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第8章〈ハーフノームの海賊〉-2-

 その日の夕暮れ、浜辺で多くの人々が見守る中、一漕の小舟が海に沈みゆく夕日に向かうように船出した。

 真っ赤に燃えるような夕焼け空は、海の色まで血の色に染めて行くようだった。

 小舟に向かい一本の火矢が天空に向かって高々と放たれた。

 矢は大きく弧を描き、やがて小舟に積まれていたワラに突き刺さる。

 火は徐々燃え移り、炎となって小舟の上に広がっていく。

「イリア姉さん……」

 ネイが唇をかみしめながら、じっと炎に包まれる小舟を見つめていた。

 ジル、そしてルナもまた無言のまま、イリアの亡骸の乗った小舟をその瞳に映し続けている。

 海賊たちの葬儀――。

 海に生きる者は死んで後、舟に乗って旅立つことで海の女神ドナ神のもとにたどり着き、海の一部となって生き続け、海に出る家族や仲間を守り続けると信じられて来た。

 イリアもまた海になるのだと、人々はルナに声をかけ、静かにほほ笑んだ。

 ルナは煙をあげながら、海中に沈み消えていく小舟を無言のまま見つめ続けていた。

 ジーンとして暮らして来た三年間。

 ルナにとっては、長い夢のあとに訪れたまったく別の人生だった。

 長い夢――。

 闇の中で、自分をつき落とそうとする影。

 嵐の海に投げ込まれ、沈んでいく体。

 大好きな人々と自分とを引き裂く地割れ。

 出口のない森の中を果てしなくさまよい続ける自分の姿。

 それらの夢が繰り返し、繰り返し訪れては、幼い心に恐怖と孤独を烙印のように焼きつけた。

――兄上? 父上は? 母上……母上ぇ……。

 どれほど呼んでも叫び続けても、ルナの声に応える者は現れなかった。

 誰の救いの手も差し伸べられることはなかった。

 果てしなく繰り返される悪夢―

 だが、やがて夢の中の情景が変化を見せた。

 燃えるように熱い体と潤む瞳、ぼんやりとした意識の中で、ルナはベッドの上に眠る自分の姿をみた。

 そこは、天井も壁も木で出来ている小さな部屋だった。

 見知らぬ場所。見知らぬ世界。

 夢の続きだと、ルナは思った。

 長い悪夢の中で、時折訪れる別の夢なのだと。

 ルナの隣にはもう一つベッドがあり、そこにも眠っている女性の姿があった。

 ほかにも、部屋を出入りする日に焼けてたくましい女たちと、筋肉隆々とした男たち。

 白い髭をはやし腰を曲げた老人、療法士のテルグ。

 頬に傷をもつ大きな体格をした「かしら」とよばれるこの家の主人らしき男。

 自分と隣に眠る女性を看病するために交代で看病に当たっている陽気な女たち。

 それが、夢の中の登場人物だった。

 やがてルナは、繰り返し訪れる夢の中の住人たちの顔と名前、そして部屋の様子を徐々に覚えていった。

 長い悪夢の狭間で見るつかの間の静かな夢の中で、ある時隣のベッドにいたはずの女性がルナの手を握りしめ、心配そうにのぞき込んでいる場面に出会った。

――ジーン。良くなるのよ、ジーン。かあさんがついてるからね。

(ジーン……?)

 ルナは、その人が自分のことを別の名で呼んでいるのを不思議な感覚で聞いていた。

 重い目を閉じるとそこに、母ラマイネ妃の姿が重なった。

――ルナ……早く良くなるのよ。

(母上……)

 ルナの綴じた瞳から、涙がこぼれた。

 ルナは覚えていなかった。

 母の部屋から見知らぬアンナの女性に連れ出されて崖に追い詰められたことも、守護妖獣に助けられて逃げる途中で竜巻に巻き込まれたことも、ルナの記憶から消えていた。

 悪夢の中から出られないまま、一人さまよい続けて来たのだ。

 ルナは意識の回復と共に、その静かな夢が、夢ではなく現実に自分のいる場所なのだと気づき、そして受け入れはじめていた。

 高熱が去り、体に力が戻りはじめ、ベッドからようやく起きることができるようになった頃、そこはルナの良く知る居心地の良い空間となっていた。

――ジーン。

 女性がルナを抱きしめる。 

 眠り続ける意識の中で、耳に届いていた自分を呼ぶ声。

 実際には、あまりにも弱々しく消え入りそうであったにもかかわらず、ルナはその声の温かさを知っていた。

 目を閉じるといつもそこにラマイネ妃のほほ笑みが重なった。

――かあさん……と呼んで、ジーン。かあさんよ……。

――か…あ……さ…ん……?

 ルナの唇から自然に言葉がこぼれていた。

 なぜ、そう応えたのかは自分でもわからなかった。

 ただ、イリアの中にだけ母の姿を見ることができた。

 見知らぬ場所、見知らぬ人々のなかで、イリアといると安心することができた。

 不思議と「ジーン」と呼ばれることに抵抗さえ感じなかった。

 ベッドから起き上がるほどまで回復するなると、ルナは家を訪れる人々と言葉を交わし、外で遊ぶことにも慣れていった。

 もちろん最初の頃は、アルティナ城の家族のもとに帰ることだけを考えて暮らしていたのだが、幼心に自分がどこかまったく別の世界に来てしまったのではないかと感じて、そのことを口にすることが出来なかった。

 しかし、家に出入りする男たちの口から、「ニュウズ海洋」「ドナ神」「ノストール」という言葉を聞くうちに、家の近くの小高い丘から見える山の頂がエーツ山脈であり、自分がいる場所は海賊たちの暮らす島なのだということを知っていった。

 ルナは帰ることが出来るのだと、知った。

 そして、必ず誰かが自分を探して迎えに来てくれるはずだとルナは信じて、毎日のように丘の上の木に上っては、エーツ山脈の見える海を眺め続けた。

 だが、どれほど待っても願っても、あの悪夢の中と同じように、ルナを迎えに来る者も探しに来る者もなかった。

 それどころか、耳に入ってくる海賊たちの話はルナにとって信じがたい話ばかりだった。

 ノストールの第四王子が神の転身人として名乗りをあげ、ダーナンの侵略から国を守った、と。

 自分以外の誰かが、自分として家族のそばにいる。

 それを耳にした時、ルナは寂しさ、孤独と悲しみ、そして混乱の嵐に襲われた。

 どうして誰も自分がいなくなったことに気づいてくれないのか、捜し出してくれないのか。

 誰が、自分のふりをしているのか。

 一刻も早く帰りたい、家族に会いたいという思いで、胸がはりさけそうだった。

 海を越えれば、母に会える。

 船に乗れば、家族に会える。

 海賊船に乗れば……。

 海賊船に乗れば、ノストールに帰れる―。

 ある日、ルナはその思いに突き動かされて、ジルの海賊船にもぐりこんだ。

 目立たないように、銀色の髪の毛を木の葉の染料で緑色に染めて。

 だが、海賊船はノストールに立ち寄ることはなかった。逆に、もぐりこんだことがばれて、ジルから大目玉を食らったのだ。

 ルナはあきらめなかった。

 機会をみつけては何度も密航し、見つかっては叱られ、時には海に投げ込まれたこともあった。

 それでもルナは止めなかった。家族のもとへ帰りたいという思いは強まる一方だった。

 やがて努力が実り、ルナはノストールの噂を詳しく知ることができるようになった。

 しかし、それはノストールに自分の居場所がないという現実を、自らに突きつける結果にしかならなかった。

 ノストールに第四王子はいる。

 竜巻をおこして国を守るという、シルク・トトゥ神の転身人の王子がいる。

――ごめんなさい。ごめんなさい。

 ルナは、自分が何かいけないことをしたのだと思った。

――いけないことをしたから、ルナの代わりに別の子がきたんだ……。ルナ、病気のふりや、うそ泣きしたりしたから……いらなくなっちゃったんだ……。

 アルティナ城にいた自分が、どうして海賊島にいるのか。守護妖獣リューザが、なぜ何度呼びかけても姿を現さないのか。ルナにはわからないことばかりだった。

――リューザ……どこにいっちゃったの…

 半身のように寄り添い続けて来た守護妖獣がいなくなったことは、ルナを絶望的な悲しみに追い詰め、幼い心は自分を責めることしか考えつかなかった。

――ごめんなさい……ごめんなさい…。

 何度もジルの家を抜け出しては行くあてもなくさまよい歩き、家族と守護妖獣の名を呼んでは一人で泣いた。

 そのたびに、イリアは柔らかな布でくるむように、傷ついた幼い心をそっとやさしく抱き締めてくれたのだ。

「ジーンは泣かない。強い子なんだから」

 温かい胸に抱きしめられながら、優しい声でそうささやきかけられると不思議とルナは、どれほど不安な夜も安心して眠りにつくことができた。

 だれも助けてくれない独りぼっちの場所で、イリアだけがどんなときもルナを優しく迎入れ、抱き締めてくれる存在だった。

 島の人々は大らかで気のいい人ばかりではあったが、いつしかルナにとり、イリアはかけがえのない存在になっていた。

 自分がなぜ、ジーンと呼ばれるのかわからなかったが、ここには確かにジーンだけに許された居心地の良い場所がある。

 時が経ち、ハーフノームの海賊の頭領ジルとイリアの息子ジーンとして、ルナはこの島で生きはじめていた。

 同時にノストールでの記憶は、徐々に薄らいだものになっていった。

 泳ぎや魚釣りを覚え、グート艇を操れるようになった。

 海賊船には、イリアの体調が良い時と、島からあまり離れないニュウズ海洋に出る行ときに限り乗船を認められた。

 ジルや仲間が商船に襲いかかり、切りつけ、人を殺し金や宝石を奪う姿を、マストの上でロッシュに支えられながら見た初めての夜。

 衝撃と恐怖のあまりに眠ることも、仲間の顔を見ることも出来ずに震え続けた日があった。

 だが、襲う相手と出会えぬまま空腹を抱えて海をさまよう日々、嵐に出会い何度も乗り切り海と戦うことを覚えた日々、また他の海賊と鉢合わせをして死闘を乗り切った日々など、あらゆる経験がルナに海賊としての生活を染み込ませていった。

 伝令役として働いたこと。海賊同士の戦いのなかで仲間の窮地を救う活躍をしたこともあった。

 そして、三年の年月が流れた今となっては、ノストールの王子としての日々は記憶の底に静められ、ふとしたときにぼんやりと思い浮かべることはあっても、その記憶が正しいのか夢だったのかさえ、あいまいになっていった。

 イリアの死は、慣れ親しんだ日々の中に突然訪れた。


 イリアを見送るために浜辺に集まっていた人々が、やがて一人去り、二人去り、徐々にその数を減らしていっても、ルナとジル、そしてネイの三人だけは、空に満点の星がきらめき、夜空に月の姿があらわれるまでその場を動こうとしなかった。

「あたしさ……」

 どれほどの時間が流れたのか、ネイがポツリポツリと話し出した。

「イリア姉さんのこと……本当の姉さんみたいに思ってきた……」

 小麦色に焼けた肌に、くせのある長い黒髪を後ろで一つにまとめた中性的な面立ちをしたネイは、イリアの妹と言うには年が離れており、どちらかといえばルナに年齢に近い年頃だった。

「あたしは親の手で商人に売られて、船で別の国に連れて行かれるところだった。狭くて汚くて暗い船底の船室に何十人もの子供と一緒に詰め込まれた。長い間、窓のない部屋からは出ることも許されなかった。その船が海賊の襲撃を受けて……今度はあたしたちは海賊の奴隷になって、毎日一人ずつ殺されていった。あたしの番が来たあの日、今度は海賊船が襲われた」

 ネイはおかしそうに笑う。

「あの時、ハーフノームの海賊があの海賊たちを襲わなかったら、ジーンがいなかったら……あたしは死んでいた。島に連れて来られて、病人の……イリア姉さんの看病をしろと言われたときは正直驚いたけど……。イリア姉さん……こんなあたしにさえ……やさしい人だった……」

 ネイの碧い瞳から涙がこぼれた。

「いままで良く世話をしてくれた……」

 ジルの低く太い声が、ボソリとつぶやくように響いた。

 ネイは驚いたように、ジルを見上げた。

 これまで、命令以外の言葉をかけられたことなど一度もなかったのだ。

「かしら……」

 ネイがその先の言葉をさがそうと口をひらいた時、さらに思いもかけない言葉がジルから飛び出した。

「ジーンはもういない」

「かしら?」

 ネイはジルの言葉に戸惑った。

 驚きのあまり、ジルとルナを交互に見つめる。

 けれど、二人は硬い表情でイリアの消えた海をただ見つめているだけだった。

「おれの息子は三年前に、この海で死んだ」

「どういうことですか?」

 ネイは初めて耳にする言葉に、驚きのあまり声を震わせた。

「イリアのために今日まで息子としてそばにおいて来た。だが、イリアはもういない」

「まって……かしら!」

 ネイの困惑した視線の先で、ルナは表情をみせずにただ夜空を見上げていた。

 その小さな唇がきつくかみしめられているのを、ネイは戸惑いの瞳で見つめていた。

「イリアはジーンのもとへいった。おれの家族はみんなドナ神のもとだ」

「わ、わかんないよ、かしらがなんでそんなこと言い出すのか。それじゃあ、まるで、ジーンが……」

「息子は死んだ……」

「かしら……」

 ネイは言葉を失った。

 もともと島の住民でなかったネイは、女の子であるジーンを島の人々が男の子同然に扱っていることに疑問を感じていた。

 だが、イリアの看病をするために命を助けられたネイはその疑問をだれかに問うことはなかった。

 ただ、ジルが男の子がほしくて、そのように育てているのだろうと自分なりに解釈していたのだ。

「で……でも、イリア姉さんが亡くなったばかりだし、そんなこと言わなくても……」

「そいつには島から出て行ってもらう」

 その言葉に、ルナの体がビクリと震えた。

「な……」

 信じられない厳しい言葉に、ネイは目を見開いたままジルの顔を凝視した。

「……ジーンは今日イリア姉さんを亡くしたばかりなんだよ……なにも今そんなこといわなくても……。その……かしらが一緒には暮らせないってうなら、ジーンはあたしが面倒を見るよ……だから…出て行けなんて……」

 うろたえるネイを無視して、ジルは二人に背を向けた。

「今日は好きにしていい。だが、海が荒れない限り、明日中に島から出ていくんだ」

 それは命令だった。

 何者もであっても、言葉を挟むことのできない。また、逆らうことの許されないハーフノームの海賊の頭領の言葉だった。

「かしら……」

 ネイは去っていくジルの大きな背中を、ただぼう然とみつめることしかできなかった。



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