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第17章〈国境を越える時〉-14-

 突如、まがまがしい重い空気とともに、黒い霧が部屋の中央に渦を作りながら現れた。

 そして次の瞬間、黒い霧の中央には、ミレーゼの弟十四歳のグリトニルが立っていた。

――ククククク。

 黒い霧が発する低い忍び声に、その場の人々の背筋を凍りつかせる。

――我ハ、《エボルの指輪》ノ守護妖獣。指輪ハ、ぐりとにる王子ヲ選ンダ。オ前カラ、王ノ権利ヲ剥奪スル。

 黒い霧は、今度は一瞬にして巨大な黒い獣の姿を見せた。

「衛兵!」

 メイヴ妃は手を挙げて、声高に命じる。

「エボルの神から王と認められし者のみに授けられる指輪が、ここに、王座にいるミレーゼ女王を拒否したのを皆聞きましたね。グリトニル殿下を真の王と認められたのです。なれば、ここにいる者はすでに女王ではない。側近とその周辺に群がっておる死に損ないの老いぼれたちとともに、地下牢へ連れて行きなさい」

 ミレーゼの睨み据えた先で、メイヴ妃は勝ち誇ったように妖しくほほ笑んでいた。

(あなたのちっぽけなたくらみなど、すべて知っていたのですよ)

 その瞳がミレーゼに告げる。

「待ちなさい」

 ミレーゼは叫んだ。

「例え、グリトニルが王となるとして、何故私が捕らえられなくてはならないの? メイヴ、あなた自分が何を言っているのかわかっているの?」

「存じておりますとも。あなた様がナイアデス皇国と密通し、シーラ様をリンセンテートスからナイアデスに売ったことも。ダーナン帝国にリンセンテートスを襲わせたことも。この国の財政をあなた様の莫大な贅沢のために瀕死状態追い込んでいることも。王の資質に欠けるどころか、国を滅ぼす極悪人だということを」

「な……」

 ミレーゼは、何を言われているのか訳がわからず、怒りに全身が震え出すのを止められなかった。

「なにを……」

「牢がお嫌でしたら、あなたの母上と同様の眠りを献上いたしましょうか?」

 六年前のあの忌まわしい日が、再現されつつあった。

 メイヴ妃の息のかかった兵士らが、ミレーゼを取り囲み椅子から立ち上がるように促す。

「あなたって人は……」

 ミレーゼは美しい顔に怒りで唇を震わせながら立ち上がった。

 それを見て、ミレーゼの身柄を取り押さえようと、その体に手をかけようした兵士らは、しかし、ミレーゼにその鋭い視線を向けられてたじろぐ。

「皆、聞きなさい。このメイヴという女は、こうやって父上や、私を、そしていつの日かはそこにいるグリトニルさえ騙し、手に掛けて、ハリアの王族の血を絶やそうとしている女なのよ。ナクロ国を失った恨みを晴らそうとしているの。この女こそ、国を、私たちの国を滅ぼす売国奴なのよ」

「姉上」

 それまで黙っていたグリトニルが初めて口を開いた。

「姉上、よくご覧になってください。このサトニが手にしている《エボルの指輪》の石にはいくつもの亀裂が走っています」

 グリトニルはその場にそぐわぬ優しい表情で、怒りに顔を朱に染める姉を見てほほ笑んでいた。

 見たこともないその表情にミレーゼは、全身の体温が急に失われていく錯覚を覚えた。

 その瞳は、ある人物に良く似ていた。

 一見優しげな面差しの中にある、底冷えのするような冷たい瞳を宿した人物に。

「この指輪の亀裂は、姉上が玉座に座られているのが原因です。あなたはエボル神から見捨てられたのです。あなたや父上がこのまま生きていては指輪はもとに戻らない。国はこの指輪と同様、亀裂が走りいつか粉々に砕け散ってしまうかもしれません。どうか、国のためを思うのでしたら、国を愛しておいででしたら、姉上の身をエボル神に献上してください。死をもって償ってください。お願い致します」

 優しい表情は、勝利を確信した人間が見下す、哀れみにも似た眼差しだとわかる。

「よくできた演説ね。心にちっとも響かないわ」

 ミレーゼはグリトニルの言葉を、問答無用に切り捨てた。

「なにが指輪よ、なにが献上よ。自分たちがこの国を手に入れたいと言うただの欲望じゃないの! 私は弁解するようなことも、罪を償うようなことも何もしていないわ。出鱈目を並べ立てないで」

「衛兵!」

 メイヴ妃がこれ以上ミレーゼが反論させないよう、再度命じる。

「やめろ!」

 ことの次第をやっと飲み込んだレイドリアンの大きな体があわててミレーゼと衛兵らの間に割り込み、その手から主君を守ろうとする。

「陛下は私がお連れする。お前たちは指一本触れるな!」

 衛兵らの無骨な手がミレーゼの体を押さえ込み、罪人のように連行するのを想像した瞬間、レイドリアンは無我夢中で飛び出していたのだ。 

「レイ!?」

 目の前をさえぎるように突然飛び込んできたレイドリアンの大きな背中があった。

 衛兵らを突き飛ばすようにして、身を挺して彼女を守るように割り込んできたレイドリアンをミレーゼが驚いて仰ぎ見る。

「ミレーゼ陛下、いつまでも、そのようなわがままは通用しないのですよ」

 メイヴが、サトニに目で合図を送る。

 サトニは頷くと鎖につながったままの指輪を高く掲げて、ヴァルツの名を叫んだ。

「ヴァルツ!」 

 すると声に同調するように、グリトニルを取り巻いていた禍々しい黒い霧が、ミレーゼとレイドリアン、そして彼らを押さえ込もうとしている兵士らすべてに襲いかかってきたのだ。

 ミレーゼは、初めて死を予感した。

 万事窮すなのだと実感する。

 母のような死が訪れるのだと。

 ミレーゼは、レイドリアンの背に守られるようにしながら、悔しさに両目を硬く閉じた。




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