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第20章〈失月夜〉-4-

 その夜、ジーンはランレイとともに、討伐隊の出現に大騒ぎとなっている砦を出て、ラウセリアスに会うためにミゼアの獣道とおぼしき道を歩いていた。 

 空には雲が厚くたれこめ、頼りになるのは、手にもった足元を照らすランプの灯火と、「ヨルン」という名の小型犬だった。

 この犬はラウセリアスが飼っている犬で、主人のいる場所まで案内してくれるからと、ルージンから渡されたのだ。

 辺り一面が漆黒で包まれる中、《ルーフの砦》人間でさえ、いつもの知っている場所なのかもわからなくなるほどの道だった。

 ルナとランレイにとっても、その場所までの頼りはヨルンの存在で、万が一はぐれてしまえば砦にはたどり着けず、引き返さなくてはならない。

 ヨルンの首輪の縄はランレイがしっかりと手に巻き付けており、ヨルンもまるで自分のするべきことが分かっているようにルナたちの歩に合わせるように目的地への案内役を努めているようだった。

 ルナはなぜ、盲人のラウセリアスがこのヨルンも伴わずに一人離れた場所にいるのかわからなかった。

 ラウセリアスと言葉を交わしたのは、《ルーフの砦》に来たあの日だけだった。

 日焼けした仲間たちから較べると肌の色は白く、線が細かった印象がある。

 リゲルもそうだが、盗賊というよりも学者に近いような雰囲気をもっている。

 《ルーフの砦》のリーダー格の五人は、カイトーゼを除けば盗賊らしくない、とルナは思う。

 ハーフノームの海賊たちは、豪放磊落で酒に女にケンカに博打、そして強奪を快楽として日々すごし、頭のジルの絶対的な存在のもと統率されているが、時に裏切りさえも躊躇しないすべてを失った者特有の凄みと危うさを臭わせていた。

 けれど、ルージンやセインは盗賊として一団を率いながら、なにか、ある一線を越えることを拒んでいるようにルナの目には映った。

 ラウセリアスに関しては別の異質さを感じる。

 黒い髪、整った鼻梁、横顔が彫像のような印象を受けたが、思い出すことといえば、気難しげな表情ばかりだった。

 年齢はカイトーゼよりもひとつ上だと言っていたので、アルクメーネと同じくらいだろうかと思う。

(兄上……)

 アルクメーネのことを思い浮かべた瞬間、ルナの心はナイアデスで出会ったアルクメーネの言葉を思い出していた。

――夢で、私の父がジーンたちのいる場所を教えてくれたんですよ。

 ルナはその言葉を、一生忘れることはないと思った。

(父上が見守っていてくださる)

 エディスから「ルナ・デ・ラウ」の名を封印され、ジーンとして生きて行こうと心に何度も決心した。

 しかし、ルナの心の中央には「絶望」という暗闇の穴がいつもあいていた。

 テセウス、アルクメーネ、クロトの三人の兄たちの誰かが、自分の意志で「ルナ」の名を呼ばない限り封印は解かれない――とエディスは言った。

 自分のことを忘れている兄たちが、忘れている名を呼んでくれることなどありえない。

 「封印」は解くことができない。

 ルナはそう思っていた。

 だが、アルクメーネは、「父の現れた夢」に意味を感じて死に瀕していたルナを探し、助けてくれた。

 そして、エディスの言葉どおり、ルナは「ジーン」としてアルクメーネと向き合うことができた。

 アルクメーネの守護妖獣カイチからは、守護妖獣たちはルナを忘れてはいないが、アウシュダールとメイベルの手に落ちる危険から身を守るために、ルナの記憶に触れることを避けているという理由を告げられた。

――お会い出来たのは偶然ではないと信じられる夜です。

 カイチの言葉は大きな勇気をルナにもたらした。

(父上が守ってくれた……。だから、自分も絶対に父上との約束を果たす。ディアードを見つけて、一緒にノストールに帰るんだ。ディアードのことは、アルクメーネ兄上にお願いしてみよう。そうだ……ラクスにも会ってもらおう。ラクスはセレからディアードのことを聞いてる。きっと、父上がディアードに帰って来てほしかったことも、ノストールにとって大切な存在だというとわかってくれる)

 ルナはあえてアウシュダールやメイベルのことを考えるのを避けた。

(ディアードをノストールに連れて帰ることが出来たら、リンセンテートスにネイを迎えに行かなくちゃ。ネイ怒ってないかな……)

 半年後にネイの待つブレアの町に戻ると約束したのに、町を出てからすでに一年を迎えようとしていた。

 まだまだ自分にはするべきことがあると思うと、ハーフノーム島でとり残されたような絶望感に毎夜襲われた日々や、ノストールを追われるように出て泣き続けた日々よりは、すこしましになったような気がして、ルナは隣を歩くランレイを見つめて、笑顔を浮かべた。

 暗闇の中でも、言葉の話せないランレイは常にルナの動作には人一倍敏感で、この時もすぐにルナの視線に気がついて振り返えろうとしたが、少し驚いたようにその歩を止めた。

 ヨルンが、闇に向かって小さな声で吠えたのだ。

「着いたの?」

 ランレイのいつもと変わりない静かな横顔が真っすぐに闇を見つめている。

 やがて、足音が響いて来た。

 二人が立っているのは、洞窟の入り口だったとわかったのは、ルナがランプを高く掲げて周囲を照らしてからだった。

 ただランプをかざしても、自分の足元から五歩以上先は真っ暗で、洞窟から聞こえて来る足音もはたしてラウセリアスのものなのかはわからない。

 しかし、ヨルンは、吠えるのをやめて行儀よく腰を落として座ったまましっぽを振っている。

「誰だ?」

 足音が近づき、感情のない声が響く。

 低音の少し冷たい感じの声。一度耳にすると忘れないその声はラウセリアスのものに違いなかった。

「ジーンとランレイです。ルージンからの伝令で手紙をもって来ました」

「…………」

 ルナのランプの光りの中に姿を見せたラウセリアスを見て、二人はぎょっとした。

 現れたラウセリアスは、鉄の仮面で顔の上半分を隠していたのだ。後頭部から見える長い布の端は、目を黒い布で覆い、その上からさらに鉄の仮面を被っていることを物語っていた。

 ルナとランレイは、思わず驚いて互いの顔を見合わせる。

 そして、再び見上げたラウセリアスの口元にも、彼自身なにかに戸惑っているような様子があらわれていた。

「真夜中だな、今は」

「そうだけど……」

「天満月……は、まだだな?」

「曇っていて月は見えないから……でも、今日は違うと思う」

「そうか……。とりあえず着いて来い」

 ラウセリアスは二人に背を向けると歩きだした。

 やがて通されたのは、洞窟の中に造られたいくつかある仕切られた部屋のうちのひとつだった。

 部屋に通されると暗闇の部屋の中、暖炉のあたたかな灯火がルナたちを迎えた。

「この季節に暖炉とは驚いただろう。ここは一年中寒い場所だ。煙りは上手く外へ抜けるから空気の通りは問題ない。明かりが欲しければ燭台のそばに蝋燭があるからそれを使え」

 静かな低い声が少し早口で説明すると、まるで目が見えているように背もたれのある肘掛け付きの椅子に歩み寄り、ゆっくりと腰をおろした。

「手紙を……渡してくれ」

 その言葉にルナがルージンから託された手紙を差し出す。

 ラウセリアスはそれを受け取ると、折りたたまれた一枚の紙をゆっくりと広げて、その上をなぞり始めた。

 そこに文字はないが、ルージンが記した浮き文字があった。

「確かに、ルージンの使いと記してある。手順は間違えなかったな。いいぞ、伝言を伝えてくれ」

 ルナは、ルージンからラウセリアスに会っても、許可があるまで内容を話してはいけないと言われていた。いくつかの決められた段階を踏むことが、目が見えないラウセリアスにルージンの使者だと認めさせる約束事なのだとルナは説明を受けていた。

「ルージンからの伝言を伝えます。一つ目は、デス領の見張り場がデス軍と思われる兵士から攻撃を受けた。目的は《ルーフの砦》の討伐と考えられる。二つ目は、戦いが済むまで決して戻って来るな。三つ目は、戦いの無事を知らせる使者がひと月過ぎても来なければ『逃げろ』と」

「な……」

 ルナの伝言を聞き、ラウセリアスは言葉を失ったように黙り込んだ。

 そのまま長い沈黙が室内を満たした。

 ラウセリアスは、ルナたちの存在を忘れたように何かを思案し続けている様子だった。

 長衣を身にまとっているその姿は、ルナにふとアンナの一族を連想させた。

 もっとも、顔の半分を覆う鉄仮面が暖炉の火に照らされているだけに異様な印象を与えた。

 ラウセリアスが考え込んでいる間、ルナは盲目のラウセリアスがなぜ、二重三重にその瞼を塞ぎ、さらにはこのような洞窟の中に身をおいているのか不思議に思えた。

 やがてヨルンが主人の足元に近寄って、小さな声を出すと、ラウセリアスは我に返ったように顔をあげた。

「ジーン?」

「はい」

「…………」

 ラウセリアスは戸惑った様子を再びみせたが、立ち上がると別の部屋へと二人を案内した。

「ここは食糧庫だ。夕方に出て夜中につくということは夕食抜きで来たというところだろう。悪かったな。適当にあさって食べてくれ。ごちそうしてやりたいが、保存食しかない。食べたらさっきの部屋で休んでくれ。暖炉の側なら風邪はひかないだろう。私は隣の部屋にいる。用があったら声をかけてくれ」

 ラウセリアスはそう言うと、ルナたちを残しヨルンを連れて食糧庫から出て行った。

「やっぱり、みんなと一緒に砦で戦いたいのかな」

 ラウセリアスの足音が聞こえなくなった食糧庫で、室内にある燭台に火をつけて食べ物を探しながらルナは小さな声でランレイに語りかける。

「でも、目が見えないと迷惑をかけたくないって思うよね。足手まといになりたくないし。だけど、自分だけ逃げるのはきっとラウセリアスだって嫌なんだ。けど……」

 ルナはそう言ったきりうつむいてしまった。

 自分がいくら考えて見ても、決めるのはラウセリアス自身だということを、ルナはわかっている。 

 言葉を交わしたのは今日で二度目。

 ラウセリアスの人生も、考え方も自分はなにも知らない。

 たとえ知っていたとしても、決めるのはラウセリアス自身であり、ルナはただの伝令でしかなかった。



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