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第23章〈時を待つ影〉-1-

 ノストール王国のアルティナ城の一室。

 王の執務室でテセウスは部屋の幅とほぼ同じ横幅を持つ執務机の前に座り、山と詰まれた書類に丁寧に目を通していた。

 頑丈なカラガルダナの樹から作られた机は初代王以来、代々の王が受け継いで使っているものだ。

 書類の内容は、ノストール国内で王の決済を待っている大小様々なものだった。

 各地の領主たちからの訴状や報告。一年数ヶ月前の大地震の復興に関するものから、押し寄せる諸国の賓客のもてなし、それに伴う自国の諸侯らへの待遇改善、処遇、使用人らの増員、迎賓のための築城の計画、外海に出没する海賊対策のための海軍の増強等々、どれをとっても頭の痛い問題が引きをきらない。

 いつもならば気を許せばつい口元から漏れてしまうため息をこらえながらの執務だったが、今日は違った。

 思いがけず早朝に到着したアルクメーネとクロトの揃った顔を見て、緊張し疲弊していた心と体に目に見えない力が湧きだすのを感じたのだ。

 守護妖獣の黒馬ダイキに騎乗してノストール中を風の如く駆け回るクロトは、自分と共に行動できない側近達と共に行動することを疎んじていた。

「陛下だって駿馬にまたがって、牛に乗った側近一行と早駆けするのは苦痛でしょう? 拷問に等しいし、第一、時間の無駄だ」

 そう言って、最近では各地方の主要拠点ごとに自らの近衛兵団を設けて、行った先々で行動を共にするといったクロト独自の方法をとっており、必要な時にだけアルティナ城に顔をだす状態だった。

 クロトに限らず、アルクメーネともまた、最近は国儀や会議の場以外で顔をあわせる以外は特別な事態がない限り、時間とって話をするということがめっきり少なくなっていた。

 疎遠になったとは思いたくなかった。

 特にアルクメーネに対しては、王位を譲るつもりでいる以上、一刻も早く準備を進めたいと願っている。

 政務を託すために参謀としてそばにおきたいのだ。

 だが、肝心のアルクメーネは「アウシュダールがいる以上、私の居場所はおのずと定まってくるのですよ」と、テセウスの王位委譲を警戒してか、いろいろ諸行事や賓客との約束など約束事を理由に城になかなか近づこうとしない。

 その二人がそろって顔を出すとの使いが来た時、テセウスは、本来ならごく当たり前のことをやっと決意するにいたった。

 二人が訪れるその日、アウシュダールも含め、兄弟四人で過ごす時間を設けることだった。

 そうしなければいけないとずっと心の奥では思っていた。

 このまま距離を置き続け、顔を見ない日々が続けば、互いに考えていることがわからなくなり、やがて、心さえすれ違いはじめるかもしれない。

 互いに疑心暗鬼になるような出来事が生じれば、兄弟の絆はもとより、国益に影響を生じることは、ノストール王国に起きた過去の内紛の歴史をみても明らかだったし、避けなければならないことだった。

 さらに、テセウスは言葉ではあらわせない奇妙な正体不明の焦燥感に悩んでいた。それはエーツ山脈に置き去りにしてきた子供たちの記憶だけではなく、自分が失っているに違いない記憶に関係しているとしか思えなかった。

 まるで飲み込んだまま、胃の中に重石となって沈んでいる異物ように、心の底にへばりついて離れないのだ。

 考えれば考えるほどたどり着くのは、アウシュダールのことだった。

 アウシュダールが、アル神の息子シルク・トトゥ神の転身人として目覚めた時から、テセウスの中で見えない不安が日増しに膨らんでいた。

『シルク・トトゥ神は……破壊神でございます』

 アンナの一族の長、サーザキアは〈先読み〉で確かにそう告げた。

 国を守るために父である先王カルザキアはその予言ために苦しんできた。

 しかしその言葉は、各国で転身人の予言がなされたことを受けて、アンナの一族がノストールを訪れた時のものだったはずだ。

 だが、それ以前から父は苦しみ、母は声を、そして言葉を失っていた。

 何故だったのか。

 自分はその理由を知っていたような気がする。だが、思い出すことが出来ない。

「陛下? いかがされましたか?」

 書類に目を落としたまま微動だにしないテセウスを心配したのだろう。傍で補佐をしていた側近のカイが気遣わしげに声をかける。

「いや、考え出すときりがないなと……」

 苦笑まじりにため息を吐き出し、手にしたままの書類に改めて目を通す。

 諸外国から届けられる大量の農作物、香料、布、宝石等のリストだった。

 ノストールに逗留するための手土産と称して諸外国の貴族らが持ち込んでくるのだが、その管理が追いつかないというので、実態を調査させたのだ。 

 小国ゆえに、ノストール王国の諸侯は、貴族とはいっても大陸のナイアデス皇国やハリア公国、ダーナン帝国と比較すると、辺境の田舎者に近い。

 アウシュダール目当てに持ち込まれる他国からの珍しい土産や人種、食べ物、話や衣装、装飾品に、ノストールの貴族たちの間にはいつしか、浮わついた空気が流れ始めていた。

 当初は、シルク・トトゥ神の転身人であるアウシュダール王子を他国に奪われはしないかという緊張感もあった。

 しかし、アウシュダールがリンセンテートスを砂嵐から解放し、ナイアデス皇国のフェリエスを救い出す力を見せつけ、ノストール以外の者にはならないと、自筆で諸国に文章を送り付けて以降は、当初のように力ずくで奪おうとする国は表面上は息を潜めた。

 その安堵感から、臣下たちは国外情勢よりも流行ものの話題に関心をもちはじめるものが増え出した。

 中には連日夜会を開き客人と親密になろうとする領主や貴族達がいるとの噂も耳に届き始めている。

 特に、祖父の代の時に側近を務めていたグシュター卿がその中心にいるらしいとの話は、テセウスにとって頭痛の種だった。

 引退し家督を息子に譲った今でも、アウシュダールのそばに当然のように付き従っている。

 アウシュダールをシルク・トトゥ神の転身人として見抜き、アンナの一族のメイベル・ソル・アンナをノストールに留めさせた功労者ではあるが、テセウスはなぜかそれこそが気になっていた。

 思い違いでなければ、弟王子はグシュターをひどく嫌っていたというぼんやりとした記憶があるのだ。

 互いの誤解が解けて親密になった、とはどうしても思えない違和感が棘のように心のどこかに刺さったまま抜けない。

「…………」

 テセウスは気を取り直すようにペンをとり、書類にサインをした。そして、その勢いのまま、次々と書類を片付けていった。


「午前の分はこれで最後だな」

「はい」

 カイは穏やかな表情で書類を両手で受け取ると、涼しげに微笑んだ。

「本日の分はここまでです。あとはごゆっくりとされてください。ご兄弟でのお時間を邪魔する者が現れるようでしたら、わたくしがニュウズ海洋に捨ててまいります」

 テセウスと年の変わらないカイは、シグニ将軍の直属の部下でもあり、幼い頃から亡き父ともども信頼を寄せてきた人物のひとりだった。武官としても優秀だが、文官の才能にも特に秀でていることもあり、テセウスの補佐をさせてにみたところ、みるみるうちに頭角をあらわし、いまやテセウスの片腕として欠かせない人材になっていた。

 やさしい顔立ちをしているが、政務にはいると鬼のようなる。人を適材適所に配置し使うことが上手く、さらにはテセウスの精神的負担を取り除く努力を惜しまなかった。

「今日はお前にこの部屋を貸すから、中から鍵を閉めてゆっくり休んでいていいぞ」

 冗談とも本気ともとれない言葉に、カイは深々と頭を下げる。

「良き一日になりますように」

「そうだな」

 軽い伸びをしながら、椅子から立ち上がりふと窓の外の景色に視線を向けたテセウスの横顔が、ある一点を見つめたまま止まった。

 城の外門方向へと出て行くアルクメーネの姿を見つけたからだ。

 しかも、側近を連れずたった一人、馬にも乗らずに歩いているという光景は、どう考えても不自然だった。

 それに、もうすぐ約束していた昼食の時間だった。

「カ……」

 カイに声をかけようとして、テセウスは唇を閉じた。

 地上から彼を見上げるもうひとつの姿に気がついたからだ。

 テセウスの守護妖獣のザークスが出現し、赤色に輝く瞳で主人を見つめていた。

 赤い瞳――それは、常に警告を示す色だった。

(追いかけろ、と?)

 主人である自分の前にさえ、姿を現すことをめったにしないテセウスの守護妖獣は、その姿を示すことで、常にテセウスを導いた。

 王位継承の指輪を、このノストールの地から遠く離れたリンセンテートスの砂丘の真っ只中で、銀色の髪の少女から受け取った時もそうだった。

 ザークスは意味を告げることなく、言葉も話すことなく、ただテセウスが自分のいる場所へ来るのを待っていた。

 そして、テセウスがやってくると、再びその先へ姿を現し、道標のように指輪のもとへと導き、たどりつかせたのだ。

「カイ。昼食には少し遅れるが、クロトとアウシュダールには待つように伝えてくれ」

「陛下?」

 カイの少し驚いたような表情を背に、テセウスは足早に執務室をあとにした。


 アルクメーネが向かった方向には心当たりがあった。

 テセウスは、外に出ると兵に馬を貸すように命じて、一人その手綱を手に取り、騎乗すると走り出した。

 アルティナ城は石造りの城であり、二重、三重に張り巡らされた塀と門が複雑に配置されている。

 西門には警護の兵士たちが二名いたが、なぜだかテセウスがそこにいることが目に入っていないようだった。

 驚く様子もなく、敬礼さえもせずに、ただ番にあたっている。

(あの日と似ている)

 テセウスは、自分の体から何かいいようのない感覚が湧き出そうともがいているのを感じながら、アルクメーネのあとを追った。

(あの日の夜も……幼いエディスを追っていて、私たちは城を抜け出した)

 リンセンテートスでのエディスとの再会の時も、ザークスが現れ、彼をアンナの少女のもとに導いた。

 だから、テセウスは迷わなかった。自分の守護妖獣が姿を見せたその意味を受け止める。

 アルクメーネの身に何かが起きている、と。そして、それはテセウス自身にとっても意味のあることなのだと。

 向かっている先はドルワーフ湖に違いなかった。

 遠い記憶になってしまったが、幼い頃よく訪れた場所。

 だが、今は危険地帯として立入禁止地区に指定している場所だ。

 不可解なことにいつからか小妖獣たちの群れが住み着き、アウシュダールをしも、てこずらせているという場所だった。

 徒歩のアルクメーネにはすぐ追いつくはずだった。しかし、馬の足でも追いつくどころか、その後ろ姿さえ見つけられない。

 しかし、それでもテセウスには確信があった。

(子供のときに、エディスを追いかけた記憶がある。けれど、そこでなにが起きたのか、あの夜なにがあったのか、どうしても思い出せないでいた。エディスと再会した後も、ずっと思い出せなかった。)

 テセウスはドルワーフ湖のある森の手前で馬を止めて周辺をぐるりと一望する。

 一瞬、心臓がドキリとした。

 一本の木のそばに人影を見つけたのだ。

 地面に座り、木に背もたれたままかかったまま意識を失っている。

「アルクメーネ!」

 テセウスは馬から飛び降りた。

 全身から血の気が引いていくのがわかる。

「アルクメーネ!」

 アルクメーネのそばに駆け寄り、ひざまずき、その体を抱きかかえる。

 呼吸をしていることを確認し、何度も名前を呼びかけ、頬を叩く。

「アルクメーネ!!」

「兄上……?」

 ゆっくりと瞼を開いたアルクメーネは、ぼんやりとした表情でテセウスを見上げた。

 蒼白な顔と、焦点のあっていない瞳が、テセウスを不安にさせる。

 アルクメーネのこんな姿は初めてだった。

 幼い頃から凛々しく優秀で冷静だった。

 子供らしく慌てたり怒ったり快活な部分も当然あったが、どんな時も自分を失うことはなかった。

 病気の時さえ「寝ているしかないのですから、皆は自分の役目を普段どおりするように」と、甘える姿を見せることもなく、醒めた視点で周囲と自分を見ているようなところがあった。時に感情的になることの多い自分にとり、見習うべき点が多い弟なのだ。

「大丈夫なのか?」

「兄上……」

 アルクメーネの水色の瞳から涙が一筋流れた。

「アルクメーネ?」

 思いがけない出来事に、テセウスの不安がさらに高まる。

「なにがあった? ここは危険だから近寄るなとアウシュダールから言われているだろう。立入禁止区域に指定してあるのはお前も知っているだろう」

 テセウスの問いかけにアルクメーネは、弱々しく首を横に振った。

「わかりません」

 アルクメーネは涙をぬぐう。

「どうしてここに来たのか、わたしにもわかりません。でも、ここに来てわかったことがひとつだけあります」

 弱々しかった声が徐々に、はっきりとした声になり、力強さを取り戻していく。

「わたしは、ドルワーフ湖が見たいのです」

 意外な、そして一方ではやはりという言葉にテセウスは戸惑う。

「それは……」

「アウシュダールに言ってメイベルに結界を解くよう説得してください。わたしはドルワーフ湖を見たいのです」

 その瞳の奥から放たれる、揺るがない決意を帯びた光がテセウスの瞳を直視する。

 いつも冷静なアルクメーネの、ほとばしる激情をぶつけられて、テセウスは思わず目を閉じた。

 自分が封じ込めてきた思いを、見せつけられたように感じたのだ。

 ドルワーフ湖を意識しないよう努めてきた自分がいる。

 その一方で執務室の窓辺に立つと、自然にドルワーフ湖のある森に視線を向けている自分がいたのもまた事実だった。

 気にかけながらも、忘れようとした場所。

「兄上!」

 アルクメーネがテセウスの服をつかみ、その胸に頭を押しつけたまま嗚咽する。

「お願いします」

 アルクメーネも自分と同じように何かに苦しんできたのだとテセウスは知った。

「ほんのわずかの間でいいのです。兄上」

「そうだな」

 テセウスはゆっくりとアルクメーネの両腕をつかんで離し、自分を見上げてくる視線と視線を合わせ、うなずきながら少しだけ微笑んだ。

 テセウスもまた、突き上げてくる苦しさと対峙していたのだ。

 アルクメーネを探すことがなければ、来ることがなかっただろう場所。この森に近づくほどに、近づくことを強烈に拒む自分の心が存在していた。それでも、その抵抗を振り切ってもアルクメーネのもとに、そしてドルワーフ湖へと向うことを強いる自分の心があった。

 理由はわからない。

 ただ、ドルワーフ湖を見たい、あの場所に立ちたいと、テセウスの全身が悲鳴を上げて要求していたのに、気づかぬふりをしてきたことを認めざるをえなかった。

 いま、アルクメーネと同様の思いが自分の中にもあったことを知ると同時に、テセウスの脳裏に美しかったドルワーフ湖が鮮烈に蘇る。

 湖が呼んでいる様に思えた。

「本当は、おれも、お前と同じことを思っていたんだ」

 ノストールの王としてではなく、アルクメーネの兄の顔で、テセウスはそう返事をした。


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