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第15章〈導き〉-3-

 アルクメーネが、ナイアデス皇国に来て最初にイズナに申し出たのは、町や村を巡ることだった。

「町や村には、何も見るもの学ぶものなどありません。まだ来たばかりなのですから、歴史ある建築物や議会の見学、名門の貴族との対面、夜会への出席など、行くべきところは山ほどあります」

 イズナは、そうしたアルクメーネの申し出を聞いたとき、内心呆れながらラーサイス大陸から外れた辺境の小国の皇太子を説得しようとした。

 王族や高級貴族が、村を見たいなどという話は聞いたことがなかった。

 小国の王族は国が狭すぎて農作業でもしているのではないだろうな、と内心本気で思ったほどだった。

「王族には王族の、民には民の居るべき場所というものがあります。村や町などは、そこの領主が管理をしています。わざわざ、その足を汚される場所ではありませんよ」

「では、フェリエス皇帝は民の暮らしを御存じないのですか?」

 イズナの言葉に、やんわりとだが驚きをもって逆にアルクメーネがたずねる。

「もちろん民の暮らしは領主から直接、定期的に報告を聞いていてご存じだ。領主はその為に皇帝より領土を授かっている。そのようなことは、あなたがよくご存じのはず」

「ご自分で視察することは?」 

「近隣諸国へ赴かれる際に立ち寄ることもあります。しかし、わざわざ皇帝が足を運ばれる必要はまったくありません」

 アルクメーネの思索するような表情にイズナは、いらだちにも似た思いで、丁寧に説得を続けた。

「それよりも、明日は狩りにいきましょう? 今の季節だと……」

「明日は日帰りで、行ける村に案内して下さい」   

 イズナの言葉を遮り、アルクメーネは穏やかながら凜とした口調で命じた。

「もちろん、決められた日程と公務、行事にはすべて従います。ですが、私のための時間は、私が自由に使ってよいと約束もいただいております。明日は誰とも約束をしてはいませんので、よろしくお願いいたします」

 イズナは開けた口を閉じるのを忘れたようにノストールの皇太子を見つめた。

 そして、しぶしぶながら翌日アルクメーネと同様、旅人の服に身を包んだイズナはわずかな部下を連れて不承不承近くの村へと案内することになった。

 できれば、アルクメーネが二度と村を見に行きたいと言い出さなくなるような村がいいだろうと思いつき、部下から聞いて名前だけは知っている悪路ばかりを通る小さなゴルタという村落を訪ねることにしたのだ。

 しかし、その村へ着いてからのアルクメーネの行動は、逃げ帰るのではと期待していたイズナの予想をはるかに越えたものだった。

 村の入り口で馬から降りたアルクメーネは、その村のあまりの貧しい様子に立ちつくしたまま動けないでいるイズナの脇を通り過ぎ、斧で薪を割っている泥だらけの子供に近寄ると、自然な様子で水を求めたのだ。

 だが子供は首を激しく横に振った。

 そして、一件のあばら家へとアルクメーネを案内した。

 その家から出て来たのは、骨と皮だけの青白い顔をしたみすぼらしい老女だった。

 老女は、水汲みに出た女子供は昼過ぎにならなければ帰って来ない。

 男たちは、今年は雨が少なく不作だったために、食べる物も残り少なく、食料を求めて山に入ったが十日も帰って来ていない。

 しかも、自分は年老いて家の外には出られないので家の中で行商人に売るための織り物を手縫いしていたところなのだと、目をきょろきょろさせ、乾いた表情で話し出した。

 イズナは、村の現状に少なからず衝撃を受けたものの、一刻も早く異臭さえ立ち込める、埃だらけの汚く貧しい村から立ち去りたかった。

 当然アルクメーネもそうするだろうと、少し離れた場所から我慢して老女とのやり取りを見ていたたのだ。が、イズナが待っている目の前で、アルクメーネはそのまま老女の壊れそうな小さな家の中へと入って行ってしまった。

 慌ててその後を追って、アルクメーネを引きとめようとしたのだが「少し、待っててください」というアルクメーネの命令ともいえる言葉に止められ、再び外へ出て待つしかなかった。

 しかし、どれだけ時間が経っても、待ち続けても一向にアルクメーネが出てくる気配がなく、しびれを切らして再度、その薄汚れた木の扉をゆっくりと開けた。

 すると、薄暗い部屋の中で、老女の代わりに機織りの前でなにかをしているアルクメーネの姿が見えた。

「なにをしているんですか?」

 足を踏み入れるのさえ避けたい、ひどく汚れた敷物に腰を下ろしているアルクメーネの背に向かって、イズナは思わず叱るような口調で呼びかけた。

 だが、アルクメーネは先程と変わらぬ「もうしばらく待っていてください」と、振り向きもせずに言っただけだった。

 イズナは絶句するほかなく、相手が王族でなければ襟首を掴んで引きずり出したいほど見たくもないほどの衝撃的な光景だった。

 あばら家の前をいらいらしながら、行ったり来たりとうろうろするしかないイズナは、自分をおびえたような表情で見つめる部下に八つ当たりし、また覗き見する子供達を睨みつけ、ただただアルクメーネが一刻も早く扉を開けてその姿を見せてくれることを祈るしかなかった。

 やがて、家の中で老女の歓声とも叫びともつかない奇妙な声が響き、イズナは驚いて家の中へ駆け込んだ。

 するとそこに一枚の織物を手に抱きしめ、背を丸くしてむせび泣く老女の姿があった。

 そして、そっと家を出て行こうとするアルクメーネに気づいた老女は、あわてたように追いすがり、その手をとり、何か言いたそうに口を開けるのだか、声が出ない。

「お元気で、長生きしてくださいね」

 アルクメーネが微笑みながら、老女の手を両手で包み込む。

 そして、帰って行く彼らを、老女は深く深く頭を垂れ見送っていた。

「何をしたんです?」

 怒りを押し殺しながら不審そうに聞くイズナに、アルクメーネは瞳を閉じながら静かに答えた。

「壊れた機織りを直しました。それできちんと織れるか、一枚織ってみました。そして、おばあさんにも織ってもらいました。あとは、簡単な染料の作り方を説明したぐらいです」

「な……」

 馬に乗ろうとしたイズナは、信じられないものを見るような目でアルクメーネを見つめた。

「なにを……やってる……んです」

 それは、イズナが自分自身でも驚くような怒気さえ含んだ低くく押し殺した自分の声だった。

「あなたは農民ですか? 違うでしょう? その手をそうしたことに触れさせないで頂きたい。機織り機が壊れているなら直せと領主に命じればすむことです。老婆が哀れに思うなら1リダでも恵んでやればいい。こんなことは止めていただきたい」

 イズナは眉間にしわを寄せ、アルクメーネを説得するようにその手をとり、叫ばんがばかりに何度も自制をしながら低い声で言い寄る。

「あなたはその手を汚す必要なはいのです。たとえあなたの国ではそれが許されても、ここはナイアデスです。ナイアデス皇国の貴族はあのようなことはしない。そんなことをさせるために、私は連れて来たわけじゃない。私がそばにいるです。命じればいいじゃないか。ただ『やれ』と、王族たるものの権利でしょう。あなたに何かあれば、私の責任でもある。いや、そんなことは問題じゃない。選ばれた人間がどうしてわざわざあんな汚い場所で、地面に座って職工のようなことをするんだ。こんなことろに、つれてきた自分が馬鹿だった」

 イズナは耐え切れないように訴えながら、自分が何を怒っているのか、何に興奮しているのか、分からなくなっていた。

 ただ、今見た村の悲惨な状況に自分がひどく動揺していること、その中に恐れることもせず自然に溶け込んで行ったアルクメーネに、反発せずにはいられない感情が、そうさせた。

 あの行動は認めてはいけない。

 あってはいけないものだ。

 そうアルクメーネにも認めさせ、自重させなければ、自分の価値観が崩れそうだった。

 叫び、怒鳴らんばかりのに肩で荒く呼吸をするイズナを見つめ、手をゆっくりとイズナから離しながらアルクメーネは静かに言う。

「ここにいる私は、ただの旅人なのです」

「…………」

 イズナはアルクメーネがなにを言い出したのかわからなかった。

「時に、わたしの国では、王の血を引く者は王族という衣服を城に残して、旅人となります」

「…………」

「その旅人は、貴族であったり、商人であったり、遠くの村からたずねて来た人間だったりします」

 イズナは、アルクメーネの言葉に困惑する。

「旅人は、特別な人間ではありません」

「だから……?」

 イズナの言葉に、アルクメーネは寂しそうに微笑むとその先を告げずに馬の背に騎乗した。

「待ってください。私には意味が……」

「今日は帰りましょう。また折を見て、別の村へ案内をお願いします」

 イズナに反論をする間を与えず言い残すと、アルクメーネは金色の髪をなびかせて先に走りだした。

 別の日も、そしてまた次の日も、時間が許される限りアルクメーネはイズナを案内人としてに町や村を訪ねまわった。

 行く先々で、アルクメーネはイズナの制止を振り切り、また耳を貸さず、最初の村で老女に接したときと同じような振る舞いを繰り返すばかりで、イズナを怒らせ、困惑させ、呆れ返させた。

 村への案内を止めたいと説得するが、「では、フェリエス殿にお願いをして別の者を案内役につけていただきます」とやんわり微笑まれて、イズナは頭を抱えた。

 だが、やがてその行動の真意を徐々に知るようになり、また村々を訪ねる数が増すごとに、イズナは自国の民のあまりの貧しさを知らなかった自分に気がつきはじめた。

 領主からの報告とはかけはなれた実態にしばしば我が目を疑い、絶句した。

 皇都で一年のほとんどを過ごす領主である貴族たちの言葉を、今までは疑ったことなどなかったが、農民や農奴たちは定められている税や穀物以上の重税に苦しみ、飢餓や疫病に苦しめられていた。しかも、そうした地域があまりに多いことを知ったのだ。

 だが、不思議なことに悲惨な状況の村の隣村は、通例の税を納め農民が苦しんでいないところが多い。

 それだけではなく、年毎に収める税の量がかわるというのだ。

 重税の事実が皇都コリンズに伝わらないように、そして、農民たちが結束して首都に抗議をすることがないように領主たちが交互に納税の比率を変えて、自分たちが私腹を得ているいるからではないか、いつしかそうした疑念をイズナに抱かせるようになっていった。

 そして、アルクメーネが村人に対して示す行動は、彼が去ってもなお村に利益となることばかりだということは後になって気がついた。

 最初のゴルタ村で老女に対して行った行動は、機織り機を直しただけでなく、老人でも簡単にかつ色鮮やかに仕立てられる織り方だったということを後から知り、それを覚えたあの老女は村でもまた必要とされる人間になっているに違いなかった。

 二人が訪れた村はナイアデス皇国のわずか一部に過ぎない。

 だが、イズナはアルクメーネの行動に興味を抱き、仕事以外の時間でも、ともに過ごす時間が多くなっていた。

 そんな矢先、フェリエスに呼ばれ、仮面舞踏会の話をもちかけられたのだ。

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