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第17章〈国境を越える時〉-7-

 半年後、エリルは、故郷ハリアへ帰還するための船上の人となっていた。

 ネイのおかげでエリルはブレアの町を出て、ハリアに向けて真夜中の密航という形ではあるが、リンセンテートスを出国しハリアに出発することができたのだ。

 十二歳のあの日から、すでに六年もの歳月がたっていた。

 《エボルの指輪》を取り戻して帰国するという当初の目的は、現実には果たせなかったもののまったく成果がなかったわけではない。

(ヴァルツという妖獣もジーンを見失ったならばハリアに向かっているかもしれない……。約束を違えた戒めに、エボル神はあの妖獣に《エボルの指輪》の力を与えて、ハリアを破壊させようとしているのだろうか……)

 セルジーニの〈先読み〉が蘇り、エリルは不吉な予感に駆られる。

 ネイから仮眠をとるように言われたものの、真夜中に一人舵をとり続けていることを思うと、なかなか眠つけなかった。

 船室を出で、甲板に出ようと細い梯子を上る。

 甲板に顔を出すと、星が瞬き闇は深いが地平線の色がわずかに変わりつつあった。闇が明けようとしているのだ。

 ほっとして微笑んだその時、船尾の方であきらかに人の争う物音と、物が落ちる水音が聞こえた。

 エリルはただならない気配に、一気に甲板に駆け上がり船尾に走った。

「どうしたんですか?」

 目を凝らすと、闇の中にネイの後ろ姿があった。

 ほっとしながら近づくエリルに、ネイは振り返らない。

 肩で大きく息をしながら片手を少しだけ上げて、エリルの声に応えるのがわかる。

「なにがあったんですか?」

「捨てた」

「は?」

 ネイは、甲板にしりもちをつくようにドスンと座ると、そのまま上半身を倒して仰向けに寝転び、エリルを見上げる。

 闇の中で顔は見えないが、少し苦しそうに呼吸をするネイの様子がいつもと違う。

 エリルは奇妙な空気に眉をひそめた。

「なにがあったんですか?」

 かがみこんで心配そうにのぞき込むエリルの瞳を避けるように、ネイは静かに首を横に振った。

「ガロルア、あいつらもうすぐハリアに着くとわかって安心した途端、あたしとあんたをどうやって高く売るか相談しはじめたんだ。アンナの女といっても、身ぐるみはいで程度のいい服を着せて売れば、高く売れる。だれもアンナだなんてわかりゃしない。自分たちが直接傷つけたりさえしなければ、呪いを受けるのは別人。自分たちは金さえ手に入れればいい、ってね。だから、捨てた」

「は?」

 ネイのゴミを片付けたと言っているような言葉にエ、リルは目を真ん丸にしてその顔を凝視した。

「一人ずつそっと呼びだして、にっこり笑いかけながら体に手を回して『目をつぶって』とか言って抱きつく真似事と、甘ったるい声だせば、たいがいの男は引っ掛かるからさ。その気になって目をつぶったところを投げ飛ばしてやった。最後は残った二人に気づかれてちょっと揉めたからさ、やばかったけどね」

 当たり前のことを、当たり前のようにしたというような表情には、勝ち誇った様子も、悲嘆する様子も伺うことはできなかった。

 ただ、自分の為にネイが人を手に掛けたことに困惑して、エリルは瞳を伏せた。

 そんなエリルに、ネイは身軽に体を起こして立ち上がると、その肩をポンポンと軽くたたいた。

「あんたがやったわけじゃないんだから、そんな困った空気をださないでおくれよ」

「でも」

「どうせ、あたしはあんたをハリアに送ったらこの船でそのままあの町に帰る身だ。あんたとは人殺しとは関係ない。行きずりの人間。もうすぐおさらばできるんだからそんな顔しないでよ」

 エリルは、人を殺めただろうネイに戸惑っている態度を見せている自分に気がついてあわてた。

「違うんです」

「いいから。想像以上にヤバイ女だろう。海賊だからね。人殺しには慣れてるし驚くのも無理はない」

「私は助けられたのですね」

「あたしも売られそうになったから。それにあんたの薬のおかげでびっくりするぐらい元気になれた。おあいこだろう」

「何も知らずに、命を守ってもらった」

「気にするなって。ちょっと血が騒いだけだ。船ってやっぱいいよ。このままハーフノームに帰りたいぐらいだ」

「ネイ……」

 エリルは、暗い闇の中で波音を耳にしながら言葉を交わすうちに奇妙な感覚に包まれた。

 闇の中で、ネイの無垢な微笑がはっきりと見えたのだ。

 何の駆け引きなく自分を助けてくれたネイの、本当に無欲な心に触れたとき

――『守護者』

 セルジーニから与えられた〈先読み〉が心に響き渡った。

 エリルは、船を世話してくれる人たちを、渡航を手伝ってくれる闇商人たちが守護者なのだろうと思っていた。

 エーツ山脈で偶然に出会い、助け合いながら旅をしてきたネイがそうした存在とは考えたこともなかった。

――『守護者』

 エリルは、その言葉を自分の心に問いかけ、そして刻み付けるようにネイを見つめた。

 暗闇の中、扉が一気に開かれるのが見えたような気がした。

 そして、自分の肩におかれていたネイの手をとり両手で包み込むと、エリルはあざやかなほほ笑みを向けた。

「お願いがあります。私と一緒に来てください。そして、私を助けてください」

 決意にみちた水色の瞳を、前方にうっすらと見え始めた故郷ハリアに向ける。

「あの国に一歩入れば、おそらく私は敵の中に身をおくことになると思います。最初は帰国さえ出来ればなんとかなると思っていました。でも、いまのこのことではっきりわかりました。ネイがいなければどんなに杖が身の危険を知らせてくれようとも、私一人ではどうにもできなかった。杖は私を危険から遠ざける役目は果たしますが、危険の中で戦う力を与えてはくれません。逃げるだけでは勝てません。今の私は無力です。一人ではこれからの道を切り開くことは出来ないでしょう。どうか私のそばにいて助けてほしいのです」

 ネイはこれまでにないエリルの真剣な表情に、ただならぬ雰囲気を感じて息を飲んだ。

「エリル? あんた……一体……」

「私の名は、エリル・ルドフィン・ハリア。現女王ミレーゼの実弟であり、ハリア公国の第一王位継承者です」

 目をこれ以上ないというほど大きく開けて固まるネイに、エリルはこれまで隠していたことを語り始めた。

 闇は暁を迎え、日の出を迎えようとしていた。




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