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第5章〈転身人〉-5-

 暗雲立ち込める低い雲と、灰色に染まり荒れ狂う海との間に、あるものが形をつくりつつあった。

 はじめ、それは脅威すら感じさせない糸のような細いものだった。

 だがそれは、徐々に空中に渦を描きながら成長を遂げ、やがて天と海とを結ぶ垂直な柱となっていく。

 ひとつ誕生すると、もう一つ。

 それは次々に誕生していった。

 海の水を呑みつくすような勢いで水を巻き上げるいくつもの巨大な水柱は、凄まじいスピードで回転し、生き物のように身をうねらせながら移動していく。

 巨大な竜巻―。

 ニュウズ海洋で発生した竜巻の群れは、ノストールに向け、急速に接近しつつあった。

「竜巻だああぁ―!!」

 陽が沈み闇に包まれた海上の中、竜巻を発見したのは、ダーナン船団最後尾のミルト号の中央マスト大檣楼で見張りをしていた船員だった。

 海洋国家としての歴史深い元イーリア国海軍の目が、闇夜の海上はるか沖に出現した竜巻を見逃さなかったのだ。

 その知らせは、すぐにロディのもとに届いた。

「すぐにこの海域から本国方面に向けて避難する! フィゴル、すぐに全艦に伝えろ」

 ロディは報告を聞くと同時に、即座に決断した。

 ロディの船室の中には、ジュゼールや軍師のカラギ、魔道士のラージ・ディルムッド、そして海軍大将フィゴルたちがそろっていた。

 今回、海軍全艦隊の実質的指揮をとるフィゴルと、ジュゼールはその言葉を聞くとすぐに部屋を出ていった。

 フィゴルは、元イーリア国の海軍中将であったが、ダーナンとイーリア両国の交戦時は隣国ハスラン国からの防戦にあたっており、直接ダーナン軍と剣を交えることのないままに敗戦を迎え、その後能力を請われてダーナンの海軍大将として登用されたのだ。

「陛下」

 大柄なフィゴルの後ろ姿がドアの向こうに消えるか消えないうちに、ディルムッドが口を開いた。

「わたくしは、これから最後尾の艦にまいり、竜巻の進路を変え、少しでもその力弱める努力を尽くしたく思います」

「なにを言うディルムッド」

 ロディは驚いたようにディルムッドを見た。

「今回のこと、どれほど大きな力が働いたにせよ、陛下の御身を危険の中に巻き込んだこと、一重にわたくしの責任でございます」

「しかし、竜巻さえやり過ごすことができれば問題ない。なにもお前が危険な場所にいく必要はないだろう。魔道士としてのお前の力はこれからもダーナンにとっては必要だ」

「お言葉ですが……」

 ディルムッドは、ロディの碧い瞳を見つめた。

「シルク・トトゥ神の転身人の出現と、この突然の竜巻。わたくしには無関係には思えません。この海洋にはただならぬ大いなる力が満ちあふれております。しからば、我が身をもってしても陛下をお守りするのがわたしのつとめ。わたくしのすべての力をもって……きっとお守りして見せます」

「しかし……」

「時は一刻を争います。お許しください」

 ディルムッドは、深々と頭を下げると、ロディの言葉を待たず部屋から出て行った。

「待て、ディルムッド!」

「陛下」

 ディルムッドを止めようとする若き王を、カラギがやんわりと制した。

「カラギ…」

 ロディよりも十二歳年上の軍師は、首を横にふった。

「陛下。われわれはどのようなことがあろうとも、万全の策を持って挑み、そして時には退かなくてはなりません。特に自然とシルク・トトゥ神の転身人の力が敵とあっては、フィゴルの長年の勘とディルムッド殿の魔道士としての力にかけるほかはございません。われわれはこれまで、海の上の竜巻に出会ったことがないのですから。ディルムッド殿ならば、必ずや竜巻の進路を変え、生きてお帰りになりましょう」 

 黒い髪と黒い瞳、褐色の肌をした鋭い瞳をもつカラギの言葉がロディの足を止めさせた。

 ロディは無言のまま、きびすを返すと窓辺に近づき、まだこれから起きる災難を予感すらさせない、静かな海面をみつめていた。


 巨大な水柱となった幾つもの竜巻は、生き物のように海を引き裂く勢いで、ノストールを、そしてダーナンの船団目がけて突き進んでいた。

「ディルムッド殿!」

 最後尾を守るミルト号までようやくたどり着いたディルムッドの小舟に、ミルト号の左舷甲板から縄ばしごが降ろされた。  

 すでに波のうねりは大きく、雨が上空から振り出し、小舟のなかは海水が足首までつかるほどあふれ危険な状態になっていた。

 ディルムッドを先頭に小舟を操って来た二人の兵士は、強風に大きく揺れる縄ばしごに翻弄され悪戦苦闘しながらも、なんとかミルト号の手摺りに手をかけ、乗り込むことができた。

 大きな波がミルト号に何度も体当たりをするたびに、水しぶきがはねあがり、雨も手伝って甲板は水浸し状態だった。

 ディルムッドや兵士たちも頭の先からつま先まで、全身ずぶ濡れになってしまっている。

 空には雷光がきらめき、轟音が響く。

 風は勢いを増し、いよいよ激しくなっていく。

 ディルムッドたちが乗って来た小舟は、大海のなかの木の葉のように大きく揺れたかと思うと、あっと言う間に暗い海の中へ消えていた。

「逃げ切れそうか?」

 ディルムッドは右に左に大きく揺れる甲板の上で、強風にあおられながら二人の兵士に両脇を支えられ、出迎えた副船長に聞いた。

 船長は必死の形相で、舵輪を操縦していて、話をする余裕などまったくないのだ。

 副船長は、ディルムッドの言葉に青ざめた顔で首を横に振った。

「あのようなおそろしく巨大竜巻は、これまで見たこともありません。まるで海竜の化身そのものです」

 副船長の指し示した方向には、夜であるにもかかわらず、暗い海と空の中に浮かぶようにうごめくいくつもの白く太い柱があった。

「海の女神ドナ神が妨害をしているようだ。このような事態となっては、ディルムッド殿のお力だけがたよりです。これほど海が荒れていては……」

 甲板がぐらりと大きく傾斜して、副船長の言葉が途切れた。

 ディルムッドの体が激しく床に打ち付けられた。

 彼を支えていた兵士のうちの一人の体が吹き飛び、転がるように甲板舷にたたきつけられる姿が目に飛び込む。

「ディルムッド殿、はやくこちらへ!」

 何度かの大きな揺れをじっとこらえた後、わずかに静まった一瞬をぬって、副船長が雨と海水で濡れびたしになった甲板からディルムッドを抱き起こし、船室へ降りる階段のある昇降口へ連れていく。

 だが、船の揺れと風の勢いはさらに激しくなり、海水が二人を追うように昇降口から階下へ流れこんでくる。

「速度が落ちてるぞ!」

「だめだ! もっと速度を上げろと漕ぎ手に伝えろ! あの渦に引き込まれたら最後だ!」

「おい、あれを見ろ!!」

「なんだ?!」

「右前方だ!」

 船員たちの叫び声、怒号が、ディルムッドの背後で飛び交う。

「どうして、ホーク号が近づいて来るんだ!?」

 その声に、木の階段をおりるディルムッドの足が止まった。 

「このままじゃ、ぶつかるぞ!」

「船長は何をやってる! 回避! 回避!」

「逃げろ!」

「間に合わない!」

「だめだぁ!!」

 船員たちの悲鳴とも叫びともつかない声がいたるところであがる。

 ディルムッドが振り返り、甲板へ出る昇降口を見上げたとき、激しい衝撃が船体を襲った。

 巨大な波が甲板に襲いかかり、逃げ惑う船員たちを呑み込み、船を襲う。

 前方を進んでいたホーク号が速度を失いバランスを崩して、側舷からミルト号に激突したのだ。

 もつれあいながら、荒れ狂う海のなかへ沈み行く二つの船と、ダーナン船団を追尾するように、巨大な竜巻はすぐ後ろまで近づいていた。     



                          ※※※


 同じころ、同時発生した別の竜巻に追われるひとつの影があった。

「リューザ、真っ暗だし……空も、海も怒ってる……」

 まだ竜巻の接近を知らずにいたルナは、城へ戻れず一人きりになった不安と、悪天候の真っ只中に身をおく恐怖で、震えていた。

 守護妖獣リューザは、その背にルナを乗せたまま、陽が落ちて夜になっても休む様子もみせずに、ただひたすら海面を滑るように飛び続けていた。

 リューザの背の上は風の抵抗も微弱であり、体温が低下することはない。

 だが、家族と引き離された孤独感と、殺されかけた衝撃が、この闇夜の中、ルナの心をどうすることもできないほどの不安と恐怖で締め付けていた。

 最初に竜巻に気づいたとき、それはまだ、か細く長い白い糸のように上空に浮いたまま渦巻いていた。

 ルナとリューザはそれを横目で眺めながら、近くを通過したが、まさかそれが数分とたたないうちに巨大な竜巻に変貌するとは思ってもいなかった。

 だから、一度追い越した竜巻が急速に巨大な竜巻に成長し、自分たちを襲うように追いすがっているとは想像もしていなかった。

 気づいた時は、すでに手遅れの状態だった。

 リューザは、自分たちを猛追してくるように迫り来る竜巻から必死に逃れようと全力で飛び続けた。

 しかし、風は暴風となり、大粒の雨が矢のように降りかかり、リューザの翼を激しく打ちつける。

「リューザ! こわいよ! リューザ!」

 大鳳リューザの体に両手を回してしがみつきながら、ルナは叫び続けていた。

 ルナは背後を何度となく確認するが、巨大竜巻の姿は振り返るたびに急速に成長し、近づき、迫っていた。

『ルナ様、しっかりおつかまり下さい!』

 リューザの体が巨大な風にあおられる。

 竜巻の荒れ狂う怒りをふくんだような風の咆哮が轟き、響き渡る。

『決してわたしから離れられませんように!』

「リューザ! 死んじゃうの?! いやだー!こわいよー!! 助けてぇーっ!!」

『大丈夫です、ルナ様! 必ず、カルザキア王、ラマイネ王妃、兄上様がたに再びお会いできます! ルナ様! しっかりおつかまり下さい!』

 リューザの言葉に、ルナは目をかたく閉じて、優しくほほ笑むラマイネ王妃の笑顔を思い浮かべようと努力する。

「母上! 母上! 母上ぇーっっ!!」

 横殴りの突風がリューザの体を襲った。

 守護妖獣の翼から、羽が飛び散り、均衡を失った体が、傾いたまま失速していく。

「母上えぇーっ!!」

 ルナの叫びは、竜巻のうなり声にかき消された。

 そして、一対の姿は、そのまま巨大竜巻の渦の中へとのみこまれていった。 


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