恐怖、諦観
薄暗い森の中。周囲に生物の気配は何もない。
地面にうつ伏せになって一体のゾンビは後悔する。逃げた事にではなくこの世界にやって来たことに。
「(普通に死んでりゃどうなってたんだろ?)」
死ねば天国か地獄に行く。行き先は生前の行いで決まり、悪いことに手を染めてれば地獄に落ちる。
自分はどうだっただろうか?良いことも悪いことも特にした覚えはない。だから自分はこんな世界に来てしまったのだろうか。
化け物に追われ、人に追われ。たった一人で寝ることも泣くことも出来ず、森の中で蹲るしか出来ない。
かといって死ぬ勇気なんて微塵も湧かない。死んでここに来たのだ。あの辛さも痛さも見に染みている。
「(凹むな。何で俺だったんだ?)」
タイミングが良かった言われたのは覚えている。だが神と名乗るならもっとやりようもあった筈。
何も死ぬタイミングを狙わなくても、生きてる人間を連れてきても良い筈。神の思惑など知らないが、怒りを買っているとしか思えない。少なくとも敦司はもう二度と神を許さないだろう。
遠くで遠吠えが聞こえる。狼か何かかも知れないが、危険を理解できても動く気力が無い。
自分で死ぬのは怖いが、殺されるならそれも良いかも知れない。どうせなら一思いに一息に殺して欲しい。もう痛みを感じたくない。
「(って、この体はもう死んでるのか。)」
冷静になればなるほど気持ちが沈んでいく。元々底抜けに明るい性格でもない。ちょっと辛いことがあれば人並みに凹む。
昔ならストレス発散のためにカラオケや飲み会をしたが、それも出来ない。捌け口が無くなってしまうとここまで自分は弱いのかと自己嫌悪に陥る。
「(そんな場合じゃ無いのはわかってる。わかってるんだけど……。)」
このままでは本当に死を待つだけになってしまう。だが頭でわかっても心が締め付けられて体が動かない。
「ヴァー!ヴァッ!(あー!クソッ!)」
地面を叩きつけて怒りを吐き出す。なのに声が出ない事実に更に苛立ちを覚えて情けなくなる。
口から息が漏れる。ぐちゃぐちゃな感情を自分で抑えきれない。
ただ辛く、そして悲しい。誰にも話しかけられず、誰とも話せない現状は普通に生きてきた現代人には耐えられない。
立ち上がろうとして、座る。どうせ立ったところで何処に向かう当てもない。
そうして無駄な時間を過ごしていると、茂みが揺れて音がなる。視線だけそちらに向けると、灰色の、人一人丸のみに出来そうな猫が唸り声を上げながら涎を垂らしている。
それを見て敦司に恐怖が宿る。しかしそこまでで、動く気力が沸いてこない。
血走った目に痩せた体。片足を引き摺りながら一直線に敦司目掛けて進んでくる。その猫は敦司に顔を近づけて鼻を揺らす。
品定めをしているのだろう。心臓があれば鼓動がはち切れそうになっているだろうがそうもならない。
「(ここで終わりか。第二の人生も呆気ないな。)」
すでに気持ちは諦めている。その大きな口で一息に噛み殺せ。何故死んだかもわからないまま殺してくれ。敦司はただそれだけを願う。
だが灰色の猫は何度か鼻を揺らすと、がっくりと項垂れて力無く横たわる。
それが何を意味しているか理解して、敦司から乾いた笑いが漏れ出てしまう。
「(そうか。俺じゃ腹の足しにもならねーか。)」
敦司の体を肉付けているのは腐った肉。猫からすれば食べれる肉とならなかったのだろう。
一人と一匹はお互い力無く座り込む。すると猫の方から盛大な腹の虫が鳴る。
「口惜しい……。」
「ヴァッ!?」
「何を驚く。儂が言葉を話せるのが……。……儂の言葉を理解出来るのか?」
猫は尊大な物言いで敦司に話しかける。喋ると思っていなかった敦司は驚きで声を上げるが、猫も同様に驚いた様だ。
「理解できてるのだな。ゾンビは知能が無い者と思っていたが……。いや、お前が特別なのか……。」
「ヴァーヴァヴァ、ヴァ?(俺の言葉がわかるのか?)」
「何を言ってるかわからぬ。声は持ち得ていないのか。」
自分の意思を伝える事は出来ないとわかり、再び敦司の気が沈む。猫はそれには触れず、遠い目で一人語りだす。
「ここが終わりと思うと悲しい結末だ。せめて争いの日々で死にたかった。」
「(物騒だな……。)」
「先の戦いは良かった。決着こそ付かなかったが充実していた。だが傷が癒えないとはな……。」
「ヴァー。」
愚痴とも武勇伝とも取れない話を聞きたくはない。上司の昔話はどれも盛られてつまらないと相場は決まっている。
怪我でここから動けないのなら動けるようにしてやろう。敦司は猫の患部に手を当てて願う。
「何をしてい……!?」
自分の体に許可無く触った敦司に苛立ちの目を向けるが、起きた異変に目を丸くする。
猫に刻まれた傷は半ば呪いの様なもので、事故治癒は遠い未来の話だった。
体力さえ戻れば完治は出来る。だが体力を戻す為の餌が取れずに、死ぬことを覚悟していた。
やっとの思いで見つけた獲物は腐乱死体。食っても栄養にならず、むしろ体に不調をきたす事請け合いな獲物だった。
なのにその獲物は今何をしているか。手を翳しただけで呪いを払い、体力無き者の傷を癒している。猫の常識ではあり得ないことだった。
「お……?おお!動く!儂の足が、体が動くぞ!」
猫はピョンピョン跳ね回り、自分の体を確かめる。喜び駆け回る猫を見ながら、敦司は明後日の方向を見る。
「うむ!これなら狩りも出来る!手間をかけたな死体!」
そんなことだろうと思っていた。猫は風の様に去っていき、一瞬でその姿を消す。
それでも敦司は会話とも言えない会話に、人間らしい事をしたと満足していた。会話して、困っている者を助ける。そんな当たり前の事で敦司は充実感を得た。
だが、それも一瞬。また茂みが揺れたと視線を向けると、先程よりも背丈の無い、子ども位の緑色の生物。
この世界で初めて遭遇した生き物。ゴブリンだった。
「……。」
最初に出会ったときは逃げた。でも今はその気力も起きない。
1日足らずで敦司の精魂は尽き果てた。この世界は現代を生きてきた敦司には厳しく、ただ辛い。
ゴブリンは敦司を見て涎を撒き散らして喚く。猫は腐った肉を食いはしないが、こいつらは別な様だ。
「(まぁそんなもんだよな……。)」
死ぬときはあっさり死ぬ。いっそ、全部受け入れて死のうと目を閉じる。
すると一陣の風が敦司を叩きつける。目を閉じた敦司には何も見えないが、ゴブリンの短い悲鳴だけが耳に届く。
不思議に思い目を開ければ、そこにはさっきの猫が口から血を滴らせながら目を光らせている。
「なんだ?死にたがりか?」
「……ヴァ。」
「良い。どうせ言葉の意味など理解できん。一方的に喋らせて貰おう。」
猫は威圧的に敦司に顔を近づけ唸り声を上げる。牙を剥き出しにして敦司に対して怒りを口にする。
「たかだか人間の死体風情が死にたいなど傲慢だ。せめて千年は生きてから死を望め。数百しか生きれぬ愚か者よ。」
猫は敦司に説教する。知能がある癖に生きる意思を感じない敦司を猫は嫌う。
「貴様が既に死んでいるなら尚更だ。死ねば全てから逃げられる思っているか?死んでからも苦痛が続くだけと理解しているのだろう?」
「ヴァヴァーヴァヴァ!(お前に何が!)」
「そうだ怒れ。貴様に意志があるのなら。全て吐き出して世界に刻むが良い。」
敦司は思い切り猫の顔を殴り付ける。こんなことになったのは自分のせいではない。
タイミングと運が悪かった。たったそれだけの理由で一人ぼっちになり、他人と会話する事も出来ない、温もりを感じない体になった。
一度も望んで等いない。異世界も魔法も興味はない。心踊る出来事は無く、死が間近にあるだけで、神様から得た魔法は自分に効果はない。
生きるなら、死にたくないと望んだ。敦司が願ったのはそれだけなのに、敦司は今は死にたがっている。
自分でも愚かしい事は理解してる。気持ちが二転三転して、自分の本心がわからなくなる。
ーーー俺が何をした!辛い目に会う為に生きることを選んだんじゃない!ーーー
言葉は通じずとも敦司の言葉が聞こえてくる。猫はただ敦司の怒りをその身に受ける。
避ける事も出来る。弾いて攻勢に転じて喉元を噛み千切り、敦司の命を断つことも簡単だろう。
だが猫はなにもしない。黙って受けるだけで何も言わず、手も出さない。
敦司が喚いて殴り、猫が黙って殴られる。暫くそれが続くと敦司の膝から力が抜ける。
膝を着いて空を見上げる。現代では見えない星が煌めき、敦司の荒んだ心とは裏腹に、とても綺麗に輝いている。
「……ヴァー。」
意味の無い言葉を呟き、敦司は踞る。猫はそれを見て敦司に顔をすり寄らせる。
どれだけ喚こうと涙はでない。猫の頭を触っても暖かさは感じない。
だが敦司は構わず猫の頭を撫でまくる。
「……ヴァヴァ。」
「それで良い。儂を生かしたお前には生きる義務がある。」
なんて自分勝手な奴だ。敦司はそう思いながら猫に抱きつく。何も感じない体でも、確かに敦司は何かを感じとり、夜空に星が一つ落ちていく。