは、どうも」

 ルチアーノは多少おどけた様子で微笑む。

 ルチアーノは大概いつも微笑んでいる。だが、その目だけは、笑っていないことが多いのだ。今もそうだった。ルチアーノの微笑みは、その裏に、いつも何か隠している。

(でも……、悪い人じゃない)

 やはり、何かあるとは思う。しかし、どうしても悪人とは思えないのだった。

「ごちそうさまでした」

 ニコルは空にしたカップをテーブルの上へ戻すと、ルチアーノを見上げた。

「お邪魔してすみませんでした。部屋に戻って、予想の精度が上がるよう、もう一度プログラムを見直してみます」

「うん、期待しているよ」

「では、失礼します」

 律儀に言って、ニコルはルチアーノの部屋を出た。

(――ニコル・ヴェルレーヌは、入れ替わりに気付き始めているな)

 ルチアーノは「テータ」の表情に戻って、閉まったドアから窓へと視線を転じる。早晩には月が照っていたが、いつの間にか雨が降り始め、外は闇夜だ。窓辺に歩み寄り、カーテンを開けると、鏡のようになった窓ガラスに、彼女の素顔が映った。〈偽装〉を使っていても、自分だけは欺けない。彼女が見るのは、常に自分の素顔である。

(少々、素顔に近付け過ぎたか)

 〈偽装〉で本物のルチアーノの顔を装うにしても、成長していくルチアーノの顔などは、それこそ顔予想プログラムでも使わない限り、彼女にも誰にも分からない。ゆえに、〈偽装〉に使う力を少しでも節約するため、見せかけの顔を段々と自分の素顔に近付けてきたのだが、ここに至って、ニコルに疑いを持たれてしまった。

(さて、どうするか。これからも、できれば末永くお付き合い願いたい相手だからな)

 「テータ」は冷静に考える。彼女は、決して八歳という年齢を甘く見ない。彼女自身が八歳の時には、封鎖下のサン・マルティンでサバイバルを始めていたのだ。

 記憶の原点の時から暗い体験を積み重ねてきた少女は、夜の雨を見つめて、思案を続けた。


          ●


 艦内を探検し、はしゃぎ回って疲れたのか、ジャマルとダイチは、安らかな寝息を立てて眠っている。二人の寝顔を見ながら、スレシュは低い声でジョヴァンニに言った。

「あなたがアレアルディ男爵だということは彼らには知らせていませんし、恐らく、この艦に乗っている誰にも知られないほうがいいでしょう。惑星メインランドはガリラヤ王国の貴族と言えば、発想として、即、連盟に繋がる忌まわしいものでしょうからね」

「そうだな」

 ジョヴァンニも低い声で相槌を打った。その傍らの床の上では、ティエンが服の上から腕や足を押さえたり、足を曲げ伸ばししたり、手を握ったり開いたり、白兵戦にでも備えているようである。いつ戦闘が始まるか分からないという緊張感は、徐々に現実味を帯びて、彼らの間に浸透しつつあった。

「おれ達が最初に戦う相手は、バー・レーン宇宙門を警備する駐在戦隊だ」

 ティエンが唐突に、やはり低く抑えた声で言った。

「宇宙門へ向かってるのか?」

 驚いて聞き返したジョヴァンニに、ティエンは冷ややかな目を向ける。

「一個戦隊同士の戦闘になる。覚悟はしておいたほうがいいだろう」

「『覚悟』って……!」

 思わず大声を出しそうになったジョヴァンニは、スレシュに睨まれて声を落とした。

「……おれは、まだ死ぬ気なんてないぜ。勘弁してくれよ、ったく、ハサンの奴――」

「あいつが思い直してくれたお陰で一度は生き延びた口だろう。今度は仕方なかったと諦めろ」

 ティエンはいつになく突き放した物言いをすると、立ち上がり、ドアへ向かう。

「少なくともあいつには、金蔓のおまえを殺させる気はないがな」

 去り際に、妙にジョヴァンニを黙らせる言葉を残して、ティエンはどこへ行くのか、部屋を出て行った。


   四 ハサンの戦場


 ――殺意が来る。

(戦意じゃなく、純粋な殺意っていうのは、久し振りに感じたな)

 人類宇宙軍精神感応科諜報部隊所属上等兵曹ユン・セスは、奇妙な感慨を覚えつつ、座席(シート)から操作卓へ手を伸ばして、戦隊司令部との通信回線を開いた。バー・レーン宇宙門駐在戦隊に緊急通信回線の担い手として、また諜報活動要員として派遣されている身としては、感じ得た情報を司令部へ伝える責務がある。

「こちら管制塔通信室、精神感応科諜報部隊所属ユン上等兵曹。司令部、応答願います」

〈こちら司令部。何か?〉

「殺意を持った者が接近中。既にかなり近距離まで来ています」

〈途上惑星解放戦線艦隊ではないのか〉

「分かりません。距離は、戦線艦隊よりも近いようですが」

〈そんな曖昧な情報で軍は動けん。はっきりとした情報が掴めたら報せろ〉

「了解」

 通信を切ると同時に、ユンは溜め息をついた。同じ室内にいる通信科通信部隊兵達が、肩を竦めている。大概いつもこのパターンなのだ。宇宙門から宇宙門へ、宙域から宙域へと、テレパシー能力を使って速報する緊急通信回線の担い手としては重用されていても、諜報活動要員としては、全く重用されていない。テレパシー能力によって得られる情報は、言葉に変換した途端、ひどく曖昧なものになってしまうからである。

(ぼくが感じてるこの殺意を、そのままテレパシーで司令部の士官達に伝えられたら、迫ってる危険のほどが認識できるんだろうに)

 しかし、精神感応科以外の士官や兵に対して、直接、能力を用いることは、軍規によって禁じられている。彼らテレパスは、彼らを重用している人類宇宙軍内部においてさえ、今だに恐れられている存在なのだ。

(でも、殺意は確実に近付いて来る。あのサン・マルティン封鎖を生き延びたぼくが感心するほどの殺意だ。ただ者じゃない。これは、面倒なことになりそうだね……)

 通信部隊兵のエメラルドグリーンの軍服が大勢を占める室内で唯一、シルバーグレーの軍服を着た十五歳の少年は、冷ややかな目で、バー・レーン宇宙門管制塔の内外を映す並んだスクリーンを見つめた。



 宇宙門は、よく水面や鏡に例えられる。通常空間を越えて宙域と宙域とを繋ぐ装置は、巨大な円形をしており、その円の内は、暗く波のない湖面のように、平面的に、鈍く光を反射しつつ、たゆたっているのだ。

〈目的ポイントに到着〉

 人工音声が告げるのを待って、ハサンは単座式宇宙哨戒艇の速度を落とし、眼前に迫る宇宙門を見据えた。時を置かずに、そのたゆたう暗い平面を背景として、一隻の複座式宇宙哨戒艇が現れ、接近してくる。――作戦開始である。

〈停船せよ、さもなくば攻撃する〉

 聞き慣れた通信を受けて、ハサンは大人しく停船すると同時に、焦った声で往信した。

「『テロリスト艦隊』から逃げてきたんだ、助けてくれ! それと、重大な情報を持ってきた! 司令部に取り次いでくれ! バー・レーン宇宙門駐在戦隊の中にも、途上惑星解放戦線に荷担する『反乱分子』がいるんだ!」

〈確かな情報か?〉

「ああ! この耳で聞いたんだ!」

〈おまえの名は?〉

「ハサン・アブドゥル・マリク・ビン・フサイン。ただの宇宙清掃業者だ。テロには、巻き込まれただけなんだ!」

〈分かった。とりあえず、こちらの指示に従って動いて貰う。いいな?〉

「ああ」

〈ではまず、われわれの母艦まで誘導する。こちらの指示通りに飛べ。われわれは後ろからついて行く〉

「分かった」

 答えて、ハサンは再びエンジンを始動させる。作戦の第一段階はクリアされた。後は、今だ軍に潜伏中の途上惑星解放戦線構成員達の協力を得て、出来得る限り戦隊司令部へ近付くのみである。戦隊の中枢にいる将官達を殺し、指揮系統を混乱させること。それが請け負った仕事だった。

(ファーティマ、見ていてくれ)

 ハサンは、心の中で呟いた。



 戦隊司令部と各艦艇との通信は、管制塔通信室を介さずに直接行われる。ゆえに、ユン・セスが、ハサンを収容した巡宙艦ワルダと司令部との通信を聞くことはなかったが、その直後に司令部から発せられた指令を受けた瞬間、彼は、そこで言われている者こそが、感じている殺意の元であると直感した。

〈こちら司令部。管制塔通信室、ユン上等兵曹、応答せよ〉

「は、こちら管制塔通信室、ユン上等兵曹」

〈緊急通信回線で軍総本部宛てに以下の文面を送信せよ。「わが戦隊内部に反乱分子ありと報せる者あり。現在、巡宙艦内に収容し、取り調べ中。名はハサン・アブドゥル・マリク・ビン・フサインと自称」と〉

「了解、総本部へ送信します」

 音声に続いて送信されてきた文面に目を通してユンは答え、次いで目を閉じて、最大限に集中する。惑星メインランドにある軍総本部へ通信する場合、ユンの役割は、このバー・レーン宇宙門の管制塔通信室から、メインランド宇宙門の管制塔通信室の精神感応科諜報部隊兵へと情報を伝達することであり、そこから先は、その諜報部隊兵が担ってくれる。しかし、宇宙門を挟んだ情報の伝達は、それだけで大変なことなのだ。宇宙門同士は全て繋がっており、感覚的にはどれも裏表の構造になっている。宇宙船で行く場合には、行き先をメインランド宙域と設定してバー・レーン宇宙門に入れば、メインランド宇宙門から出ることになる訳だが、電磁波を通すことはできず、宇宙門を挟んだ一般の通信はできない。このため、緊急を要する時には、精神感応科兵のテレパシー能力に頼った通信でまず一報することが義務付けられているのだが、その場合も、宇宙門の向こうに目的の宙域を探り当て、正確な情報を送るのは容易なことではないのだった。

【〈緊急通信〉。〈送信〉先、人類宇宙軍総本部。〈送信〉元、バー・レーン宇宙門駐在戦隊司令部。文面、「わが戦隊内部に反乱分子ありと報せる者あり。現在、巡宙艦内に収容し、取り調べ中。名はハサン・アブドゥル・マリク・ビン・フサインと自称」以上。〈送信〉者、バー・レーン宇宙門管制塔通信室、ユン・セス上等兵曹】

 ――暫く間があった。だが、やがて、〈中継〉者の意識が、ユンの感覚に触れる。

【〈緊急通信〉を〈受信〉。〈中継〉する。〈送信〉先、人類宇宙軍総本部。〈送信〉元、バー・レーン宇宙門駐在戦隊司令部。文面、「わが戦隊内部に反乱分子ありと報せる者あり。現在、巡宙艦内に収容し、取り調べ中。名はハサン・アブドゥル・マリク・ビン・フサインと自称」以上。〈送信〉者、バー・レーン宇宙門管制塔通信室、ユン・セス上等兵曹。〈中継〉者、メインランド宇宙門管制塔通信室、イリヤ・レオンチェフ一等兵曹】

(相変わらず、ふわふわした感じの奴だな)

 緊張感というものを殆ど感じさせない後輩の顔を思い浮かべながら、ユンは意識を自分の体へ引き戻した。

 殺意を持つ者の名は、ハサン・アブドゥル・マリク・ビン・フサイン。確信がある。

(これは、「はっきりとした情報」だな)

 ユンは表情を消した顔で、情報を報せるべく、重ねて司令部との通信回線を開いた。



「『反乱分子』は、この艦の中にもいるはずだ」

 ハサンの言葉に、巡宙艦ワルダの士官二人は驚いた顔をした。

「何しろ、この戦隊の、どの艦にも一人二人はいると聞いたからな。それだけじゃない。戦隊司令部のナセルって大尉も、途上惑星解放戦線に味方していると聞いたんだ!」

「それは確かなのか?」

 問うた士官も、もう一人の士官も、冷静を装ってはいるが、個人名が出たことで更に動揺しているのが見て取れた。この尋問をカメラで見ている艦長達も同じだろう。もう一押しだ。

「確かだ! ダウッド・ホスニー・ナセルって名は、『テロリスト艦隊』の連中が何度も口にしていた。ダウッドが情報をくれるから作戦が立て易い、ダウッドが勧誘してくれるから人類宇宙軍の中に同志が増えていい、ってな!」

 実のところ、ナセル大尉は途上惑星解放戦線に加担してなどいない。が、この戦隊の中に潜伏している戦線の構成員達から、何度も賄賂を受け取っているという事実があるのだ。後ろ暗いところのある人間は、こういう時に弱い。ナセルへの疑いは、かなりの真実味を帯びるはずだ――。

「他にテロリストに通じている者で、名前なり何なりを知っている者はいるか?」

「名は知らないが、顔を見れば分かる奴がいる。テロリストの一人に、幼馴染みで同志だと、写真を見せられたことがあるんだ。そいつもここの戦隊の司令部にいるらしい」

 士官は二人とも暫し黙った。耳につけた通信機からの声を聞いている。艦長達の指示だろう。少しばかり、司令部への意欲を表し過ぎたかもしれない。ハサンの緊張が高まった時、先ほどから質問をしているほうが、また口を開いた。

「――本当だろうな?」

「写真を見せられて、そう聞いたことがあるのは本当だ。本当にそいつがここの司令部にいるかどうかは知らない。とにかく、この艦の中にだってテロリストを支援している『反乱分子』はいるんだ。おれの身の安全を保障してくれ! 艦長さん、聞こえているんだろう?」

 また暫しの沈黙。そして士官二人は頷いた。通信機越しに、艦長が決断を下したらしい。

「いいだろう。但し、まずは司令部の反乱分子の確認のため、おまえを司令部へ連れて行く」

 話担当の士官が言い、ハサンは、尋問室に一人残された。当然、外から施錠されており、監視カメラも動いたままだが、作戦の進捗具合は良好である。好都合なことに、巡宙艦ワルダの連中は、身体検査を済ませた少年に、大した脅威を感じていないようだった――。


   五 潜入した者


[これから、おまえ達の仲間の遺体を返す]

 巡宙艦ナルゲスは、周辺宙域の巡察を終えてバー・レーン宇宙門基地へ帰還途中、そんな通信文を受け取った。軍の通信回線を使って送られてきた謎の通信に、艦長は第一種警戒態勢を発令したが、やがて彼らの前に現れたのは、武装の一つも見当たらない貨物宇宙船だった。おまけに慣性航行をしていて、こちらから何度通信を送っても、何の返信もない。

「銛を打ち込んで動きを止め、調査ロボットを送り込め」

 艦長マイヤーは厳かに命じた。

 調査ロボットから送られたデータは、艦橋の面々を暫し凍り付かせた。貨物宇宙船の中には、爆発物も、生命反応もなかった。あったのは、貨物庫の中に整然と並べて置かれた数多の真空用棺。中に収まっていたのは、皆、人類宇宙軍の軍服を着た者達だった。

「……スティーヴン――」

 画像データを食い入るように見つめていた一人がうめくように言った。次々と映る棺の中の顔の一つに、見覚えがあったのだ。

「あれは、途上惑星解放戦線に乗っ取られた二四八二〇八B戦隊の旗艦、リリーに乗っていた通信科通信部隊所属、スティーヴン・マシューズ兵長です――」

 間違いなかった。そこに映っているのは、テロリストとの戦いで犠牲となった人類宇宙軍兵士達だった。

「このまま牽引して帰還する。警戒は怠るな」

 艦長の断に、操舵手達は険しい面持ちで従った。



 ハサンが作戦の失敗に気付いたのは、バー・レーン宇宙門基地へ入った直後だった。巡宙艦ワルダから乗降口(ハッチ)と接続通路を通り抜け、基地内に引き入れられたところで、兵に取り囲まれ、その中に混じっていた潜伏中の戦線構成員ヌーフが、厳しい表情で微かに首を横に振ったのである。すんなりと司令部へは近付けそうにない。

(まずいな)

 ハサンは焦燥感を覚えた。「テロリスト艦隊」の情報を持っている自分があっさり殺されることはないだろうが、この作戦は時間との勝負なのだ。戦線の艦隊がここへ到達する前に、バー・レーン宇宙門駐在戦隊を可能な限り無力化しなければ、金蔓のジョヴァンニが、そしてスレシュ、ジャマル、ダイチの命が、危険に晒される。保険としてティエンを残してきたが、全面的な艦隊戦などになれば、大して役には立たないだろう。今、敵司令部に最も近いここにいる自分が、何とかする以外、道はない。

 ハサンは決意し、ヌーフの隣にいる兵と、そこから少し離れたところにいる兵とを指差して叫んだ。

「そいつとあいつ! テロリストの仲間だ!」

 偽りの言葉は劇的な効果を生み、場が一気に騒然とする。二四八二〇八B戦隊が、数多の兵の造反により途上惑星解放戦線の手に落ちたことは、推測通り、兵達の心に大いなる疑心暗鬼の念を植え付けていたようだった。ハサン一人に集中していた兵達は、今や統率を失って乱れ、指摘された二人と、指摘したハサンとを見比べ、どこへ銃口を向けるべきか迷っている。

 ヌーフは巧く動いてくれた。

「おまえ、そうなのか?」

 疑問形で言いつつ、さっと隣の兵へ銃口を向ける。その行動が、場の混乱を一層ひどくした。つられて何人もの兵が、指摘された二人の兵へ銃口を向けたのだ。

「止めよ! 銃を下ろせ!」

 その場の指揮官らしい尉官の軍服を着た男が声を張り上げたが、統制の回復にはほど遠い状況となっていた。それぞれが武器を所持しているので、一度不信感が芽生えたら最後、互いへの恐怖を払拭するのは容易ではない。

 ――殺し合いは、いつもこうして始まる。

 ほんの僅か眉をひそめつつも、ハサンは、何とか作り出した好機をものにすべく、傍らの兵から銃を奪って走り出した。


          ●


「ティエンの奴、一体どこへ行ったんだ……?」

 苛立った呟きを漏らし、ジョヴァンニは通路を飛んでいく。ティエンが部屋を出て行ってから、かなりの時間が経つ。居住ブロックにはいなかった。部屋を出て行くティエンの様子はおかしかったし、何となく、嫌な感じがする。

「まさか、あの時、ムスタファ・シャーに何か難題押し付けられたんじゃねえだろうな……」

「その『まさか』ですよ。本当に〈勘〉がいいですね。誰かさんの報告通りだ」

 いきなり返事を貰って、ジョヴァンニははっと磁力靴を壁につけて体を止めた。すぐ先の通路の角から、頭に布を巻き、丈の長い服を着るという、アラブの服装をした少年が一人現れた。

「初めまして、ジョヴァンニ・アレアルディ。ぼくはハーミド・アブドゥル・サミーア。途上惑星解放戦線の幹部の一人で、ティエンの古い知り合いです。ティエンは、ムスタファに命じられて、バー・レーン宇宙門突破作戦に参加中ですよ」

「『バー・レーン宇宙門突破作戦』……」

 ジョヴァンニは目を丸くして、戦線の幹部と名乗った少年を見つめる。

「そう言や、あいつもそんなようなこと言ってた気がするが……、けど、何であいつにそんなことやらせるんだ……! そりゃ、昔、あいつも、ハサンと同じような仕事してたって、ちらっと言ってたが、今はもう、違うんだろう……!」

「『今はもう、違う』?」

 少年幹部はくすりと笑った。

「戦場にあって、人殺しから足を洗ったの洗わないの、そんなことを言ってられると思ってるんですか? ティエンは、優秀な工作員です。それに何より、〈鉱物周波数帯(ミネラル・チャンネル)〉とでも呼ぶべき能力を持ってる。彼は、こういう状況下においては、ハサン以上の人材なんですよ」

 さらりと告げて、アラブの服装をした少年は、冷ややかにジョヴァンニを見据える。

「きみも、自分の命が惜しければ、彼の活躍をこそ、願うんですね」


          ●


 司令部まではもう少しだった。だが、体が、意識が、保たなかった。幾つもの銃創を負い、磁力靴の制御すらできなくなったハサンは、それでも通路を先に進もうともがいたが、司令部の扉へ近付くことはできなかった。


  天と地の秘儀は神の御手にあり、

  一切のもの悉くその御許に還り行く。

  されば、神を崇め奉るがよい。

  全てを挙げてお縋り申すがよい。

  主はおまえ達の所業を見逃しはなさらないであろうぞ。


 慰めるように、頭の中を聖典が回る。

「許して……」

 誰にともなく、ハサンは呟いた。


   六 罪と能力


「〈ミネラル・チャンネル〉って、何のことだ……!」

 険悪な顔で問うたジョヴァンニに、ハーミドと名乗った少年は目を細めて言った。

「きみは、〈勘〉がいい。絡み合う事象の集束する先を的確に知ることができる、ぼくの能力にも似た能力。それは未来を開拓する力であり、過去を内包する力であり、また、人と人とを繋ぐ力でもある。トゥルーマンの飼育場(トゥルーマンズ・ファーム)には、そういう子供達ばかりが集められたんですよ。あそこでぼくは、〈預言者(プロフェット)〉と呼ばれてたそうです。ごく短期間しかいませんでしたけど」

「『トゥルーマンズ・ファーム』? 何かの施設か?」

『原罪の犯された地』――惑星エデンにあった研究所です」

「そこに、おまえやティエンがいたってことか?」

「ティエンはいませんでしたよ。彼の能力の発現は、遅かったので。ぼくもすぐに逃げ出しました。研究材料としての扱いに、我慢なりませんでしたから」

「何で、おれにそんな話をするんだ」

 眉をひそめたジョヴァンニに、ハーミドは一層冷ややかな声で言った。

「罪人がその罪を知らないのは、何にも増して罪だと思うからですよ。きみは連盟に多額の献金をしたフェデリコ・アレアルディの後継ぎであり、誰かさんのターゲットであり、これからあのアレアルディ・カンパニーを率いる身なんですから、この程度のことは、知っておいて欲しいんです」

「さっきから言ってる、その『誰かさん』て、誰だ。おれの命を狙ってるって奴か」

 ジョヴァンニが確かめると、ハーミドは微笑んで頷いた。

「ええ、そうです。われわれの指導者に助けられてエデン内戦を生き延びた、テータのことですよ」

「『テータ』……」

 ジョヴァンニは口の中で呟いた。それは、いつだったかティエンが言っていた、ジョヴァンニの暗殺依頼を出しているという暗殺屋の暗号名である。

「『テータ』って、おまえ達の仲間なのか」

 俄かに青褪めたジョヴァンニに、ハーミドはあっさりと告げた。

「いいえ。彼女は、われわれの同志じゃありません。彼女は、あくまで彼女自身の安住の地を求めてるだけ。その過程で、きみを排除しようとしてるに過ぎません。ですから、きみがぼくを恐れる必要もありません。彼女はわれわれにとって単なる道具であり、彼女の個人的な行動を手助けする義務など、われわれにはありませんから」

 ジョヴァンニは顔をしかめた。妙な感覚が、胸の辺りでざわついている。腹立たしい。同志でないと聞いて安堵しつつも、不快なのだ。

「その『テータ』って、どんな奴なんだ。『テータ』って暗号名なんだろう? 本名は何て言うんだ。何で、おれを狙うんだ」

「彼女の本名は秘されたキーワードです。教えることはできません。彼女がきみを狙う理由は簡単です。彼女が、きみの居場所をこそ、求めてるからですよ」

「おれの居場所……」

「連盟に多額の寄付をし、エデン内戦を利用して地歩を固め、人類宇宙中に及ぶ富と力とを持ちながら、世界の不均衡を放っておくだけでなく、それを金儲けの材料にした男の、息子。汚れたカネで何不自由なく育てられた、ジョヴァンニ・アレアルディ。きみのその居場所をこそ、彼女は求めてるんです。安住の地として」

 ハーミドは、返す言葉を無くしたジョヴァンニを、もう一度くすりと笑うと、踵を返した。

「じゃ、これで失礼させて貰いますね。そろそろぼくの作戦行動開始の時刻ですから」


          ●


「起きろ、ハサン」

 不意に耳元で声が響いた。

「脱出するぞ」

 現実的な言葉に、はっと目を開けたハサンが見たのは、厳しい顔をしたティエンだった。気付けば、自分は、患者服姿で病室の寝台の上に縛り付けられ、輸血をされている。

「何故、ここにいる……?」

 呟いたハサンの腕から輸血針を抜き、体の拘束を解いて、ティエンはハサンを寝台から起き上がらせた。貧血で霞むハサンの目の前に迫ったのは、人類宇宙軍航宙科施設部隊のミルキーホワイトの軍服である。ティエンは、人類宇宙軍兵に成り済まして潜入してきたのだ。

「司令部を、壊滅させなければ」

 掠れる声で言ったハサンを立ち上がらせながら、ティエンは淡々と答えた。

「それは、もう必要ない。ここは、もう充分混乱している」

 どういうことだ、と訝るハサンの腕を掴んで、ティエンはドアへ向かった。宇宙門基地内には擬似重力もなく無重力なので、磁力靴を履いていないハサンは宙を引っ張られていく。ドアへ至ったティエンが傍らの配電盤へ左手を当てると、途端に、バチバチッと火花が散り、閉まっていたドアが開いた。

「何をした……?」

 ハサンは不審も顕に問うたが、ティエンは答えず、何の警戒もせずに通路へ出る。

「おいっ……!」

 待ち伏せ攻撃があるかもしれないと焦ったハサンが見たのは、通路のあちこちで火花を散らしている配電盤、暴走している調査ロボット、放置された磁力靴、不具合を示す赤ランプの点いたレーザー銃、内蔵された通信機から雑音を響かせているヘルメット、その他諸々の壊れた機器類だった。それらが、或いは漂い、或いは静止して、通路に散乱している。兵の姿は、ただの一人も見えなかった。

「何をした」

 再度問うたハサンに、ティエンは硬い口調で言った。

「奴らは一旦引いて対策を練っている。今の内に、出来る限り進む」

 ハサンはもう問わなかった。代わりに、自分を引っ張って動くティエンの負担が少しでも減るよう、最大限気を使った。

 ティエンが、自分と同じか、或いはそれ以上に体力を消耗していることに気付いたのは、後二つ角を曲がれば格納庫というところまで来た時だった。しかし、気付いたからといって、宙を引っ張られているだけの、今のハサンにできることは何もない。とにかく、この宇宙門基地から脱出しなければならないのだ。

「いました!」

 不意に後方で、追っ手の声が上がった。次いで、通路を駆けて来る一群の磁力靴の音が響き渡る。兵達が再び、二人の捕獲に乗り出したのだ。ティエンの不思議な能力に対抗する手段が見つかったか、或いは、見す見す二人を宇宙空間へ出すことを嫌い、強攻策に打って出たか。どちらにせよ、楽観できる状況ではない。

「おれを置いていけ。多少の足止めはできる」

 囁いたハサンに、ティエンは強張った顔を微かに綻ばせ、低い声で言った。

「何故人殺しのおまえを助けようと思ったのか、その理由が分かったよ。おれはおまえに、命の大切さってものを教えてやりたくなったんだ」

「こんな時に何を言っている」

「こんな時だからな」

 不敵に呟くと、ティエンは手近な配電盤に左の掌を当てた。また火花が散り、今度は辺りの照明が瞬いて消える。非常灯も点かず、突如として訪れた闇の中、兵達の足音が急速に静まっていった。こちらの動きを警戒し、同士討ちを恐れて、足を止めたのだ。しかし、目が利かなくなったのは、人類宇宙軍の兵達ばかりではない。

(一体どうするつもりだ)

 ハサンは、自分の腕を離さない少年の思惑を量りかねて、眉根を寄せた。今まで目の前に見ていた通路を、記憶のままに辿ることはできる。この基地内の通路図も暗記している。けれど、敵の姿が見えなくなった。今は同じ条件でも、あちらは暗視スコープの類を用意してくるだろう。対する自分達に、そんな装備はない。ティエンの行動は、ただ、危機をほんの僅か、先延ばしにしただけに見える。

 暗闇の中、ハサンを引っ張っていくティエンは、まるで見えているかのように、素早く角を曲がり、通路を進んでいく。が、やがて後ろに、恐れていた足音群が迫ってきた。兵達が、暗視装備をしてきたのだ。

「どうする」

 ハサンが囁き声で問うと、ティエンの囁き声が答えた。

「こうする」

 直後、消えていた照明が点り、同時に、後方で複数の呻き声が上がった。突然の光が、暗視装備をした目を射たのだ。

(これでまた、僅かな時間が稼げる、か――)

 ハサンは、ティエンの得体の知れない能力に釈然としないものを感じつつも、黙っていた。後一つ角を曲がれば、目指す格納庫の扉が見えるのだ。


   七 攻防戦の陰で


  あなた方は年数からすれば教師になっていなければならないにも関わらず、神の言葉の初歩をもう一度誰かに教えて貰う必要があるのです。あなた方は堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。

  まだ乳ばかり飲んでいるような者は皆、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。


 新約聖書より、ヘブル人への手紙、第五章、十二節及び十三節。口の中で小さく詠唱したユン・セスは、半眼にしていた目を開き、座席の背凭れに体を預けて、薄暗い通信室の複数のスクリーンに浮かび上がった周辺宙域の情報を見る。途上惑星解放戦線艦隊の艦影が、バー・レーン宇宙門に接近しつつあった。

(全く、世の中、大人の顔した幼子が多過ぎる)

 学べない人間が多過ぎる。だから、悲劇が繰り返されるのだ。

(ぼくの情報を完全に信じて百パーセントの対応をしてれば、門の突破を阻止できたろうに)

 司令部は、六十五パーセント程度の対応をした。ゆえに、バー・レーン宇宙門は突破される。宇宙門基地内にいる人間達の感情の趨勢を集約すれば、既にその未来は現実となりつつある。そして戦禍はメインランド宙域へと拡大し、数多の死傷者を出すのだろう。

(ハサン・ビン・フサインをここへ入れたことが、そもそも間違いだった)

 ハサン・ビン・フサインさえ基地内に入れていなければ、兵達の遺体に紛れて潜入してきたもう一人も、そうそう行動を起こせなかったはずだ。あの能力者(・・・)は、ハサン達が起こした騒ぎに乗じて格納庫から出てきたのだから。しかし司令部は、ユンが伝えたハサンの殺意を甘く見積もり、情報を引き出そうと基地内へ入れてしまった。

(もう、こうなったら仕方ないね)

 張り詰めた通信室内で、ただ一人、ユンは涼しい顔をしている。

(また悲劇が起こって、また人々は泣いて、そしてまた、皆忘れるんだ)

 但し、その時々で、泣いている人々は違うのだろう。だからこそ、他人事として片付け、忘れられる。

(あの人は、それが許せないんだろうな)

 サン・マルティン封鎖が解ける直前、あの死の惑星でたった一度だけ出会った男、ムスタファ・シャー。二四八二〇八B戦隊を乗っ取ったのは、途上惑星解放戦線。あの男が立ち上げた組織だ。

(わが身の安全よりも、全人類の悟りを願う、か。ぼくには、とても真似できないことだね)

 ユン・セスは微かな軽蔑を浮かべた双眸で、映し出された敵艦影をじっと見続けた。



 最後の角を曲がり、格納庫の扉へと急ぐティエン、引っ張られるハサンを、銃撃が襲った。狭い通路内でも扱い易い、威力を制限したレーザー銃の光線が、宙に浮いているハサンの足首を掠める。

(くそっ)

 感じた灼熱に目を険しく眇め、歯を食い縛ったハサンは、とにかく急所だけは庇おうと、胴体を守る形に足を曲げる。と、不意にティエンが低い声で言った。

「飛ぶぞ」

 ハサンが止める間もなかった。ティエンは磁力靴で壁面を強く蹴り、扉へと飛んだ。引っ張られたハサンの体も、ぐいと加速する。確かに、飛べば、磁力靴で走るより速い。けれど、浮遊状態の時は、基本的に等速直線運動しかできないので、攻撃をかわせなくなる。だからこそ、ティエンも今まで飛ばなかったはずなのだ。

(一か八かに賭ける気か。しかし、この角度じゃ、おれは盾だな)

 覚悟を決めたハサンの体が、急にまた、ぐいと引っ張られた。

(何を――)

 ハサンは、目を見開いて、間近に来たティエンの顔を凝視する。気付けば、ティエンと体の位置が入れ替わっていた。ティエンが、ハサンの体を引き寄せ、抱きかかえるように庇ったのだ。

「止めろ!」

 呆然として言ったハサンに、ティエンは薄い笑みを見せる。光線が一条、その左腕を掠り、更に一条、右足へ命中したが、ティエンは表情を変えずに壁面を蹴ってもう一飛びし、眼前へ迫る格納庫の扉脇の配電盤へ左手を伸ばした。

 バチバチッと、ハサンの顔の横で火花が散り、背後で轟と扉が開いていく。二枚の鋼鉄の間、寒々とした闇の中へ、二人は吸い込まれるように入り、そして、扉はすぐにまた閉じていった。


          ●


「全艦隊、隊形維持のまま、全速前進! 宇宙門設備への攻撃は避け、宇宙門基地からのミサイル、レーザー砲等の攻撃に対しては、隊形を崩さぬ範囲で各個に応戦せよ。何があっても隊形は崩すな!」

 ムスタファの号令の下、味方の全艦艇が楔形隊形で宇宙門へ殺到していく。艦橋に入ったハーミドは、司令官席に収まったムスタファの傍らに立ち、自らの能力を全開にして、不測の事態の回避に努めていた。敵の大半は混乱している。「剣」と「クシー」は予定通り(・・・・)の働きをしてくれたようだ。

(ま、脱出できるか否かはあの二人の運次第として)

 ハーミドは、微かに触れた二人の意識から、さっさと感覚を引き離した。今、重要なこと、それは、できるだけ多くの味方艦が宇宙門を突破し、メインランド宙域へ至ることなのだ。

(これは……、敵に一人、能力者がいる)

 新たに感じた意識に、ハーミドは一瞬眉をひそめる。精神感応科兵とかいう、人類宇宙軍に飼われているテレパス達の一人だろう。

(しかし、こいつは……傍観者か)

 戦意も敵意も感じられない相手から、また別の意識へと、ハーミドは感覚の矛先を移した。そうして、次々と敵味方の意識を辿り、周辺宙域にいる人間達の持つ情報、感情を読み取り、それらが集束して行く先を――未来を見る。

(不測の事態は起こらない)

 絶対に起こさせない。

(全ては、ムスタファの思い通りに――)


          ●


 バチバチッ、ジジッ。すぐ間近の闇の中に、青白い小さな光が閃いては消える。

「駄目だな」

 微かな呟きを耳元に聞いて、ハサンは頭を動かした。暗過ぎて、庇ってくれているティエンの顔すら見えないが、何が「駄目」なのかくらいは、容易に見当がつく。

「おれを庇ったりするからだ」

 ハサンは低い声で言った。

「そう気に病むな。カネさえあれば、取り替えの利くものだ。両足と左手は、義肢だからな」

 ティエンはさらりと返事すると、ぐいと、ハサンの体を何かへ引き寄せた。周囲は闇に没しているというのに、やはりティエンは目が見えているようだ。

「おまえは何者なんだ」

 溜まり溜まった疑問をハサンが思わず言葉にした直後、閉じた扉から一条の光が差し込んできた。

「奴ら、強引に重機で開ける気だな」

 ティエンが呟き、その推測を肯定するように、差し込む光の帯は太さを増していく。同時に、掛け声や、機械音も漏れ聞こえ始めた。

「急ぐぞ」

 ティエンは緊張を取り戻した口調で言って、何かの乗降口を開ける。ハサンを中へ引っ張り込んで、ガチャリとそれを閉めた。同時に船内の照明が点り――、その時点で、漸くハサンは、乗り込んだものが中型の貨物宇宙船であると分かった。

「こんなもの、二人では満足に動かせないぞ」

 警告したハサンに、ティエンは深遠な笑みを見せる。

「まあ、見ていろ」

 謎めいた返答をして、操舵室へ行き、ハサンを手近な座席へ固定すると、操舵席へ飛んでエンジンを始動させた。



 基地の格納庫シャッターが破られ、一隻の中型貨物宇宙船が飛び出して、襲い来る途上惑星解放戦線艦隊のほうへ進路を取った。宇宙門基地内を大いに混乱させたテロリスト二名が逃げていくのだ。

(追う船はなし、か)

 バー・レーン宇宙門管制塔の外を映すスクリーンを眺めて、ユン・セスは目を細めた。格納庫内にあった他の船は、能力者のほうのテロリストによって、予め航行不能にされていた上、殆どの戦艦は、途上惑星解放戦線艦隊に対応するため出払っているのだ。


  求めよ。さらば与えられん。捜せよ。さらば見付からん。叩けよ。さらば開かれん。

  誰であれ、求める者は受け、捜す者は見付け出し、叩く者には開かれます。


 マタイの福音書、第七章、七節及び八節。声には出さず詠唱したユンの感覚の中で、途上惑星解放戦線の戦士達の思いは、虹色の光彩を放ってバー・レーン宇宙門へ突入していく。彼らが現実に宇宙門を突破するのも、もう間もなくだろう。

「テロリストによる配線破壊のため、バー・レーン宇宙門制御不能。通過先がメインランド宙域に固定されている。各部署、至急復旧作業にかかれ」

「基地司令部より入電。[宇宙門制御機能の復旧作業急げ]以上」

「途上惑星解放戦線艦隊、宇宙門中央まで一光時間の距離に接近! このままでは、一時間以内に門を突破されます!」

 周囲の通信部隊兵達のやり取りする通信内容が、切迫していく状況を如実に示している。と、ユン自身にも、通信が来た。

〈こちら司令部。管制塔通信室、ユン上等兵曹、応答せよ〉

「は、こちら管制塔通信室、ユン上等兵曹」

〈緊急通信回線で軍総本部宛てに以下の文面を送信せよ。「わが戦隊は、総力を挙げて防戦するも、途上惑星解放戦線艦隊の攻勢尚激しく、宇宙門の突破は時間の問題となりつつあり。テロリスト側の工作員により、門の通過先はメインランド宙域に固定されているため、防衛準備を願う」と〉

「了解、総本部へ送信します」

 次いで送信されてきた文面をさっと見てユンは事務的に答えると、頬に冷笑を浮かべて目を閉じ、最大限に集中した――。


   八 バー・レーン宇宙門突破


「この力を何と呼ぶのか、おれ自身も知らん。だが、この義手と義足を着けて以来、こういうことができるようになった」

 淡々と語りつつ、操舵席のティエンは中型貨物宇宙船を操る。操舵席前の、覆いを取って剥き出しにした配電盤に義手だという左手を当て、非常灯に切り替えた暗い照明の中、額に汗を滲ませて、途上惑星解放戦線艦隊のほうへと、船を進めていく。

「左手と両足は、人殺しをした時に、向こうから撃たれて、使いものにならなくなった。だから、この力は、罪の代償だ。軽々しくは使えん。けれど、おまえみたいな馬鹿を助けるためになら、使っても許されるかもしれんと、そう思った。おまえは馬鹿だ。人を殺し、自分の命も大切にしない馬鹿だ。だが、救いようのある馬鹿だ。大切なものを、ちゃんと分かっている馬鹿だ。だから、おれはおまえを助ける――」

「よくもそれだけ人のことを馬鹿だ馬鹿だと言えたものだな……!」

 苛々と言いながら、ハサンは自分を固定するシート・ベルトを外すと、ティエンに飛びかかった。広い配電盤に張り付いたようになっている義手を引き剥がし、シート・ベルトを外して、ティエンを座席から強引に立たせる。

「何の真似だ……」

 弱々しく抗議するティエンを無重力に任せて肩に担ぎ上げ、ハサンは操舵室から出た。

「操船はどうする気だ……! 人類宇宙軍の攻撃を回避できない……、下手をすると、味方艦に突っ込むぞ……!」

 尚も抵抗するティエンを救命艇の座席へ押し入れ、次いで、その隣へ乗り込むと、ハサンは舵を握り締めて言った。

「馬鹿はおまえだ」

 直後、衝撃と轟音が中型貨物宇宙船を襲い、救命艇の中の二人を激しく揺さ振った。ミサイルが命中したのだ。しかし、ハサンは救命艇を発進させず、じっと神経を研ぎ澄ましている。そうか、とティエンは理解した。中型貨物宇宙船は、既に、慣性航行で途上惑星解放戦線艦隊に突っ込める位置と速度に達している。ハサンは、そこまで見切った上で、ティエンの左手を引き剥がしたのだ。そうして、後は、この中型貨物宇宙船を鎧に、ぎりぎりまで潜んでおいてから飛び出し、手近な味方艦に拾われようという計画なのだろう。

(無茶だな……)

 だが、できる限り多くを取ろうとすると、そうなるのだということは、経験で知っている。

(自分も出血多量の癖に……、おれの命まで拾おうなんて、おまえ、やっぱり馬鹿だよ……)

 ティエンは、唇の端に薄い笑みを浮かべて、ゆっくりと目を閉じた。


          ●


 ドオオォーンン……!

 凄まじい振動が伝わってきたのは、戦闘が開始されて暫くした後だった。

「何だ……!」

 体勢を崩されながら、ジョヴァンニは声を上げた。人類宇宙軍の攻撃であることは間違いない。

「ミサイルが当たったのか?」

 ジャマルが情けない声を出した。

「皆、死んじゃうの?」

 ダイチが目に涙を浮かべて言った。

「大丈夫、死なせやしません」

 スレシュがきっぱりと言ってダイチを抱えた、その時、艦内放送が入った。

〈本艦は、これよりバー・レーン宇宙門へ突入する。総員、座席へ座り、シート・ベルトを着用せよ。本艦は、これよりバー・レーン宇宙門へ突入する〉

「滅茶苦茶言うな……!」

 ジョヴァンニはうめく。

「攻撃を受けたような船体で、宇宙門を突破する気なのか?」

 ジャマルとダイチの前では言えないが、何より、ハサンとティエンが戻ってこないことが不安なのだ。

(あのハーミドって奴、まさか、あいつらを見捨てる気じゃないだろうな……)

 ハーミドが口にした数々の言葉が、不安を増大させる。

「――ちょっと、様子を見てくる」

 ジョヴァンニは硬い口調で言って、部屋を出た。

「どうする気です?」

 閉じるドアの向こうで響いたスレシュの問いには答えず、ジョヴァンニは急ぎ足で進む。ハーミドがいるであろう艦橋へ行って、駄目で元々、どういうつもりなのか聞こうと思ったのだ。しかし居住ブロックを出たジョヴァンニの鼻先には、すぐに、焦げた臭いと、鉄錆に似た臭いが漂ってきた。更に進むと、無重力空間を漂う無数の破片と、血を流した人々、そして彼らを治療する人々が見え始めた。

(さっきの攻撃、この辺りに命中したのか)

 ジョヴァンニは顔をしかめた。血の臭いが喉に絡み付く。惨い傷口が目について吐き気がする。命を危険に晒しているのは、何もハサンとティエンだけではないのだ。

(畜生……!)

 口を手で押さえたジョヴァンニの目の前に、左の脛がずたずたになった青年が漂ってきた。まだ何の治療もされていない。

(畜生!)

 ジョヴァンニは磁力靴を操り、青年へ手を伸ばして壁際へ引き寄せると、自分の着ている長袖シャツの袖を、歯を使ってビリビリと破いた。紐状にしたそれを、青年の膝上へ巻きつけ、近くを漂っていた細い金属パイプを取って青年の足と紐シャツの間に入れて縛った後、パイプをぎりりと回して縛りをきつくし、止血する。

「結構、できるじゃねえか」

 同じように治療に当たっている男に声を掛けられて、ジョヴァンニは、青年の傷口の上に張り付いた服の切れ端を取り除きつつ、ふっと学園生活を思い出した。

(乗馬やフェンシングなんていう、しょうもない授業も多かったが、少なくとも、無重力生活実習と、救命医療訓練にだけは、感謝しなきゃな)

 何とか綺麗にした傷口を、もう片方の袖を破いて作った包帯で覆い、ジョヴァンニは青年を支えて辺りを見回した。バー・レーン宇宙門への突入は間もなくのはずだ。早く、怪我人と自分の体を固定しなければならない。

「最寄りの避難室は?」

 ジョヴァンニは、声を掛けてきた男に問うた。避難室とは、緊急時に逃げ込むための小部屋で、通路のところどころに、その入り口がある。男は応急処置を施した二人の兵士を両脇に抱えて立ち上がり、顎で通路の先を示した。

「こっちだ」

 男に従って避難室へ向かうジョヴァンニの後ろを、他の人々もまた、それぞれ怪我人を支えてついて来た。



 暗く波のない湖面のような、たゆたう鏡のような宇宙門の内側に、途上惑星解放戦線艦隊の姿が揺らぐ影のように映り込む。宇宙門までは後僅かだ。人類宇宙軍の弾幕は薄い。

(いける)

 ハーミドが確信した時、一つの報告が入った。

「所属不明の貨物宇宙船が一隻、突っ込んできます。停船を指示しましたが、応答ありません。半壊している模様です」

 報告したオペレーターは困ったような顔をしてムスタファとハーミドを見ている。ハーミドは無表情で命じた。

「それは味方だ。もうすぐ救命艇で飛び出してくる。回収急げ」

「はっ」

 応じて、オペレーターは格納庫その他に指示を出す。司令官席のムスタファが、立ったままのハーミドを見上げて問うた。

「あの二人か」

「はい。まだ、使い道はあると思いますので」

「そうだな」

 ムスタファはくすりと笑うと、艦橋前面の巨大スクリーンを見据えて言った。

「おまえも座っておけ。間もなくだ」

「はい」

 ハーミドは素直に、艦橋後部の予備座席に着き、シート・ベルトを締めた。

「貨物宇宙船から脱出した救命艇の回収、完了しました」

 先ほどのオペレーターが報告した。続いて、別のオペレーターが報告する。

「わが艦隊の先頭、駆逐艦ヘザー、次いで駆逐艦アイヴィー、宇宙門へ突入します。更に、巡宙艦ホリー、巡宙艦パンジー、宇宙門へ突入を開始しました」

「本艦も続いて突入する。応戦止め。速度そのまま」

 ムスタファの指示に、艦橋員達がきびきびと従う。たゆたう暗い平面に、リリーの艦首が大きく映る。

「突入!」

 ムスタファの号令が艦橋に響き、戦艦リリーは、自らの影に突っ込むように、ゆっくりと、宇宙門に飲まれていった。


         ●


  愛する兄弟達。あなた方はそのことを知っているのです。しかし、誰でも、聞くには早く、語るには遅く、怒るには遅いようにしなさい。

  人の怒りは、神の義を実現するものではありません。


 ヤコブの手紙、第一章、十九節、二十節。語りかける言葉を思い浮かべつつ、ユン・セスは途上惑星解放戦線艦隊を見送った。バー・レーン駐在艦隊は、完敗した。途上惑星解放戦線の連中は、見事に、メインランド宙域へと抜けたのだ。

(あなた方がこれからどうなるのか、どうするのか、じっくりと見物させて貰いますよ)

 ユンは、トイレへ行くため、席を立った。もう誰も、彼が席を立つことに文句を言わない。バー・レーン宙域にいる限り、暫くは、火急のことなど何もなくなったのだった。


   九 訪れる転機


 ゆったりと凪いでいた鏡のような暗い平面が、何の前触れもなく盛り上がったかと思うと、突き出してきたのは、駆逐艦の艦首だった。駆逐艦は見る見る内に艦尾までを現し、宇宙門を離れていく。次いでまた駆逐艦が一隻、巡宙艦が二隻、そして戦艦が一隻。間を置かず、司令部から通信が来た。

〈こちら司令部。管制塔通信室、イリヤ・レオンチェフ一等兵曹、応答せよ〉

「こちら管制塔通信室、イリヤ・レオンチェフ一等兵曹」

〈レオンチェフ一等兵曹、緊急通信回線で軍総本部宛てに以下の文面を送信せよ。「メインランド宇宙門より途上惑星解放戦線艦隊出現」と〉

「了解、総本部へ送信します」

 答えて、音声に続いて送信されてきた文面に目を通し、イリヤは能力を使う。

【〈緊急通信〉。〈送信〉先、人類宇宙軍総本部。〈送信〉元、メインランド宇宙門駐在戦隊司令部。文面、「メインランド宇宙門より途上惑星解放戦線艦隊出現」以上。〈送信〉者、メインランド宇宙門管制塔通信室、イリヤ・レオンチェフ一等兵曹】

 無表情で命令を遂行しつつも、イリヤは不愉快だった。万が一にも、メインランド宇宙門を損傷させてはならないため、メインランド宇宙門近くでの戦闘行為は禁じられている。人類宇宙の中心たるメインランド宙域を孤立させる訳にはいかないのだ。つまり、自分達は、途上惑星解放戦線艦隊を、ただ迎えるしかないのである。

(戦争が、来ちゃったか……)

 イリヤは、胸中でぽつりと呟いた。


          ●


 消灯時間を迎え、照明を消した寄宿舎の自室で、ルチアーノは、箪笥の上に置いてあった写真立てを手に取った。百以上の画像を保存できるその写真立ての画面に、ずっと映し出してあったのは、幼いジョヴァンニと、自分ではないルチアーノ・イーチュン・アレアルディが仲良く並んでいる写真である。

「ジョヴァンニ」

 ルチアーノは呼びかけた。

「まだ、生きているかい?」

 写真の子供は笑ったまま沈黙している。

「きみは〈勘〉がいいものね。まだ、生きているんだろうな」

 ルチアーノは微笑み、窓へ歩み寄って、カーテンの隙間から外を見る。月のない晴れた夜空は、そのまま宇宙空間へと繋がっているかのようだ。ふと身震いを覚えて、ルチアーノは窓からさっと離れた。宇宙空間に対して、自分は、何故か限りない恐怖を感じるのだ。

「時々……」

 ルチアーノは密やかに呟く。

「きみをこの手で殺したくなるよ。あの、戦争の悲惨さを忘れて、能天気に、与えられた幸せをただ享受しているきみをね……」

 写真の中の二人は、ぴったりとくっついて、無邪気に笑っている。

(おまえがわたしの正体を知ったら、おまえを騙し続け、殺そうとしているわたしを、やはり憎むのだろうな)

 だが、そんな機会は、一生ジョヴァンニには与えられないだろう。全てを知る前に、彼は、スプートニクによって殺されるのだ――。

 写真立てを机の上に置いた「テータ」は、その横のPCの、開いていた画面へ視線を戻した。呼び出したのは、知らない人間が見れば、映画情報を交換するための、ごく一般的な掲示板だ。普通の利用者も大勢いる。が、実のところは、暗殺屋同士の情報交換用掲示板であり、これを用いて、「テータ」はいつも情報を仕入れているのだ。

 スプートニクからの報告は何もなかった。まだ、成功も失敗もしていないのだろう。しかし、別の人物から、「テータ」に宛てて、暗号化された短い文が載っていた。内容は、近々「テータ」へ会いに来るというものだ。

(このタイミングで、奴が来る、か……)

 ハンドルネームとして書かれているその暗号名はオメガ。途上惑星解放戦線の中でも、幹部でこそないが、一目置かれている存在だ。ジョヴァンニの義父、フェデリコ・アレアルディ前男爵の暗殺を実行したのも、ラムダと、そしてオメガである。オメガは、途上惑星解放戦線随一のテレパスとして知られているのである。

(一体、何をしに来る気だ……)

 「テータ」は海の色の双眸にPC画面の青白い光を映して、更なる情報収集を開始した。途上惑星解放戦線艦隊がバー・レーン宇宙門を突破してメインランド宙域へ到達したという情報がインターネット上に流れたのは、それから間もなくのことだった。


            ●


「この、大馬鹿野郎……!」

 いきなり怒鳴ったジョヴァンニを、ベッドに横たわったハサンは、不思議そうに見上げた。ジョヴァンニ・アレアルディは、両袖を破いたシャツを着ており、そのシャツや手には、ところどころ、血の跡が付いている。

「おまえ、怪我したのか?」

「人の怪我の心配なんか、してんじゃねえよ」

 吐き捨てるように言ったジョヴァンニに、ハサンは真顔で言った。

「おまえは大事な金蔓だ。心配するのは当然だろう」

「ああ、そうかい! おれは、お陰様で傷一つないよ。これは怪我人を運んだ時に付いた血だ」

「あいつらは?」

「大丈夫、皆、掠り傷一つ負ってねえ。ついでに言えば、スレシュは手術室で活躍中だ。医師免許を持ってるから、重宝されてる」

「……ティエンは?」

「疲労が激しいみたいだ。でも、おまえよりは大丈夫だろう。……生身の部分に、大した怪我はない」

「――なら、いい」

 とりあえず安堵したらしいハサンを改めて見下ろし、ジョヴァンニは溜め息をついた。肩にも腕にも足にも、頬にも脇腹にも、レーザー銃による火傷の銃創を負い、出血しているハサンは、包帯でぐるぐる巻きの状態だ。銃創には全て治療した跡があったが、余ほど無茶な動きをしたのだろう、どの傷口も開いていた。救命艇が回収された時、ティエンは既に気を失っていて、ハサンが操舵をしていたが、医務室へ運ばれる途中でハサンもまた気を失い、今、基準時間で三十時間ぶりに漸く目を覚ましたのだ。

「とにかく、もう少し寝てろ。おまえ達のお陰でメインランド宙域へ来られたし、暫くはメインランド宇宙門周辺戦闘禁止エリア内に留まって、連盟と話し合いして時間を稼ぐらしいからな」

「そうじゃ、怪我人は黙って寝ておれ。輸血用の血も、そうないからな」

 どこかで聞いたようなしわがれ声に、ジョヴァンニは振り向いた。ベッドが並んだ病室の向こう側に、小柄な老女が立って、こちらを睨んでいる。その皺の刻まれた顔をまじまじと見て、ジョヴァンニは声を上げた。

「宿の婆さん……! 何で、こんなところに……!」

「わしが途上惑星解放戦線の一員で、何が悪い。軍と違うてな、ここは、志さえ同じならば、誰でも受け入れてくれるのじゃ。わしはエデン内戦で息子一家を亡くした。連盟を憎む気持ちは誰にも負けん。逃げた後、見舞いにも来なんだ礼儀知らずのこわっぱどもにつべこべ言われる筋合いはないわい」

 老女が、ジョヴァンニから視線を転じた先には、ベッドの上に上体を起こしたティエンがいる。ティエンは、深々と頭を下げた。

「あの折は、すみませんでした」

「ごめん、悪かったよ、本当に」

 ジョヴァンニも、背後のハサンをそれとなく庇いながら謝った。あの何何客舎に火を点けたのはハサンである。だがそれは、そもそもジョヴァンニがあそこに泊まっていたからであるし、そのハサンと行動をともにして、放火の事実を隠してきたという点でも、一枚噛んでいるという罪悪感があった。ちらと後ろを窺えば、当のハサンも、ジョヴァンニの言動で事態を察したのだろう、重傷者らしく目を閉じて、知らん顔をしている。

「まあ、よいわい。おぬしらも同志じゃということが分かったからな」

 老女は鷹揚に頷くと、血まみれの包帯で一杯になったゴミ袋を持って、ダスト・シュートのほうへ歩いていった。

「――さて」

 ティエンが、苦笑する顔でベッドから降りた。蒲団から出て顕になった体には、右足がない。レーザー光線がまともに命中した義足は、使いものにならなくなって外されたのだ。替わりに、ベッド脇の壁には、松葉杖が一つ立てかけられている。それを取って、ティエンは自動ドアのほうへ歩き始めた。

「そんな体で、どこへ行くんだ」

 ジョヴァンニが驚いて尋ねると、ティエンは悪戯っぽく微笑んで答えた。

「『同志』の一人としては、やはり、できる限りのことをしておいたほうがいいだろう。幾ら連盟に話し合いを持ちかけても、そうそう時間を稼げるとは思えんからな。ジャマルもダイチも、破損箇所の修理を手伝いに行っているんだろう? おれも、そのくらいはできるさ」

「けど、おまえ、顔色悪いし、疲労が激しいから安静にしとけって、スレシュが」

「擬似重力のあるここより、無重力のところのほうが楽なんだよ。こんな体ではな」

 有無を言わせぬ口調で言って、ティエンはとことこと病室から出て行った。

「……あの馬鹿」

 自動ドアが閉まった後で、ハサンが小さく呟いた。


          ●


「では、ジョヴァンニ様も、途上惑星解放戦線の方々とともに、このメインランド宙域へ来られた可能性があるのですね」

 ミシェルは、PCアニェスの情報収集の結果に一つ頷くと、自室の中をゆっくり歩きながら考えた。途上惑星解放戦線艦隊がメインランド宙域に現れたことで、ガリラヤ王国立宇宙学園は昨日から無期休園になった。お陰で、ミシェルも弟のニコルも自宅へ帰ってきている。――時間はあるのだ。

(後は、わたくしの行動力のみ、ですわね)

 ミシェル・ヴェルレーヌ伯爵令嬢は、何事かを決意した顔で部屋を出て行った。


   十 忍び寄る影


 通路の曲がり角の向こう、展望室のほうから、呟くような歌うような、低い声が聞こえてくる。よく知っている声だが、独特の抑揚のせいで、別人のもののようにも聞こえる。ジョヴァンニは、音を立てないように磁力靴を操って、そっと近付いていった。


  神、この生ける神、永遠の神をおいて他に神はない。

  まどろみも眠りも彼を掴むことはなく、

  天にあるもの、地にあるもの悉く挙げて彼に属す。

  誰あって、そのお許しなしに彼に取り成しをなし得ようぞ。


 曲がり角から顔を出して覗くと、ドアもない小さな展望室で詠唱していたのは、やはりハサンだった。無重力の中、傍に工具箱を浮かせて、何かを抱え込み、修理している様子だ。

「重傷の怪我人がこんなとこで何やってんだ」

 わざと無神経な言い方をして近付いたジョヴァンニに、ハサンは不機嫌な顔を見せ、修理していたものを隠すように抱え込んで、工具箱を持ち、その場を立ち去ろうとする。その背中へ、ジョヴァンニは常々疑問に思っていたことを、ストレートな問いにして浴びせてみた。

「なあ、おまえがこの艦に乗ったのは、やっぱり、途上惑星解放戦線指導者のムスタファ・シャーを尊敬してるからなのか?」

「違う」

 即座に否定して、ハサンは言った。

「おれはただ、カネが欲しい。そして、あいつらに、住む場所を与えてやりたいだけだ」

「でも、おまえもムスタファも、あのハーミドって奴も知り合いなんだろう? そういう繋がりで、途上惑星解放戦線の考え方に賛同して、この仕事を引き受けたんじゃねえのか? でなきゃ、幾ら何でも危険過ぎる仕事だろう? 実際、おまえ死にかけたんじゃねえか」

「違う」

 またも即座に否定して、ハサンは肩越しに睨むようにジョヴァンニを見る。

「これは純粋にビジネスだ。危険な仕事ほど報酬は高い。それだけのことだ」

「けど――」

「世の中、カネが全てだ」

 鋭く暗く言い放って、ハサンは今度こそ、通路を飛んで去っていった。


          ●


「顔色が悪いわね」

 イエフアの言葉に、スイートルームへ入ってきた軍服の青年は、疲れた笑みを浮かべた。青年の名は宗宙海(ツォン・チョウハイ)。イエフアの一つ年下の従弟である。

「途上惑星解放戦線には、ラーマ・ローランド始め、何名かのテレパスが所属してるからね。おれ達も、対策に駆り出されてる。この状況じゃ、もう寝る暇もないよ」

 人類宇宙軍精神感応科少佐という肩書きを持つテレパスの青年は、ソファーに座りながら愚痴っぽく言った。

「それで、軍服を脱ぐ暇もないという訳ね」

 イエフアは多少の皮肉を込めて応じた。チョウハイが着ている軍服の色は、アイボリーブラック。人類宇宙軍の佐官であることを示す色である。佐官といえば、人類宇宙軍では艦の指揮官を任される地位だ。弱冠二十四歳の青年がそんな地位に至っているのには、訳がある。

「仕方ない。テレパスにはテレパス、なんだよ」

 チョウハイは割り切ったように、屈託なく答えた。

 人類宇宙軍には、テレパス優遇制度というものがある。人類宇宙軍学園高等学校に入学を許可されたテレパスは、この制度のお陰で、誰しも一律に下士官の最下階級である二等兵曹の階級を与えられ、その後、単位を落とさず順調に進級していけば、上等兵曹となって、三年で卒業できる。そこから更に努力を積めば、短期間で、兵曹長になることも、下士官クラスを抜け出して士官クラスになることも可能なのだ。十三歳で人類宇宙軍学園高等学校に入学したチョウハイは、十六歳で卒業して、すぐに兵曹長となった後、三ヶ月もしない内に今度は少尉となり、更に中尉、大尉を経て、二十三歳で少佐となった。優遇されている精神感応科の中でも、最も昇級の速い一人なのである。

「では、お互い忙しい身であることだし、単刀直入に訊くわ」

 イエフアは、従弟の目を真っ直ぐに見て問うた。

「勝てそうなの?」

「負けは、あり得ないね」

 チョウハイは余裕たっぷりに答える。

「『艦隊』だけなら、惑星メインランドへ手を伸ばす前に、百パーセントの確率で潰せる。でも、相手は何せテロリストだからね。その他のテロ攻撃については、予測は難しい」

「予知できないの?」

「そのための精神感応科でもあるから、努力はしてるんだけどね。人の心は、難しいんだよ。いつ何時ころっと変わってテロを決意するか、分からない。まあ、大人数で計画的にしてくれる分は、予知して対処できるから、ひどい被害は出さないと思う」

「そう」

 イエフアは少し残念そうな顔をしたが、すぐに元の厳しい表情に戻って言った。

「分かったわ。ありがとう。では、もう帰って頂戴。このホテルも、わたしが借り切っているとはいえ、どこにマス・メディアの目や耳があるか分からないから」

「そんな心配は、恐らく必要ない」

 チョウハイは、イエフアの懸念を一笑に付した。

「ツォン家の人間同士の癒着報道なんて、今に始まったことじゃないだろう? 『タオユアン宙域を経済的に支配するツォン家が、今度は連盟と軍にまで手を伸ばして、人類宇宙を手中に収めようとしている』なんて、おれが人類宇宙軍学園に入った時から言われてることだ。おれがこのホテルに入ったことも、十中八九、マス・メディアに嗅ぎ付けられてる。でも、現状、おれ達はただ、勝てば許されるんだよ。癒着してようが、何だろうがね」

「――あなたも、軍の人間になったのね」

「ならざるを得ないよ。少佐にまでなったらね。じゃ、また、イエフア姉さん」

 あっさりと言って、チョウハイはスイートルームを出て行った。

 静かに閉まった重厚なドアを見つめ、イエフアは顔をしかめる。軍のそういう体質こそが、エデンの悲劇の数々を産んだのだ。叔母一家を殺した、あの箱舟の悲劇も、その一つである。

「ツァンユエ……」

 イエフアは、彼女に宙域代表になることを決意させた従妹の名を、小さな声で呟いた。


          ●


「どうでした?」

 スレシュに問われて、ジョヴァンニは首を横に振った。まだ絶対安静であるのに病室を抜け出したハサンを連れ戻しに行ったものの、逃げられてしまったのだ。

「そうですか」

 病室に隣接する医務室の主のようになったスレシュは、医療器具の片付けをしながら溜め息をつく。

「ティエンのほうも、何度言っても病室に戻りませんし、全く、困ったものですね」

「何で、あいつら、あんな無茶したがるんだ」

「大切にされることに、慣れていないせいかもしれませんね」

 さらりとスレシュに言われて、ジョヴァンニは押し黙った。そんなことを言われては、彼はもう何も言えない。

「ティエンの顔色見て、手伝いでもしてくる」

 憮然と告げて医務室を出るジョヴァンニを見送り、スレシュはもう一度溜め息をついた。

(あのアレアルディ男爵の息子が、まさかこういう坊やだったとは、正直、意外ですね)

 あんなこと(・・・・・)をした自分が、ジョヴァンニ・アレアルディには、好感を持ち始めている――。

「ちょっと、診て貰えますか?」

 声がかかって、スレシュは顔を上げた。金髪を短く刈った長身の男が、ジョヴァンニと入れ替わるようにそこに立っていた。

「どうぞ」

 椅子を勧めたスレシュをじろじろと見て、男は首を捻る。スレシュは眉をひそめて問うた。

「どうかしましたか?」

「いえ、ね」

 男は勿体をつけるように言う。

「あのハサンを手懐けたのは、一体どんな御仁かと思いまして」

「――あなたは?」

「彼に暗殺屋の仕事を教えた男、とでも名乗っておきましょうか」

 椅子に座りながら答えた男をじっと見て、スレシュは硬い表情になった。

「オレグ・サハロフ、ですか」

「おや、そんなことまで彼はしゃべりましたか。ますますあなたに興味が湧きましたね」

 眉を上げたオレグに、スレシュは淡々と言った。

「『手懐けた』というのは違いますよ。むしろ、わたしのほうが彼に、彼の真っ直ぐさに、魅せられたんです」

「ほう」

「メインランドで医学を学んでいる間、わたしの夢は、エデンで医者として働くことでした。できれば、小さな診療所でも建てて、貧しい人々を助けたいと思っていたんです。でも、エデンでわたしを待っていたのは、想像以上に、破壊された社会でした」

 スレシュは、やや遠い目をして語る。

「わたしがエデン宙域に戻ったのは基準暦五五〇年で、その二年前、五四八年に惑星エデンは開拓途上惑星から発展途上惑星へと昇格していましたから、わたしの記憶にある内戦直後のエデンよりも、もっとずっとマシになっていると思っていたんです。けれど現実は違いました。人々の間に助け合いはなく、皆、自分が生きることに必死で、住むところもなく路上に放って置かれている戦災孤児や傷病者に対して、無関心でした。連盟の救済措置も、彼ら一人一人の許を訪ねて救い上げようとはせず、ただ、彼らが見もしないようなインターネット上で、救済制度の告知を行なっているだけでしたし、彼らの中には、肉親を人類宇宙軍に殺され、連盟を敵と見なして、その世話にはなりたくないという人もいました。連盟は、結局、最も底辺にいる彼らに対して、何の歩み寄りもせず、上からものを言い、更には惑星エデンを発展途上惑星に格上げしたことで、人々の間の競争や格差を助長していたんです。わたしは人々の心の荒みように絶望し、そして、SCで路上生活をしていたジャマルとダイチに出会いました。風邪をこじらせかけていたダイチを放っておけず、彼らの傍についていて、いつの間にか、わたしも路上生活者となっていたんです。SCというところは、管理された環境なので、路上生活もし易くて。ハサンと出会ったのは、それから間もなくです。彼もまた、絶望した目をしていましたが、わたしの後ろ向きな絶望とは違う、彼の絶望は、渇望のように思えました。それでわたしは、彼に、彼が絶望したものであり、渇望しているものである、守るべきもの――ジャマルとダイチを、託したんです。……ですから、もう、ハサンには干渉しないで頂きたい」

 ひたとスレシュに見つめられて、オレグは椅子に座ったまま、居心地悪そうに肩を竦めた。

「困りましたねえ。そうしたいのは山々ですが、わたしにも、仕事というものがありましてですねえ……」

「医者は、敵に回さないほうがいいですよ」

 冷ややかに告げて、スレシュはオレグの腕の擦り傷に、ガーゼで消毒液を塗った。


   十一 「オメガ」の脅威


「『スプートニク』があの人に接触したようです」

 司令官室を訪れたハーミドの報告に、ムスタファは複雑な笑みを浮かべる。

「『スプートニク』は、彼の正体を知っているのかね?」

「まだ知らないみたいですね。こちらが依頼した仕事も手早くしてくれるんですが、それ以外の仕事にも手を出しそうで、厄介な暗殺屋です」

「まあ、まだ奴にも利用価値はある。宇宙門突破にも、大いに貢献してくれたことだしな」

「そうですね」

 ハーミドは頷いた。「スプートニク」は、「剣」同様、人類宇宙軍の巡宙艦の一隻に入り込み、同士討ちを誘って、敵の戦力を大幅に減らしたのだ。仕事の仕方は、「剣」などより余ほどスマートで確実である――。

「ところで、『利用価値』と言えば、テータをどうする気です? 『オメガ』に、彼女の許へ行くよう指示したらしいですね?」

 ハーミドの問いに、ムスタファは僅かに顔をしかめた。

「一体、どこからそんな情報が入ったのだ? わたしの心を読んだのか?」

「ぼくは、個人の思考を読んだりはできませんよ。ぼくができるのは、ただ、複数の人々の思惑が集束する先を知ることだけです。『スプートニク』とあの人の接触も、当人達と周囲にいた人々の思考から、推測して知っただけです。『オメガ』のことは、レベッカさんから暗号通信で知らされたんですよ」

 戦線の幹部の一人、「ガンマ」ことレベッカ・ワーナーは、惑星バー・レーンに置かれている戦線本部に残って、同じく幹部の「カッパ」ことヘンリー・ポーとともに、後方支援を担当している。

「やれやれ、レベッカは、ラーマのことを心配しているようだな。あれももう十九歳。子供ではないというのに」

 溜め息をついたムスタファを、ハーミドはじっと見つめる。ラーマとは、「オメガ」の本名だ。途上惑星解放戦線の中でも、最強のテレパスと言われるラーマ・ローランドの名は、人類宇宙軍にも知れている。

「それで、あの『オメガ』をテータのところにやって、何をさせる気ですか?」

「あれは、切り札だ。われわれが惑星メインランドへ到達できなかった場合に、最後の手段を取らせる」

「『最後の手段』?」

「テータに対して、キーワードを使わせる」

「成るほど……」

 納得した様子のハーミドに、ムスタファは問うてみた。

「わたしを、残酷だと思うか?」

「いいえ」

 ハーミドはきっぱりと否定する。

「ぼくは、最初からテータのことを、利用価値の高い道具だと思ってきましたから、このまま、彼女という存在を最大限利用せずに、単なる協力者の位置に留めておくよりは、余ほどいいと思います」

「……そうか。ならば、おまえにも始めから知らせておけばよかったな」

「これからは、そうして下さい」

 硬い声で言い置いて、ハーミドは司令官室を出て行った。


          ●


 その青年は、ダヤラム・バーイと名乗った。ルチアーノ付きのボディーガードとして、シアンムーが新しく雇ったのだという。

「このメインランド宙域も近頃物騒になってきましたからね」

 シアンムーは、召使い達の手前もあってか、テーブルの向かいに座ったルチアーノに、尤もらしく言う。

「あの忌々しいテロリスト艦隊が、この星にまで来るということは万が一にでもないしょうが、しかし、あの者どもに呼応したテロリストどもが、どこでどんなテロを起こすか分かりません。特に、わたし達のように特権階級に属する人間は、テロの標的になり易いものです。そこで、この家の大切な跡取りであるおまえにも、常時ボディーガードを付けておこうと考えたのです」

「ありがとうございます、母上」

 素直に礼を述べて、ルチアーノは青年のほうを向いた。背は高くないが、その褐色の肌には張りがあり、顔立ちは凛々しく、目元は涼しい。何を考えているのか、分からない。

(これが、戦線内最強のテレパス――「オメガ」か)

 何をどう言ってシアンムーに取り入ったのか、ムスタファからどんな命を帯びてきたのか、これから探っていかねばならない。

「宜しく頼む、ダヤラム」

 冷ややかに微笑んで、ルチアーノは言った。


          ●


 細く開けたブラインドの隙間から、ビル群の上の夜空が見える。あの空の向こう、メインランド宇宙門周辺戦闘禁止エリアに、途上惑星解放戦線艦隊はいて、修理や作戦のためだろう、時間稼ぎ中だ。だが、時間稼ぎをして、情報を集め、準備を整えているのは、人類宇宙軍も同様である。

「ラーマ・ローランドが動く、か」

 士官舎の自室で机に向かったツォン・チョウハイは、ひっそりと呟いた。

 惑星メインランドに置かれている人類宇宙軍総本部は、俗にヘキサゴンとも呼ばれ、その敷地は六角形の形をしていて、北、東北東、東南東、南、西南西、西北西、中央の七区に分けられている。チョウハイが住む士官舎は、その内の西南西区にあり、隣には下士官舎、その向こうには学校生寮が並んでいる。メインランド宙域に現れた途上惑星解放戦線艦隊は、この人類宇宙軍総本部をも、直接脅かしているのだ。

 ラーマ・ローランドの暗号名が「オメガ」だということは、既に判明している。その名が、インターネット上のとある掲示板に発見されたのは、つい先日のことだ。だが、暗号化されたその文面は短く、テータという者のところへ行くという読み方しかできなかった。テータが誰なのか、どこにいるのかは不明だ。

(しかし、十中八九、戦線の者だな)

 途上惑星解放戦線の構成員の中に、ギリシア・アルファベットの暗号名を持つ者が何名かいることは知れている。「オメガ」もそうだ。

(ラーマが、「テータ」という者と合流して、一体、何をしようというのか)

 チョウハイは、「テータ」の居所を、メインランド宙域、それも惑星メインランドの地表か、或いは静止衛星軌道上にある二つの宇宙港の内のどちらかだと睨んでいる。惑星メインランドこそは、人類宇宙連盟本部も人類宇宙軍総本部もある、人類宇宙のまさしく中心だからだ。

(ここでテロをすることが、最も衝撃的で効果的だと、奴らは知っている)

 それは、軍内部でも見方の一致するところだった。ただ、問題は、惑星メインランドのどこでテロが行なわれるかだ。

(狙われるのは、恐らく、人類宇宙にとって象徴的な場所・建造物)

 この軍総本部も、充分その条件を満たしているが、他にも候補は幾らもある。テロが多発的に行なわれる可能性もある。

(精神感応科兵を、各所の警備に如何に振り分けるかが鍵だな)

 チョウハイはPCのキーをカタカタと叩いて、上官に提出する作戦提案書をまとめ始めた。


   十二 ティエンの本名


「もう、修理も殆ど終わりだな」

 火花避けの防護マスクを外して額の汗を拭いながら、ジョヴァンニは傍らのティエンを振り向いた。ジャマルとともにティエンから修理の手ほどきを受けて、溶接など、随分巧くなってしまった。結構、役に立てたのではないかと思っている。

「ああ、そうだな」

 応じたティエンも、防護マスクを外して汗を拭う。その横顔を見た途端、胸にチクリとくる妙な感じを覚え、ジョヴァンニは微かに眉をひそめた。右の義足を外した以外、ティエンには、何ら変わったようなところはない。あの定期船内爆破事件の時のような、はっきりとした予感でもない。しかし、これもまた、〈勘〉かもしれない。

「ティエン、ちょっと――」

 不安を伝えようとしたジョヴァンニの言葉は、背後から掛けられた声によって遮られた。

「ジョヴァンニ、ちょっと司令官室まで来て下さい。火急の用事があるんです」

 ジョヴァンニがぎょっとして振り向けば、そこにはあのハーミドが、相変わらずのアラブの服装で浮いていた。

「おまえ、おれになんか、何の用だ……!」

「『火急』と言ったのが聞こえなかったんですか? さっさと来て下さい」

 問答無用とばかり、ハーミドはジョヴァンニの腕を掴んで引っ張って行く。ティエンは、やや驚いた顔をしながらも、ある程度ハーミドを信用しているのか、ジョヴァンニを助けてはくれなかった。

 居住ブロックへ戻り、連れて行かれた司令官室では、ムスタファ・シャーが一人で待っていた。髭を蓄えた精悍なその顔を見るなり、ジョヴァンニは硬い声で問うた。

「一体、おれなんかに何の用ですか?」

「きみは、ミシェル・ヴェルレーヌ伯爵令嬢を知っているかね?」

 意外な問いで応じられて、ジョヴァンニは目を白黒させた。何故、ここにミシェルの名が出てくるのだろう。知っているどころか級友で婚約者なのだが、そこまで言う必要はないはずだ。

「知って……ますが……?」

 とりあえず答えたジョヴァンニに、ムスタファは更に意外な質問をした。

「彼女から、われわれ途上惑星解放戦線艦隊に対して、取材の申し込みが来た。受けるべきだと思うかね?」

「は……?」

 口をあんぐりと開けて間抜けな反応をしながらも、ジョヴァンニの頭の中では情報と状況の分析が素早く行なわれていた。

 ヴェルレーヌ伯爵家は、ヴェルレーヌ・ウェブというデータベース会社を持っている。先代伯爵の道楽から生まれたというこの会社は、今では、知識階級の利用者を中心に、インターネット上で確固たる地位を築いている。文章を書くのが好きなミシェルは、普段から時折、このヴェルレーヌ・ウェブのコラムに寄稿したりしていた――。

「ミシェルが、取材を申し込んできたんですか……」

 ジョヴァンニは改めてムスタファの言葉を反芻し、考える顔になる。

「それは……、受けておいたほうが得かもしれませんね……」

「何故そう思う?」

 興味深そうに尋ねたムスタファへ、冷静になったジョヴァンニは淡々と説明した。

「ここにはジャマル、ダイチという、見た目もまだ子供の、エデン内戦の戦災孤児がいます。あの二人を取材させれば、知識階級の多いメインランドの連中に訴える材料になるでしょう。特に、偽善者の顔をした人間達は、あなた方を単なる『テロリスト』と断罪できなくなる。極端から極端へ走るようなジャーナリストの中には、あなた方を『レジスタンス』と報じる者達も出てくるかもしれません。それに、ミシェルのことは個人的によく知ってますが、決して偏った見方をしない人間です。あなた方に対し、先入観を持たないよう、本人が一番気を付けてるでしょう。ヴェルレーヌ・ウェブも、そういう意味で信頼度の高い会社ですし、あなた方が極端な言動さえしなければ、プラスにはなっても、マイナスにはならないと思いますけどね。とにかく、顔の見えない脅威でいるよりは、生身の顔を見せたほうがいいと、おれは思います。というようなことで、いいですか?」

「ああ。参考になった」

 ムスタファは満足したように頷くと、ハーミドに手振りで、ジョヴァンニを退室させるよう命じた。



 無重力空間においては、片足がなくとも、残りの手足を巧く使えば、さほど不自由することはない。特に、ティエンのように無重力生活に慣れた者にとっては、殆ど問題なしと言っていい。だが、逆に慣れていない人間にとっては、両手両足が揃っていようとも、まともに動きにくいのが無重力空間だった。

 ジョヴァンニを見送ったティエンが、少し場所を移動して内壁の補修作業を続けていると、ふと手元が翳り、次いでドスンと何かがぶつかってきた。咄嗟に溶接用バーナーのスイッチを切って振り返り、ティエンは目を瞠る。彼の背中にぶつかって、緩やかに跳ね返っていくのは、あの老女だった。

「すみません! 大丈夫ですか?」

 呼びかけながら、ティエンはバーナーを離した手で老女の腕を掴み、そっと引き寄せて、磁力靴が壁面に着くようにしてやった。

「大丈夫じゃ! 年寄り扱いするな!」

 老女は怒ったように言いながらも、ほっと安堵した様子で両足を着地させる。続いてティエンは、老女の手を離れて漂う、二つの無重力生活用飲料パックを捕まえて、彼女の手へ返した。けれど老女は、その内の一つを、またティエンの手へ押し返して言った。

「おまえのために持って来たんじゃ。一服するがよい」

 火事の後ろめたさがあるので、この老女から親切を受けるのは気が進まないが、断る理由も特にない。

「……謝謝(シエシエ)

 ティエンは礼を述べて、素直に飲料パックを受け取った。すると、老女はくしゃりと顔を綻ばせて、ティエンの傍らに腰を下ろそうとする。無重力空間で、その姿勢をするのはやや難しかったが、それでも、何となく並んで、二人はパックの口を開け、チュウウと音を立てて飲んだ。中味は、渋い渋い緑茶だった。

 やがて、パックが縮み、お茶がなくなりかけた頃、老女が問うてきた。

「おまえさん、宿帳には羅天(ルオ・ティエン)と名を書いておったが、本名かい?」

「いえ……」

 正直に、ティエンが偽ったことを認めると、老女はあっけらかんと頷いた。

「まあ、そうじゃろうな。こんなとこにおる者は、多かれ少なかれ普段は偽名を使っとる。あの宿は、そんな人間でも泊まれるようにと、客の素性にはこだわらん経営をしておったが……。なら、おまえさんの本名は何というのじゃ。差し支えなければ、教えてくれんか? 因みに、わしの名は何恵(ヘー・フイ)という」

 成るほど、あの何何客舎という宿の名の由来は、彼女の姓だったという訳だ。確かに、こうして一連托生の身の上になってしまえば、本名や素性を隠す意味もないのかもしれない。それに、この状況と環境では、自分の命もそう長くはないだろう。本名を誰かに知らせておくのも、悪くない。

「――我叫頼天(ウォー・チアオ・ライ・ティエン)

 頼天(ライ・ティエン)という名だ、と中国語で静かに教えたティエンに、フイは何故か感極まった様子で、

「……好名字(ハオ・ミンズ)……!」

 よい名だ、とだけ言って、両手で顔を覆って涙に咽び始めた。

「一体、どうしたんです?」

 ティエンは驚いて、皺深い手に隠された顔を覗き込む。フイは震える声で、彼女が背負ってきたつらい過去を語り出した。



 前方に激しく言い合う声を聞いて、ハサンは眉をひそめた。話されているのは、人類宇宙の共通語でも、彼がよく知るアラビア語でもない。しかし、聞いたことはある言葉だ。

(これは……中国語か……?)

 言い合う声は男と女のものだが、男のほうの声には、聞き覚えもある。ハサンは、抱えていた袋を背中へ隠し、そろそろと通路を進んでいった。

 案の定、言い合っていたのは、ティエンと、そしてあの老女だった。

(まさか、放火のことがばれたのか……?)

 老女は目に涙を浮かべており、ティエンもいつもの冷静さを失っている。何を言っているのかは、さっぱり分からない。と、唐突にティエンが何事かを言い放って、一方的に話を打ち切り、ハサンのほうへ飛んできた。

「おい――」

 何を言い合っていたのだと訊こうとしたハサンを無視し、ティエンは、逃げるように片足で去っていく。残された老女は、嗚咽に全身を震わせながら、涙をぽろぽろと漂わせて泣いている。あのティエンが、この老女を故意に傷つけ、泣かせたとは思えない。ハサンを無視したことを考えれば、放火のことでもないらしい。ハサンは顔をしかめ、それでも老女には見付からないように、そっと来た道を引き返して、ティエンを追った。


   十三 ムスタファの真意


「おい、……顔色が悪いぞ。息も上がっている」

 ハサンは、眉根を寄せて言った。追いついて捕まえたティエンは、動揺しているだけでなく、明らかに体調が悪そうだった。しかしティエンが何かを答える前に、艦内放送が入った。

〈同志諸君、連盟との交渉は決裂した。われわれはこれより、連盟に対する戦闘を再開する。最初の目標は、連盟に、人類宇宙の掌握をなさしめている、このメインランド宇宙門だ〉

 断固としたムスタファの言葉に、ハサンとティエンは顔を見合わせ、どちらからともなく、ともに艦橋へと飛び始めた。



 自分達に与えられた部屋へ戻っていたジョヴァンニは、突然の放送に愕然とし、ベッドから跳ね起きた。つい先ほど会ったばかりのムスタファが、今度は一体何を言い出すのだろう。メインランド宇宙門など破壊したら、人類宇宙そのものが崩壊しかねない。宇宙門の復旧には、どれだけ時間がかかるか分からないのだ。

「あの髭親父、人類をまた分散文明期へ戻したいのか!」

 思わず叫んで、ジョヴァンニは、昼寝から起きてしまったダイチを残し、部屋を飛び出した。ムスタファ・シャーが今、司令官室にいるのか艦橋にいるのか分からないが、司令官室にいたとしても、戦闘の指揮を執るために、すぐ艦橋へ行くはずだ。それに、恐らく、ハサンもティエンも、あの放送を聞けば、艦橋へ向かうだろう。そう考えて、居住ブロックを出るエレベーターへと走り始めたジョヴァンニは、前方からやって来る金髪の男を見て、ふと眉をひそめた。確か、昨日、医務室前で擦れ違った男だ。

(何だ……?)

 こんな時に、焦りも気負いもない顔で悠々と歩いてくる男に、妙な胸騒ぎを感じて、ジョヴァンニは足を止めた――。


         ●


 イリヤ・レオンチェフ達の緊急通信回線により、「途上惑星解放戦線艦隊、メインランド宇宙門へ向け、攻撃態勢を整えている模様」の報は、メインランド宙域中の人類宇宙軍へ伝えられた。そしてまた、民間の速達通信回線により、メインランド宙域中の一般市民にも、知らされたのである。その報せは、「オメガ」にとって、作戦開始の合図だった。

 コンコンコン。

 ノックの音に、机に向かっていたルチアーノはPCを閉じて、振り向いた。許しもなく開いたドアのところに佇んでいたのは、ダヤラム・バーイ――「オメガ」である。

「何の用ですか? 自分の部屋にいる時まで、警護してくれなくてもいいですけれど?」

 あくまでルチアーノとして言うと、「オメガ」は、淡々とした口調で応じた。

「これは、奥様も御了承済みのことです。奥様を被害者とする事実さえ創り出せるなら、適当な時期に、あなたを利用してもいい、と」

「――あの、馬鹿女……!」

 椅子から立ち上がった「テータ」に、「オメガ」は僅かに同情する目を向ける。

「少々、恨みを買い過ぎたな、テータ、いや、――ツァンユエ」

 びくりと、「テータ」は身を振るわせた。金縛りにかかったように、体が動かない。「ツァンユエ」。それは、一体、何を表す言葉だったろう――。

 一つ目のキーワードで予定通りの反応を示した少女に、「オメガ」は、二つ目のキーワードを使った。

再見(ツァイチエン)滄月(ツァンユエ)

 さようなら、ツァンユエ。そう告げて、彼女を宇宙へ突き飛ばし、爆発の中に消えたのは、誰だったろう。彼女に、あのぶかぶかの宇宙服を着せてくれたのは、誰だったろう。彼女を、いつも抱き締めてくれたのは――……。

 これも予定通り、思考力を失い、催眠状態となって立ち尽くした少女に、「オメガ」は硬い声で命じた。

「ツァンユエ、おまえの能力の限りを使い、人類宇宙連盟総本部へ赴いて、キジル・クム宙域代表を除く全ての宙域代表を抹殺せよ」

 虚ろな目をした少女は、黙々と行動を開始した。


          ●


 リリーの艦内の意見は、真っ二つに割れていた。ムスタファの意見に賛同する者達と、戸惑いを隠せない者達がいるのだ。バー・レーン宙域や、他の宙域に家族や友人がいる者達にとって、メインランド宇宙門を破壊するということは、この先、何年もの間、親しい人々と会うことも、通信することもできなくなるということである。ここまで、ともにムスタファについて来た者達の間に、意見の対立が生まれ、動揺が広がるのも、無理からぬことであった。ティエンとハサンは、そういったざわめきを横目に見ながら艦橋へ至ると、まずティエンが、指示を出していたハーミドに飛びかかり、ハサンが拳銃を構えて、他の艦橋員達を牽制した。何人かは拳銃を構えてハサンを撃とうとしたが、ティエンがすかさずハーミドの喉へナイフを突き付けたので、艦橋員達は全員、武器を手放したのだった。やはり、艦橋員にも動揺があって、それが味方してくれたようだ。

「全く、見事としか言い様がありませんね」

 ハーミドが感心したように言う。

「しかし、ムスタファは、ここにはいませんよ? それに、他の艦の動きも止められないんじゃないですか?」

「そうかもしれんし、そうではないかもしれん」

 ティエンが荒い息の下で言い、ハーミドを無言でハサンに預けて、司令官席前の配電盤の覆いを器用に外して、義手の左手を押し当てた。暫く目を閉じていてから、かっと目を見開き、気合いを発する。途端に、バチバチッと放電が起き、その放電が艦橋中の配電盤、計器盤に広がって、戦艦リリーは、機関部から重い唸り声のような音を響かせつつ、ゆっくりと各砲門を味方艦へ向けた。

「……まるでグレムリンですね。調査ロボットもレーザー銃も、基地設備も貨物宇宙船も、戦艦すら思いのままとは、噂に聞いてた以上に、素晴らしい技だ。――尤も、体への負担のかかり方も、半端ではないようですが」

 ハーミドが、口の中で呟いた。



 金髪の男は、髭を剃ったばかりらしい顎を撫ぜつつ、ジョヴァンニににやりと笑いかけて通り過ぎていった。足を止めたまま、その背中を振り返り、ジョヴァンニは険しい表情をする。男が向かっているのは、司令官室のほうだ。そのことに、胸騒ぎを感じる。

(ムスタファ・シャーがあっちにいて、何かが起こるってことか?)

 艦橋へ行くべきか、司令官室へ行くべきか、逡巡するジョヴァンニの視界に、今度はスレシュが現れた。医務室から直行してきたらしい年長の少年は、白衣を着たまま、手にはレーザー銃を持っている。

「ジョヴァンニ、ムスタファは司令官室ですね?」

 確認されて、ジョヴァンニはまじまじとスレシュを見た。

「何しに行くつもりなんだ……?」

「『イオタ』に恨まれる役は、あなたより、わたしのほうがいいでしょう」

「『イオタ』?」

「とにかくあなたは、部屋へ戻って、ダイチの傍にいてやって下さい。そして、その〈勘〉で守ってやって下さい。ジャマルも、じき戻るでしょうし。お願いしましたよ」

「おい、スレシュ!」

 ジョヴァンニの呼びかけも虚しく、スレシュは白衣を翻して、司令官室へと走っていく。

(……こうなったら、ジャマルが戻るまでだけ部屋にいて、戻ってきたらすぐ、司令官室へ行くっきゃないな)

 ジョヴァンニは胸中で呟いた。スレシュの後について行くことには、躊躇いを感じる。今行ってはいけない感じがするのだ。だが、できるだけ早くムスタファ・シャーに会うべきだという、そんな感じもするのだった。



「ジョヴァンニ・アレアルディ暗殺の報酬は三百万DR。あなた方のメインランド侵攻作戦への協力の報酬は一千万DR。でも、報酬を払う能力はどこの誰より人類宇宙軍が上で、時代の風も、そちらへと吹いてるんですねえ。残念ながら、あなたの首には、密かに一億DRの賞金が懸けられてるんですよ。そして、わたしはカネで動く人間なんです。恨むなら、こういう卑怯な手段も厭わない、人類宇宙軍、引いては連盟を恨んで下さいね」

 楽しげに説明した「スプートニク」を睨みつけながら、ムスタファは床に膝をついた。

「全く、わたしとしたことが、油断したものだ……」

 吐き捨てた口から、ごぼりと血が溢れる。「スプートニク」に新たな仕事――メインランド宇宙門基地の潜入破壊を依頼しようとして、ここに呼び出したのは誤りだった。しかし、ハーミドを先に艦橋へ行かせておいたのは正解だった。ここにいれば巻き込まれていただろう。

――「個人の思考を読んだりはできませんよ」

――「人の心は容易く変わり、それによって、導かれる未来も変わります。〈予言〉というほどの能力じゃありません」

 ハーミドの言葉が脳裏に蘇る。そう、あのハーミドも、この事態を予見し得なかったのだ。

「さて、わたしはこう見えても用心深い性格なんで、とどめを刺しておかないと安心できないんですよ。最後のお祈りは終わりましたか?」

 極軽い口調で言いながら、「スプートニク」がナイフを構え直す。今度こそ、首を刺されるだろう。どちらにせよ、最初に不意を突かれて、ナイフで刺された胸の傷は深い。まず助からないだろう。

(すまん、ハーミド。後は、任せる)

 霞んでいく視界の中で、「スプートニク」が動く。が、同時に、その向こうのロックされている自動ドアが赤く焼け、強引に開かれた。現れたのは、レーザー銃を手にしたスレシュ・ボースである。

「これはこれは、お医者さんの登場ですか」

 振り向いた「スプートニク」の存在にスレシュは驚いたようだったが、一瞬で状況を把握したらしく、言った。

「わたしもムスタファを殺しに来たんですが、彼から聞き出したいこともあります。あなたはもう、ここから出て行って、救命艇でも使って、この艦、この艦隊から逃げなさい。彼があなたの手に掛かったことは、すぐに公表しますから」

「ムスタファ狂信者達から逃げろということですか。あなた、やっぱり、ただのお医者さんじゃありませんでしたねえ」

 「スプートニク」は苦笑したようだ。厳然たる武器の威力の差と、擬似重力下におけるスレシュの戦闘力のほどと、不利な状況とを、こちらも一瞬で見抜いたのだろう。

「分かりました。わたしも命は惜しいですからね」

 素直に応じると、「スプートニク」は、スレシュを刺激しないゆっくりとした動作で、壊されたドアから出て行った。その姿を、通路まで出て見送ったスレシュが戻ってくるのを待って、ムスタファは口を開く。

「来てくれて嬉しいよ、『ラムダ』」

 囁くように、自分が与えた暗号名で呼びかけた。しかし、その暗号名を嫌い、同志達とは一線を画してきたスレシュは、そこにあるもので応急手当てをしながら、厳しい声で問うた。

「何故、メインランド宇宙門の攻撃など命じたんです? そんなことをすれば、離反者が出るのは目に見えていたことでしょう」

「それでいいのだよ」

 ムスタファは、遠い目をして、穏やかに答える。

「この艦隊は、ここで終わりだ。メインランド宇宙門を攻撃しようとする姿勢を見せただけで、軍の注意を引き付ける陽動戦隊として、充分に機能した」

「『陽動』? ならば、あなたの真の狙いは何なんです?」

 追及してくるスレシュに、ムスタファは、微笑みすら浮かべて告げた。

「われわれの標的は、最初から決まっている。即ち、人類宇宙連盟のトップたる、無能な宙域代表どもだ――」


   十四 ツァンユエの記憶


 ガリラヤ王国とフロリダ共和国の国境も、様々な乗り物も、ルチアーノのパスポートで難なく通過し乗降した「テータ」は、いよいよ連盟総本部のあるプエブロ・ヌエボ市に入っても、テレパシー能力を使って全く阻まれることなく進み続けた。幼い頃から鍛えられてきたその技は、さすがだった。〈盗聴(ワイヤータッピング)〉で適当な人間の思考から必要な情報を探り出し、〈偽装〉で報道関係者や警察関係者、軍関係者などに成り済まして、出会う人間達を騙していく。勿論、監視カメラには実際の姿が映っているのだろうが、直に会う人間は全て騙して侵入者だと認識させないので、警備の人間達も捕まえようがないようだ。そうして警備網を擦り抜け、素早く確実に連盟総本部ビルへと近付いて行くのである。

(問題は、精神感応科兵がどれだけ配置されているかだ)

 ラーマは、自身も能力を使って悠々と「テータ」の後について行き、ある時は手助けもしながら、間近に迫った人類宇宙連盟総本部ビルを見上げた。



 イエフアは、緊張した面持ちで会議室の時計を見た。「途上惑星解放戦線艦隊、メインランド宇宙門へ向け、攻撃態勢を整えている模様」の報が入ってきてから、基準時間で三時間三十分が経った。「攻撃を開始」の情報も、「投降」の情報も入ってきていないが、断片的な情報に拠れば、途上惑星解放戦線艦隊の中に、どうやら内紛があったようである。しかしそれも確たる情報ではないので、連盟としても、投降を呼びかけ、人類宇宙軍を適切と思われる箇所に適切なだけ配置する以外、動きようがないのだった。連盟総本部ビルの会議室にこうして待機し、他の宙域代表達と顔を合わせていても、何を話し合っている訳でもない。まだ正式な後任の決まっていないフランソワ・カサブブの席には、アルカディア宙域副代表の年配の女性が代理として座っていて、喪失感がいや増す。皆、連日の徹夜生活で、疲れた顔だ。イエフアは、思い切って立ち上がった。

「化粧室へ、失礼させて頂きます」

 シンとした室内にその言葉が響くのは多少気恥ずかしかったが、そんな精神的余裕も、この緊迫の中では、さほど顕著ではなかった。もしメインランド宇宙門が破壊されれば、ここにいる大多数の人間が故郷へ帰れなくなり、連盟は崩壊の危機を迎えるのだ――。

 議長が頷くのを確認し、イエフアは努めて優雅に席を立って、出入り口へ向かった。

「あ、あたしも行かせて貰います」

 背後で、ジーン・ワイルドの声がした。

 女性用化粧室の巨大な鏡の前で、ジーンは背伸びをし、大きく深呼吸する。その飾らない姿に、イエフアはつい、くすりと笑ってしまった。ジーンに気を悪くした様子はなく、首をカキコキ鳴らしながら言った。

「どうも、ただ待ってるっていうのは、きついねえ」

「そうね。吉報と分かっていれば、幾らでも待つのだけれど……。でも、前線で緊張を強いられている方々もいるのに、そんなことを言ってはいられないわね」

 答えて、イエフアは胸中で自分に言い聞かせる。これは、宙域代表になって以来、最大の山場なのだ――。

「戦線の奴らも、メインランド宇宙門攻撃なんて馬鹿なこと言ってないで、さっさと投降すりゃいいのに」

 フロンティア宙域代表の片割れは、凡そ公的な場所では見せない表情でぼやいた。もう一人のフロンティア宙域代表、ダリル・クレイグは冷静で口数も少ない男なので、二人いて丁度バランスが取れているのだろう。鏡に映るジーンの顔に微笑みかけて、イエフアは言った。

「そんなに簡単に投降するような人達なら、最初から、戦隊乗っ取りなどしないわ」

「……そうね」

 ジーンが真顔で頷き、二人の女は、鏡に映るお互いを見つめたまま黙った。運命の足音が聞こえそうな静けさが、一瞬訪れた。



 連盟総本部敷地の周囲を囲むバリケード。そのバリケードに、人類宇宙軍の一台の軍用車両が突っ込んだ。バリケードを破り、ひしゃげながらも敷地内を爆走する軍用車両を、殺到してきた他の軍用車両数台が阻み、体当たりして停まらせた。モスグリーンの軍服の地表制圧科陸戦部隊兵達が銃を構える中、ひしゃげた車両から降りたのは、一人の少女と一人の青年。進み出て二人を迎えたのは、アイボリーブラックの軍服を着た一人の青年である。

「ここで待っていれば、逢えると思っていたよ、ラーマ・ローランド、そしてそちらは『テータ』かな?」

 チョウハイが言うと、ラーマは眉一つ動かさず、答えた。

「彼女は、タオユアン宙域代表ツォン・イエフアの従妹、ツォン・ツァンユエだ。今は、同志『デルタ』が催眠術で刷り込んだキーワードにより、催眠暗示下にある」

「何……だと……?」

 チョウハイは、まじまじと、男物の黒い中国服を着た少女を見つめた。監視カメラの映像で見ていた間は気付かなかったが、言われてみれば、確かに、幼い頃の面影がある。

(生きていたのか)

 喜びなど感じている余裕はなかった。

「できるだけ傷付けず、彼女を拘束しろ! ラーマはわたしが止める!」

 陸戦部隊兵達に命じて、チョウハイは一人、ラーマと対峙した。ラーマ・ローランドの実力のほどは未知数である。気を散らしてなどいられないのだ。

 「テータ」は向かってくる兵達が目に入っているのかいないのか、連盟総本部ビル目指して、一直線に芝生の上を走り始めた。それを追い、或いは迎え撃とうとした兵達が、何故か、きょろきょろとして足を止め、立ち尽くしていく。まるで、彼女の姿を見失ってしまったかのようだ。横目でその様子を見たチョウハイは、息を飲んだ。ラーマのテレパシー能力は、今、自分が抑えている。けれど、兵達の様子は、明らかに、テレパシー能力によって、精神干渉されていることを示していた。

「まさか……」

「彼女はテレパスだ」

 ラーマが、無表情に、チョウハイの推測を肯定した。

 少女は黒い服の裾を翻して、一直線に進んで行く。チョウハイは無線機で他の場所に配置している精神感応科兵の応援を頼むのがやっとだった。ラーマとチョウハイの能力は拮抗していて、その威力が他に広がらないよう防ぐのに精一杯だったのだ。

 警備している兵に正面ドアを開けさせて、連盟総本部ビルに侵入した「テータ」は、更に〈偽装〉を用いて周囲の人間達に紛れ、エレベーターに乗った。既に〈盗聴〉で、警備の兵達の思考から、宙域代表達が宙域代表総会の行なわれる二十階の会議室にいることは、探り出してある。二十階のボタンを押し、同時にエレベーター内外の人間達の意識から、そのことを〈偽装〉して消してしまうと、「テータ」は中国服の上衣の下に隠した拳銃に指を掛けた。

 やがてエレベーターの中は「テータ」一人になり、二十階へ至って静かに停まる。

〈二十階です〉

 人工音声のアナウンスと同時に開いた扉から「テータ」は躊躇なく走り出た。攻撃してくる敵がいないことは、扉が開く前から分かっている。会議室へ到達するために必要と思われることは全て〈盗聴〉で調べ、〈偽装〉で対処済みだ。後はただ、会議室へ入り、キジル・クム宙域代表二人を除く、二十人の宙域代表を殺せばいい――。

「誰?」

 緊迫した声で不意に呼ばれて、「テータ」は振り向いた。会議室とは反対のほうから、女二人が歩いてくる。二十人の標的の内の二人だ。即殺す相手に〈偽装〉など必要ない。条件反射的に拳銃を構えた「テータ」が、引き金を引くより一瞬早く、標的の片方が言った。

「ツァンユエ……?」

 正しく中国語の発音で言われたその言葉が表すのは――滄月。それは、自分の名。途端に、「テータ」の視界に、眼前にあるのとは別の眺めが広がる。迫る炎。宇宙服のヘルメットのバイザー越しに見た最後の顔。爆発。宇宙。宇宙。宇宙。

媽媽(マーマ)……!」

 母さん、と呟いて、少女は気を失い、その場に倒れた。


   十五 心の帰還


「作戦の全てが、終わったようだ……。宙域代表の暗殺には、失敗したらしい……」

 うっすらと微笑んだムスタファの言葉に、その場に詰めた戦線の人間達は皆、涙を流した。ムスタファの真意はスレシュによって戦線艦隊の乗員全てに伝えられ、その後は一致団結して、メインランド宇宙門を攻撃する隊形を維持し、囮の役割を果たしてきたのだ。一方で、ティエンとムスタファは医務室に運ばれ、スレシュの手当てを受けた。ティエンは一時危篤状態に陥ったが、耳元でジョヴァンニが怒鳴りつけ、ヘー・フイが中国語で嘆き続ける内、奇跡的に持ち直し、小康状態になって病室へ移された。だが、ムスタファのほうはやはり致命傷だった。けれど、テレパスのラーマと意識を繋いだムスタファは、最後の時間を有意義に過ごそうとでもいうように、メインランド地表の作戦の様子を、周囲に集まった同志達やスレシュ、ジョヴァンニへ語り続けたのである。そして、それももう終わりということだった。

「ルチアーノは――、ツァンユエはどうなったんだ!」

 衝撃的な形で真実を知らされたジョヴァンニは、叫ぶように問うた。ムスタファが瀕死の状態と分かっていて尚、殴りつけたい衝動が湧いてくる。そんなジョヴァンニの気持ちを知ってか知らずか、ムスタファは穏やかに答えた。

「彼女は、帰るべきところへ帰った。後は、きみが守ってやるといい。きみの素晴らしい能力を用いれば、より良い未来が得られるはずだ」

「あんたはあいつの素性を知ってたのに、何であいつを家へ帰してやらなかったんだ!」

 とうとう怒鳴ったジョヴァンニに、ムスタファは遠い目をして、更に衝撃的なことを告げた。

「彼女は、人類宇宙軍に命を狙われていた。彼女は、エデン内戦の中の、箱舟の悲劇の被害者だ。しかし、あの悲劇は事故ではなく、軍の意図的な攻撃だった。だからこそ、当時、地表制圧科降下部隊に所属していて、生存者の有無の確認に行かされたわたしは、彼女を見つけた時、ともに逃亡する道を選んだのだ。もし彼女を連れ帰れば、再び事故を装って、人類宇宙軍の手で抹殺される可能性が高いと判断してな……」

「何で、人類宇宙軍が、あいつの命を狙うんだ……?」

 ジョヴァンニは乾いた声で問うた。彼には信じられないことだったが、戦線の者達の中からは、軍ならやりかねないという向きの苦々しい呟きが、次々に起こった。

 ムスタファは一端目を閉じてゆっくりと開き、苦しげに息を継いでから、語り始めた。

「わたしもついに、詳しい事情を掴むことはできなかった。ただ、ツォン・ツァンユエはテレパスになった(・・・)人間だった。そのことが、軍にとって、障害となる事実だったということは確かだ。――軍は、惑星エデンでテレパスを人工的に創り出す研究をしていた。そもそも、地球生まれの生物にはテレパシー能力の素養がある。だが、それのみでコミュニケーションが成立させられるほど強いものでもない。そこで、人類宇宙軍の科学者達は考えた。強いテレパシー能力を生み出す遺伝子の塩基配列を解明し、それらをナノマシンに組み込んで人工ウイルスを創り、感染させればテレパスを創れると。奴らはエデンに研究所を作り、テレパシー能力の強い人間を人類宇宙中から集めた。全て極秘のことだ。集められたのは、テレパシー能力の表れ易い子供で、しかも、孤児だという場合が圧倒的に多かった。ラーマはその内の一人であり、ハーミドはそこへ売られた後で逃げ出し、さ迷っていた子供だ。ともかく、その子供達の遺伝子を調べて、科学者達は求める塩基配列を解明し、人工ウイルスを創った。その科学者の一人が、ツァンユエの父親、アルフォンス・レニャーニだ。だが培養の過程で、人工ウイルスは突然変異を起こし、大きくなり攻撃的になって、意思を持って逃げ出した。これが、いわゆるUPOだ。記録に拠れば、UPOに感染しても、幼い子供はほぼ助かる。ツァンユエは恐らく、その最初期の感染者なのだ。その後エデン内戦が起こり、UPOはどういうルートを通ってか、サン・マルティンへ渡り、サン・マルティンの悲劇は起こった――。ツァンユエはUPOがどこで発生したかを証明するサンプルであり、彼女の父親はその極秘情報を知る人間で、母親は人類宇宙でも名高いツォン家の人間だった。そのことが、隠蔽体質の人類宇宙軍にとっては、暗殺計画を立てて実行するほどの懸念材料だったのだ。今わたしが語ったようなことも、全て、テロリストの世迷い言として片付けてきた組織だからな。けれどわたしは、彼女のようなUPO感染者や、エデンの研究所に集められたテレパスの子供達こそが、次代を担う人類の先駆けだと思った。他者の気持ちを直に感じて共有できるのならば、戦争、殺し合いなどしない、進化した人類になると思ったのだ。ゆえにわたしはあの時、ツァンユエを、エデンの子供達を助けるべきだと決意して、軍を脱走した。だが違った。他者の気持ちが全てストレートに分かるからこそ、憎悪、軽蔑、殺意などにも敏感なのだ。テレパス達は残酷な者に相対する時、相手以上に残酷になる。自分を他者と比べて自分が不幸ならば、幸福な他者を食おうとする。それでも、テレパスには大いなる可能性がある。わたしは今も信じているのだ。ツァンユエや、ラーマや、ハーミド達は、殺し合わない人類の先駆けたり得ると」

 医務室を、沈黙が支配する。語り終えたムスタファは、うっすらと微笑んだまま目を閉じ、現在も艦橋にいて戦隊の統制をしているハーミドへ、心の中で語りかけた。

(最後に、ハーミド、おまえには、ただ、感謝の言葉しかない。ラーマも、地表で他のことに能力を使いながら、わたしと意識を繋いでおくのはそろそろ限界のようだ。しかし、ラーマのお陰で、きみ達テレパスの感覚を、少しの間だが、同じように感じられたよ)

 そしてムスタファは、最後の力を振り絞って口を開き、皆へ、心からの礼を述べた。

「同志諸君、運命を共有してくれた皆、今までわたしについて来てくれて、ありがとう」

 隣室から起こった号泣に、病室でヘー・フイとともにティエンに付き添うハサンは、黙して目を閉じた。頑なに艦橋を守っているハーミドにも、この瞬間、何かが伝わっていることを願いながら――。


          ●


「今、ムスタファ・アブドゥル・アッワル・シャーが死んだ。われわれの作戦はここまでだ」

 ラーマに、前触れもなく告げられて、チョウハイは目を瞠った。人類宇宙軍脱走兵にして途上惑星解放戦線の創設者たるムスタファ・シャーに対し、軍が賞金を懸けているのは知っていたが、まさか、それが、このタイミングで功を奏したのだろうか。

(何にしても、助かったな)

 チョウハイは、額の汗を拭った。〈炎の(ファイアー・ウォール)〉の異名を持つ彼でも、ラーマの相手はきつかった――。

 ツォン・チョウハイが、こちらの逃亡を妨害する気配はない。短い攻防戦で、何が無駄かを悟ったのだろう。ラーマはくるりと踵を返すと、立ち去りながら、テレパシーで「ベータ」に、ムスタファの訃報と、その遺言をそっくりそのまま伝えた。



【……「ガーゼイ、あの、エデンの焼け跡でさ迷っていたわたしとツァンユエに、手を差し伸べて命を救い、最初の同志となってくれたことに、限りない感謝を捧げる。お陰で有意義な人生を歩めた。おまえと誓った人類の新たな進化はまだ道半ばだが、わたしは、ツォン・イエフアがツァンユエを覚えていたことに、人類の未来を賭けたい。どうか宙域代表のまま、エデンとサン・マルティンの子供達を守ってやってくれ。ありがとう。さらばだ」】

 廊下に出て、イエフアに抱き起こされた少女を見つめるアーリは、頬を伝う一筋の涙を無言で拭った。荒廃したエデンで連盟職員として働きながら、絶望していった十八歳の自分。希望を語ってくれた二十二歳のムスタファ。掛け替えのない友が、永久に去ったのだった。


          ●


 途上惑星解放戦線艦隊の処遇は、投降する前にハーミドがミシェルの取材を受け入れたことで、当初の見方よりは、相当寛大なものになった。ジョヴァンニの予想通り、ダイチとジャマルの存在は世論の同情を引いたし、ハサンやティエン、ハーミド、スレシュといった、実際に戦線の戦力となっていた少年達にさえ、同情が集まった。そして、ハサンとティエンには特赦が出、単なる保護観察処分となった。二人とも戦災孤児として劣悪な環境で育ったこと、未成年であること、戦線の構成員ではないこと、戦争の中での戦闘行為だということが、考慮されたらしい。加えて、二人とも入院が必要と判断され、投降後すぐに、メインランド地表のフロリダ共和国立総合病院に連行された。ハーミド達、戦線の多くの構成員は捕らえられたが、死刑はないという。ジョヴァンニやスレシュ、ヘー・フイのような、そもそも戦闘に参加しなかった者達は、ダイチとジャマル同様不処分とされ、自由の身となった。今は少しでも入院組の傍にいるため、イエフアが借りたホテルに滞在中だ。しかしジョヴァンニとミシェルの婚約は解消された。妙な経歴のできたジョヴァンニに、ミシェルの父親が難色を示し、またジョヴァンニも、守りたい相手ができたのだと、ミシェルに正直に告げて、了承して貰ったのだった。


          ●


「DNA鑑定でも証明されたわ。あの子は、わたしの従妹の、ツァンユエなの」

 前を歩くツォン・イエフアの言葉を聞きながら、ジョヴァンニは硬い面持ちで病院の廊下を歩く。ハサンとティエンが入院させられたその同じ病院の精神科病棟に、ツォン・ツァンユエは入院させられ、彼らと同じ保護観察処分を受けている。宙域代表達を暗殺しようとしたのは催眠暗示下でのことと、医者の証明がなされたからだ。犯行時の記憶はほぼ欠損しているらしい。だが、それと引き換えるように、戻った記憶もあるということだった。

「意識はしっかりしているわ。記憶の混濁もあまり見られないし、普通に話して、普通に食べている。でも、どこか脆いの。どこか普通ではないのよ。ただ、あなたの名前はよく口にして、会いたがっているみたいなの」

 警備の者達が立つドアの前で足を止め、イエフアはジョヴァンニの顔を見ると、ガチャリとドアを開けて、中へ入るよう促した。

 落ち着いた風合いの部屋の中、窓際の椅子に座った少女はジョヴァンニを見て微笑んだ。癖のない黒髪も、滄溟色の双眸も、端正な顔立ちも、ルチアーノに似ているが、違う。違う顔だ。

「元気そうだね、ジョヴァンニ。お陰でぼくは、新男爵になり損ねたよ。きみの〈勘〉と強運には、完敗だ」

 ルチアーノの口調のまま言われて、ジョヴァンニは、つらい事実を、低い声で確認した。

「ルチアーノは――、おれの従兄の本物のあいつは、死んだのか」

 今度は、硬い口調で答えが返ってきた。

「彼は、九歳の時に、宇宙線性脳腫瘍で死んだ。わたしは、彼に会ったこともない。彼として振舞うために、画像や映像で研究はしたがな。彼に会いたければ、シアンムーに墓の場所を問えばいい。どこかにひっそりとあるはずだ。但し、急いだほうがいいだろう。シアンムーは、わたし以上におかしくなりつつあるからな」

 ツァンユエはちらと笑うと、じっとジョヴァンニを見つめて問い返してきた。

「おまえから、憎しみが感じられない。何故だ? わたしがおまえの暗殺を画策していたことは知っているだろう? わたしは、おまえの全てを奪おうとしていたのに、何故憎まない?」

「――優秀なテレパスだって聞いたが、おれの心も読めないようじゃ、大したことねえな」

 ジョヴァンニはツァンユエを見つめ返して言うと、ゆっくりと歩み寄って、そっと腕を伸ばし、彼女を抱き締めた。椅子に座ったまま抱き締められたツァンユエは、目を見開き、数瞬間硬直していたが、すぐに頬を引き攣らせ、泣き笑いのような表情になって、微かに震えながら呟いた。

「……傑作だな……! 全く、道化もいいところだ、おまえもわたしも……。おまえはやはりあいつの死を悲しんで……、わたしはあいつの死を喜んで……」

「何のことだ……?」

 怪訝な顔をしたジョヴァンニに、ツァンユエは暫く黙った後、静かに告げた。

「――フェデリコは生きている。『オメガ』が、テレパシーでそう伝えてきた。宇宙船に乗っていた他の乗員ともども、惑星ヒマ・アラヤのサヤーム帝国にある、さる寺院に預けられているそうだ。全員、『オメガ』の技で、自分が誰かも忘れているらしい。思い出させるには、おまえの顔を見せればいいと言っていた」

「……本当……なのか……?」

 驚いたジョヴァンニの顔を見上げ、ツァンユエは自嘲の笑みを浮かべる。

「『オメガ』は、ムスタファの命令で能力を使って『ラムダ』も世間も欺き、わたしを掌の上で躍らせていたのだ。おまえを殺しても、フェデリコが生きていては、わたしは新男爵になれない。安住の地は、得られない。わたしは結局、ムスタファの道具でしかなかった……」

「違う……!」

 ジョヴァンニは叫んだ。ムスタファに会って知った真実を、今ここで伝えねばならない。

「あいつは、誰よりおまえに賭けてたんだ! ツォン家の人間で、エデン内戦の被害者で、テレパスのおまえに! はっきり言って残酷な奴だった。ティエンのことは、テレパスとしての素質に乏しいと見るや活動資金を得るために売り飛ばし、一番傍にいたハーミドよりも、おまえのことを気にかけて……! ハーミドが、おまえのことを、殊更に道具だって言ってた理由も、今なら分かる。あいつは、おまえに妬いてたんだ。ムスタファに、人類宇宙を変える鍵を握る存在として大切に扱われてたおまえに! ムスタファは、イエフアとおまえの再会に満足して、おまえの存在に未来を託して、死んだんだ……!」

 ジョヴァンニの話を聞く内、段々と強張った顔になっていったツァンユエは、虚空を見つめ、囁くように言った。

「……宇宙の中で、独りぼっちだった……。マーマも、誰もいなくなって、何にもなくなって……、独りで、独りで、怖くて……。でも、手が、宇宙服を着た、白い腕が伸びてきた。ムスタファが、助けてくれた……」

 イエフアが、堪らなくなったように駆け寄ってきて、ジョヴァンニの腕の上から、ツァンユエの肩に抱きつき、涙を零した。ジョヴァンニもまた、ツァンユエを抱き締める腕に力を込め、そして、囁いた。

「ツァンユエ、おまえは、帰るべきところに帰ったんだ――」



「――おれの足が呼んでいる。その袋の中身、おれの義足だろう? 修理してくれたのか」

 ベッドに横たわったままのティエンに指摘されて、隣室からやって来たハサンは、些かうろたえつつ、抱えてきた袋をベッド脇に置いた。全く、ティエンの能力には驚かされるばかりだ。医者の説明に拠れば、鉱脈や水脈の発見、宝石の鑑定などにも応用できる能力らしい――、が。

「多用は禁物なんだろう。余計なことに力を使うな。集中治療室に戻りたいのか」

「感じるくらいは、何でもない。大変なのは、あの〈グレムリン〉さ」

 微笑んだティエンの言葉に、ハサンは顔をしかめる。

「――全く、おまえは死にたがりの大馬鹿だ。あのフイって婆さんにも、何故さっさと言ってやらない。あなたの言う通り、おれはあなたの孫です、ってな」

 ティエンは軽く目を瞠って、ハサンの顔を見上げた。

「何故、知っている? 彼女が言ったのか?」

「おまえの枕元で、何度となく、中国語で言っていただろう。それを、ジョヴァンニがおれ達に通訳した。あいつ、中国語も多少はできるらしい」

「さすが、大会社の次期経営者は違うな。知識と、あの〈勘〉があれば、怖いものなしだ」

 感心したように呟いて、ティエンは、ふっと窓の外の青空へ目を遣る。

「死を間近に感じていたから、再会を喜ぶ彼女に否定の言葉を投げ付け、拒絶した。だが、おれは生き延びた。いずれまた再会したら、今度こそ孫として会おう」

 フイは、スレシュとともに、重要参考人として連盟に任意同行を求められ、今ここにはいないが再会は難しくない。

 窓の外を見つめたまま、ティエンは問うてきた。

「おれもおまえも、スレシュもジャマルもダイチも、――ツァンユエも、一緒に住むのか」

「ああ。おまえの婆さんも一緒に、ジョヴァンニの家にな」

 ハサンはさらりと答えると、ティエンと同じ窓の外を見て、小さな声で詠い始めた。


  まことに天と地の創造の(うち)に、

  夜と昼との交替の裡に、

  人々に益なす荷を積んで

  海原を逝く舟の裡に、

  そしてまた神が空から水を降らせて

  枯死した大地を蘇生させ、

  そこにあらゆる種類のけだものを撒き散らす、

  その雨の裡に、

  風の吹き変わりの裡に、

  天と地の間にあって賦役する雲の裡に、

  頭の働く人ならば

  神の徴を読み取ることができるはず。


 母の声が、一際鮮やかに、耳の奥に蘇っている。窓の外に見える景色は、母が最も好んだ一節を、彷彿とさせるものだった――……。

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