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第10章〈神の怒り〉-7-

――『民あっての王あるが故に、王不在にて民の不安まねくは、非情の罪なり。』

 ラウ王家の祖始ラウ一世の残した『王訓書』に記された一節である。

 アルティナ城で暮らしていた頃、ルナはその『王訓書』を見たことがあった。

 城の図書室で『王訓書』を読んでいるアルクメーネをみつけて、何を読んでいるのかお話してほしいとせがんだのだ。

 アルクメーネはよくいろいろな本をルナに読み聞かせてくれた。

 アルクメーネは、四方の壁一面に隙間もなく本が詰め込まれている空気が好きだと言って、よくここで時間をすごしていた。

 二番目の兄は微笑みながらも真剣なまなざしで、内容の一部をわかりやすくルナに話してくれた。

――この意味はね、『王はいつでも、どこにいても、みんなにわかるように自分のいる場所を知らせていなければいけません』ということなんですよ。たとえ、よその国に行くときでも、みんなを心配にさてはいけません、王がどこに行ってしまったかだれにもわからなくなって、民に心配をかけてはいけません、という意味です。父上や母上がわたしたちに黙って、どこかへ行ってしまったら困ってしまうでしょう。

――うん……。

 ルナは素直にうなずいた。

――それと同じように、民の不安を招くものは、王の資格に欠ける。ということが書かれているんです。

――ふーん……。

――わたしたちの祖始である、ラウ一世が書き現して下さったこの『王訓書』があるおかげで、小国であるノストールは永い間、他国の侵略から国を守り、王家の存続をかなえていっているのですよ。

――じゃあ、ルナはこのご本をちゃんと守ります

 ルナは、アルクメーネのかたわらで心地良さそうにくつろいでいる兄の守護妖獣に、まじめな顔をして宣言した。

 守護妖獣カイチ。

 金色に輝く長い体毛、大男ほどの大きさ、そして角を除けば、その姿形は山羊に似ていた。

 しかし、一本しかないその角はまさに一角獣の種族であることを示す証しだった。

――どれほどの偉大なる書も、また幼子の落書きの書も、ただ書棚に収まっている限りでは、路傍の石と同じこと。読む人間の心ひとつで、難しくも、また楽しくもあるものです。

――うーん……。

 ルナは小首をかしげた。

 カイチはどんなときであっても、静かに淡々とした態度で接した。

 ただ、ルナに語る時も、大人に語りかけように話すので、難しい言葉や言い回しが多く、ルナは困ると上目づかいで兄に助けをもとめた。

 アルクメーネがその様子にすぐ気づくと、ルナの銀色の髪をくしゃりとなでた。

――ルナももう少し大きくなれば『王訓書』のお勉強を始められますよ。この本には、どうして王家があるのか。なんのために王がいるのか。そして、なにをしていくことが国にとって一番大切なことなのかを……わたしたちに教えてくださっているのですよ。ルナはかしこいから、すぐに読めるようになりますよ。

 笑う兄と、すました顔のカイチを交互に見てもう一度、小首をかしげた後、ルナは再び兄の手の中にある『王訓書』に視線を戻す。

――ね、兄上、ここ破ったの? 

 ルナはパラパラと『王訓書』をめくる兄の手を止めて、不思議そうにたずねた。

――どうしちゃったの? 

 ルナが見つけたのは、一枚だけ破り取られたページのあとだった。

――どうして、ここ、ないの?

 ルナに指摘されて、真剣にうなずいたアルクメーネの瞳をルナはよく覚えている。

――わたしもここを見つけて、父上に聞いたことがあるんです。でも、父上が子供の時にこの本を見たときには、もうここのページはなかったと言われていました。なにが書かれていたのでしょうね。


 ルナの忘れていた記憶がよみがえる。

「民ありて王あるが故に、王不在にて民の不安まねくは、非情の罪なり……」 

 ルナは、わけもわからず覚えた言葉を口の中でゆっくりとつぶやいた。

 もしも、一月以内にテセウスが帰還しなければ、さらに一年を過ぎても行方がわからなければ……行方がようとして知れない時は、新王の座にはアルクメーネが就く。王の亡き後の後継者の不在は、それ自体が不吉な暗示を予感させる。

 しかし、いまのルナにとって大切な問題は、テセウスの身になにかが起きているのではないかということだった。

――兄上は、すぐに帰って来られる。帰って来ないはずがない……。だって……。

 ルナの脳裏に、竜巻さえ起こすという噂の王子、ルナのいるべき場所にいるアウシュダールの影がよぎる。

――あいつが、何者かわからないけど本当にすごい力をもっているなら、どこにいても日が暮れないうちにノストールに帰って来れる。兄上だって守護妖獣のザークスがいるんだから……。 

 守護妖獣。

 だが、ルナの守護妖獣リューザはルナのそばから消え、父の妖獣イルダーグは死んでしまった。

 守護妖獣とて、無敵ではないことをルナ自身がよく知っていた。

 そう思うと、嫌な予感だけがジワジワとはい上がってくるようで、ルナは身をすくませる。

 さらにマーキッシュの村で村長の言葉を聞いたときの、底冷えのする感覚がよみがえってくる。

――なんでも、アウシュダール様と同じ年の男の子らには、アル神のお力が注がれているといわれてのう。ビアン神とお言葉を交わすためにも、その子たちの力がどうしても必要じゃと、その子らをリンセンテートスへ赴く特別軍に加えられたんじゃ。

 ルナは、心のどこかで悲鳴を聞いたような気がした。

 どれほど、耳をふさいでも、決して消えることがない、ルナの心をかき乱し続ける恐ろしい悲鳴を。

 どうして、悲しいことばかりが起きるのか。どうして大好きな父や母、兄たちと一緒にいることができないのか。まだ幼い心は、頼もしくやさしい兄のテセウスが、父のようになってしまったら……という、拭うことのない恐怖心で覆われはじめていた。 

――待っていたら、兄上にお会い出来なくなるかもしれない。


 ルナは、待つのをやめた。

 エーツ山脈を越えることを決めたのだ。

「行く……」

 ルナの決して揺れることのない翠の瞳が真っすぐにロッシュとネイを見つめた。

「ここからは、一人で行く……」



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