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第4章〈侵略〉-4-

山火事は三十七日かかって、完全に消し止められた。

 ノストール中の民と軍による懸命な消火作業と、火の発生から二十日目に小雨が降りだしたのが功を奏したのだ。これには国中が、アンナの一族が眠りを断つようにして行なった降雨の祈祷のおかげだとアンナたちを讃えた。

「今日は、ゆっくりと家に帰って眠ることができるな」

 夜明けを目前に、兵士たちは山を見上げながらススだらけの顔に笑顔を浮かべ、互いの健闘をたたえあっていた。

 それは、国中の誰もが安堵の息をつける一日の始まりとなるはずだった。

 だが。

「なんだ……あれは………」

 港の兵士たちは、愕然とした面持ちで朝焼けの空の下、立ち尽くした。

 ノストールに面する湾の沖、ニュウズ海洋の水平線に、一夜にして訪れた無数の黒い船影に。




「母上! 母上!」

 ラマイネ妃の寝所に続く私室のドアをテセウスは拳でたたきつけた。

 鍵がかかっているドアの向こう側には誰もいないかのように静まり返ったままだ。

「兄上」

 ドアをたたくテセウスの背中に向かってアルクメーネが声をかける。

「他の部屋には母上の姿はありません。それから理由はわかりませんが、このところルナは毎晩のように母上の部屋に来て一緒に寝ていたとセレナが言ってます。ルナの姿もどこにも見当たりません。きっと母上と一緒だと思います」

「母上! ルナ!」 

 ドアにはカギがかかっていて、何度呼んでもだれも出てくる気配がなかった。

「だめだ。出て来ない。侍女達はみんな外にいて鍵がかかったことすら知らないというんだ。こんなことは初めてだ」

 テセウスの横顔に、汗がうっすらとにじむ。

 顔を見合わせる二人の耳には、静まり返った王妃の部屋の様子とは裏腹に、ざわめきかえる城内外の喧騒が聞こえて来る。

「すべての兵をたたき起こして、城と港に集め、上陸だけは絶対に阻止するんだ!」

「海湾と各河口部の防御砦からの情報はどうなっている!」

「第五、第十一部隊を城の強化にまわせ!」

「火矢部隊は海上に出ました!」

 朝焼けのニュウズ海洋に出現した無数の船影。それは西の大国ダーナンの大艦隊の姿だった。

 まるで、山火事の消火作業で疲労こんぱいしているノストールの背後に忍び寄り、気配もなく咽に突きつけられた刃に似ていた。

 ノストールのアルティナ城は、海を背にして立っており、海上からの攻撃に対し最大級の防壁となる造りとなっていた。

 万が一にも城が陥落し、海上が封鎖されれば、逃げる陸路はエーツ山脈を越えるほかない。

 過去の長きにわたり小国であるノストールが平和と繁栄を続けてくることができた理由の一つには、この切り立った崖が難攻不落の防壁であり、岩を削り取るほどの荒れやすい海の存在があったからだ。

 この二つの自然の脅威を相手に戦を挑めば、多大なる犠牲を出すことは目に見えている。また、そこまでして陥落させる意味を持つほどの大国でもない、辺境の土地だったからともいえる。

 加えて、海からの侵略には妨げとなる海賊の存在もあった。

 ノストールのニュウズ海洋の外洋には、海賊がすみかとしている孤島が無数にある。

 ノストールはその海賊たちと、さまざまな形で取引をし、協力関係を結んでいたため他国からの敵襲に関してはいち早く情報を得られた、奇襲を受けることはあり得なかったのだ。

 だが、それも昔の話だった。

 ダーナンとナイアデス、ハリアの三大国が微妙な均衡を保ち、大きな戦さがなくなったように信じられてからは、侵略行為は極減し海賊たちとの関係も薄れ、忘れられていったのが現状だった。


『城の中には王妃もルナ様の姿も見えません』

 アルクメーネのそばを離れていた守護妖精獣カイチが戻って来て答えた。

「嫌な予感がする」

 テセウスはそう口にすると、厳しい瞳で真っすぐにアルクメーネを見つめる。

「ルナは今までどんな時でも母上の寝所で眠ることはなかったし、そんなわがままを言ったこともなかった。僕たちが城を留守にしていた火事の間になにかあったのかもしれない……。アルクメーネ、僕はこれから父上の後を追って迎撃に備えなくてはいけない。だから、お前は引き続き母上とルナを探してくれ」

「わかりました。兄上もしっかり」

「わかった」

 二人は目でうなずき合うと、その場を離れた。




 その頃、ラウ王家三番目の王子クロトはアンナの一族をノストールから脱出させるべく一族の大長老・サーザキアに事態の様子を伝えていた。

「わかりました。私どもは自力で国を離れますゆえ、お気を使いませんように」

 サーザキアは、静かな口調で幼い王子に一礼した。

「すまない。山火事の降雨の祈祷も無事終わり、本当なら労をねぎらい、ゆっくり休んでもらったうえで、国境まで見送るのが礼儀だ。けれど、父上も兄上も港で敵を迎撃する準備に追われていて、挨拶をする時間のゆとりがないんだ。ゆるしてくれ」

 アンナの一族は、戦さの中には身を置かないという決まりごとがあった。常に国と国の争いごとからは一線を画して、存在する一族なのだ。

「当然の事態です。今回のこと〈先読み〉できなかったことこそ、我らが落ち度、お許しくだされ」

 クロトは、首を横に振った。

 アンナたちは、降雨の祈祷に全身全霊を捧げてきた。サーザキアを筆頭に眠りを絶ち、水以外を口にせず、ひたすら降雨を招き寄せ、降らし続ける祈りに集中していたのだ。ほかの〈先読み〉をするような余裕はなかったことはクロトも報告を受けて、よく知っている。

 すべてのアンナの顔に疲労の色が激しい。このままエーツ山脈を越してくれと告げること事態が感謝すべき人々に言う言葉ではないのだ。ひどい仕打ちをしていることを幼いクロトにも充分理解できた。

 何度も頭を下げながら目に涙が滲んで来るのが、また悔しかった。

 出立するアンナの一族を、城門の前まで見送りに出たクロトは、サーザキアの大きく暖かな手と握手をかわした。

「クロト殿下」

 サーザキアは、大きな体を折る様にしてクロトの目を、顔をのぞきこみ、見つめながら、低くささやくように言葉を発した。

「われらがアンナの一族はここを離れますが、今後ともラウ王家がお呼びのときにはいつでも足を運びますゆえ、それをお忘れなく。われらを哀れむことはございません。殿下方を残して去ることのほうが心残りではありますが、これも掟。双方の(ことわり)ごとにございます。」

「ありがとう」

「そして、ノストールには、アル神の御加護ございます、そのことを重々お忘れなきよう」

「わかってる」

 サーザキアが馬車に乗り込むと、アンナの一族の人々はそれぞれの馬車や馬に乗り込んでいった。

 クロトは、その最後の馬車から自分を見つめる瞳があることに気がつき、振り返ると笑顔をみせて声をかけた。

「エディ、また会おうね」

 同い年の少女は、クロトの瞳をじっと見つめたまま、かすかにうなずくと、胸元にかけていた小さな石がついた首飾りをはずして、クロトに手渡した。

「これをルナ様にお渡ししてください」

 そこには、ルナの瞳と同じ翠色をした小指ほどの大きさの石がついていた。

「ありがとう。ちゃんと渡すから。エディも元気で」

 エディスが「はい」と小声で返事をするのとほぼ同時に、馬車は動き出した。

「また、あの湖にみんなで行こうな」

 クロトが独り言のようにつぶやく。が、エディスはまるでその声が聞こえたように、窓から顔を出してクロトに手を振った。

「絶対に……また、会おう」

 クロトとエディスは、互いの姿が見えなくなるまで、その姿を見守り続けていた。




 少年は、その日早朝から、海の方角を見つめていた。

 その部屋の窓から、海は見えない。

 だが、明け方から騒然となりはじめた城の様子に気づいたのか、少年はベッドから目を覚まして起き上がるとそのままじっと、海の方角を見つめていた。

 少年は、服のボタンを外して、左胸に浮き上がる三日月の形をしたアザにそっと右手をあてた。

「……僕が、必要になる」

 そばでこの声を聞くものがあれば、感情のない言葉とは裏腹に、揺るぎない自信が満ちていることに気づいたかもしれない。

「ここは……僕の、国だ……」

 少年の脳裏に、数日前に訪れた自分と同い年頃の、王子のおびえた表情が浮かんだ。

 口元に笑みが浮かぶ。

「さよなら…。もう、いらないよ……」

 最後の言葉をつぶやいたとき、

「さようですとも」

 別の声が部屋の中から答えた。

「誰?」

 静かに少年は振り返った。

 誰もいないはずの部屋に、髪も髭も白くなった体格のよい男の姿があった。

「私はグシュター公爵というものにございます。さる方からあなたさまの存在を知らされた者です」

 すでに部屋の中央に入り込み、立ったまま、軽く頭を下げて初対面の挨拶をすると、グシュター公爵は少年に近づいた。

 そして、その胸のアザを見つけると、ゆっくりとほほ笑んだ。

「時が満ちました」

「そう?」

 少年は他人事のように応える。

「あなたさまの力が必要になります」

 孫ほど年の離れた子供に、グシュター公爵は膝を折り深々と頭を下げた。

「我らはあなたをお待ちしておりました。どうか私とともにおいで下さい」

 少年は、人形のような瞳でその老人を長い間、見つめていた。

 その沈黙がどのくらい続いたのか、やがて少年は口を開いた。

「《祝福》を」

 グシュター公爵の瞳に笑みが光った。

「あなたさまの、新たなるお名前……で、ございますな。すべての用意はととのってございます」 

 グシュター公爵は、自分が入って来た開け放したままのドアの外に向かって呼びかけた。

「メイベル」

 グシュター公爵がその名を呼ぶと、一人の女性がドアの外から現れた。

 頭から全身まで、青色の薄い布とフードに覆われて、わずかに見えるのは、白い肌と紫色の瞳だけだった。

「メイベル・ソル・アンナと申します」

 落ち着いた美しい声が響き、メイベルは両手を胸の前で交差させるとゆっくりと両膝を床につけ、腰をおって少年に頭を下げた。

「このお方に《祝福》を」

 グシュターの言葉に、メイベルはさらに頭を低くすると、ささやくように、だが、はっきりとした声で《祝福》を告げた。

「これからは、『アウシュダール』とお名乗り下さい」

 少年は、新たなる自分の名をゆっくりとつぶやいた。

「アウシュダール」



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