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第6章〈失われし誓約〉-6-

 真夜中の宮殿。

 地下通路へと続く扉の前で、エリルはしばらく前からじっと立ちつくしていた。

 暗い闇の中、ランプの光だけが少年の横顔を浮かび上がらせる。

 エリルの右手には古びた鍵の束が握られていた。

 大きく頑丈な鉄製のドアには三つの鍵穴が取り付けられている。

 エリルは、この扉にたどり着くまでに、何人もの見張り番の兵士の目をかいくぐり、鍵束をこっそりと持ち出して、ここまでたどり着いた。

 この扉が開けられるのは十日に一度だけと決まっており、昨日がその日であったため、もう今日はだれもここへは近づくことはないはずだった。

 エリルは、鍵束の中から一つの鍵を選び出すと、一つ目の小さな鍵穴へ鍵を差し込んだ。

 カチリという小さな音が響く。次いで、二番目、三番目と、迷うことなく鍵を解いていく。

 鍵をすべてあけ終わると、エリルはドアに体を預けて、ゆっくりと押し開いた。

 ドアは、低くきしむ音をたてながら、開いていった。

 同時に、なにかが腐乱したような異臭が空気を染めていく。

 エリルは指で鼻をつまみ息をこらしながら、手に持ったランプを扉の向こう側に突き出した。 

 漆黒の闇の中、かすかな灯火に照らされて浮かび上がったのは、地下へと続く石段だった。

 エリルは石段を降りはじめた。

 階段の脇には燭台を置くための棚が一定の間隔でつくられていたが、そこに明かりが灯されるのは、見回りの兵士が訪れるときだけだった。それに、彼らがここを立ち去るときに、灯火も消されるようになっているため、周囲は常に闇に包まれていた。

 慎重な足どりで、壁伝いに暗闇の中を一歩一歩進んで行くと、やがて水の流れる音が聞こえて来た。

(水路だ……)

 エリルが、目的の場所に近づいたことを感じとった時、石段が終わりをつげた。

 悪臭はさらにひどくなっていたが、嗅覚が麻痺しているのか、最初の時の吐き気をともなうほどのものではなくなっていた。エリルは暗闇の中で目をこらした。

 自らの記憶と頭に焼きつけた図面に誤りがなければ、この先に、いくつもの通路と部屋があるはずだった。

 ハリア王宮の地下牢獄。

 鉄格子がはめられた囚人のための住い。一つ一つ仕切られているが、大人一人が体を伸ばして眠れるだけの広さがあればましな房から、一人がやっと立っていられるだけの狭い房まで、用途により種類はさまざまだった。

 ハリア国に忍び込んだ他国の人間、捕虜、犯罪者、王に逆らった者など、特に罪の重い人間がこの地下に捕らわれ、拷問を受けた。ここへ入れられれば最後、生きて出ることも脱獄さえ不可能と恐れられる地下牢獄。

 エリルはランプの明かりを頼りに、息をころして牢獄の通路を歩き始めた。極力足音をたてない靴をはいているものの、漆黒の闇の中である。わずかな灯火にも虫が吸い寄せられるように、侵入者に気づいた住人たちが鉄格子のいたるところから手を差し出し、言葉にならないうめき声をあげ、エリルの気を引こうとうごめく。

 エリルは自分を求める囚人たちの見えざる目を全身に感じ、内心おびえながらも、無関心を装って歩き続けた。

 やがて、囚人がほとんどいない無人の房ばかりの通路にたどり着くと、エリルはその房一つ一つを確認しながら歩き、ある房の前で足を止めた。

「ディルーラ」

 エリルは、鉄格子にランプを近づけ、房の中をのぞき込みながら、そっと小声でささやいた。 

「ディルーラ……」

 房の隅には人とおぼしき黒い塊が横たわっているのだが、エリルの声に反応する気配はない。

「ディルーラ?」

 三度呼びかけたが、その塊は一向に動く気配がなかった。

(やっぱり、もう……死んでる……?)

 エリルは、予想していたことではあったものの、肩を落とし唇を噛んだ。

 王宮の地下牢獄に送られた囚人は、十日に一度パン一切れを与えられるほかは、満足に食事を与えられることもなく、各部屋の鉄格子の外側に流されている細い水路の地下水だけをたよりに命をつないでいた。その水は飲料水として使用されたが、同時に汚物処理としても使用され、不衛生極まりないものだった。時に牢番の気まぐれで毒が流されることもあった。

「ごめん……助けられなかった……」

 しばらくじっと立ち尽くしていたエリルがそう言って、引き返そうときびすを返そうとした時、突然、頭の中に低い男の声が響いた。――エ……リ…ル……さ…ま……

 それは、しわがれた老人の声だった。

「ディルーラ?」

 エリルはあわてて、牢の中をのぞき込んだ。

 だが、黒い塊が動いた気配はない。

――お待ち……し……て…お…り…ました。

 とぎれとぎれに届く声は、やがて徐々に聞き取りやすいものへと変化していく。

「ディルーラ……なんだね」

 エリルは房の中の塊をじっと見つめた。

――そこに…ある…わたしの……体は……すでに……腐りはじめ…て…おります。けれど…わたしの心は、あなた様が…約束どおり…来てくださるのを、ただお待ちしておりました。

 エリルは戸惑いながらも、うなずいた。

 エリルがこの地下牢獄へ忍び込んだのは、今回で二度目だった。

 三年前、王宮の中のあらゆる場所を探索していたときに、偶然この地下牢獄の存在を知ったのだ。

 その時は、ただの好奇心から見回りの兵士たちのあとをこっそりつけてもぐりこんだのだが、かなりの距離をおいていたので、気がつくと広い牢獄の中で兵士たちの姿を見失い、すっかり迷子の状態になってしまっていた。

 薄明かりだけが灯る闇の中で、迷路のような牢獄から出られなくなってしまったと思い込んだエリルは、恐慌状態に陥りはじめた。子ども心に、とにかく気を落ちつけようと自分に言い聞かせ水を飲もうと、水路の水に手を伸ばした時、厳しい声が制止した。

「その水に触れてはなりません」と。

 声の主は、エリルの真後ろの房にいたディルーラだった。

 ディルーラは、エリルが王子であることを知っていると告げると、出口への道順を教えてくれたのだ。

 そして、自分が先王に使えたこともある魔道士であったこと、大切な杖をとりあげられ能力を失ったこと、《エボルの指輪》に亀裂が生じつつあることをエリルに話した。

 だが、そのときのエリルは心身ともに憔悴しきっており、一刻も早くこの牢から抜け出すことだけに心を奪われていたので、なぜ囚人である者が自分を助けてくれるのか疑問さえも持たずに、逃げるように立ち去ったのだった。

「僕が王になったら、あなたをここから出してあげる」と言葉だけの約束だけを残して。

 だが、それから三年の間、エリルは闇の中で迷った恐怖と牢獄の酷い様子が頭から離れず、地下へ降りることさえ出来なくなっていたのだ。

 それでも、ディルーラと交わした約束を果たすためにも、自分が王になる前に牢獄へ再び足を運ばなければいけないと考えていた。そして、牢獄内の図面を覚え込むなどの準備を続けてきたのだ。

「三年前、助けてくれたお礼をまだ言ってなかった」

 エリルはディルーラであったものに静かに語りかけた。

――いいえ……光を見せてくださいましたので、そのお礼をしたまでのこと……。

「光?」

――懐かしき温かな光でありました……あなた様がわたしをここへ捕らえ、つないだ王家の一員であることさえ、かまわなくなり、つい教えてしまっておりました。 

 老人の声は静かに流れていく。

――王子よ……《エボルの指輪》の亀裂はいまだ止まってはいない様子……。

「そのことなんだ」

 エリルは小さく息をはいた。

「父上は《エボルの指輪》を探していられる。指輪さえあれば、国は守られ、守護妖獣を得られると聞いた。教えてほしいんだ。祖父ヒューリッヒ王が隠された指輪がどこにあるのか」

――《エボルの指輪》はハリア国の守護神、夜と闇を司りし安らぎの神・エボル神より、ハリアを治める王に与えられたものでございます。そして、そこにはエボル神から指輪を与えられるとき、ハリアの初代王グルディが交わした誓約が存在いたしました。

「誓約……?」

 エリルは初めて聞く言葉に戸惑った。指輪に関してはさまざまな書物を読み、調べていた。

 代々の王が継承すべき神器の一つであり、王直系の一族に守護妖獣を与える力を持つものが《エボルの指輪》であるということ。だが、指輪に関する記述はすべてにおいてその点に限られており、由来や誓約について書かれたものを見たこともなかったのだ。

 ディルーラは、エリルの問いに答える。

――初代王グルディは「国と民を守るためのみの力」をエボル神に誓うことで、指輪を得たのです。

「国と民を守るため…のみ…の力……?」

――民を慈しみ国をおさめる力…王家の血を守るための力……を、神から受けるかわりに、決してほかの国へ刃を向けることはしない…という誓い。

 エリルはその言葉に強い衝撃を受けた。

「なぜ……そんなことを……知ってる?」

――わたしは諸国を旅し続ける魔道士でありました。神々の物語を語り、〈先読み〉を告げること。それがすべてでございました。ヒューリッヒ王に仕えはじめたころ、わたしにはいくつもの〈先読み〉が訪れたのです。そのうちのひとつが、ハリア王家が滅亡の道を歩んでいるというものでした……。すでに先の王の代より民へ圧政を始めていたこともあり、わたしは指輪にまつわる誓約の話とともに、〈先読み〉の内容を王に告げたのです。ところが、新参者のわたしが王の厚い信頼を得るにしたがい、それを妬んだ他の魔道士たちの画策により、わたしの王家滅亡の〈先読み〉は王の怒りをかい、その結果、地下牢へ投げ込まれたのです。 

「その時……まだ指輪はあったの?」

――神との誓約を破ると、まず初めに守護妖獣の力は失われ、次に王が《祝福》を受けても現れなくなってしまうのです。その時に王は神からの警告に気づくべきでした。しかし、守護妖獣を得られなかったヒューリッヒ王は自分を認めぬ指輪に憎しみを抱き、どこかへ隠してしまった様子。わたしがこの国へ来たときには、その指に指輪はございませんでした。

 エリルは初めて聞く、神と指輪の話にただ衝撃を受けるだけだった。

「それで……エボル神との誓約を破ったままになったなら……?」

 エリルは動揺を隠せずに聞いた。

――わたしの〈先読み〉はいまだ無効となってはおりません。ですから、守護神との誓約を破れば、国が滅びることは必定。

「………」

 エリルは自分の体を揺さぶるように、体内を大きな波が打ちつけるのを感じた。

「その……前に会ったとき、指輪に亀裂が入っていると言っていたけど……」

――見えるのです。ハリア国が圧政を行うたびに…他国へ侵略の戦さを起こすたびに、《エボルの指輪》の黒く輝く石の中に、少しずつ細かなひびが入っていくのが……。

「ハリアを守るためにはどうすればいい? 指輪を元に戻すにはどうすればいい?」

 エリルの声が震えていた。全身が汗で冷たくなっていくのがわかる。

――指輪を得る資格を持つのは"民の安らぎを求める者"。誓約を破りし王のままでは、国は滅びます。新しい王をたて圧政をやめ、侵略した国や王、人々を元のままに返すこと。

「……できない」

 エリルの喉はカラカラに乾き、声はかすれていた。

「侵略した国の王も…王妃も……多くの民も殺してしまっている……」

――指輪の亀裂を止め、元に戻すのも同じこと。指輪を見つけだし、新王が国の平定に力を注ぐことをエボル神に誓い、侵略した国の王、人々を元のままに返すことができたとして、果たして、許されるかどうかは……エボル神のお心ひとつ。

「………」

 エリルは言葉を失っていた。

(ハリアが滅亡する……?)

 強国を願い圧政を敷き、小さな侵略を始めていたヒューリッヒ王の時代から、いやもっと前の王の代からなのだろうか? 守護神との誓約は忘れられ、失われ、破られてしまっていたのだ。

 だが……。

 ディルーラの言葉を簡単に信じるべきなのか……という、疑念もエリルの心の中に沸き起こってくる。

(嘘であってほしい……。ヒューリッヒ王に、牢獄に入れられて、死んでしまったから……)

――真実か否かはご自身で確かめることです。

 ディルーラはエリルの逡巡を見透かしているようにそう告げた。

――《エボルの指輪》は、はるか南、水のない大地を越えた山の中、巨大な迷路の中、深い闇の中に……眠っております。

「南の、山の中……」

 ディルーラの声が再び聞き取りにくいものへとなっていく。

――約束どおり……来ていただけ……感謝をしております……わた……の役目は……これまで………。

 ディルーラの消えかかる声に、エリルはあわてて叫んだ。

「待ってくれ、そこはどこなんだ? もっと詳しく教えてくれ…!」

――わた……に見える……伝え……られること……れが……すべ…て……。

「なら……! あなたのことをだれに伝えればいい? 一族の名は?」

――……わ…が……一族…の…名は……アン…ナ…。

「ディルーラ? ディルーラ!?」

 それっきり、ディルーラの声はエリルの呼びかけに二度と応えることはなかった。 

 ひっそりとした暗闇の中で、エリルは茫然と立ち尽くしていた。

(嘘なのか……真実なのか……)

 ランプの灯火に照らされたエリルの顔は、人形のように白くうつろだった。


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