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第23章〈時を待つ影〉-2-

 メイベル・ソル・アンナは海を見ていた。

 もうすぐここにアウシュダールと兄王子たちがやってくるはずだった。

 アルティナ城の城壁も見えないこの断崖絶壁の崖下の岩場は、アウシュダールの手により整備されて、今は馬に乗って訪れることが出来るようになっていた。

 六年前――。

 メイベルはこの崖に、ノストールの第四王子として育っていたルナを追い詰めた。

 泣き叫び、命乞いをする子供の顔が蘇る。

「くっ……」

 思い出すたびにメイベルは腹立たしく、無念な思いに駆られた。

(あの時、守護妖獣さえ捕らえられていれば……)

 ルナを餌に守護妖獣を呼び出し、捕らえる準備は万全だったのだ。ルナは幼く、守護妖獣の能力も低かった。守護妖獣が主人に接触した段階で簡単に捕縛できるはずだったのだ。

 だが、失敗してしまった。

 せめてルナが生きていさえすれば、まだ守護妖獣を捕らえる機会はあったのだが、アウシュダールの力が生み出した竜巻に巻き込まれたのだろう、半年後、白骨化した子供の遺体がこの崖下に近い岩場に打ち上げられていた。

 その遺体のあった岩場に、守護妖獣リューザの羽とおぼしき透明に輝く羽が数本漂っていたこともあり、メイヴとグシュター公爵がルナの亡骸だと確認したのだ。

「その骸を集めろ。霊廟をつくる」

 報告を受けて遺体を確認したアウシュダールがそう言った時、メイベルは拾い子として育ったルナの末路を哀れと思う心の故か……、とそう思った。

 だが、それは思い違いであることに気づかされる。

 霊廟は、岩壁を掘りそこに遺骨を置き、四角い石盤で穴を塞ぎ封印を施した小さなものだった。術の効力がなくなれば打ち付けられる荒波に削り取られて、数年もたてば跡形なくただの岩場になっているだろう場所だった。

 アウシュダールは、機会を見つけては兄たちとともにこの霊廟に訪れ、心の奥底にある幼い魂ヘの囚われを「死」をもって消し去る場所としたのだ。

――特に、クロト兄上には気をつけなくてはいけない。

 アウシュダールは常々そういって、メイベルにクロトと守護妖獣ダイキの監視をさせていた。

――転身人の宣言と同時に、すべては私のもとに還ってきたのだ。本来、私がいるべき場所に私が戻り、資格のないものが出て行ったに過ぎない。実際に、亡き父上やテセウス兄上、アルクメーネ兄上はすぐに私を認め、受け入れた。クロト兄上が私に対して距離を置くのは、もともとあの捨て子を好いていなかっただけのことだ。だから城では過ごさず国内を走り回る。心配なのは、その勢いを持って国外へ飛び出し、サーザキアの一行に接触することだ。

 メイベルもその言葉には同意した。

 自分は、長老サーザキアの許可も得ずにノストールに残り、アウシュダールに〈祝福〉を行なった。

 アウシュダールが転身人として、ラーサイル大陸の人々から仰がれれば、自分はサーザキアや族長たちより、秀でているアンナであると、ラーサイル大陸全土から賞賛されるはずだった。

「暴れ馬への監視は怠るなよ」

 守護妖獣ダイキの風のごとき俊足は国中知らないものはいない。

 アウシュダールの許可なくノストールから出ないよう、城へなかなか訪れないクロトが訪れるたびに、メイベルは〈縛り〉の術をかけなおす必要があった。アウシュダールもまたクロトの中に自分の存在を埋め込んでいく。

 この霊廟は、そうした意味を持つ特別の儀式の場であった。

 メイベルは、海から視線を外すと、岩壁を掘って作られた霊廟をじっと見つめた。

 満潮になれば海の中へと沈んでしまうこの霊廟を、海の女神ドナは、どのように見ているのだろうか、と思う。見向きもしないものか、それとも哀れと思うのだろうか、と。

 しばらくすると、数等の馬のひづめの音が聞こえてきた。

 メイベルはベールで顔を覆い、両膝を折って岩場につけ、両手を胸の前で軽く組み、頭を垂れて到着を待った。

「準備は出来ているか?」

 数名の側近等とともにアウシュダールと、クロトが姿を現した。

(アルクメーネ殿下は?)

 アルクメーネとクロトを連れてくると聞いていたのだ。思わず問いかけそうになり、メイベルは口を閉ざした。アウシュダールはそうした行為を最も嫌った。

 また、アウシュダールの隣に立つクロトが、すでに半覚醒状態の中にあったからだ。

 自分の足で立ってはいるものの、その視線はうつろで、自分が今どこにいるのかもわかってないようだった。

「クロト兄上、到着いたしました」

 アウシュダールの呼ぶ声で、ようやくクロトは我に返ったように、慌てて周囲を見渡す。

「ここは……」

 クロトは自分の立っている岩場と、右手に広がる海、そして頭上はるか彼方にある崖を見上げ、「ああ……」と合点のいった表情をした。

 そして、その崖下に設けられた小さな霊廟と、メイベル・ソル・アンナの姿を見てため息をつく。

「またここなのか?」。

「はい、私の力が、民を犠牲にしたことを忘れないための大事な場所ですから」

 アウシュダールは、クロトを見上げ、人心を魅了する笑みを瞳に浮かびあがらせ、囁きかける。

「弔うものもない幼い魂を慰めるのも、王家の役割です」

「わかっている」

 クロトは視線をメイベルに向ける。

 だが、その視線の中に親しみを込められた光を見出したことが一度もないことをメイベルは感じている。

(ユルのエディスが王子たちから好かれたのは、なんの力ももたぬお嬢ちゃんだったからよ)

 エディス・ラ・ユル・アンナは、アンナの一族の中でも特にラウ家の王子たちから親しく接することを許されていた。まるで友人のように。

 メイベルは霊廟に向って、死者を弔う詩を詠いはじめる。

(エディスは目障りだったけれど、それも長老がたくらんだことかもしれない。あのルナの守護妖獣も、長老が特別な秘術をもちいて妖獣を降臨させたに違いない。禁忌の術以外の特別な術……。そでなければ王族以外の者に守護妖獣が降りるはずがないのだ)

 アウシュダールにとってのメイベルの価値は、いまや守護妖獣降臨の一点にあるといってよかった。

 ここに来るたびに、すでに無の者となり霊廟の中で眠っているルナが忌々しかった。

(必ずや、別の妖獣を捕縛、降臨させ、アウシュダール殿下に与えてみせる)

 メイベルは弔いの言葉を述べると、その場から引き下がり、クロトに場を譲る。

「兄上……」

 アウシュダールは自分の前に立つクロトの背中に語りかけた。

「この魂は私が転身人として目覚め、力を充分に制御できなかったために、竜巻に飲み込まれ、海に散った哀れで孤独な魂です。海の巨大さ、自然の恐ろしさ、天の(ことわり)、神の意思が何かをも知らず、家族から引き離され、故郷の海に打ち上げられた幼い魂です。他界と円環の神ゼナ神のもとでこの世界への繋がり一切を断ち、消滅することを望んでください」

 アウシュダールの言葉が終ると、メイベルがクロトとアウシュダールに、弔いの白い花・ルザシーナを一輪ずつ手渡した。

 クロトは霊廟にひざまずき、花を献花する。

 アウシュダールはそのクロトの隣に並び、目を閉じて右手を左胸にあて、口を真一文字に結んだ横顔を見つめる。

 深く一礼をして立ち上がり、すぐにアウシュダールに場を譲る。それが一連の流れだった。

 だが……この日のクロトはいつもと様子が違っていた。

 どのような祈りを捧げているのか、立ち上がろうとする様子がないのだ。

 そればかりか、時折その横顔が苦悶に歪む。

(〈縛り〉の術の効力が薄くなっているのか?)

 アウシュダールは、メイベルに鋭い視線を投げかけ、表情を消す。

 その視線の意味に気づいたメイベルの、ベールの下の表情が硬直し、顔色がみるみる間に血色を失っていく。

 だがその時、異変が起きた。

 アウシュダールの意識が、突然が闇の中に引きこまれ、別の場所に移り、再び自分の中に引き戻された。

(〈遠眼〉の前兆……)

 転身人の力のひとつ。そして、いまだ制御が難しい能力のひとつが〈遠眼〉だった。

 遠く国外の状況をも、わが事として感じ、捉え、そして時には時間をさかのぼり、また時間を越えて、人の意識の中に潜み、多くの情報を得る力。だが、それは突然訪れることが多かった。

 アウシュダールは崩れ落ちそうになる体をこらえながら、クトロに呼びかける。

「クロト兄上……」

 しかしその声が届かないのか、祈り続けるクロトは振り返らない。  


 クロトは、この場所は好きではなかった。

 来るたびに理由のわからない不快感が湧き上がった。

(安らかに……)

 自分勝手な感情は、霊廟に眠る子供には無関係であり、申し訳ないと心の中で謝るしかなかった。

 アウシュダールがシルク・トトゥ神の転身人だと知ってから、クロトは自分の心が弟王子に対して棘のあるものに変化していることをわかっていた。

 それが自分を追い越していった弟に対する嫉妬なのか、羨望なのか、畏怖なのか自分でも理解が出来なかった。努力をして普通に接しているが、心に突然生じた深い溝は自分ではどうしようもなかった。

 そしていつしか、弟と過ごした楽しかったはずの思い出さえ遠のき、いまでは思い出すこともできなかった。

 ここに眠る無名の子供の魂もまた、いつしか人の記憶の中から消えていくのだろうかと、何度も訪れているのだが今頃になって哀れに思えた。

 同時に、脳裏にラクスの瀕死の表情がよぎる。

(あいつも無名墓地に葬られるのだろうか)

 そう考えると心の芯が冷たくなった。

(嫌だ……)

 城の中の人間の誰とも違う人間だった。

 王族と民ではなく、ケンカしながら付き合えるかけがえのない存在だった。

 胸元にあてた手がいつしか服を力いっぱいつかみ、握り締めていた。その指が服の下の石に触れる。

 朝、母ラマイネ皇太后がいとおしげに口付けをした、クロトの胸元に揺れるペンダントの翠色の石に。

(母上……)

 不可解な母の行動をどう考えたらいいのだろうか、そう思ったとき、突然クロトの体が自分の意思とは関係なく霊廟の前から立ち上がり、後ろに下がった。

「兄上」

 アウシュダールの呼びかけに振り返ったとき、クロトの目に崩れ落ちるアウシュダールの姿が映った。

「アウシュダール!」

「〈遠眼〉が始まります……。私を部屋に運んでください……」

 クロトに抱き起こされて、目を開けることもできない状態で囁くように言いながらも、その口元には笑みがこぼれていた。

「〈遠眼〉……」

 クロトは眉をひそめ、息をのむと、側近達に城へ大至急戻るよう声高に命じた。


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