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起承

 戦闘の熱と閃光が残る宇宙を背景に、ぶかぶかの宇宙服を着せられて弱々しくもがいていた、あの小さな手を取った時に決めたのだ。この子に――この子供達に賭けてみよう、と。

 ――人類には新たな進化が必要であり、エデンに集められた子供達は、その先駆けなのだ。

(全ては、より良い未来のために)

 資源豊かな惑星は、楽園とならず、地獄と化した。宇宙から見()()()た赤茶けた惑星の夜側では、あちこちで空襲の火の手が赤く光り、昼側では茸雲が顔を現し、周辺宙域では民間船を巻き込んで、戦艦が砲火を交錯させていた。かの惑星をエデンと呼ぶにしろアドンと呼ぶにしろ、自分も含めて、人々はかの地に夢と希望を求めたはずだ。だが、富は人間の心根を腐らせる。資源の取り合いから、限りない欲望から、人類はまたも互いに殺し合った。

(人類を変えない限り、悲劇が無限に繰り返される)

 今の世界の在り方に満足している者達の喉元に、剣を突き付けねばならない。人類の新たな進化のために。全ては繋がっていると知らしめるために。

(そして、ガーゼイ、わが友よ、おまえとの誓いを果たすために――)

 満天の星空を見上げる男の傍らへ、ゴトラと呼ばれる布を頭に巻き、足首まである丈長服ディスターシャを着るという、アラブの伝統的服装をした少年が歩み寄り、告げた。

「ムスタファ、『ラムダ』と『オメガ』が成功したようです。今、ニュース速報がありました。アレアルディ男爵の専用宇宙船が消息を絶った、と。事故と事件、どちらの可能性もあるとして捜査が進められてるようですが」

「――おまえの〈予言〉通りになったな、ハーミド」

 髭をそよがせる夜風を感じながら、男が振り向くと、少年は真っ直ぐな眼差しをして言った。

「あなたの策通りになったんです、ムスタファ。それに、ぼくの能力は、ただ、人々の絡み合う思惑の集束する先が感じられるというだけのこと。人の心は容易く変わり、それによって、導かれる未来も変わります。〈予言〉というほどの能力じゃありません」

「だが、その能力こそが、人類に新たな未来を導く。わたしは、おまえ達精神感応能力者(テレパス)に期待しているのだ」

「ぼくは、あなたに期待してるんです、ムスタファ」

 きっぱりと言い返した少年に男は微笑み、その肩に手を置いた。

「冷えてきた。中へ入ろう」

 過ごし易いのは、明け方と夕暮れ時のみ。昼は暑く、夜は寒い。そんな、惑星バー・レーンに数多ある砂漠。その砂漠の一つにあるオアシス都市に、現在、彼ら、途上惑星解放戦線は本部を置いていた。


        * * *


 銀河系(ザ・ギャラクシー)の端に位置する太陽系は第三惑星、地球に発生した人類は、やがて地球を飛び出し、超光速と星改造の技術を発展させて、太陽系中へ広がった。太陽系時代と呼ばれる時代であり、人類が専ら地球上で暮らしていた時期を地球文明期、他の惑星やその月にまで生活の場を広げた時期を宇宙文明期と大別する。人類は、更には銀河系の他の恒星系や他の銀河系へも進出し、人類宇宙(ザ・ヒューマンカインド・スペース)時代と呼ばれる時代を迎えたが、超光速の技術を以てしても、遥かに離れた各恒星系に散らばった人類同士が連絡を取り合うことは困難となった。このため、他の人類達から忘れ去られる人類集団が幾つもできたのだ。分散文明期と呼ばれる時期である。しかし、惑星メインランドの宇宙物理学者の研究チームが、神の門(バブ・エル)とも呼ばれる宇宙門(スペース・ゲート)を開発したことによって事態は変わった。人類は、宇宙門から隣接宇宙へ入り、また別の宇宙門から出ることによって、全く時間をかけずに空間を移動できるようになったのだ。集合文明期の始まりである。人類は惑星メインランドを中心として連絡を取り合い、各恒星系に次々と宇宙門を設置して行き来するようになった。メインランドの標準暦と標準時間を転用した人類宇宙基準暦と基準時間も各地で使われ始め、人類は再び一つにまとまり、ついには人類(ザ・ヒューマン)宇宙(カインド・スペース)連盟(・リーグ)を結成するに至った。けれど、集まれば諍いが起こるのが人類の性なのだ。

 基準暦五四〇年から五四三年にかけて、人類は集合文明期始まって以来の惨劇――エデンの悲劇とも呼ばれるエデン内戦を経験した。開拓途上惑星エデンの豊富な地下資源を巡って生じた小さな紛争に対し、人類宇宙連盟の下部組織である人類(ザ・ヒューマン)宇宙(カインド・スペース・)(アームド・サービスズ)が鎮圧に乗り出し、逆に惨禍を広げたのだ。人類宇宙軍の治安維持活動は、当初、一般の人々にも仕方のないことと受け止められていた上、軍が全ての失態を隠蔽しようとしたため、数々の悲劇が明るみに出たのは、基準時間において、実に終戦から五年後、エデンが発展途上惑星と認定されてからのことであった。また、基準暦五四五年から五四六年にかけて、人類は、サン・マルティンの悲劇と呼ばれる、サン・マルティン封鎖を経験した。人類宇宙に蔓延しつつあった未確認病原体(アンアイデンティファイド・パソジェニック・オーガンズ)、略してUPOと呼ばれた病原体が、惑星サン・マルティンの風土病の病原体と同一のものだと知れた時、この風土病を封じ込めるためとして、人類宇宙連盟は人類宇宙軍を使って強行に開拓途上惑星サン・マルティンを封鎖し、入植していた開拓民達を見殺しにしたのである。そして、基準暦五五三年。人類は、二つの悲劇の傷跡を引きずりつつ、一人一人がそれぞれに、より良い未来を希求し、生きていた――。



第一章 起承(チー・チェン)


   一 ジョヴァンニの家出


 惑星メインランドに数ある小国の一つ、ガリラヤ王国。その王国の国立宇宙学園は、消灯時間を迎えて寝静まっていた。が、名家の子弟専用である寄宿舎の、厚い絨毯が敷かれた廊下を誰かが走る振動が伝わってくる。少年は、照明を消した部屋の中で、暗い双眸を上げた。

 バタンッ!

 高価な木製の、地球文明期ヨーロッパデザインのドアが、乱暴に開かれた。

「ジョヴァンニ……」

 入ってきた少年の声が、沈痛に響く。

「今、母上から報せがあって……、船の残骸が発見されたって。かなり粉々に砕けてて、乗員は誰も見つからないけれど、救命艇も残ったままだったから……、望みはない、って――」

「……やっぱり、か……」

 ジョヴァンニと呼ばれた少年は、皮肉な口調で呟いた。その様子に、訃報を伝えた少年は、ふと気付いた様子で問うた。

「また、〈勘〉……?」

「ああ」

 ジョヴァンニは椅子から立ち上がりながら、苦笑いするように顔を歪める。

「嫌なことばっかり、当たりやがる――」

 暗闇の中で、しかし、その目に光るものは現れなかった。


          ●


 ジョヴァンニの父、フェデリコ・アレアルディ男爵の葬儀会場には、人類宇宙連盟の宙域(リージョン)代表や、様々な惑星の貴族達、取り引き先の社長等、豪華な顔ぶれがひしめいていた。その黒い集団を二階から見下ろす、同じく喪服を着たジョヴァンニの新緑色の双眸は冷ややかだ。

(全く、葬式ほどその人間の一生をよく表すものはねえな)

 フェデリコ・アレアルディは、カネでのし上がった男だった。基準時間において十年前に終結したエデン内戦の軍需景気の最中、物流会社であるアレアルディ・カンパニーを立ち上げ、莫大な富を築いた彼とその兄アントニオは、いい加減儲けた頃にカネをばらまいて、長年に渡る内戦で疲れきった諸勢力のトップを丸め込んだ。そして、内戦を終結に導いた功績を讃えられて、惑星エデン開発に多額の投資をしていたガリラヤ王国から男爵の位を与えられたのである。実際に爵位を与えられたのは、講和の表舞台で活躍した兄アントニオのほうで、フェデリコ自身は男爵弟でしかなかったが、そのアントニオが、爵位を授けられてから基準時間で僅か三ヶ月後に、過労で病死したのである。彼には、男爵になる七年前に結婚した妻、香木(シアンムー)(ピン)・アレアルディと、六歳になる息子がいた。しかし、そこでもフェデリコはうまくカネをばらまいて、自ら男爵位を得ることに成功したのである。シアンムーには、元男爵夫人の称号と、僅かばかりの遺産、そして子供が残されただけであった。そうしておいて、フェデリコは、世間体を考えてか、彼ら二人の面倒を看ることにしたのである……。

「ジョヴァンニ、こんなところにいたのか」

 背後で声がした。父の訃報を伝えた、あの少年である。彼の名を、ルチアーノ・義軍(イーチュン)・アレアルディという。彼こそがアントニオの忘れ形見の子供であり、ジョヴァンニの従兄にして幼馴染みだった。今は、国立宇宙学園高等学校の同級生でもある。

「そろそろ棺のところに行かないと、式が始まってしまう」

 従兄の言葉に、ジョヴァンニは皮肉な笑みを浮かべた。結局、船の残骸以外、何も見つからなかったので、棺の中は遺品だけだ。それゆえ余計に、全てが滑稽じみて見えるのかもしれない。

「なあ、あいつら見てみろよ」

 ジョヴァンニは階下の人間達を顎で示した。

「これっぽっちも親父の死を悼んでなんかいねえ。ただ、媚を売りに来ただけだ。高が男爵とはいえ、特権階級連中の中でも目立った金持ちになって、大会社の社長にまでなっちまった、このおれにな……」

 自嘲気味に言って、ジョヴァンニは、美しい従兄を振り返る。

「おまえ、相続しないか? 会社も爵位も、何もかんもくれてやるぜ?」

 半ば以上本気で言うと、同い年の従兄は、短く切った艶やかな黒髪がかかる滄溟色の双眸に、複雑な色を浮かべて溜め息をついた。

「ありがたい話だけれど、叔父様は、一人息子のきみに全てを相続させるという遺書をきちんと残されているから、無理だよ。……全く、アレアルディ家の次期当主という、誰もが羨ましがる身分でいながら、何を言うんだろうね、きみは」

 呆れた様子の従兄に、ジョヴァンニは低い声で告げた。

「おれ……、本当に相続したくねえんだ。親父の汚いカネで手に入ったものなんか、一つだって欲しくねえ……!」

「ジョヴァンニ」

 ルチアーノが少し厳しい声を出した。

「亡くなった人を侮辱するのは、やめるんだ。それに、ぼくはきみのお父上のことも、ぼく自身の父のことも尊敬している。そのぼくの前で、今のようなことは言わないで欲しい」

「……悪い」

 ジョヴァンニは素直に謝った。

「おまえの父親まで、非難するつもりはなかったんだ……」

 ジョヴァンニが項垂れると、ルチアーノは今度は慰め顔で、優しく言った。

「もういいよ。ごめん、今一番つらいのは、きみなのにね」

 そうして、少し考えるようにしてから提案したのだった。

「でも、本当に今、遺産を継ぎたくないという気持ちが強いなら、ぼくにいい考えがある」


          ●


 一週間後。

 美しい洋館の中の一室で、ルチアーノは、開け放った窓から入る風で純白のレースのカーテンが揺れるさまを眺めながら、緑茶を楽しんでいた。

 フェデリコ・アレアルディの葬儀も告別式も、全ては滞りなく終了した。そして――。

 背後に人の気配を感じてルチアーノは振り向いた。部屋の入り口のところに、母、シアンムーが立っていた。母は「彼」と同じ美しい黒髪を風になぶられながら、漆黒の瞳で微笑む。

「全て滞りなく……、巧くことが運んだようですね」

「ええ」

 ルチアーノは抑揚に乏しい声で答えた。

「あの子はもう……?」

 シアンムーの声には、嬉しさを抑えられないような軽やかさがある。それとは対照的に、ルチアーノは、あくまで事務的な口調で言った。

「いえ、それはまだ……。昨夕出発したところですから。手配はしておきましたが……」

「そう」

 シアンムーは、それでも笑みを絶やさない。

「でも、本当に楽しみだわ」

 そう言って、持っていた扇で口元を隠すと、ルチアーノに近付き、幾分低い声で問うた。

「あなたのことだから心配はないと思うけれど、本当に大丈夫でしょうねえ?」

 笑った瞳の奥の、燃え盛る憎しみを見て、ルチアーノは彼女から視線を逸らした。

「御心配には及びませんよ」

 窓の外の美しい庭園に目を遣って答えたルチアーノに対し、シアンムーは、やっと母親らしいことを口にした。

「喪に服すのは今日で最後……、明日からは、寄宿舎に戻られるのですね?」

「ええ、そうです、母上」

 ルチアーノは、ちらりとだけシアンムーを見て答えた。

(われながら滑稽だな)

 母の去った後、ルチアーノは思う。まるで素人芝居の母と子だ。もう七年近く母と子を()()()()()というのに。

(ジョヴァンニ、遺産を相続したくないのなら、寄付でも何でも、手放す方法は幾らでもある。だが、そうされるとわたしが困るのだよ)

 ジョヴァンニとは、同じ長さの歳月、幼馴染みのように、親友のように、付き合ってきた。

(おまえは、本当に、わたしを親友だと思っていた……、いや、恐らく今も、そう信じて疑わないのだろうな。わたしの真意も、正体も知らずに……)

 ルチアーノは、青い青い空に、目を細める。その彼方、既にメインランド第二宇宙港(スペース・ポート)から出港したであろう宇宙定期船(スペース・ライナー)の中に、今、ジョヴァンニはいるはずであった。


   二 懐かしのSC


 惑星開発は、開拓途上と発展途上という二つの段階に分けられる。開拓途上は、人が住めるようになるまでの段階、発展途上は、その後の惑星の社会的、経済的発展の段階である。惑星エデン行き宇宙定期船に乗ったジョヴァンニの目的地は、その開拓途上の時期に設置されて、今もエデンの周りを巡っているスペース・コロニー――SCの一つだった。

 惑星エデンの静止衛星軌道上にあるエデン宇宙港で、ジョヴァンニはSC間宇宙定期船に乗り換え、そのSCへ向かう。やがて、窓から見えたSCは、以前と変わらない輝きをしていた。暗黒の宇宙の中、オアシスのように浮かぶ人工の楽園。あちこちにチカチカと輝く照明、そして、太陽光に僅かに照らし出された、当時の最先端技術の結晶である、美しい人工的輪郭。

「十年振りか……」

 栗色の髪を後ろで一つに束ね、黒いサングラスをかけたジョヴァンニは呟いた。

 彼の父、フェデリコとその兄アントニオは、十年前、貴族に列せられた時、当然のこととしてガリラヤ王国の市民権も獲得した。以来、息子であるジョヴァンニは、ずっと、惑星メインランドにあるガリラヤ王国で大きくなった。けれど、それまでは、今、目の前に巨大な姿を晒している、この居住型SC‐03Xに、母とともに暮らしていたのである。父は仕事が忙しく、滅多に家に帰ることはなかったが、彼は淋しいと感じたことはなかった。隣には従兄のルチアーノとその母シアンムーが同じように暮らしていたし、近所には、同じような年頃の遊び仲間が大勢いた。そして、家に帰れば、あの優しい母が、いつもケーキを作って、微笑んで待っていてくれたのだ。

 母の名は、(ハルカ)日野(ヒノ)・アレアルディといった。ジョヴァンニと同じ、癖のない栗色の髪と、優しげな新緑色の瞳が印象的な美人だった。だが彼女は、いつも微笑んでいた訳ではなかった。

 ハルカは、ガリラヤ王国のヒノ子爵令嬢であった。二十歳の時に一介の市民だったフェデリコと結婚し、メインランド標準時間の二年後、ジョヴァンニを産んだ。ヒノ家に婿入りしたフェデリコは、いずれ子爵位を継ぐ予定だったが、その約二年後、ガリラヤ王国が増え過ぎた貴族階級対策として、爵位は与えられてより三代のちまでしか認めないという法律を制定した。ハルカは、ヒノ家の四代目であり、従って、その夫であるフェデリコは、子爵位を受け継ぐことができなくなったのである。

 子爵位目当てで婿入りしたのだと噂されるほど爵位に執着していたフェデリコは激怒したが、ハルカと離婚しようとはしなかった。せっかく築いた貴族社会との縁を切るのは愚かだと考えたためだった。彼は、貴族になりたいという野心を持ち続けたのである。その内、ヒノ子爵が病で死に、ハルカは子爵令嬢ですらなくなった。

 ハルカは、ジョヴァンニに隠れてよく泣いた。彼が少し大きくなってからは、彼の目の前でも泣くようになった。そして、必ず言うのだった。

――「ジョヴァンニ、お父様は、お母様のことなど愛してはいないのです……」

 母は、ジョヴァンニの六歳の誕生日を待たずに病死した。元々体の弱い家系であったようだった。フェデリコが貴族に列せられたのは、それから間もなくのことであった。

(お袋は、多少なりとも、親父を愛してたんだろうか)

 母の言葉を思い出しながら、ジョヴァンニは思った。だが、父は、仕事に出かけたまま、母の葬式にさえ出席しなかった……。

 ピンポンパンポーン。

 船内のチャイムが鳴った。

〈当船はこれより、居住型SC‐03Xと接続(ドッキング)致します。皆様シート・ベルトを御着用下さい〉

 アナウンスと同時に、全ての窓にシャッターが下りた。ジョヴァンニは、窓の外を眺めていた視線を離し、目を閉じた。ルチアーノが手配してくれた、十年振りの母の墓参りだった。従兄の言葉が脳裏に甦る。

――「お母上の墓参りぐらい、お父上のお金を使って実行しても、いいんじゃないかな? お父上が亡くなられたこと、それに、何よりきみがそんなに大きくなったことを、見せて差し上げてきたらいいよ」

 親切な幼馴染みの顔を思い浮かべて、ジョヴァンニは目を閉じたまま微笑んだ。

(本当にあいつ、子供の頃からお人好しで……。幼馴染みってのは、いいもんだな。おれの気持ちが分かるのは、あいつだけだ……)

 SC間宇宙定期船は、回転するSCの中心部、無重力の埠頭(ドック)へ、ゆっくりと侵入していった。


          ●


「ルチアーノ・アレアルディさん、お従弟の、ジョヴァンニ・アレアルディ新男爵が遺産をほったらかしにして家出なさったというのは、本当ですか!」

「嘘です」

「しかし、現在、アレアルディ新男爵は行方不明だということですが」

「莫大な遺産に浮かれて旅行に出かけました」

「それは、一体どちらの方へ?」

「あなた以外の誰も、そんな連絡は受けていないということですが」

 ルチアーノは、溜め息をついた。家から外へ出ようとしたところ、門前に詰めかけたこの報道陣である。人類宇宙に広く影響力を持つアレアルディ・カンパニー、その大株主たる男爵家への、世間の関心の高さを示しているのだ。

「ぼくは当人から直接、旅行に行かれる旨、お聞きしました。この間のお葬式の時です。どこへ行ったかは言えません。秘密、いわゆる『お忍び』ということです」

「男爵は何故、家の執事などを差し置いて、あなたに言ったのですか?」

「幼馴染みだからでしょう。これ以上は、お答えできません!」

 何とか人垣を突っ切り、迎えの車に乗り込んで、ルチアーノは漸く一息ついた。

「大変ですねえ」

 尚も群がる報道陣に気を付けて、ゆっくりと車を出しながら、運転手が声をかけてきた。

「ええ。でも、仕方ありません」

 ルチアーノは短く答えて、思う。

(これで、ジョヴァンニが殺されたとなったら、もっと凄まじいことになるのか)

 快調に走り出した車の窓からは、もう報道陣は見えない。ただ、美しく続く緑の風景だけが流れていた。


          ●


 SCは、基準時間の一九〇〇時だった。ルチアーノが用意してくれた、お忍び用偽名パスポートで検査所を通過し、居住区に出たジョヴァンニは、思わず感嘆の声を上げた。

「はっ、相変わらず、綺麗だな。何かこう、ぞくぞくするぜ……」

 そこは、一面のイルミネーションの世界だった。SCの内部は、円筒形の外壁に沿った形で、内側に、外の宇宙に「下」を向けた建物群が並ぶ。遠心力で、擬似重力を創り出しているためだが、惑星の地表とは逆に、地面がせり上がっていき、頭の真上まで続いて再び下に繋がってくるので、地表生活の長い者にとっては、目の回るような空間だろう。だが、それゆえに、夜時間のイルミネーションの美しさは格別なのだ。

 足元に広がる、赤、白、黄、緑、青、橙等の瞬く光が、そのまま正面、そして頭上へと続く。ジョヴァンニは、周囲の人間の視線など気にせず、頭を反らして上を見上げた。地表で見る星とはまた別の、人工的な哀愁と温かさを持った、懐かしい光の洪水。

 全ての光が一瞬にして滲んだので、少年は慌てて目を擦った。

(ちぇっ、柄にもない……)

 ジョヴァンニはとりあえず、泊まれるところを探して、夜の都市を歩き出した。



 栗色の髪の少年の後を、音も立てず尾行している者があった。

(あいつが標的か)

 ビルの陰から陰、路地から路地へと素早く移動して尾行を続けながら、彼は、手にした写真と、ジョヴァンニとを比較する。

――[前金として百万DR、成功すれば、後百万DR支払おう]

 脳裏に、PC画面(スクリーン)で見た依頼主の言葉が甦る。

(必ず殺す)

 彼――鋭い目をした少年は、ジャンパーの下に隠し持った拳銃に手をかけながら、心の中で呟いた。


   三 SCの暗殺者


 ティエンは、首にかけたタオルで流れ落ちる汗を拭いつつ、通りを歩いていた。日雇いの土木工事の仕事を終えてきたところである。彼はどちらかというと、SCの外壁や宇宙港を修理したり建設したりする、宇宙服や宇宙作業用ロボットを使った仕事の方が好きなのだが、毎日そんな仕事があるはずもない。今日のように、SCの内側での、地球文明期から殆ど変わらない、埃と汗にまみれる作業をこなさねばならない日もあった。仕事を選り好みしていては、食べていくことはできないのである。

 ティエンは、しかし、この仕事を苦痛には思わなかった。体力筋力には自信があるし、爆薬の知識も持っている。高所や危険な場所での作業であっても、彼にとっては何でもないことであるし、機械類の扱いも慣れたものだった。そして、何より。

(殺しよりは、数倍いい)

 十六歳の少年は、無表情の奥で思うのだった。

 ティエンは、元暗殺屋である。暗殺者として工作員として、幼い頃から訓練を受けたプロだった。まだエデン内戦の終結せぬ十一年前、彼はムスタファ・シャーという男に拾われた。戦災孤児となって、瓦礫が散乱する廃墟と化した地表をさ迷っていた時だった。

 ムスタファは、元は、人類宇宙軍の二等兵曹だったらしいが、ティエンを拾った時には、一介の流れ者だった。彼の許には、もう一人、テータと呼ばれる少女もいた。彼は、ティエンや彼女のような戦争で孤児となった子供達に、暗殺者や工作員としての訓練を施し、その筋に売ってカネを稼いでいたのだ。

 ティエンも、拾われてから三年後、即ち戦争終結の二年後には売られたが、更に二年後、十歳の時に、売られた先から逃亡した。彼は、殺しは嫌だった。けれど、その時には既に、十五人を殺した経歴を持つ、立派な暗殺者になっていた……。

 カチッ。

 聞き慣れた、銃の安全装置を外す音に、ティエンは反射的に振り返った。彼が逃げ出したあの組織は、もう壊滅していて、逃亡者の彼を追う者は存在しないはずであったが、それでも、日々を安心して過ごすことなどできなかった。

 しかし、ビルの陰から僅かに突き出た拳銃の銃口が狙っていたのは、ティエンではなかった。その射線上に目を走らせた彼は、素早く、手に持っていた黄色い工事用安全ヘルメットを、拳銃目掛けて投げ付けた。

 パシュッ。

 ヘルメットをぶつけられ、照準の大きく狂った拳銃から、サイレンサー付きの発射音が響いた。賑やかな街の通りで、誰もその音に気付かない中、ティエンは間髪入れずに狙撃手目掛けて走り出す。しかし、狙撃手は二発目を試みずに、ダッと路地の奥へ逃げ込んだ。ティエンは走るのを止め、落ちた薬莢とヘルメットを拾った。

(プロだな)

 正直な感想であった。人込みで、しかも幾らイルミネーションで明るいとはいえ夜時間の暗がりの中、五十メートル以上先の人間を狙うその腕、一発目が失敗した瞬間その場を諦めて逃げ去るその思い切りの良さ、逃げ方の巧みさ、速さ。

 ティエンは、ふと目を上げて人込みの中を捜した。が、標的となっていた後ろ姿はもう見つからなかった。栗色の髪を後ろで束ね、黒いコートを着た、彼と同い年くらいの少年……。

(おれには関係ない……が、やはり、忠告ぐらいはしてやるべきだったか……)

 少々の後悔を覚えながら、ティエンは現在泊まっている安宿へと向かった。


          ●


 ルチアーノに迎えを寄越したのは、比較的近くに住むヴェルレーヌ伯爵令嬢、ミシェルであった。彼女は、ジョヴァンニの婚約者である。フェデリコが、貴族社会での地位をより確かなものにするために、息子の意思を無視して用意した縁組みであった。それゆえに、ジョヴァンニはこの婚約には反発していたが、ミシェル自身を嫌っている訳ではなさそうだった。

 門から広大な庭園を通り抜け、美しく古めかしく、実際古い巨大な屋敷の玄関先に車は停まった。運転手にドアを開けて貰い、ルチアーノが車から降りたところに、声がかかった。

「ルチアーノさん、お待ちしておりました。わざわざお呼び立てして申し訳ございません。画面越しでは、やはりどうしてもわたくし、納得がいかなくて」

 腰に届くほど長い淡い色の金髪に、くっきりとした意志の強そうな青い瞳をした少女は、優雅な物腰で玄関の石段を降りてきた。彼女は、ジョヴァンニやルチアーノと同じ十五歳。国立宇宙学園高等学校に通う、同級生でもある。

「彼の『家出』の件ですか」

 ルチアーノも、洗練された動きでミシェルに近付き、腕を貸しながら言った。

「勿論です」

 少女はきっぱりと言う。

「わたくしはあの方の婚約者だというのに、そのわたくしに対して何の連絡もなさらず、突然姿を消されるなんて。弟のニコルも言っていましたわ。幾らお父様同士が決めた婚約とはいえ、あまりに失礼だと。弟にまで、このように口を出されるなど、わたくしもう腹立たしくて。大体あの子は、まだ八歳だというのに妙にませていて……。お父様は、そこが将来頼もしいのだと仰いますけれど。まあ、お父様のお気持ちも分からないではありませんわ。わたくし達はヴェルレーヌ家の三代目。もう次の世代には、貴族を名乗れないのですものね。でも、もしニコルが、再び爵位を頂けるような偉業をなしたなら、また、三代の間、貴族でいられる訳でしょう? お父様はそれを期待しているのですわ。わたくしも、それはあり得ないことではないと思いますの。あの子は、もう自在にスパコンを操り、プログラムを作ることができるのですもの。それで、お父様の御心配はわたくしに集まるのですわ。わたくしがちゃんと、ジョヴァンニ様と結婚できるかどうか。ジョヴァンニ様は気侭な方ですし。これでもわたくし、ジョヴァンニ様の、行動力、先見の明、会社の運営能力等は、高く評価していますのよ。ただ、最大の難点は、あの方がわたくしとの結婚に乗り気ではないということですわ」

 そこまで一息に話した少女は、突然悪戯っぽい表情になって、ルチアーノを見た。

「……とあなたに文句を言っても仕方ありませんわね。あなたもわたくしと同様、いつもあの方に振り回されている口ですもの」

(と同時に、おまえにもな)

 ルチアーノは笑顔のまま思った。ミシェルほど、「我侭」という言葉が似合う人間もそういない。しかし、それでも誰からも好かれている点が、彼女の人徳であろう。

 召使い達が頭を下げる中、玄関に入り、広いロビーを歩き始めたルチアーノを、ミシェルは一階の居間へと案内した。

 華奢な造りの美しいテーブルの上には、既にお茶の用意がされている。ミシェルはルチアーノを席に着かせ、召使いを全て下がらせた後、自ら二人分の紅茶を入れた。

「先ほど申しましたことは、ただあなたをお茶にお招きする口実ですの。お気になさらないで下さいね」

 自らも席に着いた少女は、悪戯っぽくルチアーノを見る。

「あなたのお家は今、あの方のせいで報道陣が詰めかけて大変だとお聞きしますし。わたくし、それであなたをこちらにお招きしましたの。……でも、やはり少しばかりは、あの方についての愚痴も聞いて頂きたくて」

 ルチアーノもおどけて答えた。

「ええ、どうぞ、お嬢様。不肖このぼくで宜しければ、何時間でもお付き合い致しますよ」

(もうすぐ、愚痴など言えない情況になるからな。……あいつは、今日死ぬ)

 穏やかな表情の下の、氷のような感情に気付く者は、誰一人としていなかった。


           ●


「たまには、ぼろい宿に泊まるのもいいかもしれねえな」

 裏通りの端にある一軒の宿屋の前で、ジョヴァンニは呟いた。どうやら戦前から建っているらしい見るからにぼろっちい建物で、汚れた看板には漢字と共通語で、

[何何客舎  ヘーヘー・宿(イン) 一泊二千五百DR食事付き]

 と書いてある。

(何何客舎って、変な名前だけど、開いてるし、馬鹿みたいに安いしな)

 貴族になってからは、父親の体面のせいで、こういう庶民的な宿に泊まる機会など与えられなかった。お忍びの旅行なのだから、泊まるのもこういうところのほうがいいだろう――。

「ぼろで悪かったな」

 呟く入り口の老女に、苦笑いして宿代を渡し、ジョヴァンニは階段を上がり始めた。

(あの婆さん、結構耳聡い……)

 胸中で呟いた時、ふっと狭い階段の上に人影が現れた。擦れ違えそうにないので上で待ってくれているのかと、急いで上がろうとしたジョヴァンニに、その人影が言った。

「おまえ、もしかして……」

「えっ?」

 見上げたジョヴァンニに、その人影は、

「いや、何でもない……」

 と言いよどんだ。照明が暗い中、目を凝らして見ると、同い年くらいの少年であった。短く切られた艶のある漆黒の髪。くっきりとした形のいい眉。切れ長の目の、漆黒の双眸。清潔そうな白いシャツ越しにそれと分かる、引き締まってすらりとした体。穴の開きかけたジーンズのズボンが明らかに不似合いに見える、それは不思議な気品を持った少年だった。

 暫し動きを止めたジョヴァンニを、少年はじっと見つめた後、階段を降り始め、ジョヴァンニの横を器用に擦り抜けて階下へと降りていった。

(野性的って言うんだろうな、ああいうのは)

 ジョヴァンニは借りた部屋に入りながら思った。多分、中国系だろう。しかし、あんな強烈なタイプの人間には会ったことがないと考えつつ、荷物を解き始めた少年は、ふと手を止めた。

(そう言えばルチアーノも、一人でいる時、たまにあんな雰囲気させてることあるよな……)

 同じ中国系の血が入っているためだろうかと無邪気に考えながら、ジョヴァンニは再び手を動かし始めた。



 あの黒い薄手のコートに束ねた栗色の髪。自分と変わらない身長。

(確かに、狙われていた奴だったな)

 宿の一階の食堂で中華料理を食べながら、ティエンは思った。

 この宿の料理は、安い上、妙に懐かしさを感じる味付けで旨い。だが今は、味わって食べる余裕はなかった。

(まさかここに泊まるとはな。だが、ということは)

 切れ長の目が、僅かに鋭くなる。

(今夜、この宿に、あの狙撃手が現れるかもしれないということだ……)

 縁も所縁もないことではあるが、ティエンは放っておけない気分になっていた。


   四 ストリート・チルドレンのリーダー


「失敗したところだというのに、また今夜行くんですか?」

 低く抑えた声でなされた問いに、少年は無言で頷いただけで、拳銃の手入れを続ける。

 そこは、戦災の跡がまだ生々しく残る、寂れた裏通りに通じる路地の一角だった。路地の奥のほうでは、厚手の毛布に身を包んだ二人の年少の少年が、身を寄せ合って眠っている。今は夜時間だ。会話は、彼らを起こさないように低い声でなされていた。

「とにかく、十二分に気を付けて下さい」

 暗がりに白く浮かぶ裾長上衣クルタと腰布ドーティを纏った、年長のほうの少年が言葉を重ねる。

「あなたの話では、標的にはボディーガードが付いているようですし。……あなたにもしものことがあったら、ジャマルもダイチも泣き止めないでしょうから」

「分かっている」

 拳銃を持った少年は、抑揚に乏しい声で漸く応じ、鋭い眼差しを白服の少年へ向ける。

「だが、何があっても、おれが帰らなくても、あいつらに、真実は言うな」

「分かっていますよ。でも、必ず戻ってきて下さい。お金のためじゃありませんよ? ジャマルとダイチの、そしてわたしのために、ハサン」

 暗殺屋の少年は、立ち上がりながら答えた。

「おれが動くのは、いつもカネのためだ、スレシュ」

(そして、そのお金は全額、他人のために使うんですね)

 スレシュは、胸中で呟いて、彼らのリーダーが仕事に出るのを見送った。ハサンの仕事の内容を知っているのは、このストリート・チルドレンのグループの中で、唯一リーダーより年上の彼、スレシュ・ボースだけだった。



 夜半を過ぎると、SCの夜も静かである。ティエンは、ベッドの中で耳を澄まし、目を開いていた。栗色の髪の少年の部屋は、廊下を隔てた彼の部屋の向かいである。緊張して過ごす夜は過去に何度も体験したが、殺すための待機ではなく、救うための待機であるということが、感慨深かった――。


           ●


 丁度その頃、惑星メインランドはフロリダ共和国、その第二の都市、新しい(プエブロ・ヌエボ)市に置かれた人類宇宙連盟総本部において、人類宇宙連盟の宙域代表総会が行なわれていた。

 現在、人類宇宙を統治しているのは人類宇宙連盟であり、人類宇宙にある十一の独立宙域から、各宙域二名ずつ選出された代表によって構成されている宙域代表総会が、その最高決議機関である。この宙域代表総会で決定された事項は、人類宇宙連盟の最高規約として発布され、絶対の拘束力を以って、人類宇宙連盟全体に適用されるのだった。

 その時発言していたのは、桃源(タオユアン)宙域代表の一人、宗夜華(ツォン・イエフア)。惑星タオユアンを経済的に支配するツォン財閥令嬢。東アジア系の、美貌の二十五歳である。

「……かのエデン内戦により戦災孤児となった子供達の内、約半数は、現在も何の保護もない状態で、ストリート・チルドレンとして生きています。われわれは、早急に彼らを保護し、人間らしい生活環境を与え、教育を施すことを検討しなければなりません」

「議長」

 次いで発言を求めたのは、(スヴェトラーナ)宙域代表のウラディミール・オパーリン。スラヴ系の四十一歳だった。

「失礼だが、ツォン代表、彼らの大半は、われわれが用意した施設に入りたがらない。検討するとは、そういう側面のことかね?」

「そういった側面も含みます」

 イエフアは、理知的に応答した。

「しかし、わたしが皆さんに理解して頂きたいのは、その施設の絶対数が、まだ足りていないということ、そして、施設の設備・人員が、まだ充分ではないということです。設備を整えれば、施設に入ることを希望する人数も増えるでしょう」

「議長」

 軽く手を上げたのは、赤い(キジル・クム)宙域代表だった。カフタンというコートを纏い、シャルワールという、たっぷりとしたズボンを穿いたトルコ系の青年の名は、アーリ・パシャ。彼は、穏やかに切り出した。

「ツォン代表の言われることは尤もだと思います。そして、その中でもぼくは特に、教育を徹底すべきだと考えます。現在、エデン住民の中で、われわれ人類宇宙連盟に対して反感を持っている人は少なくない。そして、戦災孤児となった少年少女達は、その最たる者だと聞いています。彼らの教育は、現在の平和を維持する上でも、急務です」

「それはどういうことですか。エデン住民がわれわれに対して戦争を起こすとでも?」

 きつい口調で言ったのは、希望(エスペランサ)宙域代表の、テレーサ・ハビエル、アジア系の四十八歳。そこへ、議長の声が響いた。

「ハビエル代表、発言は穏健に、議長の許可を取ってからにして下さい」

「失礼致しました」

 テレーサは議長に頭を下げてから、アーリに向き直った。

「先ほどのわたしの質問に、お答え頂けますか?」

 青年は微笑んだ。

「ええ。ぼくは、彼らが戦争を起こすとまでは考えていませんが、今、皆さんの心に留めて頂きたいのは、戦災孤児の中に、プロの工作員としての訓練を受けた子供達がいるということです」

 議場の、他の二十一人の宙域代表がざわめいた。

「かのエデン内戦の末期、エデン宙域に溢れた戦災孤児を工作員に仕立て、売るという卑劣な商売が流行りました。未成年ならば、拷問もされず、従ってその仕事を依頼した者の名も明らかにならないという利点からです。これは、人身売買以上の犯罪行為です。まだ幼い、それも肉親を戦火の中で失ったという、心に傷を負った子供達に、破壊活動や人殺しを強要するのですから。ぼくが言いたいのは、そういった子供達に、きちんとした道徳的教育を施すことなのです」

 アーリが着席した後、暫く議場は静かだった。そして、一人のヨーロッパ系の青年が手を上げた。

「ハーヴェー代表、どうぞ」

 議長が重々しく許可を与えた。

 青年の名はクリストファー・ハーヴェー。本土(メインランド)宙域代表の二十三歳である。金髪の青年は、難しい表情をして言った。

「皆さん先ほどから、施設の増設・設備の強化の必要性についてばかり議論しておられますが、それだけのことをする資金を、一体どこから調達するおつもりです? 現在の連盟の財政状況では、それだけのことを賄える資金は出せませんが」

「税を増やすしかありませんな」

 発言権を求めず、着席したままで言ったのは、二つの(バー・レーン)宙域代表ムハンマド・ザグルール。北アフリカ系の五十歳だった。

「反対です。何でもかんでも税金を増やすことで解決しようとするのは、無能者のすることよ!」

 議長が渋い顔をする中、鋭く言ったのはジーン・ワイルド、二十五歳。辺境(フロンティア)宙域代表の、快活でグラマーなアフリカ系女性だった。

「何だと。きさま、わたしを無能だと言いたいのか!」

 ムハンマドが勢いよく席を立った時、議長はやっと大きな声を出した。

「静粛に! ザグルール代表、席に着いて下さい。皆さん落ち着いて、静粛に願います」

 会議は中断され、暫く休憩が入ることになった。


           ●


  それから、正当な理由なくして人を殺してはならぬ。

  人殺しは神の御法度。

  誰か、不当に殺された場合は、

  その後継ぎの人間に報復の権利を認めておいた。

  と言うて、無闇やたらに殺すことはならぬ。

  必ず神の御加護がある。


 母の声が頭の片隅で聞こえた。ハサンは、しかし、闇を睨み付け、歩き続けた。仕事に赴く時は、いつも母が聖典を暗唱する声が聞こえる。だが彼は、そんなことには、もう慣れてしまっていた。

(おれは神など信じない)

 何故なら、熱心なイスラム教徒(ムスリム)だった両親は、彼の目の前で殺されたのだから。彼には、その報復の機会さえ、与えられなかったのだから。

(おれが動くのは、いつもカネのためだ。おれはカネで動く。カネのためなら、何でもしてやる)

 何故なら、彼の妹は死んだのだから。カネがないばかりに、食べ物を用意してやれなかったばかりに。

(おれは決して、あいつらをファーティマのように死なせはしない。もう二度と、あの過ちは繰り返さない)

 ハサンは迷うことなく、足早に、音を立てずに歩く。標的の泊まった宿屋は、跡をつけて調べたので分かっていた。後は――。

(殺すだけだ)

 少年は、懐の拳銃を確かめた。


   五 襲撃の夜


 ジョヴァンニは何故か眠れなかった。胸に何かつかえたように不安で、気持ちの悪い汗をかき、目が冴えていた。彼は寝返りを打って仰向けになり、天井を見つめた。そしてまたすぐ右半身を下にして横になり、自分の手を見つめる。訳もなく緊張して耳を澄ました。

(嫌な予感がしやがる……)

 もっと嫌なことには、彼の〈勘〉はよく当たるのだった。

 ジョヴァンニが万が一のためにバッグから護身用のショックガンを取り出した時、突如として、宿の火災報知機が鳴り響き始めた。

 ジリリリリリ……!

 すぐに、どたばたと、隣からも下からも物音が聞こえ始める。

「火事だあ! 台所が火事だよう! 皆すぐ逃げとくれ!」

 あの老女の、しわがれた叫び声が聞こえた。

(嫌な予感がしたのはこれか……!)

 廊下を走る音や、階段を駆け下りる音が凄まじくなる中、ジョヴァンニも貴重品を入れたままだったバッグを持って、部屋から飛び出そうとした。だがその途端、彼の体は部屋の中へ押し戻された。

「出てはいけない」

 押し殺した声が、耳元に響く。

「な、何だ。おまえ誰だ。火事なんだぞ!」

 混乱したジョヴァンニが叫ぶと、相手は手で彼の口を塞いだ。

「静かに!」

 暗い、漆黒の双眸が、鋭くジョヴァンニを見下ろす。そこで、やっとジョヴァンニは、相手が階段で擦れ違ったあの少年だと気付いた。

「ううう」

 口を押さえられたままジョヴァンニは抗議し、部屋から出ようとしたが、少年は彼の襟首を掴んで無造作に彼の体を部屋の中へ引き摺り込み、ドアを閉めてしまった。そして、彼の耳に冷静な声で言った。

「あんたは命を狙われているんだ。この火事は間違いなく、暗殺者があんたを部屋からおびき出すためのものだ。犯人は、あんたの部屋までは突き止められなかった。だから火事を起こし、その混乱に乗じてこの宿に侵入し、飛び出してくるあんたを殺して、火事騒ぎで死んだように見せかけるつもりだ。とにかく、死にたくなければおれの言う通りにするんだ」

 少年の口調は静かで、ジョヴァンニの思考回路を正常に回復させたが、しかし、ジョヴァンニは少年のように冷静にはなれなかった。うんうんと頷いて見せて、やっと口を解放された彼は、小声で少年に詰め寄った。

「何でおれが命を狙われなきゃいけねえんだ」

 言ってから、ジョヴァンニははっと気付いた。

(そう言や、おれ、億万長者になったんだったな)

「……カネ目当ての奴なら、おれが持ってるカネなら幾らでも払うって言ってくれ」

「分かった」

 少年が了解した直後、ガン、ガンとドアが鳴った。鍵を拳銃で破壊しようとしているらしかった。

「ここだと感付かれたらしい。取り敢えず、どこか物陰に潜んでいろ」

 少年は小声で言うと、自身は手にしていた拳銃を構え、ドアに向かって叫んだ。

「カネなら幾らでもやる。おまえが受けた暗殺の報酬よりも多く払うと、おまえの標的が言っているぞ」

(暗殺の報酬ってのが幾らか、確かめないでいいのかよ)

 ジョヴァンニはベッドの下で顔をしかめた。正体不明の中国系の少年は、お構いなく、更に声をかける。

「おまえの一生も保障すると言っている。もう殺しなどしないで生きられるぞ」

(そこまで言ってねえ!)

 ジョヴァンニは顔をしかめたが、少年のその言葉が効いたらしい。ドアの外が静かになり、そして、声が聞こえた。

「……本当か」

「ああ、絶対だ」

 少年は真剣に返事をする。ドアの外の声が続けた。

「……四人分の一生を保障しろ。それなら、交渉に応じる」

「いいだろう」

 少年は、ジョヴァンニの答えなど聞かずに、すぐに返答する。

「武器をしまって、入ってきてくれ。おれも武器は床に置いておく」

 暫くの沈黙の後、鍵の壊されたドアがゆっくりと開いた。開き切ったドアの向こうに人はいない。だが中国系の少年は、拳銃を目の前の床に置き、しかも両手を上げて、攻撃する意志のないことを示し続けた。と、入り口の横から滑るように、一人の少年が部屋の中に入ってきた。黒髪に黒い瞳。浅黒い肌、彫りのくっきりとした顔立ち。一目で西アジア系だと分かる、十五歳くらいの少年であった。

 その時、バチバチごうごうという音が急に大きくなった。炎の勢いが強くなり、ぼろ宿が倒壊しようとしているのだ。黒っぽい煙が、開け放たれたドアから室内にも立ち込めてくる。

「あんた、早くベッドの下から出て」

 中国系の少年がジョヴァンニを引き摺り出した。

「すぐ崩れる。さっさとしろ」

 暗殺者の少年が、今までの経緯など忘れたような、横柄な口調で言う。

「大事な金蔓に、こんなところで死なれたら困るからな」

(畜生、さっきまで殺そうとしてやがった癖して)

 ジョヴァンニは、思いっきり暗殺者の少年を睨んだが、涼しい顔で見返されただけだった。

「火の回りが速い。窓から脱出するしかないな」

 中国系の少年が窓を開けながら言った。

「飛び降りるのか?」

 驚くジョヴァンニを捕まえて、暗殺者の少年が窓まで引っ張っていく。

「せいぜい足の骨を折るくらいだ。……おまえ、保険には入っているか?」

(こいつの頭の中はカネだけか!)

 思った瞬間、ジョヴァンニは両脇から少年達に抱えられ、次の瞬間には、窓枠を乗り越えて、真っ暗な空中にいた。

(ひえ!)

 悲鳴は最早声にならない。しかし、着地は上手くいった。そして、彼は見知らぬ通りを暗闇の中走らされ、見知らぬところを連れていかれた。案内しているのは、どうやら暗殺者の少年のようだった。


          ●


「わたしが、何故あれほどエデンの戦災孤児達にこだわるのか、不思議に思われたかしら」

 会議終了後、会議室から出ながら、イエフアは傍らを歩くアーリに訊いてみた。

「ええ。やはり、何か訳があるのですか?」

 三十一歳の青年は、興味を持ったように振り向く。イエフアは遠い目をして話した。

「あのエデン内戦で、わたし、可愛がっていた従妹を亡くしたのですわ。いわゆる、エデンの悲劇の犠牲者の一人なのです。叔母一家は、叔父の仕事の関係で元々エデンに住んでいて、でも、戦火が及ばぬ内にと、タオユアンのわたし達の家に避難してくるところでした。叔母達の乗った宇宙船(スペース・シップ)は、大気圏を出て幾らもしない内に、停船命令を無視したという、たったそれだけのことで……。SCが近くにありましたし、何人かは、救命宇宙服を着て脱出したそうですけれど、戦闘のせいで救助が手間取ってしまって……。生存者は、皆無でした。従妹は爆発に巻き込まれたのか、遺体さえ見つかりませんでした……。まだ、たったの三歳だったというのに。あの、箱舟(アーク)の悲劇と呼ばれている事件ですわ」

「まさかツォン家の方が、あの悲劇の犠牲者になっておられたとは知りませんでしたが……、それで、戦災孤児を他人事とは思えない訳ですか」

 アーリの言葉に、イエフアは静かに頷いた。

「ええ。遺体を見ていないせいか、従妹は、まだどこかで生きているのではないかと思うのです。ただ、そう願っているだけかもしれませんけれど」

 休憩の後行なわれた議論で、結局、宙域間貿易に関する税の増加・増設は決定してしまった。彼女は、またも無力だった。背後で、税金に頼ることに反対し続けた、フロンティア宙域代表のジーン・ワイルドが呟く声が聞こえた。

「ちぇっ、あんなに細かい税を定めるなんて、まるで地球文明期の、アメリカ合衆国の独立の切っかけになった、大英帝国の税みたいじゃないか」

 その呟きは、言い知れぬ不安をイエフアの心に引き起こした。

(もう二度と、あんな悲惨な戦争は経験したくないというのに)

 それは、従妹を失った悲しみを土台とした、切なる願いだった。


   六 エデン内戦の記憶


〈皆さんは、「原罪(ジ・オリジナル・シン)の犯された地」という呼称を聞いたことがありますか? これは、内戦を経験した惑星エデンを表した言葉です。この時間は、基準暦始まって以来の悲劇とされる、エデン内戦について学習します。皆さんも御存知の通り、エデン内戦は、基準暦五四〇年から五四三年までの三年間に行なわれた、当時開拓途上惑星であったエデン地表における戦闘と、それに付随したエデン宙域での戦闘のことをいいます。総死者数九千万人とも言われるこの内戦の、そもそもの始まりは、エデン地下資源の利権争いからでした。当時、エデン地表プラントの内、約五十パーセントを所有していた……〉

 ルチアーノにとって、エデン内戦についての講義などは、退屈以外の何ものでもなかった。学園のコンピュータ端末画面に映し出される表やグラフ、悲惨な情況の映像資料も、ヘッドホンから流れる説明の言葉も、「彼」にはひどく薄っぺらなものにしか感じられない。何故なら、当時「彼」はそこに、エデン宙域にいたのだから。あの悲惨な情況を目の当たりにし、歯を食い縛り、泣くことも忘れて生きていた一人なのだから。

(「総死者数」などと誤魔化して)

 本当の戦闘における死者数など、全体の死者数からすれば、微々たるものなのだ。

(人類宇宙軍の誤爆や誤射のお陰で、当時エデン宙域にいた人間の半数近くが死んだのだと、連盟はまだ言えないのか)

 特に、宇宙空間における死亡率の高さ。宇宙船に破壊が生じた時の、死と隣り合わせの絶望的な感覚。感情を支配し続ける、あの恐怖。神経の休まることのない、眠れないあの日々。宇宙に対する、真空に対する、あの恐れ。何度、宇宙空間に放り出される悪夢を見たことだろう。あの真っ暗な、何もない空間。背筋の凍るような寒さ。それは、異常なほどの現実感で以って、「彼」の神経を苛むのだった。

 寒気と軽い頭痛に襲われたルチアーノは、授業終了後、日当たりのいい庭園へ出た。初夏の陽光と風が、凍り付いた神経を解きほぐしていく。ルチアーノは、心地良さに目を閉じた。

「どうかなさって? 御気分でもお悪いのですか?」

 背後から声をかけられて、ルチアーノは振り返った。長い金髪をゆったりと風に揺らす、少女の姿があった。

「ええ少し。戦争の資料で気分が悪くなってしまって。でも、もう大丈夫ですよ、ミシェル様。御心配下さってありがとう」

 ルチアーノは微笑んで答えた。と、そこへ、もう一人別の生徒が現れた。

「麗しのミシェル!」

 その少年は高らかに言った。

「ヘルマン」

 少女は、金髪碧眼の青年が演技過剰な身振りで近付いてくるのを、露骨に嫌な顔をして迎えた。少年はしかし、それには全く気付かず、自己陶酔した様子で朗々と言った。

「今日のきみはまた格別に美しい。この初夏の日差しさえ、きみの前では色褪せてしまうよ」

「それはどうも」

 ミシェルは素っ気無く言った。ルチアーノはその傍らでくすくすと笑う。

 ヘルマン・フォン・ハイム。ハイム公爵の長男で、現在十七歳の英才である。人類宇宙周遊など学園の学業以外のことにも熱心で、度々休学しているため、二歳年下のルチアーノ達と同じ授業を受けることも多いが、どの科目でもトップクラスの成績を収めており、将来を嘱望されている。ただ、生来の異常なまでのマイペースさが、玉に傷だった。

「それはそうとミシェル」

 ヘルマンがふと真顔になって言った。

「きみの婚約者だというあの男はどこへ行ったのかね。近頃さっぱり見かけないが」

「さあ、存じませんわ。どこかへ御旅行に行かれたそうですけれど」

 ミシェルは冷ややかな眼差しで、ちらりとルチアーノを振り返る。ルチアーノは肩を竦めて見せた。

「美しいきみを放っていくなんて、彼はなんて罪な男だ!」

 ヘルマンは叫んで、ミシェルの前に跪く。

「ミシェル、ぼくならそんなことはしない。片時もきみの傍を離れたりしないよ。だからどうか、ぼくの愛を受け止めておくれ。あんな成り上がりで出来損ないで不作法な男のことは、忘れたほうがいい」

 少女は金髪を揺らして、苛立ちを抑えるように溜め息をつくと、ひどく冷たい表情をしてヘルマンを見下ろし、言った。

「わたくしの祖父も、成り上がり者。言わばわたくしも成り上がり者ですわ。そのような身で、畏れ多くも次期公爵様とお付き合いするなど、とてもできません。どうか、わたくしのことなど、さっぱりきっぱりと忘れて下さいませ」

 だがヘルマンは、ミシェルの期待には添わなかった。彼は答えた。

「ああ、きみはなんて奥床しい人なんだ! きみこそ、ぼくの理想の女性だよ」

 ルチアーノはヘルマンのあまりのマイペースにたまりかねて、とうとう口を出した。

「ヘルマンさん、そろそろ次の授業が始まりますけれど、宜しいんですか?」

 ヘルマンは、一瞬きょとんとしたようにルチアーノを見つめると、満面の笑みを浮かべた。

「これはこれは、ぼくの勉学上のライバルのルチアーノ・アレアルディ君じゃないか。この間の宇宙理論の試験では、きみに一点差でトップの座を譲ってしまったが、今度の乗馬の試験では負けないよ。覚悟しておきたまえ。と、それはそうとして、きみは一体いつからそこにいたんだい? 全然気が付かなかったよ」

 ルチアーノもミシェルも、もう何も答える気がしなかった。


          ●


「お帰りなさいませ」

「お帰りなさいませ」

 出迎えの声の中、ツォン・イエフアは巨大な高級車から降り立った。眩い西日に僅かに顔をしかめ、ドアを開いてくれた専用の運転手には目もくれず、颯爽と歩き出す。背の中ほどで切り揃えられた癖のない黒髪が優雅に肩を流れ、最新デザインの濃いグレーのスーツを着た体が、長い影を伴って律動的に前進した。

 イエフアの目の前には、人類宇宙連盟の会議の期間中、彼女が全室借り切っている、高級ホテルがそびえている。無論、会議の期間中は、各宙域代表に、きちんと宿泊所が用意されるのだが、イエフアはそんなものでは満足できない。彼女は、生粋のお嬢様育ちなのだ。

「お嬢様、本日もお疲れ様でございました」

 玄関を入ったところで待っていた老人は、イエフアの幼い時からの世話係であった。

「本当に」

 イエフアは老人を従えてロビーを歩きながら、不機嫌な声で言った。

「頑固で固定観念の虜になっている馬鹿どものお陰で、頭が痛いわ。特にあのバー・レーン宙域代表の親父。規約で禁止されていなければ、ミンチにして、あれの餌にしてやりたい。ムスリムのあいつにとっては、それこそ死にたくなるような屈辱でしょうよ」

 つんとした、赤く塗られた唇から紡ぎだされたのは、恐ろしいまでの毒舌だが、老人は諌めようとはしなかった。

「それは誠に、大変でございましたな」

 老人はただ、大切なお嬢様の怒りが収まるまで、宥めるように受け流すだけである。それが、いつものパターンなのだ。

 自室と決めたスイートルームに入ったイエフアは、軽装に着替えると、侍女達を皆下がらせ、一人になった。途端に、やるせなさの溜め息が出る。最後に行なわれた多数決は、十五対七。ぎりぎり三分の二以上の賛成で、人類宇宙連盟全体に対する税の増加・増設は決定してしまった。その内の大半が、現在盛んになっている宙域間貿易に関する税である。まだ復興しきれていないエデン宙域の経済が打撃を受けるのは、目に見えていた。

 ベッドに座り、宙を見つめていたイエフアは、突然声に出して言った。

「何故あやつらは、宙域代表の莫大な俸給を削減することに反対する? あれが一番余分な連盟費の支出ではないか。宙域代表の殆どは俸給を貰っても、わたしのように使って市民を潤すことも考えずに、ただ己の子孫のために溜め込んでおくだけだ。無論、己の宙域へは多少カネを落とすだろうが、それとて、宙域代表に再選されるため、即ち俸給目当ての行為に過ぎない。宙域代表だからとて、何故月百五十万DRもの俸給を与える必要がある? 宙域代表という名誉と月五十万DR程度で充分ではないか」

 けれど、イエフアには分かっていた。宙域代表二十二人の内、彼女のように生家が豊かでない者は、月百五十万の俸給で、その地位を保っている。もう一人のタオユアン宙域代表、楊雷(ヤン・レイ)もその例外ではない。彼らは俸給を手放したくないのだ。市民は愚かだ。カネをばらまいてくれる人間の、全人格を無条件に信頼して、大事な政治を預けてしまうのだから。

 ふと、イエフアは立ち上がって、ベッド脇の小卓の上に置いてある、わざわざ家から持ってきた写真立てを、手に取った。収まっている写真には、十一歳の時の彼女と、その彼女に抱えられて座っている、可愛らしい二歳の子供が写っている。子供の大きな青い双眸が、無邪気に現在の彼女を見つめた。

「ツァンユエ……」

 従妹は、その父親譲りの海の色の瞳から、滄月(ツァンユエ)と名付けられていた。

「もしあなたが生きていたら、無力なわたしを許さないでしょうね……」

 エデン内戦の悲劇が次々と明るみに出て、行方不明扱いであった叔母達の死が現実のものとされた時、イエフアはまだツォン家令嬢でしかなかった。だが、人類宇宙軍が、エデン内戦時に犯した誤射や誤爆などの数々の失態を、組織的に隠蔽していた事実を知った時、彼女は、祖父の地盤を継いで、タオユアン宙域代表になることを決意したのである。

(人類宇宙軍を、そして連盟を、上から叩き直して、もう二度とあんな悲劇を繰り返させない、そのために、宙域代表になったというのに――)

 微かな嗚咽が、しんとした室内に切なく響いて消えた。


   七 少年達の営み


(成功のニュースがない)

 ルチアーノは、寄宿舎の自室で、PCの画面を見ながら、滄溟色の瞳に暗い色を湛えた。「(つるぎ)」という暗号名の暗殺屋に依頼したジョヴァンニの暗殺が成功したのなら、ニュースで大々的に報道されるはずだ。

(失敗したか、それとも前金だけで逃げられたか……)

 いずれにしても、新たな暗殺屋を探したほうが良さそうだった。


          ●


〈……基準時間の昨日二二〇〇時に採択されたこの新しい税制に対し、各SCの市民代表の中には、早くも抗議の声を上げる人々が出ており、また、エデン地表の市民団体の中にも、抗議を表明し、更には抗議活動の展開を宣言する団体が幾つも現れ始め、エデン宙域の状況は予断の許さぬものへなりつつあります。この反応に対し、人類宇宙連盟は強硬に……〉

 街頭TVから流れる声にジョヴァンニは足を止め、巨大スクリーンを見上げた。女性アナウンサーが、真剣な表情で、連盟の新しい税制にまつわる出来事を説明していた。

(こりゃあ、本当にやばいかもな)

 ジョヴァンニは、再び歩き出しながら思った。ハサン達も、この件には神経を尖らせていた。

 あれから三日が経つ。ジョヴァンニは、その間ずっとハサン達と共に、路地で過ごしていた。

――「敵は必ず新たな暗殺屋を送ってくる。ホテルなどにチェックインして、こちらの居場所を教えるのは危険だ」

 という、ティエンとハサン両方からの忠告のためだった。

(けど、墓参りくらいならいいじゃねえか)

 ジョヴァンニは歩きながら思った。念のため、つば付きの帽子を被り、路地で寝たままの、彼が普段しないような薄汚い格好をしている。誰が彼を、アレアルディ新男爵だと見抜くだろう。だが、ハサンもティエンも、彼の墓参りには反対だった。彼らは、あろうことか、唯一ジョヴァンニの旅行先を知っている従兄のルチアーノが、誰より疑わしいと言ったのだ。

――「おれは依頼主の顔も名前も知らない。ただ、カネの支払いのために、おれの偽名の口座を教えただけだ。暗殺が成功したかどうかは、ニュースを見れば分かることだからな」

 一昨日の夜、ハサンは言った。そしてジョヴァンニから旅行に来た経緯を聞いたハサンとティエンは、ルチアーノが最も怪しいとし、ルチアーノに知られている母の墓参りに行くのも危険だと言ったのだ。

(そんなはずあるか!)

 ジョヴァンニは、一昨日の夜叫んだ言葉を、もう一度胸中で繰り返した。

(あいつが、そんなことするはずがない!)

 唯一の、心許せる相手なのだ。ただ一人の幼馴染みで、親友なのだ。

(あいつが、おれを殺そうとするなんて、そんなことあるはずがない! おれは、あいつを信じてる。これでおれが襲われなきゃ、それがあいつの潔白の証明になるってもんだ)

 ジョヴァンニは、右手に持った花束を握り締め、帽子のつばを深く下ろすと、人込みの中を足早に歩いて行く。彼は、今日、他の少年達がそれぞれ出掛け、一人残ったハサンが寝入った隙に、黙って墓参りに出てきたのであった。


          ●


 ティエンは仕事に出ていた。今日の仕事は、SCの外壁の補修工事である。

 普通、外壁の補修工事などは、作業用ロボットだけを宇宙空間に出し、人間は小型宇宙船の中からそれを遠隔操作して行なう。しかし、人件費が安く、機械が高い最近は、人間自身が宇宙服を着、命綱を付けて、今日のティエンのように、直接、宇宙空間で作業することも珍しくなかった。

 ティエンは熟練の腕前で、外壁に出来たひびを溶接していく。エデン内戦を耐え抜いた、この居住型SC‐03Xの表面は、細かい戦争の傷跡でいっぱいだった。

(お互い、あのひどい中を、よく生き残ったな。中にいた人間達を守り抜いてくれたことに、感謝する)

 ティエンは、同じ戦争を生き抜いた者同士の、友情のようなものをこのSCに感じながら、丁寧に修理していった。

 作業を進めるティエンの、宇宙服のヘルメットに縁取られた視界の端には、真っ暗で果ての知れない宇宙空間がある。だが、その眺めは、ティエンにとって全く苦痛ではなかった。

(このまま、全てのことを忘れて、永遠にここで漂っていたい……)

 時々、本気でそう思ってしまうほど、ティエンにとって宇宙空間は、不思議に解放される場所なのだ。生物の生存を許さない空間で、何故、これほど解放された、リラックスした気分になるのか、ティエンは自分が不可解だった。無重力の感覚が、母体の中で胎児が得る感覚と似ているせいかもしれないし、中国語で(ティエン)という名前の影響かもしれない。或いは、こちらも不思議な、自分の能力のせいだろうか。

(何より、宇宙空間では完全に一人になれる)

 直接肌で触れ合うことなど無論不可能、直接の会話も、否応なく伝わってしまう臭いや熱気や僅かな振動さえ、空気という媒介のないここには存在しない。そのことが、プロの暗殺者としての訓練を受けた彼にとっては、ひどく重要なことに思えた。彼は、一人でないと、心から安心するということができなくなっていた……。

(だが、あいつは逆に、宇宙空間に出るということが、全く駄目だったな)

 ティエンがふと思い浮かべたのは、ムスタファ・シャーの許で、ともに暗殺者として仕込まれていた、テータと呼ばれていた少女のことだった。かなり幼い時にムスタファに拾われたという彼女は、自分の本名も、素性も、年齢も、何も覚えていないと言っていた。その彼女が、宇宙空間に宇宙服のみで直接出ることを、ひどく恐れたのである。一流の暗殺者になるためには、宇宙空間で自由に動くことくらいできなければならない。だが彼女は、幾ら訓練されても、それが出来なかった。ムスタファは、一種のトラウマだと言っていた。けれどとにかく、暗殺者として完璧でない者を暗殺者として売ることはできない。テータはいつまでも売られずにムスタファの許におり、後から訓練を受け始めたティエンのほうが、先に売られた。以来、ティエンは彼女と会っていない。

(黒髪、青い瞳の、わりと整った顔の可愛い子だったな……)

 幼い頃とはいえ、約三年間をともに過ごした少女のことを、ティエンは鮮明に記憶していた――。

「おおい、そろそろ昼飯だぞォ」

 ヘルメットの通信機から親方の声が聞こえ、ティエンの作業と思考を中断させた。午前中の仕事はこれで終わりである。ティエンは、ゆっくりとSCの外壁を蹴って、正確に、小型宇宙船のほうへ飛んでいった。今日の昼飯は、確か、天津飯だった。


          ●


  天にあるもの、地にあるもの全ては神に属す。

  汝らが心の内を曝け出そうとも、包み隠そうとも、

  神は汝らとその決済を付け給う。

  誰を赦し、誰を罰し給うかは全て御心のまま。

  神は全能におわします。


「風邪を引きますよ、こんなところで寝ていては」

 上から降ってきたスレシュの声で、ハサンははっと目を開けた。少し休むつもりが、いつの間にか寝てしまっていたらしい。

「おれは、寝言で何か言ったか……?」

 ハサンは起き上がりながら訊いた。

「いいえ」

 外から戻ってきたところらしいスレシュは、簡潔に否定すると、ハサンの横を通り過ぎ、路地の奥へ座った。

「そうか……」

 ハサンは暗い目をして呟く。何故、捨てたはずの神を称える聖典がいつまでも頭の中にあるのか、彼には分からなかった。

 とにかく、水を飲みに路地の入り口付近にある水道へ行こうと立ち上がったハサンは、自分の体からずり落ちた毛布に目を留めた。普段から眠る時に使っているものだが、先ほどは、寝るつもりがなく寝てしまっただけなので、自分で被ってはいない。

「これは誰が……」

 ハサンはスレシュに訊きかけて言葉を切り、さっと辺りを見回した。スレシュ以外、誰もいない。グループの残り二人、ジャマル・カーミルとダイチ・サカモトは、この時間帯はいつも街で、掏りや物乞い、かっぱらい、詐欺等をして稼いでいるので、いないのはいつものことだが、あの金蔓の少年、ジョヴァンニ・アレアルディまでいない。

「あいつはどこへ行った?」

 ハサンの問いに、スレシュは首を傾げた。

「さあ、わたしが稼ぎに行く前は、ここにいたんですけれど」

 因みにスレシュが「稼ぐ」とは、掏りのことである。ジャマルとダイチに掏りの技を教えたのは彼であった。

(あいつまさか)

 ハサンは険しい顔をした。


   八 ルチアーノの正体


「メインランドの中古品だ。本物だよォ。さあ、買った買った!」

 ちゃちな屋台で男が声を張り上げている。

「あ、いらっしゃい! どれが宜しいでしょう? これがフロリダ共和国製の通信機。こっちはガリラヤ王国製。これはセリーン共和国製のPC、きちんと初期化されたものですよ。こちらは……」

 男の注意が一人の客に向いた瞬間、その屋台の脇を、二人組の少年が擦り抜けた。

「ね、見せて見せて」

 三十メートルほど歩いて人込みに紛れた後、小さいほうの少年が大きいほうにせがんだ。

「ほら」

 せがまれた少年は、握ってポケットに突っ込んでいた手を出して開く。そこには、子供の掌にすっぽりと納まる小型の通信機があった。小さな紙片が貼ってある。そこに書かれている文字を読んだ大きいほうの少年は、通信機を小さいほうに握らせてやりながら言った。

「『ガリラヤ王国製』だってさ」

「『ガリラヤ王国』って?」

「惑星メインランドにある国さ。メインランドには、たくさん国があるんだ」

 得意げに教えた大きいほうの少年、ジャマルも、目をくるくるさせた二歳年下の少年、ダイチも、このエデン宙域から出たことがなかった。

「ねえ」

 その時ダイチが、通信機ではなく、人込みの向こうを見て声を上げた。

「あれ、ハサン兄ちゃんが連れてきた人じゃない?」

 ジャマルもその姿を見付けた。

「ほんとだ。あれ、ジョヴァンニとかいう奴じゃないか。何してんだ、あいつ」

 二人は、だが、ジョヴァンニを追い掛けようとはしなかった。彼らは、ジョヴァンニが命を狙われていることを、知らされてはいなかった。


          ●


 端末画面に出した掲示板をどんどんスクロールして、現れる文字に目を通していたティエンは、とある書き込みに、はっとして手を止めた。暗号文で、「価三百万DRの仕事。対象一人。標的は、ジョヴァンニ・アレアルディ」と書いてある。

(誰の依頼だ)

 ティエンは素早く依頼人の欄を呼び出しにかかった。彼がアクセスしているサイトは、知らない人間が見れば、映画情報を交換するためのごく一般的な掲示板だ。が、それは表向きのことで、実のところは、暗殺屋同士の情報交換用掲示板なのである。そこには、交換殺人の依頼が暗号化されて頻繁に書き込まれている。ティエンは、その中にジョヴァンニの暗殺を依頼した者の手掛かりがあるかもしれないと、仕事の昼休みを利用して、小型宇宙船のPC端末を使ったのだが、それが大当たりしたのだった。

 しかし、現れた依頼者のハンドルネームは、更にティエンを驚愕させた。

(テータだと……!)

 それは、懐かしい暗号名だった。


          ●


〈……基準時間の来月に催される、エデン内戦終戦十周年記念式典には、人類宇宙連盟の各宙域代表の参列も予定されていますが、会場となる惑星エデンでは、住民の生活に打撃を与えると予想される新たな税の導入を可決した人類宇宙連盟の宙域代表達の参列に対し、早くも抗議運動が一部の住民によって行なわれており、……〉

 ピ。

 ニュース放送を消したシアンムーは、カーテンを閉め切った薄暗い自室で、苛立たしげに顔を歪めた。

 ジョヴァンニ・アレアルディがエデンSCへ旅立ってから三日が経っている。だが、「アレアルディ新男爵死亡」のニュースは、一度も流れなかった。

(あいつは何をやっている)

 苛立たしげな表情が、憎悪のそれへと変わる。その鋭い目が、その場にはいない、黒髪に滄溟色の瞳をした少年を睨み付けた。いつも取り澄ましていて、本当の感情の欠片も見せない、工作員として訓練された……。

(そうだ、あいつはいつも、わたしの期待に応えるように見せ掛けて、裏切る)

 シアンムーが欲しかったのは、息子と同じ外見、同じ血液型、同じ声、……とにかく肉体的に息子のルチアーノと全く同じで、しかもルチアーノのふりができる賢い子供だった。だが、売られてきた子供は、賢いという以上に、(したた)かで、能力(・・)を持った子供だったのだ――。

 あの時、シアンムーには時間がなかった。宇宙線性脳腫瘍で死んだ息子の、その死を周囲から隠し通すためには、早急に替え玉を用意する必要があった。そして、売られてきた子供は、その彼女の足元を見るように、言ったのだ。

――「わたしは、この契約に条件を付ける。無理強いするなら、おまえの言いなりにはならない。これは取り引きだ。わたしは、完璧にルチアーノ・イーチュン・アレアルディになってみせる。その代わり、おまえは、このわたしがルチアーノ・イーチュン・アレアルディであることを認めるのだ。わたしは、『ルチアーノ・イーチュン・アレアルディの代わり』ではない。たった今から、このわたしがルチアーノ・イーチュン・アレアルディなのだ」

 今でも、推定九歳とは思えない、あの鋭く青い双眸が目に浮かぶ。――シアンムーに他の選択肢はなかった。

 売られてきてから十日後、本物のイーチュンの死から二週間後に、「ルチアーノ・イーチュン・アレアルディ」は、病欠していた国立宇宙学園初等学校へ復学した。その正体は、幼馴染みで同級生のジョヴァンニにすら、見破られなかった。

 あれから、七年近くが経つ。

(あいつは「イーチュン」になった。イーチュンの生きていた場所を全てあいつが奪った。けれど、あれはわたしの息子じゃない。わたしの息子なら、もっと、わたしの幸福のために……)

 シアンムーは、急に溜め息をついた。死ぬ、という行為で、真っ先に彼女の期待を裏切ったのは夫であり、次に裏切ったのは、息子であった。

(イーチュン……)

 シアンムーは、病気で死なせてしまった息子の、あどけない顔を思い出した。

(おまえさえ生きていてくれたら……)

 悲嘆と悔恨は、新たな憎悪へと生まれ変わるのだった。


          ●


[依頼を受ける。但し、おまえに直接会ってからだ。クシー]

 PC画面に呼び出した掲示板に意外な伝言(メッセージ)を見つけて、ルチアーノは目を瞠った。

(クシー……)

 それは、「ルチアーノ」になる前のルチアーノを知っている、極僅かの人間の内の一人だった。本名は知らない。暗殺者同士は、本名を知らせない。だが、あの頃のルチアーノには、教えるべき本名もなかった……。

(わたしはルチアーノだ。ルチアーノでないわたしを知る人間に会う訳にはいかない)

 ルチアーノは、他の候補者を見た。依頼を引き受けると言ってきている暗殺屋は大勢いる。「価三百万DR」が効いたようだ。だが、短期間内に、確実に、しかも事故に見せ掛けて殺せる暗殺屋でなければならない。

 ルチアーノは、この世界でよく名を知られた人間を探した。そして。

(見付けた)

 ルチアーノが目を留めた名は、スプートニク。この世界では仕事が早いと有名な暗殺屋だ。

(それから)

 暗殺の依頼を送信し終えた後、ルチアーノは少しの間手を止めた。ジョヴァンニは能天気な人間だが、頭は悪くないし、〈勘〉という能力を持っている。

(そう、あれは既に能力(・・)だ)

 しかも、最近頓(とみ)に強力になってきているようだ。

(もし、「剣」が失敗したのなら、あいつの旅行先を唯一知っているわたしを、疑い始めているかもしれない)

 ルチアーノになり切った「少年」は、カタカタとPCのキーを叩いた。

[Gへ。お元気ですか。お母上のお墓参りは如何でした? きみがこの休暇で心身の安らぎを得られるよう祈っています。ぼくのほうは、ミシェル様の君に関する嫌味や、ヘルマンの一方的な挑戦に耐えて、何とか毎日を過ごしています。でも、はっきり言って少し疲れてきているので、乗馬や歴史の試験も近いことですし、できるだけ早く踏ん切りを付けて帰ってきて下さい。ぼくは、きみが誰であろうと、何を継ごうと、きみの友達です。L]

 メールは、宇宙空間を越えて、ジョヴァンニを安心させるはずであった。


          ●


「母さん、長い間来なくて、悪かったな……」

 ジョヴァンニは、白い墓を見下ろして言った。小ぢんまりとした墓は、墓地の管理者がいいのだろう、綺麗に磨かれている。鮮やかな色の花束が、目に染みた。

「……父さんが、死んだよ……」

 言葉が、続かなかった。ジョヴァンニは、何度か瞬きした後、明るい口調で言った。

「ルチアーノが、母さんの墓参り、準備してくれたんだ。あいつは、変わらずいい奴さ。母さんと同じくらい、おれのこと分かってくれてる……」

 僅かに湿った声が、人工の大気を震わせた。



 ジョヴァンニを捜しに出たハサンは、人込みの中に、茶色の髪の少年の姿を見付けて、ほっと息をついた。

(無事だったか……)

 ハサンは、そのまま大事な金蔓の後をつけて、路地に帰った。ジョヴァンニは何事もなく墓参りを終えたらしかった。


   九 暗殺者達


「ほやほや、ひひゃひふりのひごほだ」

 男は、歯磨きをしながらPCのキーを叩いて呟いた。照明を消した暗い部屋の中で、画面の青白い光が、男の顔を照らし出す。ハンサムな整った顔。ユーモアを含んだ翡翠の瞳。きちんとカットされ、梳かれた清潔感漂う金髪。彼の本名と素顔を知る者は少ないが、彼の暗号名を知る者は多い。その暗号名を、人工衛星(スプートニク)という。その世界ではよく知られた、暗殺屋の名であった――。


          ●


  ああ平安あれかし、

  その生まれた日に、

  その死に逝く日に、

  またその生き返って召される日に。


(ファーティマ、おれはおまえを死なせた)

 ハサンの心には、常にその罪の意識がある。

 ハサンの両親は、流れ弾によって倒壊した家の下敷きになって死んだ。偶然外にいて生き延びた五歳のハサンと一つ年下の妹、ファーティマは、その後、戦渦に巻き込まれ、壊滅状態のエデン地表を二人だけでさ迷った。同じように生き延びた知り合いも何人かいたが、皆、裸同然で、二人と似たり寄ったりの状態だった。ハサンは、妹だけでも生き延びさせようと必死だったが、内戦中のエデンは食糧の供給が滞りがちで、充分な食糧を手に入れることができなかった。妹は、栄養失調で死んだ。

 五歳のハサンは、瓦礫の片隅、妹の遺体の横に横たわり、夜空を、ぼんやりと見上げていた。手に入れられた食糧は全て妹に与えた。それでも駄目だった。僅かな体力の差で妹より寿命をながらえた自分も、間もなく死ぬ。最早、何の感情もなく、生まれ育ってきたエデンの懐に抱かれた気分で、むしろ安らかに死を迎えようとしていた。麻痺したような頭の中には、ただ、母の暗唱する聖典の一節だけが繰り返し流れていた。

 だが、ハサンは死ななかった。突然、霞がかかったようなハサンの視界に、ぬっと人影が現れて言ったのである。

――「坊主、生き延びたいか?」

 ハサンは、肯定も否定もしなかった。そんな余力など残っていなかった。しかし、その人影――ハサンを見下ろした男は、にやりと笑い、ハサンの口に清涼飲料水のようなものを流し込んできた。死にかけていたハサンは、本能に基づき、殆ど無意識に、精一杯の力で、与えられたものを飲み下した。そんな彼の様子を見て、男はまた、にやりと笑ったのだった。

 男は、オレグ・サハロフと名乗った。彼は、回復したハサンに身を守るために必要なこととして、ありとあらゆる武器、情報機器、車両及び宇宙船の扱い方や、情報の撹乱の仕方、身の隠し方、尾行の仕方と撒き方、体術と殺人術等を教え込んだので、ハサンはその男がプロの暗殺屋であることに気付いた。それでも、ハサンは気にも留めなかった。カネの稼ぎ方を教えてくれ、面倒を看てくれるその男は、彼にとって有り難い存在だった。ハサンは、仮埋葬された両親と妹をきちんとした墓に埋葬するためのカネが欲しかった。

 ハサンがオレグから学んだのは、暗殺者としての技術だけではなかった。オレグは、ハサンに、暗殺依頼の取り付け方や、世界情勢なども教えていった。それらは暗殺屋になるために必要なことだったが、同時にハサンの狭かった視野を広げることにもなった。そしてハサンは、世の中、カネが全てだと学んだのだ。

(カネさえあれば)

 内戦が勃発し、危険になったエデンを離れられなかったのも、他の場所、他の宙域に行くカネがなかったからだ。そのせいで、両親も、妹も死んだ。

 ハサンがオレグに拾われてから三年後、オレグは初めて仕事を一つ、ハサンに任せた。ハサンは見事にその仕事、複数の人間から怨みを買っていた、とある要人の暗殺を成功させた。オレグはその仕事の報酬を全額ハサンに与え、ハサンはそれで、両親と妹に立派な墓を造ることができた。けれど、ハサンは安堵を覚えるとともに、喪失感も味わった。もう、彼には生きていく目的がなかった。

 それからもハサンは、オレグに命じられるまま幾つかの仕事をこなし、報酬を得たが、幾らカネを得ても、使い道がなければ虚しいだけだった。

 そんなある時、ハサンは新しい拳銃を買うために上がったSCで、ジャマルとダイチ、そしてスレシュと出会ったのだった。彼らを気にするハサンに、オレグは薄く笑って言った。

――「人を殺して稼いだお金で人を育てるのかい?」

 ハサンは、オレグの許を去った。



「おれ、やっぱ帰ることにした」

 ジョヴァンニが唐突に言った言葉に、その隣に座って目を閉じ、物思いに耽っていたハサンは目を開けた。ジョヴァンニが墓参りに行ったその夜のことである。路地の思い思いの場所に陣取り、毛布を被って寝ようとしていたスレシュ、ジャマル、ダイチ、そしてあれ以来何故かジョヴァンニと一緒に滞在するようになったティエンも、突然の宣言に驚いて、ジョヴァンニを見た。

「何故だ」

 ハサンが低く鋭い声で訊いた。上体を起こしたジョヴァンニは、ごそごそと上着のポケットを探った。

「おれ、今日、お袋の墓参りに行ったんだ。そんで、帰りに、ついでに図書館に寄って、メールを見たんだ。そしたら……」

「ほう……! メールの写しですね」

 ジョヴァンニが取り出した小さく折られた紙片は、あっという間に向かいにいるスレシュの手に渡っていた。南アジア系の少年の早業に、ジョヴァンニは目を丸くする。

「おまえ、いつの間に」

「スレシュは掏りのプロだぜ」

 ジャマルがにやにや笑いながら教えた。

「どなたからの恋文ですか?」

 紙片を広げて読んだスレシュが、澄ました顔で問う。

「それのどこが恋文だ! 従兄のルチアーノからだ」

「成るほどな。おまえに疑われまいとして、書いて寄越した訳か」

 紙片はいつの間にかハサンの手に渡っている。ジョヴァンニはむっとして言った。

「あいつは犯人じゃない。あいつはおれの命を狙ったりなんかしねえよ。第一、早く帰って来いって言ってるじゃないか」

「状況が変わったからだ」

 ハサンが答えた。

「最初、奴は、自分から離れたところで、しかも治安のよくないところで、おまえを事故に見せかけて殺そうとした。おれを使ってな。マス・メディアに対しても、どこへ行ったか知らされてはいるが、行く先は言えないと突っぱねているだろう。これは世間とおまえの両方を欺く手段だ」

 ハサンは、漆黒の鋭い双眸でジョヴァンニを見据えた。

「おまえは、その報道を見ても、奴がおまえの行き先を隠してくれているだけだと思うだろう。マス・メディアのほうも初めはそう考える。だが、一旦おまえが殺されたとなったら、奴はこう言っただろう。このSCは、知らされていた場所とは違う、と。これで、おまえは自殺でもしに行ったか、または何者かによって拉致でもされたかのように世間の目には映るんだ。奴がおまえの行き先を、このSCだと知っていたということは、おまえしか知らない事実のはずだったからな。おれがもし、おまえとの取り引きに応じていなかった場合」

 ハサンの恩着せがましい言い方にも、ジョヴァンニはいつもの反応を示さなかった。

(まさか……、そんなはず……)

「それは違うかもしれん」

 別のところから声が聞こえた。ティエンだった。

「おれが調べたところに拠れば、ジョヴァンニ暗殺の依頼者は、『テータ』という暗号名を使っている。こいつは、おれの知っているテータなら、女だ。ルチアーノは男だろう」

「ああ。絶対そうだ。子供の頃は、よく一緒にシャワー浴びてたから、それは確かだ」

 ジョヴァンニが自信を持って言った。

「ならば、ルチアーノが犯人だという可能性は低い」

 結論付けたティエンに、ハサンは鋭い目を向けた。

「必ずしも、同じ『テータ』だとは限らないだろう」

「そうだな」

 ティエンも素直に認めつつ、言う。

「だが、暗殺屋をする者はそう簡単に暗号名を変えたりしない。商売柄、暗号名の知名度は大事だからな」

「ああ」

 ハサンも一応納得した。

「どちらにしても」

 スレシュが思慮深げに口を開いた。

「気を付けなければならないことに変わりはない。ならば、いっそのこと、ジョヴァンニと一緒に皆でガリラヤ王国に行ったらどうです? ジョヴァンニをこんなところにずっと引き止めていても仕方がないですし、同じ場所に居続けるのは却って危険です。ジョヴァンニは、われわれ四人の一生を保証してくれる訳ですし、ティエンはボディーガードということで、皆でガリラヤ王国に行きましょう。それが、皆の希望を叶える一番いい方法だと思いますが」

 一同はシーンとなった。あまりに単純で、あまりに完璧な提案だった。ジャマルが興奮して言った。

「ガリラヤ王国って、惑星メインランドへ行けるのか? え、メインランドへ行けるのかよ?」

 暗がりの中、ストリート・チルドレン達の顔に、明るい希望が表れた。つられてジョヴァンニも頬を緩ませる。だが、ただ一人、ティエンだけは、顔の表面に僅かに微笑みを浮かべただけであった。「テータ」は、「クシー」である彼に正式に依頼してはこなかった。ならば、やはり別人かもしれない。だがしかし。

(「テータ」は、あいつかもしれないんだ……。おれに会いたくないか、さもなければ、もっと腕のいい暗殺者が見つかったかしたのかもしれん)

 ティエンは、自分がどちらであることを願っているのか分からなかった。「テータ」がやはりあの少女で、今も暗殺者の世界から抜け出せずにいることか、それとも、全くの赤の他人であることなのか。

(おれはあいつに会ってみたい。だが、あいつがいまだ暗殺者であることは、望んでいない)

 それが答えだった。けれど、ティエンの嫌う、その「暗殺者」ということが、唯一彼とあの少女とを結ぶ接点であることも、また事実であった……。

 ふと、ティエンはあることに気付いて顔を上げた。

「ジョヴァンニ、おまえ、従兄の写真か何か持っていないか?」

「いや、わざわざ持ってきたりはしてねえけど」

 ジョヴァンニは当惑したようにティエンを見る。

「いや、それならいい」

 ティエンはそれきり口を閉ざした。彼は、ルチアーノ・イーチュン・アレアルディという人間を、まだ見たことがなかった。


          ●


「全く、ルチアーノさんは、どう訊いてみてもジョヴァンニ様の旅行先を教えて下さらないし」

 寄宿舎の自室で、ネグリジェ姿のミシェルはぶつぶつと愚痴を言っていた。午前零時を回った深夜、寄宿舎は静寂に包まれている。その静寂を乱さないほどミシェルの声は低かったが、しかし、それは独り言ではなかった。聞き手は、机の上に置かれたPCである。弟のニコルが擬似人格プログラムを入力したPCは、愚痴を聞かせるのに丁度いい相手であった。

「もしかしたら、ルチアーノさん自身も、実のところ、ジョヴァンニ様の居所を御存じなかったりするのかしら? いえ、そんなはずはないわね……」

 ルチアーノのあの落ち着きよう。ジョヴァンニの行方を知っているとしか思えなかった。

「でも……、それなら、連絡手段の一つや二つ、確保しておくはずですわね」

 最も手っ取り早く確実な連絡方法は、やはりメールであろう。しかし、ミシェルが何度メールを送っても返事は来ず、ルチアーノに訊いてみると、ジョヴァンニは自分の携帯通信機を持って行っていないという。その上、もし普段使うものとは別のパーソナル・アドレスをジョヴァンニとルチアーノ双方が設定してお互い利用していれば、メール通信管理会社が個人情報を漏らさない限り、二人の通信記録を発見することはほぼ不可能である。その場合、ジョヴァンニの居所を突き止めることも無理になるのだった。

「けれど、可能性が皆無という訳でもありませんし。アニェス」

〈はい、ミシェル様〉

 少女の呼びかけに応じて、それまで沈黙を通していたPCが合成された女声で答える。

「とりあえず、ジョヴァンニ様がやり取りに関わっていそうなメールの検索をして頂戴。ジョヴァンニ様が使っているメール・アドレスがいつもとは違っている可能性が大きいから、できる限りでいいけれど。ヒットしたものは置いておいて。明日また見るから」

 ミシェルは指示すると、机の前から立ち上がった。

〈はい、畏まりました。おやすみなさいませ〉

 ベッドへ向かう少女の背中に、人工音声と、PCが自動的に終了する音が静かに届いた。


   十 安住の地を求めて


  ここは皆が憧れた

  百万DRの夜景を持つ

  楽園(エデン)の名を持つ新天地

  だけど、何故だろう、ぼく達は

  ここから出て行きたいと思ってる

  故郷へ帰りたいと思ってる

  遥かな古家へ

  遺伝子の夢見る、それぞれの懐かしい大地へ


 SC間宇宙定期船でやって来たエデン宇宙港の待合ロビーに流れる音楽は、今大ヒット中のエデンの流行歌だった。

(退廃的な歌だ)

 ジョヴァンニは思う。哀調のメロディーと小気味よいリズムに乗った歌声は、確かに心に残る力を持つが、しかし。

(帰りたいと願って、皆が皆帰れる訳でもねえってのに)

 ジョヴァンニは、横に座るジャマルとダイチを見た。惑星メインランドへ行くと聞いて一番喜んだのは彼らだった。彼らも、そしてハサンもティエンも、惑星メインランドへ行くのは初めてだという。スレシュだけは、通っていた学校での成績が良かったので、エデン内戦終結後、奨学金付きで惑星メインランドはフロリダ共和国の大学へ入り医学を修めたらしいが、そんなケースは稀なのだ。エデン住民の大半は、他の宙域からの入植者だが、大抵、その生涯をこのエデン宙域で終える。彼らは貧しく、そして、他の宙域へ行く宇宙定期船の搭乗料金は馬鹿高いのだった。

(おれは親父のお陰で、当たり前のようにメインランドへ行って暮らした。その点においては、おれはやっぱり、親父に感謝しなきゃならないって訳か……)

 ジョヴァンニは苦く笑う。その耳に、流れ続ける流行歌のサビの部分が一際感傷的に響いた。


  ああ、帰りたい

  帰りたいんだ、ぼく達は……


(カネは全てこいつ持ちだ)

 ハサンは隣の椅子に座るジョヴァンニを視界の隅に置きながら考えていた。

(このままこいつに付いて行けば、おれ達は安住の地を得られる。だが)

 ハサンの眼差しは鋭い。

(敵がここで仕掛けてくる可能性は高い)

 彼が油断なく辺りに目を配っていると、突然ジョヴァンニが話し掛けてきた。

「なあ、おまえもメインランドに行きたいとか思うのか?」

「いや」

 ハサンは素っ気無く答えた。

「おれは、安全に、カネの稼ぎ方に困らずに暮らせるところなら、どこでもいい」

 それは彼の本心だった。そして、エデン内戦を体験した者達の多くに共通する望みだった。

「そうか……」

 ジョヴァンニは、それ以上は何も言わず、むっつりと黙り込んだ。自分が、父親のお陰でどれだけ気楽に育ってきたか、分かってきたような気がした。

(親父に、一回くらい、「ありがとう」って言っとくべきだったか……)

 だが、それは最早、永遠に抱え続けるしかない後悔だった――。

 ピンポンパンポーン。

 不意に音楽が止み、アナウンスの合図が鳴った。

〈御案内致します。惑星メインランド行き定期船、第七十七便、ただ今より乗船開始でございます。御乗船されるお客様は、一番埠頭口までお越し下さい。繰り返し、御案内致します。惑星メインランド行き定期船、第七十七便、……〉

「じゃ、行くか」

 ジョヴァンニが声を掛け、一行はさっと立ち上がって、一番埠頭口へと向かった。そんな彼らの姿を、物陰からじっと見ている男がいた。

「はいはい、御乗船ね……」

 男は口の中で呟いた。サングラスをかけた顔に、微かに笑みが浮かぶ。

「それにしても、何故かハサンまで一緒とはね。どうしたもんかね」

 その呟きは、しかし、大いなる余裕の響きを含んでいた。


          ●


〈……先日、惑星エデンの居住型SC‐03Xで起こり、三人の軽傷者を出した火災は、放火の疑いが強いと、今日正式にエデンSC警察03X署から発表がありました。これは、標準時間の午前零時頃、居住型SC‐03X、三区、一二六番地、宿「ヘーヘー」から出火し、ほぼ全焼した火災で、一時はSCの空調システムの出力を上げなければならないほどの火の勢いでした。この出火の原因について、エデンSC警察03X署は……〉

(ジョヴァンニ、今度こそきみもアウトだね……)

 ルチアーノは、窓から吹き込んでくる夜風にあたりながら微笑んだ。

(せめてお母上と同じ場所で死ねることを、幸せに思うといい)

 一際強い夜風にレースのカーテンが舞い上がり、一瞬、冴え冴えとした月明かりがルチアーノの頬を照らした。

(あのエデン内戦から、ぼくの人生は変わったんだ、ジョヴァンニ)

 ルチアーノは窓辺へ歩み寄ると、揺れるレースのカーテンの外側へ、体を滑り込ませた。見上げれば、天には満月が浮かんでいる。

(ぼくは、きみの知らない過去を持つルチアーノ・イーチュン・アレアルディだ。何故か、中国語も最初から理解できるけれどね)

 夜空の彼方にいる「従弟」に向かって、ルチアーノはくすりと笑って見せた。

(ジョヴァンニ、「イーチュン」ってどんな意味か知っているかい? 「義軍(イーチュン)」、つまり「正しい道のために起こす戦」という意味なんだ。何か、笑ってしまうよ。「正義」の名の下に派遣された人類宇宙軍が、あのエデン内戦の死者を倍増させて、ぼくが本来持っていたはずの居場所も奪ってしまったっていうのに。ぼくは、戦災孤児さ。育ててくれた人もいたけれど、でもその人のところは、ぼくの居場所じゃなかった。ぼくはずっと、自分の居場所が欲しかったんだ。そして……、今、きみの死を望んでいる)

 滄溟色の双眸が、月光を受けて銀青色に光る。

(わたしは、おまえが死んだ後、アレアルディ男爵になる。これほど確かな居場所が、他にあるだろうか。これほど確かな地位と富とを約束された者が、他にいるだろうか。……そして、これが、ムスタファの示した、わたしの安住の地だ)

 ルチアーノは、窓に背を向けた。

(さようなら、ジョヴァンニ。わたしはおまえの安楽な育ちを憎みはしたが、おまえの性格は嫌いではなかった。だが、これも、おまえが父親から与えられた人生の運命だ……)

 部屋の中では、机上のPCが、小さな音量でエデンSCのニュースを伝え続けている。スプートニクからの予告に拠れば、今夜中に、アレアルディ新男爵の死が、報道されるはずであった……。


          ●


(何か、急に嫌な予感がしてきやがった……!)

 埠頭口の前に並びながら、ジョヴァンニは顔をしかめた。彼の〈勘〉は当たるのである。そして、ハサンもティエンも、いつ敵が仕掛けてくるか分からないので油断するな、と言っていた。ゆえに、彼は迷わなかった。

「おい、乗るのはやばい」

 ジョヴァンニは小声で、周りのハサン、ティエン、スレシュに伝えた。

「悪い予感がするんだ。おれのは人一倍敏感で、よく当たるんだよ。ハサン、おまえの襲撃の前にもこんな感じがしたんだ」

「本当に当たるのか」

 ハサンが低い声で尋ねた。ジョヴァンニは深く頷き、付け足した。

「また、次乗ればいい。カネはたっぷりある」

「分かった」

 ハサンが言い、ティエンとスレシュが頷いた。スレシュがすぐに、ジャマルとダイチに、今日は乗らないことを伝える。スレシュの有無を言わせない言葉に、それでも不満の表情を浮かべた二人を引っ張って、彼らは来た道を戻り始めた。



「あれ、何でだろう」

 乗船の列の最後尾のほうにいた男は呟いた。列を離れたジョヴァンニ達は、待合ロビーも通り抜け、どんどんと埠頭口から離れていってしまう。

(参ったなあ。こりゃ、予定が狂いそうだ……)

 男はぽりぽりと頭を掻いて、彼らの後を追い始めた。


   十一 宇宙定期船(スペース・ライナー)内爆破事件


(嫌な予感、嫌な予感、嫌な予感……!)

 ジョヴァンニは、寒気のする肩を自ら抱き竦めた。

(とにかく、こっから離れねえとやばい)

 その思いだけが強かった。



「おいおい、どこまで行くんだよ」

 ジョヴァンニ達を追いかける男、暗号名スプートニクは呟いた。ジョヴァンニ・アレアルディ一行は、手近な自動階段(エスカレーター)まで行くと、さっさと外縁部のほうへ「下り」始めたのだ。他の宙域と行き来する宇宙船は、宇宙港中心部の埠頭しか使用しない。そして、メインランド行きの定期船は、一日に一隻しか出ない。ということは。

(今日は乗らないってことか。まずったなあ)

 スプートニクは、歩く速度を落としながら考えた。薄手のコートのポケットからガムを取り出し、口に入れる。

(今日は諦めるか。失敗した時は、潔く諦めて、入念に次の作戦を練るほうが、結局は失敗の数を減らすことになるからな)

 スプートニクがそう結論を出し、ジョヴァンニの達の後ろ姿を見送りながら完全に足を止めた時だった。

 ドォーン……!

 凄まじい轟音と振動が、辺りにいた全ての人々を襲った。



「何だ」

 足を踏ん張って、突然の衝撃に耐えたハサンが言った。声には明らかな緊張が表れる。この振動と音は……。

「爆弾だ」

 同じく殆ど体勢を崩されなかったティエンが答えた。

「大丈夫ですか」

 危ういところで転倒しかけたジャマルとダイチを両腕で抱えたスレシュが皆に問うた。

「一応」

 ジョヴァンニは不機嫌に答えた。彼一人が見事にすっ転んで、尻餅をついていた。

「全員無事だな」

 上から被せるようにハサンが言い切る。その横でティエンが体を捻り、後にしてきたばかりの中心部を見「上げ」た。

「爆発は……、定期船内だ」

 冷静に言うその声を掻き消すように、周囲で自動警報装置がけたたましく鳴り始めた――。


           ●


〈ニュース速報、ニュース速報〉

 PCからの声に、ルチアーノは耳をそばだてた。

〈メインランド標準時間十九時五十分頃、エデン宇宙港中心部に停泊していた宇宙定期船内で爆発がありました。死傷者が出た模様ですが、詳しいことはまだ分かっておりません。爆発の原因は、爆弾である可能性が高いということです。尚、この爆発の直後、インターネット上に、「エデンの富を持ち去り、エデン住民の労苦を踏み躙る者達へ。これは罰だ」という犯行声明文らしきものが流されました。エデンSC警察は、テロの可能性もあるとして、捜査を進めていく方針です。また新たな情報が入り次第お伝えしていき……〉

 ルチアーノは目を伏せた。

(さようなら、ジョヴァンニ。今度生まれてくる時は、本当の親友でありたいね。……それともきみは、そんなこと許してくれないかな)

 心中で静かに別れを告げたルチアーノの表情が、ふと冷たくなった。

(だが、シアンムーは、これで満足するだろう)

 月に雲がかかり、暗くなった部屋の中で、PC画面の青白い光だけが浮かび上がった。


          ●


「これ……、もしかして皆、おれのせいかよ」

 ジョヴァンニはからからに渇いた口で、呟くように言った。自動階段の脇に立ち尽くす彼らの前を、担架や台車に乗せられた負傷者達が、引っ切り無しに運ばれていく。彼らは皆血塗れで、そしてその中の幾人かは、既に息がないのかもしれなかった。

「なあ、皆おれのとばっちりでこうなったのかよ」

 ジョヴァンニに揺す振られて、ハサンは静かにジョヴァンニを見た。

「……違うとは言い切れない。それだけだ。だが、おまえが責任を感じることじゃない」

「けど、おれはここでこうしてぴんぴんしてんのに……」

 座り込んだジョヴァンニの肩に、スレシュが優しく手を置いた。

「あなたのお陰で、われわれもこうして無傷なんですよ。そんなに自分を責めないでおきなさい。済んでしまったことは仕方がないんですよ」

「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん……!」

 子供の泣き叫ぶ声が聞こえた。その声は、その場にいた全員に、あの悲惨な戦場を思い出させた。皆、ああして肉親を呼んだのだ。

(母さん、父さん……)

 ハサンは唇を噛んだ。彼の両親は、幼い彼と妹の目の前で、倒壊する建物の下敷きとなって死んだ。

――「ファーティマを頼む」

 そう言われた約束まで、守れなかった。今でも、自分達へ手を差し伸べて、必死に叫ぶ母親の姿を夢に見る。もうもうと土煙が立つ中、崩れるビルの下に消えた姿。轟音の中、最後に叫ばれた声は、何を言っていたのだろう。

(おれは、あんな戦争を起こした奴らを、ここを戦場にした奴らを、絶対に許さない)

 ハサンの中に、新たな怒りが湧いてくるのであった。

「おれは」

 ジョヴァンニは俯いたまま、硬い声で言った。茶色の双眸に、強い感情が浮かぶ。

「おれは、爆弾を仕掛けた奴も、犯行声明文なんか書いた奴も、絶対に許さねえ……! 絶対に、絶対に、絶対にだ……!」

 ジョヴァンニの言葉は、ティエンの心に重く響いた。彼は、爆弾を使って、十人を超える人々を殺した。こんな悲惨な惨状にも、慣れていた。

(おれは、人に憎まれて然るべき人間なのだろうな)

 傷付き、うめき、泣く人々を静かに見つめて、ティエンは佇む。奥歯を食い縛り、ポケットの中の両拳を握り締めながら。

「おい」

 その時、ハサンがティエンに声を掛けた。

「気を付けておけ。間抜けな暗殺者なら、この機会にまた仕掛けてくるかもしれない」

「それを言うなら、おれ達が『犯人』だと間違われないように気を付けたほうが賢明だな」

 ティエンは低く抑えた声で言い、切れ長の目の端でハサンを見る。

「おれ達は、定期船に乗る直前に、こっちへ引き返した。まるで、『定期船内に爆弾が仕掛けられていることを知っていた』ようにな。誰かがおれ達のことを警察にしゃべれば、おれ達は真っ先に容疑者として挙げられるだろう。それに」

 元暗殺者の少年は、更に低い声で続けた。

「おまえも、おれも(・・・)、ばれてはいないが、前科がある」

「――取り敢えず、ホテルにでも泊まりますか」

 ジョヴァンニの傍らにしゃがんでいたスレシュが、ハサンとティエンを見上げて言った。宇宙港には、当然ホテルやレストランがある。

「この宇宙港は閉鎖され、出入りは厳しく制限されて、家にも帰れないでしょうから」

 「家」とは、居住型SC‐03Xの、あの路地のことである。

「……ああ」

 ハサンは、スレシュの腕の中から自分を見上げる、ジャマルの強張った顔とダイチの怯えた顔を見た。自分は今、彼らを守らねばならないのだ。

「分かった。行くぞ」

 ハサンは、ジャマルとダイチの背中をそっと押しながら言った。



(一体どうなってるんだ、こりゃ)

 スプートニクは、真剣な顔で惨状を眺めながら思った。

(あいつらが引き返さなかったら、わたしまで巻き込まれてたところだな)

 爆弾は、スプートニクの仕掛けたものではなかった。無論、犯行声明文も、彼の預かり知らぬところで流されたのである。

(全く。こんな無様なのがわたしの失敗だと思われたら、嫌だねえ)

 暗殺屋の男は、口から取り出したガムを、丁寧に紙に包んでコートのポケットに入れた。


          ●


〈……使用された爆弾は、時限爆弾だと思われます。尚、現在分かっている死傷者数は、五人が死亡、十人が重傷、十八人が軽傷となっていますが、この数字はまだ増加すると思われます。また、犯行声明文と思しき……〉

(エデンといえば、確かジョヴァンニ様の生まれたSCがあるところだわ)

 寄宿舎の部屋で、PCアニェスの画面でニュースを見ていたミシェルは、表情を険しくすると、アニェスに緊迫した声で指示した。

「すぐにエデン宇宙港と居住型SC‐03Xにおけるジョヴァンニ様の痕跡を探索しなさい。現在に近いものから優先的に」

〈畏まりました〉

 アニェスは答え、即座に動き出す。ミシェルは暗い表情で、探索の傍ら、ニュースを伝え続ける画面を見つめた。発表される死傷者の数は、増える一方だ。もし、ジョヴァンニが問題の宇宙定期船に乗っていたとしたら、「万が一」はあり得ないことではなかった……。


   十二 新たな税の波紋


  いよいよ喇叭が吹き鳴らされる時、

  まこと、その日は苦しい日、

  信仰のない人々には並大抵の日ではない。


 星空の見える窓際で淡々と呟いた少年の肩に、ムスタファが手を置く。

「ハーミド、心が痛むのか?」

 問われて、少年は尊敬する男の顔を振り仰いだ。三十五歳の、まだ若い、だが威厳に満ちた顔。自分は、この男の意志の力にこそ、魅せられたのだ。

「いいえ、ただ、楽しみなだけです」

 ハーミド・アブドゥル・サミーアは、微笑んで答えた。


          ●


「ほほほ、それにしても待ち遠しい」

 シアンムーは、エデン宇宙港での、宇宙定期船内爆破事件のニュースを見ながら、毒々しい笑みを浮かべた。

「早くあのガキの死亡が確認されないかしら。あいつの手配したことに間違いはないと思うけれど、やっぱり心配だわ」

 だが、幾ら待とうとも、アレアルディ新男爵の死亡が報道されることはなかった。


          ●


「死者がこんなに……。それに宇宙港が暫く使用不可だなどと」

 ツォン・イエフアは、自室として使っているスイートルームで呟いた。

 ニュースが伝えていく情報に拠れば、死者の中には、連盟の職員も混じっているという。

(エデンの反連盟感情がここまで強まっていたとはな。迂闊だった……。これでは、一ヶ月後のエデン内戦終戦十周年記念式典もどうなるか分かったものではない)

 イエフアは唇を噛んだ。切り揃えられた前髪と、横に垂らした髪とに縁取りされた美しい顔が、一段と厳しくなる。

〈……「時は来たれり。いざ、われら一丸となりて、非情なる連盟を打ち滅ぼさん」。以上が、先日の犯行声明文に続いてインターネット上に流された、犯人と思われる人物の声明です。エデンSC警察は連盟警察にも協力を要請し、総力を挙げて、この声明の発信源の特定を急ぐなど、事件解明に向けて捜査を続けていますが、未だ犯人の特定には至っていません。えー、たった今、新しい情報が入りました。エデンSC警察が今回の事件の重要参考人として、先月から行方を晦ませていた、アレアルディ新男爵を取り調べているということです。新男爵は……〉

「何だと」

 イエフアは驚いて呟いた。だが、驚きの声を漏らしたのは、彼女だけではなかった。


          ●


「一体何をやっている、あの馬鹿……」

 ルチアーノは、溜め息とともに言った。ジョヴァンニは生きていたどころか、事件の犯人として疑われている。

(ということは、スプートニクは失敗したということか。奴ならば、もう一度慎重に機会を窺うだろうが……)

 エデン宇宙港は閉鎖された。そのこと自体はスプートニクにとって好都合なはずである。

「とにもかくにも、きみの寿命は延びた訳か……」

 重要参考人ともなれば、ある程度、警察から監視、言い換えれば保護される。幾らスプートニクといえど、手が出しにくくなることは事実だった。

(シアンムーは焦っているだろうが、わたしは別に、おまえの死が少々早かろうが遅かろうがいいのだよ。正式に、爵位の相続が認められる三ヶ月後までならな)

 窓の外の空は白く明け始めていた。ルチアーノは、レースのカーテンを揺らして入ってくる朝の爽やかな風に目を閉じる。エデンにいたなら、恐らく一生味わえなかった心地良さだ。

(だから、黙秘でもして、できるだけゆっくりと重要参考人をしていたほうがいいぞ)

 風が、ルチアーノの細い黒髪を、さらさらとそよがせた。


           ●


 ジョヴァンニは宇宙港内を歩いていた。その茶色の双眸に映る港の様子は、暗く物々しい。今やエデン宇宙港は警察官で溢れ、閉じ込められた人々は爆破の不安と閉鎖された苛立ちで、精神の安定を欠いていた。

 警察官は港の至るところにいた。苛立ちを募らせた人々が暴動などを起こさないよう、抑えるためでもあったし、爆弾を仕掛けた犯人の捜索のためでもあった。そして。

「ちっ」

 ジョヴァンニは舌打ちした。彼の背後、少し離れたところには、常にちらちらと二名の警察官の姿が見え隠れしている。

「おれは犯人じゃなく、どっちかっていうと狙われたほうだってのに」

 あの爆破事件の重要参考人として、ハサン、ティエン、スレシュとともに警察に調べられ、依然として監視を付けられている。

(おれが何したっていうんだ)

 自分は、ただ危険を感じて引き返しただけだった。

 闇雲に歩いていくと、免税店街の巨大TVスクリーンの前に、異様な人だかりができていた。その中にはハサンとティエンの姿もある。ジョヴァンニは、真っ直ぐ二人に近付いていった。

「おい、どうしたんだ」

 ジョヴァンニの問いに、ティエンが答えた。

「犯人からの、三つ目の犯行声明文だ」

 スクリーンに映し出されていたのは、今までの犯行声明文の中で、最も長い文章だった。

[かつて一介のフリーライター、アンドレーアス・シュルツが惑星エデンを「原罪の犯された地」と称した時、その呼称は瞬く間に人類宇宙中に浸透した。何故か。皆の理解と共感を得たからだ。その呼称によって端的に表された人類宇宙軍の罪、ひいては人類宇宙連盟の罪を、皆が認識していたからだ。しかし、認識しつつも、大部分の者は行動を起こさなかった。大部分の人間は、それを他人事とした。だが、われわれは人類宇宙連盟を許さない。われわれは、人類宇宙連盟に罪をあがなわせる。われわれは、人類宇宙の広がりに地道に貢献してきた途上惑星住民に味方する]

「『味方する』って、つまり、人類宇宙を敵と味方に二分したいってことか」

 ジョヴァンニは苦々しく呟いた。被害者意識を持つ人々を、意図的に扇動する言葉の羅列だ。

「宣戦布告だな」

 後を継ぐように言ったのはハサンだった。

「何でそう言える?」

 聞き返したジョヴァンニに、ハサンは鋭い目を向ける。

「『かつて一介のフリーライター』だったアンドレーアス・シュルツが、何者になっているかを考えれば、容易に辿り着ける答えだ」

「何になってるんだ?」

 更に問うたジョヴァンニに、ハサンは周囲には聞こえない、低く抑えた声で答えた。

「奴は途上惑星解放戦線に入ったと、おれ達の世界では専らの噂だ」

「何だって……!」

 ジョヴァンニの目も鋭くなった。途上惑星解放戦線は、連盟から、反連盟活動をしているテロ組織と認定されている団体である。未だ目立った活動はしていないので、一般には名が知られていないが、連盟中枢と太いパイプを持つアレアルディ・カンパニーの社長後継者たるジョヴァンニは知っていた。ハサンは、この犯行声明文が途上惑星解放戦線から出されたと、だからこそ宣戦布告と受け取れると、そう言っているのだ。顔を強張らせたジョヴァンニの傍らで、視線を落としたティエンの表情は尚暗い。

(アンドレーアス……)

 ティエンは、その男と会ったことがあった。それは、師、ムスタファ・シャーに「ゼータ」と呼ばれていた男の本名だった……。


          ●


「お名前を」

 短く求められて、頭に被ったゴトラで顔まで覆い、更にサングラスまでかけた青年は、歩哨を一瞥して答えた。

「ベータ」

「はっ、失礼致しました!」

 歩哨の男は、直立不動の姿勢を取る。

「どうぞ! 『アルファ』様は、突き当たりの部屋にいらっしゃいます!」

「ありがとう」

 青年――キジル・クム宙域代表ガーゼイ・オズチュルク・アーリ・パシャは、スーツ姿の長身を優雅に動かして狭い入り口を通過し、悠々と奥へ入っていった。

 部屋のドアをノックすると、中からこちらを窺う気配がした後、慌てた様子でドアが開かれた。次いで、部屋の中央、他の人間達を束ねる位置に座っていた男が、立ち上がって笑みを浮かべ、両手を広げる。

「ガーゼイ、久し振りだ」

「ムスタファ、元気そうで何よりだよ」

 アーリも手を差し伸べ、二人は抱擁を交わした。彼らは、友情を誓い合った親友なのだ。

「さて、早速だが」

 アーリを席の一つに着かせ、ムスタファが口を開いた。

「エデン宇宙港での定期船内爆破は巧くいった。現時点で、エデンに圧力をかけていた連盟の高官ども五人の殺害に成功している。だが、まだまだだ」

 ムスタファは、自分を見つめる一同を見回した。この場で唯一の女性である「ガンマ」ことレベッカ。鋭い物言いをする「ゼータ」ことアンドレーアス。寡黙な「エータ」ことゲンナディ。最も年若く、しかし誰よりも知的な目をした、十六歳の「イオタ」ことハーミド。最も年配で、恰幅のいい「カッパ」ことヘンリー。戦闘指揮の得意な「オミクロン」ことメフメット。爆発物の知識が豊富な「ピー」ことイスマイール。そして、最も古くからの盟友「ベータ」ことガーゼイ。この場に参集した途上惑星解放戦線の八人の幹部達は、皆、戦線の創設者であり最高幹部である彼に、信頼と期待を寄せている。

「宣戦布告はこれまで通り、各地に潜伏している同志達に、様々な言葉で流して貰う。そして、最終の宣戦布告は、基準時間でひと月後、エデン内戦終戦十周年記念日に行い、同時に、われわれは、不遇な環境に陥れられ、不条理を押し付けられている全ての開拓・発展途上惑星住民を代表してメインランドへ侵攻し、現在の連盟を崩壊させて新たに生まれ変わらせるのだ。全ての途上惑星住民のために!」

 それが、彼らの計画の概要であった。

 アーリは、親友の顔をじっと見守る。人類宇宙連盟のトップたる宙域代表となったのも、全ては、この親友と十年前交わした、あの焼け跡での誓いを果たすためであった――。

「だが、まだ同志の数が少ない。メインランドへ侵攻するためには、人類宇宙軍と交戦しなければならない」

 人類宇宙軍は、人類宇宙連盟の下部組織であり、惑星メインランドに総本部を置き、各宙域に駐在艦隊を配置している巨大軍事組織である。人類宇宙連盟の崩壊を狙うならば、当然相手にしなければいけない組織だった。

「最低でも、このバー・レーンの駐在艦隊を破り、バー・レーン宇宙門を突破して、メインランド宙域に到達しなければならないのだ。これには、同志だけではなく、もっと戦闘に向いたプロの力が必要だ」

 室内がざわめく。ムスタファは手を上げて、静まるように合図した。

「わたしは、何名かの工作員を雇うことを提案する。カネのためなら何でもする、プロの工作員達だ。今、目を付けているのは、『剣』や『スプートニク』といった者達だが、彼らは、役に立つ」


          ●


「おのれ……、あのガキ、生きていたなんて……」

 シアンムーは持っていた扇を引き裂いた。そして、召使いの一人を呼びつける。

「今すぐ、ルチアーノを呼び戻しておいで! 理由は何でもいい、適当にでっち上げるのよ。さあ、早くお行き!」

 訳も分からず怒鳴りつけられた歳若い女の召使いは、一目散に主人の部屋から出て行った。


   十三 戦争の胎動


「あの彼が、随分なことをしたみたいで、心中を察するよ」

 ヘルマン・フォン・ハイムは、相変わらず大袈裟な身振りで髪を掻き揚げながら言った。

「ジョヴァンニ様は犯人ではありません。何か誤解なさっているようですけれど」

 ミシェルはつんとして答えた。彼が生きていたと喜ぶ間もなく、重要参考人として取り調べられているという情報が入ってきたのは、つい先日のことだった。

「しかし、ファーストクラスに爆弾が仕掛けられていたなんて」

 ヘルマンは、ミシェルの言葉など気にも留めずに、手で額を押さえて頭を振る。

「ぼくみたいにファーストクラスにしか乗ったことのない人間には、何とも恐ろしい話だよ」

 言い終わったヘルマンが目の前を見た時には、最早、そこに少女の姿はなかった。

「やれやれ、恥ずかしがり屋さんだねえ、きみは」

 呟いて、ヘルマンは手近に咲いていた薔薇を一本手折り、香りを楽しむ。校庭は、今、薔薇の花園と化していた。



「『原罪の犯された地』……」

 ルチアーノは呟く。果てしなく広がる宇宙と、恐怖と、ムスタファ・アブドゥル・アッワル・シャーの記憶。自分の記憶の原点。

 ――「アルファ」が動こうとしている。

(あの人の傷も、まだ癒されないでいたのか)

 エデン内戦の傷は、人々の記憶の中に、まだ生々しく残って、血を流し続けている。

我想回家里(ウォー・シアン・フイ・チアリー)……)

 わたしは家に帰りたい。ふと中国語で考えて、ルチアーノははっとした。記憶――。恐ろしい暗闇。自分は、ムスタファと暮らしていた以前の記憶を持たない。本名も、素性も、本当の両親の名も、何も覚えていない。ただ、中国語が母語だということだけは、確かなようだった。

 ピンポンパンポーン。

 その時、放送が始まる合図のチャイムが鳴った。

〈ルチアーノ・アレアルディさん、すぐに学長室までお越し下さい。繰り返します。ルチアーノ……〉

 寄宿舎中に流される放送を聞きながら、ルチアーノは不快な表情を顕にした。母が、ジョヴァンニの生存を知ったのだということは、明白だった。

(これが、わたしの安住の地だ。これが、わたしの帰るべき場所だ)

 求めて得たもののはずだった。そして、今も、ジョヴァンニを殺して、より確実に得ようとしているものだ。だが、何かが違うような気が、その時ふとルチアーノの心を過ぎった。しかし、今更迷いなど必要ない――。

 踵を返したルチアーノの双眸は、流れのない深海の色をしていた。


          ●


 するすると、ハサンは人込みから人込み、建物の陰から陰へと抜けて歩く。工作員の訓練を施された彼には、監視の警察官を撒くことなど、造作もないことだった。

 十五分ほど歩いて監視を完全に振り切ったハサンは、レストラン街の外れにある喫茶店へ入った。そこでは、各テーブルにインターネット端末が備え付けられていて、時間潰しには最適の場となっている。ハサンの目的も、そのインターネット端末を利用することにあった。

 素早く端末を操作して、ティエンやルチアーノが利用しているのと同じ掲示板を呼び出したハサンは、一見映画情報の交換でしかない画面をスクロールしていく。彼宛ての新たな依頼が幾つかあった。ハサンは、その内の一つに目を留め、この掲示板用の暗号解読法で読み解く。

[価一千万DR。工作員としての仕事。メインランドへの侵攻作戦に協力して貰いたい]

 カネは申し分ない。そして、仕事も。

(メインランドに、行けるな)

 ハサンの漆黒の双眸に、強烈な意志の光が宿り、口元に微かな笑みが浮かんだ。


          ●


「終戦十周年記念式典に、われわれが出席しなくてどうするのだね!」

 ムハンマド・ザグルールは、唾を飛ばして言った。隣に座っていたジーン・ワイルドが、露骨に顔をしかめている。

「議長」

 発言を求めたのは、テレーサ・ハビエルであった。眼鏡の奥の双眸が、真っ直ぐにムハンマドを見下ろす。

「ザグルール代表にお訊きしますけど、あなたは、現在のエデン住民のわれわれに対する拒否反応を御存じですか?」

「侮辱だ!」

 ムハンマドは、浅黒い顔を憤然とさせて立ち上がった。

「わたしは人類宇宙連盟の、最重要構成員たる宙域代表だぞ? 現在の政情を知らんでどうする!」

 テレーサは険しく両眼を細めた。

「御存じないから、そんな無茶を仰るのかと思いましたわ」

「何だと」

「静粛に!」

 議長が堪りかねて叫んだ。

「あなた方は毎回そうだが、きちんと議論(・・)して頂きたい」

「失礼しました」

 テレーサはすぐに頭を下げたが、ムハンマドは更に言い募った。

「この女が、わたしを侮辱したのだ」

「落ち着いて。それに、あなたの言葉遣いこそ侮辱ですよ?」

 口を挟んだのはアーリ・パシャである。

「何だと、この若造」

 ムハンマドがアーリを睨みつけた時、議長が最終宣告をした。

「ザグルール代表、これ以上、宙域代表総会を妨害なさるなら、即刻退出して頂きますぞ」

 ムハンマドは渋々ながら、漸く議長と一同に頭を下げ、着席した。

「議長」

 手を上げたのは、ウラディミール・オパーリン。

「わたしは、やはり出席すべきだと思うね」

 整った顔立ちの男は、目だけで一同を見回しながら言った。

「出席して、人類宇宙軍の派遣により、犠牲者が増えた事実を認め、謝罪することだ」

 謝罪するのはまるで他人であるようにあっさりと提案し、ウラディミールは着席した。

「議長」

 牧歌的理想郷(アルカディア)宙域代表が考え深げに手を上げた。フランソワ・カサブブ。南アフリカ系、三十四歳の、寡黙な青年である。

「わたしも出席すべきだと思います。例え出席しなかったとしても、エデン住民のわれわれに対する非難が収まる訳ではないし、逆に、戦没者に対して、哀悼の意を表していないかのように思われるかもしれませんから。ただ、宙域代表全員で行くのは、警備上も困難かと思います。一人か二人、エデン住民に比較的支持されている方が、連盟の総代表として出席するのが望ましい形ではないかと、わたしは考えます」

「議長!」

 他を制して、さっと立ち上がったのはジーン・ワイルドだった。彼女はフランソワのほうを向いて言った。

「それだって、エデン住民の顔色を窺っているだけで、何の解決にもならないわ。そんな中途半端なことをするよりは、われわれが出席すべきかどうか、エデン内戦の一番の被害者であるエデン住民に、投票で決定させればいいのよ。これなら、われわれは彼らの意を汲んで動いたということになって、誰にも非難されないわ」

「議長!」

 次に立ち上がったのはムハンマドだった。壮年の男は、一同を見回しながら、怒鳴るように発言した。

「何故われわれが、そこまで気を遣わねばならん? われわれは、選ばれた、人類宇宙市民の代表なのだぞ? うだうだ議論する必要などない! 行きたい者が堂々と出席すればいいのだ」

「あなたのそういう考え方がエデン住民の反感を買うのです!」

 堪りかねて口を挟んだのは、イエフアであった。

「第一われわれは、人類宇宙市民の代表といっても、十一独立宙域の代表でしかありません。未だ独立宙域と認められていないエデン宙域、エデン住民の信任を受けた者は、この場に一人もおりません。そのことが、一番問題なのですわ。われわれは……」

 イエフアが真剣に話す姿を隣から見上げながら、アーリは心の中で呟く。

(それでも、結局は式典に宙域代表が出席するだろう。改革を望む声があっても、結局は実現しないか、または恐ろしく時間をかけるかだ。そして、われわれは、もう待てない。今、この瞬間にも、エデンでは治安の悪さや重い税制、失業などで、人々が餓死したり自殺したり殺されたりしているのだ)

 アーリが、新しく独立宙域と認められたキジル・クム宙域の代表になれたことで、ムスタファ始め同志達は、もっと穏健に、連盟へ改革を促せるはずだった。だが、ここは、数の論理で少数派が押し切られる世界なのだ。アーリの意見はなかなか通らなかった。そしてまた、エデン住民も少数派なのだ。戦争で傷付いた彼らを救済する最高規約も、なかなか定められなかった。アーリ達は、十年待った。その十年の結果が、あの忌まわしい新たな税制であった。同志達は連盟に失望し、もう待つことを考えなかった。

 命と未来を懸けた戦争が、始まるのだ。


   十四 「誕生日」


――「先方の条件と、おまえは性別だけが違う。だが、敢えてわたしは、おまえをあそこへ売ろうと思う。かの地で、自力で、自身の安住の地を築くのだ。いいか、切迫しているのは向こうのほうだ。それを巧く利用しろ。おまえの能力を使えば、周囲を欺き、性別の違いを隠すくらいは容易い。成功すれば、おまえは、ルチアーノ・イーチュン・アレアルディという人間になれる。生涯の居場所を得ることができる」

 師、ムスタファ・シャーはそう言った。そして――自分は成功したのだ。

 チッチ、チッチッ。チチッ。

 鳥の声に、ルチアーノは目を開けた。窓を覆うカーテン越しに室内に注ぐ、柔らかな朝の光は、平和そのものだ。今日、基準時間六月二十六日は、ルチアーノ・イーチュン・アレアルディの誕生日である。「彼」は、今日から十六歳なのだった。

 ベッドから起き上がったルチアーノは、そのまま真っ直ぐ浴室へ行き、シャワーを浴びる。頭から、全身を伝って流れ落ちる湯が心地良い。

 浴室から出て頭からタオルを被ったルチアーノは、ふと洗面所の鏡に目を留めた。推定年齢十六歳の、女の体。

(何をしていようと、どんな生き方をしていようと、成長はするのだな)

 体を拭き終わったルチアーノは、マラソン競技用のタンクトップを着た上に、後は全て男物の服を着始めた。気付かれてはならない。九歳の時、ルチアーノは病気で入院し、そして、治って退院した。それが未来に残されるべき記録だ。

 学園へは、いつも男物の中国服を着ていく。それは、九歳まで生きた「ルチアーノ」が好んだ服装だった。


          ●


 その日の午後。

 乗馬の試験を終えて、ヘルマンは良きライバルであるルチアーノの姿を捜していた。試験では、予告通りヘルマンが一番だった。ライバルのルチアーノは二番である。

(お互いの健闘を称え合おうと思ったんだが、どこへ行ってしまったのかな?)

 ヘルマンがとある校舎の角を曲がろうとした途端、目の前に飛び出してきた小さな影とぶつかった。幼い少年が、トタッと後ろ向けに引っくり返る。

「これは、失礼。怪我はないかい?」

 ヘルマンは屈んで、その子供を立たせてやった。と、目が合う。ヘルマンは、その子供に見覚えがあった。

「きみは……」

「あ、ぼく、ニコル・ヴェルレーヌです。ミシェル・ヴェルレーヌの弟の」

 幼い声の申告を受けて、ヘルマンは頷く。

「ああ、そうだったね」

 何度か遊びに行った――押しかけた――ヴェルレーヌ邸で会ったこともあるし、この学園内でも、時折顔を見ることがあった。

「ところで」

 ヘルマンはマイペースに話題を変える。

「ルチアーノ・アレアルディ君を見なかったかい? こっちのほうへ来たと思ったんだが」

「いいえ、見ませんでしたけれど……」

 答えたニコルは、ちょっと考える仕草をした。

「どうしたんだい?」

 ヘルマンは、彼にしては珍しく、他人の様子に興味を引かれて問う。

「ええと、あの……」

 少し逡巡した後、ニコルは思い切ったように言った。

「ルチアーノさんが、九歳の時、病気で危篤状態になられたこと、御存じですか?」

「いや、知らないな……」

 ヘルマンは顎に手を当て、首を傾げる。その頃は、まだルチアーノもジョヴァンニも、ミシェルでさえ、学年が二つ下の生徒達でしかなかったので、よくは知らないのだ。

「でも、今はもう、何ともないんだろう?」

 問い返したヘルマンに、ニコルはやや暗い表情で頷いた。

「はい。今はもう、健康には何の問題もないと思います……」

「なら、いいじゃないか」

 明るく言って、ヘルマンはニコルの肩を叩き、屈んでいた身を起こす。

「今日の乗馬の試験でも、彼はこのぼくに次ぐ二位だったしね。それで、お互いの健闘を称え合おうと捜しているんだが……。こっちじゃないなら、あっちということかな。じゃあ、また、ニコル」

 マイペースに話を終わらせ、立ち去っていくヘルマンの後ろ姿に、ニコルは小さく溜め息をついた。明るく前向きで、過去のことになど興味のないヘルマンに訊いたのが間違いだったかもしれない。

(でも……、ヘルマンさんや、姉さんが変に思ってなくても……、やっぱり、変なんだ)

 ルチアーノについて、いろいろと疑問を持ち始めた切っ掛けは、遊びで作ったコンピュータの顔予想プログラムの実験だった。人の顔が加齢や環境によってどう変化していくかを予想する、手製のコンピュータ・プログラムが、どの程度の精度で現在の顔を割り出すのか、知っている人々の古い顔写真を使って試していた折、ルチアーノの顔だけが、ひどく悪い結果だったのだ。学園の初等学校入学時、つまり六歳の時のルチアーノの顔写真から、現在の顔を予想させたところ、実際にいつも見ている顔とは、随分と印象の違う顔が結果として出てきたのである。

(あの入学写真から割り出した、姉さんの顔も、ジョヴァンニさんの顔も、他の同学年の人達の顔も、実際の今の顔と、大して違和感のない結果が出ているのに)

 何故、ルチアーノの顔予想の結果だけが、悪かったのか。ニコルは、疑問を放ってはおけない性格である。ルチアーノについて調べられる範囲で調べたところ、彼が九歳の時に、宇宙線性脳腫瘍で半年ほども入院し、一時は危篤状態にまで陥っていたことが分かったのだ。そして、ニコルは、まさか、と思ってしまったのである。

(ルチアーノさんが、もしかしたら別人かもしれないだなんて、まだ、誰にも言えない。そんな確信の持てるデータはない。でも、でも、フェデリコさんが亡くなって、ジョヴァンニさんは今、行方不明だ)

 アレアルディ家には、何かある、と思ってしまう。けれど、それは現時点では、何の裏付けも証拠もない、単なる憶測でしかないのだった――。



「まあ、それでは、わざわざ休暇を取って御実家へ?」

「はい。十六歳の誕生日は特別だから、内輪だけで、お祝いをしたいんだそうです。ぼくとしては、学校を休むなんてあまりしたくないんですが」

「でも、お母様のたっての御希望ですもの。仕方ありませんわね」

「ええ」

 聞き慣れた二人の声がする。声を頼りに薔薇の小道を抜けて行ったヘルマンは、ミシェルとともにいるルチアーノを発見した。二人は、校庭の端のテラスで、仲良くテーブルを挟み、お茶などしている。

「ルチアーノ・アレアルディ君! 麗しのミシェル!」

 高らかに呼びかけて、ヘルマンは二人へと歩み寄る。

「こんなところに二人隠れて、一体何をしているんだい? 随分捜してしまったよ」

「お誕生日プレゼントを渡しておりましたのよ。今日は、ルチアーノさんのお誕生日ですから」

 ミシェルの返答に、ヘルマンは目を瞬いてルチアーノを見、次いで満面の笑みを浮かべた。

「そうか! きみも今日で十六歳になった訳だね? おめでとう! とにもかくにも、きみが十六の歳まで生き延びられたことを、お祝い申し上げるよ」

「……随分とまた、不吉な言われようですね」

 冷ややかに応じたルチアーノに、ミシェルが微苦笑した顔を向ける。

「この方のお祝いの言葉は、いつもこうなのですわ。人間、いつ死ぬか分からないからこそ、誕生日を、一年生き延びたことを祝うのだ、と」

「誕生日とは、本来そうしたものだろう?」

 ヘルマンが朗らかにミシェルの言葉を引き継ぐ。

「だから、我が家ではいつもそう言うんだ。一年間生き延びられておめでとう、とね。それに、きみは九歳の頃、病気で死にかけたそうじゃないか。ぼくなどより余ほど、今生きていることのありがたみを分かっているのだろうなと思うよ」

「そのこと、初耳ですわ」

 硬い声を出したのは、ミシェルである。

「そんなことが、ありましたの?」

 真剣な眼差しを向けられて、ルチアーノは苦笑いして頷いた。

「ええ。皆に心配をかけたくないということで、公式記録以外では、母と半年間旅行に行っていたことになっていますが」

「まあ、そうでしたの……」

 驚きを隠せない様子のミシェルに、ヘルマンが真顔で頷いて見せる。

「ぼくも知った時は驚いたよ。何しろ、ルチアーノ君は乗馬の試験で、このぼくと競り合えるほどの運動能力の持ち主だからね」

「今は健康ですよ」

 しっかりと宣言してから、ルチアーノは複雑な笑みを浮かべた。

「でも、そうですね。人は、案外、身近にいる人間のことほど、思い込みで見ているのかもしれないと思いますよ――」


   十五 嵐の前の……


――「人は、案外、身近にいる人間のことほど、思い込みで見ているのかもしれないと思いますよ――」

 数日前、自分で言った言葉が頭の中で回っている。誰も、「彼」の正体には気付かない。一番身近にいた、あのジョヴァンニですら――。

 ルチアーノは窓の外、天空に浮かぶ月を見上げた。この前より欠け始めた月――涙の(ティアドロップ)は、柔らかな光を地上へ注いでいる。――地球文明期、(ザ・ムーン)は人類が地球上に誕生した時から、ずっと彼らにとって身近な存在であったのに、彼らは長い間、そのごつごつとした死の世界の素顔を知らなかった。

(わたしの技も、奴らが余ほど賢くならない限り、見破られることはない)

 シアンムーは、買い取った子供が、息子と全く同じ外見をしていることに驚いたが、それが精神感応(テレパシー)能力によって装われたものだと知ると、整形手術を受けさせると言い出した。けれど、その必要はないと、「テータ」は撥ね付けたのだ。何故なら、彼女は訓練されたテレパスであり、未熟な一般テレパスや、テレパスである疑いのある人――特定容疑者(ザ・サスペクト)とは、違うのだから。中でも、自ら〈偽装(カムフラージュ)〉と名付けた技を用いれば、周囲にいる人間の精神に干渉して、実際とは違う印象を与えることができるのだから。常に〈偽装〉を用いている相手には、〈入力(インプット)〉ができて、画像や映像などで彼女の素顔を見ても、ルチアーノの顔に見えるようにしてあるのだから。そうして、「テータ」は、すんなりとルチアーノになった。唯一気掛かりだったのは、ジョヴァンニの〈勘〉という能力だったが、彼も最早、この惑星メインランドへ生きて戻ることはない。

(あれも、どう考えてもテレパシー能力なのだが、本人にその自覚がないしな)

 フェデリコは息子の能力に薄々気付いていたようだが、ついに死ぬまで、ジョヴァンニを病院に連れて行ったり、専門医に見せたりはしなかった。テレパスの存在が科学的に認知されてから、既に基準時間で百年ほどが経つが、今だテレパスに対する偏見は根強い。多動性障害や自閉症といった、テレパスの子供特有の症状を、病気だと考える人も依然多くいる。そのため、正式にテレパスだと診断されると、社交界でやりにくくなると考えたのだろう。

(お陰で、ジョヴァンニは能力を伸ばす訓練を受けず、わたしがテレパスであることにすら気付かなかった。全く、皮肉なものだな)

 そのジョヴァンニの存在を邪魔に思っているもう一人の人間、シアンムーは、わざわざルチアーノを呼び戻しておいて、結局は、くどくどと小言や文句を言っただけだった。彼女は、「テータ」のように暗殺者の世界に精通している訳ではない。彼女にできるのは、ただ、「テータ」をせっつくことだけなのだ。とにかく、家にいても無駄なので、明日には学園に戻ることにしている。

(学校で、ミシェルやヘルマンと話を合わせているのも疲れるが、ここで使用人の手前、シアンムーと偽の親子をしているよりは、余ほどマシだからな)

 今頃は、もしかしたら、ルチアーノが初等学校三年生の時に半年間休学していたのは、旅行ではなく、入院のためだったと噂が広まっているかもしれない。だが、工作員として訓練されたテレパスたる「テータ」には、それとても、どうにでもできる程度のことだった――。


          ●


(「価一千万DR」か。こっちの仕事のほうが美味しそうだな。何より、教え子と争わないで済みそうだし)

 スプートニク、本名をオレグ・サハロフという男は、PC画面を見ながら思案する。そして、数秒後に出した結論は、至って単純なものだった。

(まあ、いいか。とにかく、こっちの美味しそうなほうをメインにして、もう一つのほうは、機会があったらということにしよう)

 狙われるかもしれない(・・・・・・)ジョヴァンニにしてみれば、甚だ迷惑な決定であった。


          ●


「ティエン、最近仕事に行かねえんだな」

「ああ」

 ティエンは、ジョヴァンニの問いにあっさりと答える。

「ハサンに、おまえの護衛を頼まれているからな」

「あ、そ」

 ジョヴァンニは何となくむくれた。「金蔓」として守られても、嬉しくはない……。

「それで、ハサンの奴は、何をやってるんだ? 最近、あんまり姿見ねえけど」

「仕事ですよ」

 カーテンを閉め切った窓の傍の椅子に腰掛けたスレシュが答えた。ジャマルとダイチは宇宙港内の探検に行っているし、さすがにホテルの部屋の中までは監視されていないので、カーテンさえ閉めておけば、ハサンのことも大っぴらに話せる。盗聴器がないことは既にティエンが確認済みだ。

「あなたという金蔓が手に入ったといっても、この状況ではまだ安心できないんでしょう。新しい仕事が入ったと、嬉しそうにしていましたよ」

「あ、そ」

 二つ並んだベッドの、片方の上に座ったジョヴァンニは、膝頭に頬杖を突いて顔をしかめる。

「全く、次は誰を殺すんだか」

 思わず口にした言葉に、ティエンとスレシュの、鋭い視線が返って来た。しまった、と身を縮めたジョヴァンニに対して、先に口を開いたのはスレシュだった。

「彼は、好きであの仕事をやっている訳ではない。彼には、彼なりの思いがあってやっているのです」

 スレシュの、珍しくきつい物言いに、ジョヴァンニはつい、言い返した。

「どんな思いがあろうと、人を殺すことに変わりはねえだろう」

 それは、このところずっと、ジョヴァンニの心を占めている思いだった。スレシュは、じっとジョヴァンニを見据え、次いで溜め息をつくと、言った。

「あなたに、栄養失調で妹を死なせてしまった、彼の気持ちが分かりますか?」

 予想外の反論に、ジョヴァンニは言葉を失う。スレシュは静かに言葉を続けた。

「お金がないばかりに、彼は妹を亡くしたのです。戦時中とはいえ、あの頃はまだ細々と物流があったので、お金さえあれば、食べ物が手に入りました。けれど、両親とともに家を焼かれた彼と妹には、お金などなかった。カネさえあれば救えた。カネがなければ、今、目の前にいる大切な者を救えない。それが、彼の行動原理なのです」

「――悪い。おれ、言い過ぎた」

 項垂れたジョヴァンニを、同じベッドの端に腰掛けたティエンが目の端で見遣り、きっぱりと言った。

「いや、おまえの言葉は正しい。どんな理由があれ、人殺しに変わりはない」

 ジョヴァンニは驚いて振り向き、スレシュは顔に苦渋の色を滲ませる。ティエンは低い声で、更に言った。

「だが、おれは、殺さなければ生きられないという環境のほうをこそ、憎む」

 三人の間に、沈黙が流れた。

「――とにかく」

 スレシュが気を取り直したように口を開いた。

「ジャマルとダイチの二人には、ハサンの仕事を黙っていて下さい。ハサンは、彼らに知られることをひどく恐れているのです」

 寂しい微笑みを浮かべて、南アジア系の少年は語る。

「彼は、自分と同じように家と親を失った彼ら二人の面倒を見ることで、精神的に癒されています。ジャマルとダイチは、ハサンの最後の心の拠り所なのです」

 ジョヴァンニは、ふと疑問を覚え、訊ねた。

「何で、皆、施設へ入らねえんだ? 戦災孤児用のがあるんだろう?」

「エデン内戦の際、連盟が人類宇宙軍の活用の仕方を誤ったせいで、エデン宙域の戦争犠牲者は倍増しました」

 スレシュが冷ややかな声で答える。

「皆、連盟を恨み、その世話になりたがらないのです。連盟は人殺しだと、そう叫んで死んでいった人達の子供ですからね――」

 その時、ガチャリとドアの鍵が動く音がした。

「ただいまあ!」

「ただいま」

 部屋のドアが開き、同時に、ダイチとジャマルの声が、その場の雰囲気を変えるように響く。スレシュが、ちらとジョヴァンニに目配せしてから、二人に声をかけた。

「お帰りなさい。港探検はどうでした?」

「なかなか面白かったぜ。警官はまだうろうろしてやがったけど、見るとこは見れたしな」

 ジャマルが答えれば、ダイチも飛び跳ねて話す。

「噴水があった! それからそれから、いっぱいいっぱいお店があった!」

「展望室にも行ったんだよな」

「うん! 星がいっぱい見えた!」

「そうですか、良かったですねえ」

 ――そこにあるのは、本当に幸せそうで、脆く儚い光景だった。


   十六 運命の日


 その日、既に疑いが晴れ、監視を解かれていたジョヴァンニ達は、ハサンの指示で、人々の流れと逆行して動いた。エデン内戦終戦十周年記念式典に出席する人々が、式典会場のある地表へ降りるため、宇宙港の外縁部にある宇宙連絡船用埠頭へと向かう中、ジョヴァンニ達は宇宙港の中心部へ「上が」り、バー・レーン宙域行きの定期船に乗ったのだ。それが、運命の日の、基準時間において三日前のことだった。


          ●


 人類宇宙基準暦五五三年六月三十日、基準時間一一五五時、エデン標準時間の一時二十三分。一発の銃声が轟き、人類宇宙連盟の総代表として、壇上で「追悼の言葉」と題した演説をしていたアルカディア宙域代表フランソワ・カサブブが、倒れてそのまま絶命した。正確に額を撃ち抜かれていた。


          ●


 時を同じくして、バー・レーン宙域の人類宇宙軍駐在艦隊所属、宙域パトロール中だった二四八二〇八B戦隊で反乱が起き、基準時間一五三〇時過ぎには、戦隊内の最後の抵抗者が射殺されて、戦隊の艦艇全てが「反乱分子」即ち「テロリスト」の手に落ちた。

 その直後、途上惑星解放戦線から声明文が出された。

[われわれは、虐げられた開拓途上惑星及び発展途上惑星の住民を代表して、人類宇宙連盟に対し、ここに、宣戦布告を行なうものである。人類宇宙連盟宙域代表総会が、もしこの戦争を望まないのであれば、即刻、宙域間貿易に関して最近定められた税の増加・増設についての最高規約を破棄し、われわれとの話し合いに応じることを要求する]

 声明文は、速達回線で人類宇宙中へ流され、貧しい宙域に興奮と歓喜が、残る大部分の宙域に驚愕と恐怖が満ちたのであった。


          ●


「これ以上あいつらの好き勝手にさせておけるものか!」

 ムハンマド・ザグルールは叫んで、一同を睨み回す。自らが代表を務める宙域で問題が起こったことに、反省するというよりは、血管も切れんばかりの怒りようであった。

「では、戦争をすると仰るのですか?」

 淡水の(マル・ドゥルセ)宙域代表ガウルテリオ・デ・リオ・デ・ラ・プラタが冷ややかに質した。この四十三歳の紳士は、故郷、惑星マル・ドゥルセのカリフォルニア王国においては、銀の(リオ・デ・ラ・プラタ)州侯子という肩書きを持つ貴族の一員で、宙域代表達の中では、穏健派として知られる人物である。

「彼らの不満は当然のものです。われわれは、それだけのことをしてきたのです」

 淡々と「テロリスト」を擁護したガウルテリオに対し、凛とした声が響いた。

「わたしは、ザグルール代表の意見に賛成です」

 声の主は、イエフアである。

「これ以上は、彼らの好きにはさせられません」

 毅然として起立し、断言したイエフアに、隣の席のアーリが問うた。

「どうするつもりです」

 イエフアは、鋭い目を青年へ向けて言った。

「われわれも声明を発表するのです。彼らが、如何なる理由であろうと暴力に走ったことを糾弾し、税の改善については話し合う用意がある、という内容のものを。けれど、それ以上のものを彼らが求め、これ以上の戦闘行為を行なった場合には」

 重々しく言葉を切ったイエフアの顔が、冷酷なまでの厳しさを湛え、そして彼女は厳かに述べた。

「宣戦布告を受けて立つのです」

「戦争を起こすのですか!」

 テレーサ・ハビエルが非難するように叫んだ。が、イエフアは一歩も退かなかった。その全身に恐ろしいまでの威厳を漲らせて、彼女は、その場にいる宙域代表全員を見回した。

「皆さんに忘れて頂きたくないことは、われわれが、非独立宙域市民の代表ではなくとも、独立宙域市民の代表ではあるということです。選ばれたわれわれには、われわれを選んで下さった十一独立宙域の人々を守る責任があります。十一独立宙域市民の総意である、この人類宇宙連盟を守る義務があります」

 イエフアは宙域代表一人一人を見つめる。

「われわれには、この混乱を収拾する責任と義務があるのです。一刻も早く、十一独立宙域市民の安寧を取り戻さなければなりません。対して、彼らには、正義がありません。――彼らは、カサブブ代表と、乗っ取られた戦隊に所属していて協力しなかった人類宇宙軍兵士、即ち、人類宇宙市民を、殺傷しました」

 最早、誰も、イエフアを止めなかった。アーリはその傍らで目を伏せる。

(彼女の言うことは正しい。だが、正義と話し合いだけでは、人類は、正しい方向へ導かれはしない……)

 人類の歴史に戦争は付きものなのだ。有史以前の、太古の昔から――。

 アーリの感情は諦めに近いものだった。けれどイエフアは、諦めというものを認めなかった。

 基準時間同日一七〇〇時。人類宇宙連盟の声明が、イエフアによって発表された。

〈われわれ人類宇宙連盟宙域代表総会は、まず、このたびの途上惑星解放戦線の戦隊乗っ取りテロについて、遺憾の意を表明するものである。途上惑星解放戦線は暴力によって人類宇宙市民の総意たる人類宇宙連盟を脅かし、話し合い以前に、既に制定された最高規約の破棄という一方的な要求を突きつけている。これに対し、われわれ人類宇宙連盟宙域代表総会は、あくまでも話し合いによる交渉から、混乱の収拾を図る所存である。万が一、途上惑星解放戦線が話し合いを拒絶した場合には、彼らの暴力に対し、われわれも相応の軍事力を以って、断固として対応することを、ここに表明する〉

(――わたしは、今度こそ守ってみせる)

 政治的に練りに練られた声明を朗読し終えて、イエフアは、胸中で従妹に誓う。

(わたしは、わたしを頼ってくれる人々を、全力で守ってみせる。秩序と平和を、守り通してみせる)

 従妹を失って以来、ずっと身の内で(たぎ)ってきた思いが、更に膨れ上がって、自分を突き動かし、支えている。それは、まだ完全には形にならない、地下で渦巻くマグマのような感情だった。


          ●


(また、戦争が始まる)

 ガリラヤ王国立宇宙学園でも、ルチアーノの噂など影も形もなく、ジョヴァンニの噂すらどこ吹く風、皆騒然として、人類宇宙軍の戦隊が途上惑星解放戦線という「テロ組織」に乗っ取られたニュースに釘付けになっていた。授業は自習ばかりになっている。教師達も、事態がどうなるか分からない内は、何もできずにいるのだ。

(ジョヴァンニはどうしただろう)

 遥か宇宙の彼方にいる、殺さねばならない相手のことを、ルチアーノは考えた。スプートニクには、基準時間で三ヶ月以内に、標的を仕留めるよう指示しておいた。まだ連絡はない。この混乱で、その「吉報」は、遅くなるのか、早くなるのか。

(考えても、仕方のないことか)

 ルチアーノは、窓の外を見た。ざわつきの収まらない、重たい不安感に支配された教室とは対照的に、空は、いつもと変わらず青かった。


          ●


「おれが仕事を引き受けるという条件で、ここを貰った」

 ハサンは無表情に告げた。

 与えられた部屋は、狭いが士官室だった。しかし、そんなことは問題ではない。ジョヴァンニは顔をしかめ、苛々と頭を掻いた。ハサンの新たな仕事の関係でバー・レーン宙域へ来ることになってから、ずっと、ハサン主導のこんな調子で事が進んでいく。けれど、今は優遇されていると言っていい状況なのだろう。彼らが到着する少し前、この艦内でも、途上惑星解放戦線に加担して反乱した者とそうでない者という、同じ戦隊所属の兵士同士が戦う征圧戦が、展開されたのだ。空調設備はフル稼働中だが、空気にはまだ微かに戦闘の臭気が残っており、ジョヴァンニに、居住型SC‐03Xの、昔の人工大気を思い出させるのだった。

 ソファーの上ではしゃいで飛び跳ね、室内を走り回るジャマルとダイチを、ジョヴァンニは暗い表情で見遣る。スレシュはと言えば、二人の少年を、温かい眼差しで見ているだけであるし、ティエンは、瞑想するように目を閉じて、腕を組んだまま壁に凭れて立っていた。

「安心しろ」

 ハサンが、ドアのところで振り向いて言った。

「おれは殆どここにはいないから、実質、五人で使えばいい」

「おれは、そんなことを気に病んでるんじゃねえ」

 ジョヴァンニはハサンを睨んで、噛み付くように言う。

「何で、おれ達が今、こんなところにいるかってことだ」

「簡単なことだ。これに乗っていれば、メインランドへ行ける」

「戦争に巻き込まれるぞ!」

「おまえは命を狙われている。危険性に変わりはない」

「ジャマルやダイチまで、巻き込むのか」

「おれが守る。戦場はおれの庭だ。おまえはただ、メインランドへ着くまで、大人しくしていればいい」

 きっぱりと言い切ると、ハサンは、これ以上の問答は無用とばかり、部屋から出て行った。

「馬鹿野郎……!」

 ジョヴァンニは、ジャマルやダイチの怪訝そうな視線を感じながらも、吐き捨てる。

――「爆弾を仕掛けた奴も、犯行声明文なんか書いた奴も、絶対に許さねえ……!」

 そう自らに誓ったのは、いつのことだったか。運命と時代は、彼の預かり知らぬところで動き始めていた。彼らは、ハサンが受けた仕事の関係で、途上惑星解放戦線のものとなった二四八二〇八B戦隊の旗艦、戦艦リリーの居候となったのであった――。



「あの最高規約が即刻破棄されんというなら、話し合いには応じん。奴らは時間稼ぎをするつもりだ。戦力では、われわれのほうが著しく劣っている。ここは、速攻でいかねばならんのだ」

 ムスタファは、リリーの第一作戦室に参集した、「ベータ」、「ガンマ」、「カッパ」を除く五人の幹部達を見回しながら、断言した。誰一人として反対する者はなかった。

 開戦は、回避されなかった。


          ●


 基準時間二三〇〇時。人類宇宙連盟は再度、二四八二〇八B戦隊に呼びかけ、彼らが話し合いに応じないことを確認するや否や、人類宇宙軍に「途上惑星解放戦線艦隊」鎮圧を命じた。これを受けて、人類宇宙中に配備されている人類宇宙軍が本格的に動き始めたのである。

 基準暦五五三年七月一日、基準時間〇〇〇〇時。それが、開戦の時刻であった。

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