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第10章〈神の怒り〉-10-

「ネ、ネイ!?」

 見た目によらず意外に深い水底と、突然川に放り込まれたことに驚きながらも、ルナはあわてて水面に顔を出して、必死にネイの立つ岸まで泳ぎはじめた。

 山から流れて来る雪解けの冷たい水が、上流からゆっくりと流れ込み、体を押し流して行く。

 海水とは全く違って、泳ぐには体は重かったが、目を開けても水を呑みこんでも、真水は痛くも辛くもなかった。

 ようやく岸にたどり着き、川から這いあがったルナは、全身びっしょりと濡れた姿でネイの前まで戻って来た。

「どお? 冷たくて気持ち良かっただろう」

 その問いかけに、ルナは大きなクシャミをひとつした。

 気持ちいいというより、震えがくるほど水は冷たかった。

 けれど、不思議なぐらい頭の中はすっきりしていた。

「ほら、風邪引くから、服を脱いで体を乾かし、さっさと着替える」

 ネイは笑いながら、馬の背から荷袋をほどいて、山越えのために用意してきた厚手の服を次から次にルナの足元に投げつけた。

 乾いた服に着替えながら、ルナはふとあることに気づいて体をまさぐった。

――袋が……!

「はいよ」

 何かを探しているしぐさに気がついて、ネイが袋をルナの顔の前にぶら下げた。

「それ……!」

 ルナはあわてて袋を奪うように取ると、胸の前で抱きかかえる。

 指輪とイルダークの牙、ハーフノームの海賊仲間達からが餞別に届けてくれた金貨が入っている袋。

「悪いとは思ったけど、流されちゃったらやばいからさ、体からはずしといてやったんだよ。そんなことにも気づかないんだから、よっぽどほうけてたんだ」

 ネイは、にっこり笑った後、急にまじめな顔になった。

「ジーン。あんたは一体、どうしちゃったんだい?」

 ネイは座り込むと、不思議そうな顔でルナの緑色の瞳をじっと見つめた。

 ルナは、その視線から逃げるように着替え終わるとネイの横にひざを抱えて座り、たった今放り込まれた正面の川の流れに目を移した。

「言っとくけど、あたしはまだ死んでないからね」

「ごめんなさい」

 ルナは川を見つめたまま素直に謝った。

 さっきまでの現実と夢とが一緒になったような非現実感は、きれいに消えていた。

 ネイの自分を見つめる瞳は、確かに生きてルナの前にあった。

「あのさ、あんたイリア姉さんが亡くなった時も、かしらから出て行けって言われたときも、随分冷静だっただろ。あたしは、そのことがずっと気になってた」

 ネイも、ルナの見つめる川を見ながら、言葉をつないでいく。

「それに……ノストールに来てからは、ただごとじゃない様子だったしね。なにかあったことは間違いないって、ロッシュとも話してたんだ」

 ルナは視線を落として唇を結んだ。

 本当のことを話したい衝動に駆られた。

 しかし、それが間違っていないことなのかどうかわからなかった。

 話しても大丈夫だと思う心と、テセウスに会って指輪を渡すまでは、誰にあっても絶対に言ってはいけないという気持ちが、振り子のように大きく揺れ続けた。

「でも、とりあえず、あたしはずっと決めてたことがあるからさ」

 ネイはルナの言葉を待たずにそう言った。

 まるで告白するような、きまじめさと照れ臭さが一緒になったような表情で空を仰ぎ見ながら、つぶやいた。

「あたしの居場所はあんたのそば。ジーンがどこへ行こうが、何をしようが、そばにいるって決めてる」

 思いがけないその言葉に、ルナは驚いてネイを見つめた。

 その大きな翠色の瞳を受けて、ネイは少しだけおどけたような表情をつくり、すぐに静かにほほ笑んだ。

「だって、当然だろ。あたしはあんたに命を助けられたんだ。あんたが、かしらに頼んであたしの命を救ってくれなかったら、あたしの魂はとうにヴァン神のもとだ。なのに……あんたといると人が死ぬなんて、そんなことあるわけないじゃないか。あんたがそんなこと考えてるって知ったらイリア姉さんが悲しむよ。イリア姉さんは短いはずの命の時間を、療法士のテルグが驚くほど、延ばすことができたんだ。あの弱すぎるほどの体がどうして元気になれたんだろうって、テルグがいつもあたしに言ってた」

 ネイは真剣な表情で言った。

「でも……それはね、ジーン、あんたがいたからなんだよ。あんたがイリア姉さんに生きる力と幸せな時間をつくったんだ。あたしに、生きる時間と自由を与えてくれたんだ。それを忘れるんじゃないよ」

 ネイの言葉のすべてを受け止めることはいまのルナにはできなかった。

 だが、ネイ自身がそう信じているのだという思いが心に伝わってきて、ルナは反論せずにうなずいていた。

「イリアかあさんと……ネイの命……」

「そうだよ。ま……そういう意味では、あたしは確かにあの海で一回は死んでるんだろうけどね。おまけの人生だから、迷惑かも知れないけど、恩人のそばにいさせてもらうよ」

 恩人という言葉に、ルナの心がチクリと痛む。

――でも…父上の命……イルダークの命……が亡くなったは……ルナのせいだ。

 決して消えることのない心に刻まれた深い後悔の傷が表情を曇らせる。

 それでも、ルナは自分に向けられたネイの言葉に励まされた。

 ネイとともにテセウスのもとへ向かってみようと心に決めた。

 ルナにとっては大きな賭けであった。

 もし、万が一この旅でネイが死ぬようなことがあれば、もう自分はもう誰とも一緒にはいられないかもしれない――そう思いながら。 


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