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第4章〈侵略〉-3-

 消火作業が始まって数日後、シャンバリア村でたった一人だけ生き残ったという少年は、城の離れにある小部屋を与えられた。

 山火事の消火がすみ、詳しい話が聞けるようになるまでは、侍女が看護につき心身ともに癒すようにとカルザキア王が命じたのだ。

 城も町もそして近隣の村々も、多くの男たちが山火事の消火に昼夜交替制で駆り出される日々がいやおうなく続いた。

 そんな中、消火活動の手伝いに参加することもできず、兄弟の中でたった一人だけ城の留守を言いつけられていた幼いルナは、その少年のうわさを耳にした。

(どんな子だろう)

 興味をひかれ、ルナたちの居住部からは少し離れた中庭の向こう側にある、侍女たちが寝泊まりする棟にやってきたのだ。

 少年がいると聞いた一階の小部屋をみつけると、ルナは周囲に人がいないのを確認して忍び寄った。

 背伸びをしながら、そっと窓の枠に手をかけて部屋をのぞき込むと、ベッドの上にルナと同じくらいの子供の姿があった。

 少年は、部屋の奥の寝台の上で仰向けになったまま、ただ天井の一点だけをじっと見つめ続けていた。

(どうしたんだろ……)

 声をかけよう思って来たのだが、身じろぎひとつせずに目を見開いている少年を覗いているうちに、何か来てはいけない場所に来たような気分に襲われていく。

 そんな理由のわからない感情に戸惑い、立ち去ろうとルナが窓枠から手をはなしかけた時、少年の瞳だけが動き、窓の外にいるルナをみつめた。

「あ……」

 ルナはあわててぎこちない笑顔をつくる。

 少年は無表情のまま、ゆっくりと上半身を起し、ベッドから起き上がると、ルナのいる窓に近づいてきた。

「ごめんね。その……元気かなって……」

 困ったように、言い訳をするルナを窓越しに見下ろしていた少年は、窓の取っ手に手をかけて扉を静かに開くと、感情のない声でつぶやいた。

「……見つけた」

「え?」

 自分に向けられた冷たい栗色の瞳に、ルナは一瞬、背中を向けて逃げ出したくなる衝動に駆られる。

「なに?」

「僕の……返して」

「……」

 少年の言葉に、ルナの体が後ろへ一歩下がろうとした時、少年の体が窓枠に上半身を乗り出してルナの左腕をきつく掴んだ。

「返せ!」

 それは、動物のような低いうなり声のようにも聞こえた。

「返せ! 返せ! 返せ!」

「はなしてよ」

 ルナが必死になって手を振りほどこうとするが、少年の手はゆるむどころか、徐々に強い力がくわえられていく。

「はなして……」

 ルナが必死にもがいて、もう一方の手で引きはがそうとするが、びくともしない。

 逆に体が、ぐいぐいと窓枠に引き寄せられていく。

「はなせよ!」

 ルナの口から期せずして大声が放たれた。

 少年の目が、意外そうに見開かれる。

「どうして……逃げようとするんだ? 会いにきたんだろう?」

 ルナの全身が総毛立った。

 頭の中の暗闇の部分で、危険を知らせる信号が点滅した。

 理由はわからなかった。だが、興味深そうにルナを見つめ続ける、無表情の中の妖しく輝く瞳に、何かが変だと警戒を起こさせる。

「逃げる必要はないだろう。もっと、話をしようよ……」

 声が、楽しそうに笑いかける。だが、無表情のままの顔がルナに不気味さをより強く感じさせる。

 ルナはその問いかけには答えずに、少年をにらみつけ大声で叫んだ。

「いやだ! はなせよ!」

「会いに来たんだろう?」

 表情のない少年の口から、楽しくてしかたないといった笑い声がもれる。

「もういい! いやだ! 助けて!」

 ルナの声が大声から悲鳴に変化した時、突然、大きな影があらわれ、二つの影を一瞬にして引き離した。

 その反動で、ルナの体が勢い余って後ろに倒れそうになるのを、影がすばやく背後に回ってささえる。

『ルナ様、おけがはございませんか?』

「リューザ……」

 ルナの背後には、日差しに透けて見える体をもった大鳳がいた。

 猛禽類と酷似した大人ほどの大きさを持つ鋭い眼光の美しい鳥の姿をしたルナの守護妖獣リューザだった。

 守護妖獣とは王家の一人一人を護るための最強の護衛として従う妖精獣で、王直系の一員は誕生の時、占術士や魔道士たちからの《祝福》をうけ守護妖獣の主人となる。

 どの妖精や妖獣が守護者となるかは、その主人の人格や魂によって様々であり、通常は主以外にはその姿を見せることはない。常にそばに従い、守り、主人の呼び出しとその危機に応じて出現をする。

 ルナの守護妖獣リューザは、妖獣の中でもめずらしい透明な妖獣であるという話をアンナの一族から聞いたことがある。

 だが、その能力はルナ自身にも、そしてリューザ自身にもまだわかってはいない。

 王家の守護妖獣の中でも、比較的ルナが良く知っているのは、すぐ上の兄三男クロトの守護妖獣ダイキで黒い馬の姿をしており、クロトの命令でよくルナを背中に乗せてくれた。

 次兄アルクメーネの守護妖獣カイチは白い山羊の姿をしている。賢者のようになんでもよく知っていてルナに様々な話をしてくれるる。

 長兄であるテセウスの守護妖獣ザークスはめったに姿を見せることはない。

「……帰る…」

 少年は突然の守護妖獣の出現に驚いたのか、それ以上は何もせずに、ただ走り去っていくルナの後ろ姿をじっと見つめていた。




 ルナはその日から、二度と少年の部屋に近づこうとしなかった。

 けれど、あの時の少年の言葉がなぜか心に焼きつき、耳から放れなかった。

『……見つけた』

 無表情な顔。

『僕の……返して』

 焦点を結んでいない瞳の奥の妖しい輝き。

『どうして……逃げようとするの? 会いにきたんだろう?』

 そして、大人びた、からうような笑い声。

 恐怖心――。

 それは、ルナが初めて知った感覚だった。

 いつも、必ずだれかに守られてきた。

 両親や、兄たち。そしてリューザにも。

 だが、体の芯から冷たくなっていくような感覚から、自分の心を守るにはどうしたらいいのか、ルナにはわからなかった。

 頼りになる大好きな三人の兄たちは、いま山火事の消火に追われていて、とても話ができる様子ではなかった。

 ルナが相談をすれば兄たちは時間を割いてでもつきあってくれることはわかっていた。

 だが、自分のわがままで邪魔をしてはいけないときがあることを、ルナは学んでいた。




 ルナはその夜からひどい悪夢にうなされた。

――返せ……僕に返すんだ。ここは……

 黒い闇の中で、見えない影がルナを崖から海へ突き落とそうと、じりじりと近づいてくる。

 それは、子供の影。

(誰? 誰なの?)

 影の巨大な力に抵抗できず、徐々に後ずさるしかないルナは、必死になって目の前のその人影の顔を見ようとする。

 近づく影。

 ふいに深く悲しげな瞳をした少年の、感情のない顔が浮かぶ。

 しかし、それは一瞬のことで、すぐにすべては闇に溶け込んで影の動きをとらえることはできない。

――返せ……僕の……を………奪った……。

「違う。僕は…僕は………まって…」

――返せ……そして……お前なんか死んでしまえばいいんだ……

「待って!」

――死ね……! 

 見えない手が、ルナを思い切り突き飛ばした。

 ルナの体が宙に投げ出され、闇の中に落下していく。

「助けて―!!」

 声にならない悲鳴と共に、ルナは目を覚ました。

 ルナは、目の前で自分を見下ろしている母ラマイネ王妃の心配そうな顔を見ても、何が起こったのかわからないままキョロキョロと視線をさまよわせていた。

『ルナ様、大丈夫ですか?』

 ラマイネ王妃が背中をそっと支えながら、ルナの上半身を抱き起こす。

 ぼうっとした表情のまま、全身に汗をびっしょりとかき、ハアハアと荒い息をしているベッドの上のルナは、まだ夢と現実の境界線がついていないようだった。

 それでも時間がたつにつれて、自分が夢の中にいたこと、母の寝室で寝ていたことを思い出した。

『どうしました? こわい夢を見たのですか?』

 ラマイネ王妃の横で、王妃の守護妖獣ティアドッグのネフタンが静かに問いかける。

 ルナは母とネフタンを交互に見つめると、おびえたような瞳でうなずいた。

 ティアドッグは真っ白な長い体毛をもった賢くおとなしい守護妖獣で、特にネフタンは言葉の話せなくなったラマイネ王妃のかわりに王妃の思考を読み取り、必要な言葉だけを他者に伝える役目を果たしていた。

 もちろん、それを行うのは王妃の意志が決めることであり、ネフタン自身が王妃以外の者に姿を見せることは他の守護妖獣同様、親族以外には稀なことなのだ。

 ルナは、シャンバリア村の少年と出会ってからこの三日間、ひどい悪夢にうなされ続けていた。そして四日目の今日は、一人で眠ることさえこわくなり、ラマイネ王妃のベッドにもぐりこんだのだ。

「ルナ……ここにいちゃいけないの?」

「?」

 唐突な言葉に、ラマイネ王妃は首をかしげた。

「……夢でね……死ねって……言うの」

 ルナの緑色の大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。不安に揺れる瞳は、助けを求めるように母だけを見つめる。

 王妃の瞳が驚いたように見開かれ、心配そうにルナをのぞき込む。

『誰が、そんなひどいことを?』

「え……」

 ルナは、言いかけて唇をかんだまま、うつむいた。

 なぜだかルナは、あの少年だと言えなかった。

 あの出来事の後、ルナは侍女頭のセレナに少年のことを聞いたのだった。

 するとセレナはため息をつきながら、ルナに言ったのだ。

『あの少年は家族も村の人々や友達が殺されてしまい、たった一人ぼっちになってしまったかわいそうな子供なのですよ。きっと今は周りの誰も信じられないくらい心が深く傷ついているようです。あんな暗い目をした子供を見たことがありません』と。

 それを聞いてしまって以来、ルナは少年のことを悪く言ってはいけないような気がしてしまったのだ。

 ルナが黙りこんでしまったので、ラマイネ王妃はその幼い体を優しく抱き締めて頬にキスをした。

「母上……」

――あなたが眠るまで、こうしていてあげますよ。

 ネフタンが伝えなくても、母の言葉はルナの震える心に、あたたかなスープのように染み込み、痛みをやわらげていく。

 だが、そのやわらかな胸に顔をうずめ、しがみつきながらも、ルナは見えない視線がじっと自分を見つめているような気がしてならなかった。




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