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第6章〈失われし誓約〉-2-

「姉上様! 姉上様!」

 シーラ姫の部屋の両開きの扉が勢いよく開き、瑠璃色の髪をした少女があわててはいるものの蝶が舞うような可憐な足どりで、女官たちを従えて現れた。

「ミレーゼ」

 長椅子の上で、細く長い指の上に白い小鳥をのせて遊んでいたシーラは、何の前触れもなく突然部屋におとずれたミレーゼを見て、美しい眉を寄せた。

「いけませんわ、すぐお戻りください。わたくしと会うことは禁じられているはず…」

 シーラは、三つ下の腹違いの妹の来訪に戸惑いの色を隠せない様子だった。

「いいの。お母様の言うことばかり聞いていたら、姉上様とお会いできなくなるもの」

 ミレーゼはその言葉をシーラにではなく、女官たちに言い聞かせるように大きな声で強くはっきりと言う。

「ここには、わたしの意志で強引に姉上のもとまでまいったのです。罰せられるならこのミレーゼよ」

 その妹の様子に、シーラは困ったように、だが優しくほほ笑んだ。

 ミレーゼよりも薄く柔らかな色調の瑠璃色の長い髪、そして琥珀色の瞳、長いまつげに、赤い唇。

 悔しいけれど、妖精のようにきれいだとミレーゼは素直に認めている。

 この優しい姉は特別なのだと物心ついたころから、そう思って来た。そう、その特別な何かさえなければ、ミレーゼだって決して引けをとらないのだ、と。

 実際、ミレーゼはまだ幼さが目立つ少女であったが、数年たてば美しく可憐な王女に成長していくだろうことは、だれの目にも明らかだった。

「困った方ですね。いったいなにをそんなに急いでこられたのですか?」

 シーラは優美な仕草で小鳥を鳥籠へ入れると、ミレーゼを長椅子に招いた。

「人払いを」

 ミレーゼは自分の女官たちはもとより、シーラ姫の女官たち全員を部屋から下がらせた。そして、だれもいなくなると、姉の両手をとってささやく。

「お父様のお話し、本当なのですか?」

 リンセンテートスのラシル王の側妃として輿入れするという話を耳にしてミレーゼは飛んできたのだ。

 真剣に問いかける碧い瞳に、シーラは静かにうなずいた。

「そんな……」

 ミレーゼは言葉を失ったまま、母の異なる姉を見つめていた。

「わたしくのことは、いいのですよ。お父様が国のことを考えて決められたことですもの」

 シーラは力なくほほ笑む。

「心配して来てくださったのね。ありがとう」

「お母様だわ」

 ミレーゼが自分の母の名を叫びかけたが、シーラの人差し指が、ミレーゼの唇にそっとあてられた。

「めったなことを口にされてはなりません」

「でも……」

 ヘルモーズ王には、現在二人の側妃がいる。

 第二夫人メイヴ妃と、第三夫人ミディール妃だ。

 正妃の座は正妃レイア妃が亡くなって以来、王の固い意志で空席のままとなっている。

 正妃レイア妃は十四歳の時、十五歳のヘルモーズ王へ嫁いだが十九歳の若さで病死。

 シーラの母、エスニア妃もまた六年前、当時十四歳のカーディス王子とともに馬車の事故で落命している。

 ミレーゼが母と呼んだのは、実母のミディール妃の名前だった。

 ヘルモーズ王には、長く世継ぎの男子が誕生しなかった。

 王が四十半ば近づいた頃、初めて第一王子ファージル、二年後にカーディス王子が相次いで生まれた。

 これで、ダーナンは安泰だと誰もが大いに喜んでいたのだが、二人の王子は、ともに王位継承の儀式を迎える前年に亡くなる。

 その後ミディール妃がエリル王子、グリトニル王子をもうけたことから、いまミディール妃の発言力は、後宮はもとより王宮でも大きくなっていた。

「いいえ、いいえ」

 ミレーゼは声をおさえると姉の手をとった。

「お母様は、姉上様を……亡きエスニア妃の血を憎んでいますもの。それは姉上様が一番よくご存じではありませんか。そして……わたしも…」

 シーラ姫は長いまつげをとじると、小さく首を横に振った。

「それ以上は、お言葉に出して言われませんように」

「いやよ」

 ミレーゼは立ち上がると、隣の部屋に控えている女官たちを呼びつけた。

「これから、姉上様と遠乗りにでかけます。わたしの乗馬服をもってきて。ここで着替えます。早くなさい」

 女官たちは困ったように返事に迷い、ミレーゼ姫のわがままを止めようとした。ミディール妃から、ミレーゼをシーラに近づけないように厳しく言い渡されていたからだ。

 だが、ミレーゼが言い出したら聞かないこともまた女官たちは充分承知していた。

 一度、強引にミレーゼの言葉を無視して妃のいいつけに従ったとき、三カ月にわたって公務を投げ出したのだ。

 それも「ひどい女官たちにいじめられて、食事も喉に通らないほどつらい」と、見舞いにきた王に泣きついて。

 シーラ姫とリンセンテートス国王との婚約の話が進められようとしているいま、ミレーゼ姫が癇癪をおこして、さしさわりでも生じれば、女官たちすべてが厳しい処分を受けるに違いなかった。

「ただいまお持ち致します」

 女官たちは、目配せをするミレーゼの乗馬服を用意すべくそそくさと部屋から出て行った。

 ミレーゼは満足そうにうなずくと、今度はシーラ姫の女官たちに指示をした。

「さ、今度は姉上様のお支度をしてさしあげて」


 乗馬服に着替えた二人の姫と遠乗りに同行する女官たちが、馬に乗るために廏舎へ赴くと、何やら騒ぎが起きていた。

 四、五人の廏番たちが青い顔をして、右往左往しているのだ。

「一体どうしたのです?」 

 姫のきげんを損ねてはと、ミレーゼの女官が急いで厩番に駆け寄ると詰問する。

 だが、声をかけられた中年の廏番は二人の姫の姿を目にしたとたん、その青白い顔をさらに青くさせた。

「いえ……それが……その……」

 厩番はしどろもどろになり、ろくな返事すらできない。

「ふうん」

 ミレーゼは、うろたえる廏番の横を素通りして廏舎の中へ入り、馬をいちべつした。そして、よく通る声で歌うようにどこへともなく問いかけた。

「わたしの愛馬ライラ号はどこかしら。廏番の王子はどこなのかしら。これからとーっても楽しみにしていた遠乗りにでかけるのに」

「ひ、姫。申し訳ございません」

 廏番は、廏舎の中のミレーゼの足元に駆け寄ると帽子を脱いでひざまづき、額を地面にすりつけて謝った。 

「すべては、わたしの不注意でございます」

「エリルはどこ?」

「そっ、それが……」

「廏舎の王子は、わたしのライラ号をどこへ連れていったの?」

 ミレーゼは、自分の足元にぬかずく男を冷めた目で見下ろしながら、再度問いかけた。

「エリルがまたライラを連れ出したのでしょう!」

 答えに窮する廏番に、ミレーゼは鋭く叱りつけた。

「何度言ったらわかるの? あの子から目を離してはいけないってあれほど言いきかせたでしょう。どうしようもないわね、本当に」

 厩舎の外では、シーラと女官たちがどうしたものかと、顔を見あわせていた。

 エリル王子はミレーゼのふたつ下の実弟であり、三年後に十五歳を迎えればハリア国の第一王位継承者として承認を受ける身分だった。

 ところが五年前に階段を踏み外して転げ落ち、頭を強打するという事故に見舞われてからは、ひどい情緒不安定と意味不明の行動をとるようになってしまったのだ。

 食事の時にいきなり大声で笑い出す、式典の最中に奇声を発すことなどはしばしばで、最近では目を離せば廏舎に入り込み、まるで廏番のように馬の世話に夢中になっていた。

 しかも、油断をすれば馬にのったままふらりと姿を消してしまい、その度に王子の探索で大騒ぎとなるという始末だった。

 エリル王太子殿下は尋常ではないと、だれもが気づいていても、ゆくゆくは王位継承者となる人物。

 実母がミディール妃ということあり、直接その振る舞いについて王に進言し、諌めようとする者はいなかったのだ。

 ミレーゼは、自分を心配そうに見つめるシーラと女官たちの視線に気づいてにっこりと笑った。

「姉上様、ご心配なさらないで。遠乗りのついでです。みなで手配してエリルを探しましょう。そうね、あなたたち、もしもだれを探しているのかと聞かれたなら、わたしを探しているとでもいえばいいわ。わたしがあなたたちを撒いたことにでもしましょう。いい? 夕食までにエリルを見つけることができたなら、今日の落ち度には目をつぶります」

 張り詰めていた空気が解け、廏番も恐る恐る顔を上げた。

 その後、ミレーゼの指示で遠乗りの準備を素早く終えると、女官や廏番たちは方々へ散っていった。

「じゃ、姉上様はわたしとご一緒に」

 ミレーゼはシーラの脇へ馬を寄せながら片目を閉じた。

「セルの森にある二条の滝の流れる場所まで、参りましょう」 


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