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第20章〈失月夜〉-9-

 世界が漆黒に染まった。

 その闇の中で、ラウセリアスを追ったルナは信じがたい光景を目撃することにな.る。

 闇に染まるように消え行く銀盤を見上げていた兵士たちは、ラウセリアスの気配に気づいて、彼を振り返り、次いで馬上から崩れ落ち絶命したのだ。

 一瞬の出来事だった。

 兵士たちの姿が馬上から消え、夜空に輝いていた月が闇の中に消えた。

 地面に落ちた松明は、全世界を飲み込んだ闇の中では今にも消えそうな種火のようにあまりに弱々しく心もとない。

 (なにが……起きたんだろう……)

 闇の中でも、意識を向けた場所の光景が見えるのは、野宿の旅の中で培われた力だとルナは思っている。

 自分に背を向けたままのラウセリアスは、相手に指一本触れていない。

 兵士たちは、ラウセリアスに気づいて馬上で剣を構えて向き直っただけだった。

 しかし、振り返った十数人の兵士たちの顔は一様に強張り、驚愕に大きく目は見開き、絶叫しかけた口は声を出すこともなくただ大きく広がったまま、悶絶した形相を浮べ馬上から次々と崩れ落ちた。

 ラウセリアスは躊躇することなく、足元に転がる何体もの死体と、うずくまったまま大地に顔を伏せている仲間の間を通り過ぎていく。

 前方には突然の天の異変に動揺し、身動きが出来ずに立ちすくんでいる敵の一団。

 《ルーフの砦》の盗賊たちはすでに松明を捨てて伏せている。

 敵の場所は闇の中でも容易にわかる。彼らは松明を捨てはしないからだ。

 無情に見えるほどためらいのない足どり。

(止めないといけない……!)

 ルナは、ラウセリアスに追いつくと足元に広がる異様な光景に唇を噛む。

 そこには恐怖に目を見開き助けを求めるように悶絶した死体が転がっている。

「ラウセリアス!」

「来るなといったはずだ!」

 ラウセリアスはルナの声にも立ち止まることなく、背を向けたまま叫んだ。

 その声には苦悶の響きが宿っている。

「頼むから、離れてくれ」

「ラウセリアス。何をしたの?」

「私の意識は間もなく失われ、化け物になる。そうなれば敵味方の区別はつかなくなり手当たり次第に死体の山を築く。見逃してやることも、情けをかけてやることもしてやれん。離れる気がないならせめて、地面に身を伏せて目を閉じ、耳を塞いで夜明けまで絶対に起き上がるな」

「ラウセリアスはどうなるの? 化け物って、何?」

 その問いに、首をゆっくり横に振る。

「おまえがもし生きていたら話してやってもいい。だからこれ以上はついて来るな!」

「でも」

 ルナが言いかけた時、馬の蹄が響くのが聞こえて来た。

 見ると、少し離れた場所からいくつもの松明の灯りが並ぶようにゆっくとと、だが確実にルナたちのいる場所に向って曲がりくねった山道を上って来てているのが見える。

「失月夜を恐れない奴もいるか……。特別に訓練された人間と馬だが……」

 語尾が弱々しくなっていく。

(ラウセリアスの意識が薄くなってる?)

 ルナは自分たちに向けて進んでくる相手の方向に走りだした。

 来ればその者たちもまた同様に死んでしまうだろう。

「来るなー! こっちに来たら駄目だ。引き返せ!」

 思いきり大声で叫ぶが、声が届いた様子はない。闇の中なので歩調はゆっくりだが、遠い距離ではない。

(来てしまう。そして、さっきみたいに死んでしまう……)

 ルナは、焦燥感に駆られていた。

 「化け物になる」というラウセリアスの言葉が、わけもわからぬままルナを突き動かす。

(こんな風に人を殺しては駄目だ)

 雪のエーツ山脈で崖下に落ちて行くノーストールの少年たち。

 ハーフノームの海賊船でジルに撲られた嵐の夜。

 父カルザキア王を襲った妖獣ヴァルツに襲われた時に呑みこまれそうになった感覚。

 あらゆる光景が切り取った絵のようにバラバラにルナの脳裏に蘇り、ルナの中から首をもたげそうになる不可解な感覚を埋め込んで行く。

 ルナは叫ぶのをやめると踵を返すと引き返しラウセリアスに向って走り出す。

 そして、そのままラウセリアスの背中を追い越し、振り向きざまラウセリアスの顔を見つめた。

「やめろ!」 

 ラウセリアスは予想外の出来事に、とっさに自分の目もとを隠そうとするが間に合わない。

「!」

 ルナは見てしまった。

 漆黒の闇に浮かぶ、その異様な姿を。

 燃えるような黄金に光る双眸があった。

 小さな太陽が二つあるようだとルナは思った。

 吸い込まれるような美しい輝きに見えた。

 人の心のすべてを見通し、生命に刻まれた一切の邪気を断ち切り、一片も残さず焼き尽くすような太陽の灼熱の光。

(ただ、この光は熱すぎて少し痛い……)

 ルナは激しい痛みが、全身に襲いかかるのを感じた。

(でも……大丈夫。息はできる)

 大きく息を吐き出して、深呼吸を繰り返す。

 徐々に痛みは去り、ルナはぼう然と立ち尽くすラウセリアスのその瞳を見つめようとした。

 だが、そこに眼球はなかった。

 本来、眼球がある場所に光だけが渦巻いているのだ。

 強烈な白熱の輝き、高熱の黄金の色、青白い光。あらゆる熱を帯びた光が生き物のように蠢いている。

(あらゆるものを焼き尽くす……光……)

 ルナは目を閉じて、呼びかけた。

「ラウセリアスはいる?」

「な……に……? 」

 ルナに呼びかけられたその声は、信じられない場面に出会ったように上ずっていた。

「もう、目を閉じても大丈夫だよ」

 ラウセリアスは、ルナの言葉に驚いたようにふらりと一歩後ろへ下がった。

 ルナは再び翠色の大きな瞳でラウセリアス見つめた。

 すると双眸の中に渦巻いていた光が急速に威力を失い、そして消滅していったのだ。

 辺りは闇に包まれた。

 ラウセリアスはそのまま背中から地面に倒れた。

「大丈夫?」

 ルナはラウセリアスのもとに歩み寄ると、倒れているその体を抱き起こして、ラウセリアスの顔をのぞき込んだ。

「おまえは……生きて……いるのか?」

「うん、生きてる。目は大丈夫? 痛くない?」

 ルナのどこか場違いな返答にラウセリアスは力無くほほ笑んだ。

 その時、暗闇の中、彼の見えないはずの目に光があふれ、そこに自分をのぞき込む子供の顔を見つけた。

「ジーンか……」

 銀色の髪と翠の美しく大きな瞳が心配そうに見下ろしていた。同時に、不思議な幻を見た。

 ジーンの姿に、美しい乙女の姿が重なり、そして瞬く間にかき消えたのだ。

「何者だ……お前……」

 苦しそうな、けれどどこかほっとしたようなつぶやきがこぼれた。

 そして、ラウセリアスはそのまま、意識を失った。


 しばらくしてから、闇に染まった天上に銀色の光の曲線がうっすらと現れた。

 蝕の終わりの始まりだった。

 月は消えたときと同様に、ジワジワとゆっくり姿をあらわし始めた。

「どう、どう」

 馬の蹄といななきに、ルナは振り返った。

 見ると、いつの間にそばにいたのか、目の前に馬体があった。

 近すぎて、馬上の人間の顔は真上を見上げれば確認できないが松明を手にしているところから先ほどこちらに向かっていた一群かもしれない。

「お前……」

 短くそう叫んだのは、自分を見下ろした人物だった。

「ジーンだな」

 ルナの名を呼んだ声はどこかで聞き覚えがある声だった。

 けれど、ラウセリアスの光を見た後のルナは、目が眩んだようになっていて、相手が誰だかすぐには確認できなかった。



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