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第15章〈導き〉-2-

 ナイアデス皇国で、毎晩のように催される晩餐会や舞踏会。

 そこに訪れる婦人たちの間で、このところしきりと囁かれているとある貴人の名を知っているか、とフェリエスが口にしたのは、イズナが朝の挨拶に訪れたときだった。

 毎朝、皇帝から指名のあったものだけが朝議の前の最初の挨拶に皇帝の寝室に訪れることが許される。

 多くの貴族達は、前の夜に指名をもたらす皇帝の使者を待ち焦がれた。

 それは皇帝の厚い信頼を得たものとして、周囲の見る目がかわる「儀式」でもあったからだ。

 その中で、数人の人間だけは「朝の挨拶」に出ることが約束されており、イズナとオルローもその中の皇帝の信頼厚き将軍として、訪ねる朝は常に定まっていた。

 ところが、珍しく前の夜に皇帝の使いがマイリージア家に訪れ、イズナに朝の挨拶に訪れるよう指名があったのだ。

「その貴人は、どうやらおまえの友人らしいぞ」

 皇帝の寝室に足を踏み入れたイズナは、上機嫌のフェリエスのいたずらっぽい口調にやや驚いたような表情で応じた。

「アルクメーネ皇太子、ですか?」

 片方の眉を上げて、黄金色の瞳がそうだと笑う。

「しかし、あの方は舞踏会にはあまり足を運んでおりませんが」

「だから、噂になりはじめている」

 フェリエスは片目を閉じてみせる。

「一体何者なのか、どこの国の者か、どの舞踏会に現れるのか。どうすればその手に導かれ、その腕の中で踊ることができるのか、とな。」

 イズナはフェリエスの意外な言葉に、どう応じたものか逡巡した。

 一年の留学に応じてナイアデス皇国で過ごしているアルクメーネの監視役として、この半年近く、常に行動を共にしている。

 だが、舞踏会に行った時でも、その行動や様子にとくに突出したものを感じることはなかった。

 それどころか、アルクメーネは礼を失しない程度に様々な催しや式典には出席するが、その行動は常に控えめであり、長居をすることを嫌った。

 その為、むしろ彼の存在に誰も気がつかないのではないかと、逆の意味でイズナは心配しているほどだったからだ。

「己の存在を知られることを望んでおられない様子の為、少し意外でした」

「その幻の貴公子の噂が、逆に乙女たちの心に火をつけたらしい」

 イズナは、フェリエスの言いたいことを察したように笑った。

「陛下がお妃様を娶られて、失ってしまった恋の相手を……と、いうところですか」

 イズナの言葉に、フェリエスが朝の日差しをうけてほほ笑む。

 フェリエスが結婚して以後、開催される宮廷舞踏会は変わらないものの、やや精彩を欠いていたことは否めなかった。

 美しい似合いの皇帝夫妻を一目見ようと訪れる人々は日を増すごとに増えてはいるが、社交界の華ともいうべき貴族の娘たちが病気などを理由に舞踏会を欠席することが、目に見えて多くなっていたからだ。

「では、アルクメーネ皇太子に舞踏会で姫君や令嬢たちの相手をしろといわれるのですか? しかし、それでは目立ち過ぎてしまい、やがてノストール王国の皇太子だということが知られてしまう恐れが……」

 普段よりもややむきになっているイズナを見つめながらフェリエスは、片目を閉じて悪戯っ子のような表情で笑いかける。

「だから、昔やったあれをやろう」

 幼なじみの謎掛けに、イズナはフェリエスの言わんとすることを頭の中で巡らせる。

「あれ?」

「そう、お前とオルローが私の誕生日に行ってくれた、あれを」

「ああ!」

 イズナは、フェリエスの提案に思わず破顔した。

「仮面舞踏会か」

 フェリエスが十五の誕生式を迎えたとき、イズナとオルローはその贈り物として「仮面舞踏会」を開催したことがあった。

 それは、夜ごとの舞踏会であまりに皇太子を射止めようと、下心をむき出して競い合う貴族の娘たちや、他国の姫君の着飾りすました姿に辟易したフェリエスが嫌気をさして「自分が皇太子でなければ、近寄りもしないくせに」とイズナとオルローに言い放ったのがきっかけだった。

 フェリエスの言葉が正しいか、ただの思い込みかを論じていた二人は、ならば身分を隠した舞踏会を行えばいいと、賭けをすることを思いついたのだ。

 結果は、「身分がなくては女は近寄らない」というフェリエス自身を裏切り、気がつけば舞踏会で淑女たちの一番の関心を集めたのはフェリエスだった。

「女というものは、恐ろしいな。殿下は皇太子でなくても、女には不自由しないということが今宵証明されてしまった」

 翌日、自分たちの計画が功を奏し、フェリエスから賭け金を手に入れたことに満足して喜んでいるイズナの横で、仮面を付けていながらあっけなくリンドに見つかり、ほぼ一晩中踊りの相手を努めさせられたオルローは、「まったくだ」とうらめしそうに二人を見てため息をついたものだった。

 その後、オリシエ王がなくなるまでの三年間、三人は機会を見つけては「仮面舞踏会」を開催し、令嬢たちの間で囁かれる自分たちの噂を耳にしては楽しんだ。

 イズナは、フェリエスの『仮面舞踏会』という一言でなつかしい十代の青春の日々を思い返していた。

「な、やろう。あれなら正体を明かすことなく、姫君たちも舞踏会に訪れるだろう。『仮面舞踏会』に出席すれば、他の舞踏会を断ることもできなくなる。主催は館の主の名。だが、実は噂の貴公子の主催だと風の噂にのせれば、なおさらいい」

 肩を軽く叩き、笑いかけるフェリエスから、以前と変わらぬ友情が伝わってくるのを感じて、イズナもまたうなずいていた。  

  

「仮面舞踏会ですか?」

 遠乗りの支度を整え現れたアルクメーネは、馬の手綱を従者から受け取ると、隣で馬首を並べたイズナからフェリエスが計画した舞踏会の話を聞き、静かにそうつぶやいた。

 遠乗りの為にイズナがアルクメーネを迎えに来たのだ。

「明日後、謎の貴族の主催で行う、ということになっています。アルクメーネには、その主人として参加してもらうことになりました」

 イズナの言葉には、舞踏会から抜け出すことはできないという意味が含まれていた。

 どういう反応を見せるだろうかと期待していたのだが、イズナの予想に反して、アルクメーネは特にそのことを問うこともせずに、馬に騎乗する。

「でしたら、明後日には戻って来れる村まで案内願います」

「大丈夫だ。先方の領主には知らせてある」

 友人の口調でそう応えると、アルクメーネは少し嬉しそうに笑みを浮べる。

――護衛兼監視役なのは重々承知しています。ですが、一年の期限付きの友人として過ごすのも悪くはないでしょう? あまり無口な護衛役が傍にいると逃げ出したくなってしまう。

 美しい顔立ちに温かそうな微笑みが浮かぶ。

 思わず一瞬見とれてしまい、それを咳払いでごまかした。

 王が亡くなり、世継ぎの兄が不在の中で、すべての代行を成し遂げた人物と聞いていた。

 会う前までは、豪腕な人物像を描いていたのだが、実際にアルクメーネに会うとそれとはあまりにかけ離れていたのだ。

 豪腕との噂は作り上げられたものでは、と。

 「平和な小国で穏やかに国民に愛されて育った美しい王子様」、それが正直初対面の印象だった。

 イズナに見せるアルクメーネの表情は、大国の貴族と比べるとあまりに穏やかで、素直で、穢れていなかった。

 自分が庇護しなければ、あっと言う間に欲深い人間達に食いものにされてしまいかねない弱い存在に思えたのだ。

 けれど、日を追うごとにそれが間違いをあることを知ることになる。

 この遠乗りもアルクメーネの素顔を知る機会のひとつだった。

「出発するぞ」

 イズナは、恒例となったアルクメーネの国巡りの案内人としての役目を果たすべく、部下に命じて先導の馬を前に走らせる。

「向うのはハイド領。織物が主産業のヤタ村をお見せする」

「わかった」

 仮面舞踏会の話など嫌がるのではないかと暗に思っていたのだ。

 だが、いつもと変わらぬアルクメーネの様子に、イズナは何故か安心し、また何故か不安になる自分の奇妙な心を感じていた。

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