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第13章〈警鐘〉-9-

『覚えていないのですか? だって、あなたたちは一番下の王子様と同じ年の少年たちを大勢連れて、山を出たんじゃ……』

 人々が寝静まった真夜中。

 屋敷の寝室で、テセウスは眠れない時間をすごしていた。

 リリーというアンナの女性の言葉が、耳朶に焼き付きはなれないのだ。

 あの時は、強く否定したもののそれは、まるで自分がその話から逃れようとしているかのようだった。

(エーツ山脈の中での記憶が……あまりにもぼやけている。国を出るときはどうだっただろうか……)

 時間をさかのぼろうと試みるが、人々の歓声や笑顔、父王と弟王子たちの顔しか浮かんでこない。 

 けれど、繰り返し自分を襲う悪夢はあのエーツ山脈の山越えの時のものに間違いはなかった。

 いつも吹雪の中で、テセウスは叫びつづけ、自分の声で目を覚ましたことも幾度もあった。

 息苦しさにベッドから起き上がると、水差しから水をグラスにつぎ、そのままガウンを羽織って窓辺に近づく。

 銀色の三日月が地上に近い場所で輝いていた。

 その光が残る闇の輪郭をうっすらと感じさせる。

 グラスに注いだ水をすべて飲み干すと、静かなため息を吐き出しながらテセウスは地上に視線を落とした。

 が、そこにいたあるものの姿を見てはっとした。

(ザークス……!)

 屋敷の門の前に、赤く輝く瞳だけを浮かび上がらせたテセウスの守護妖獣の姿があった。

 それは、テセウスに外へ出てくるようにと呼んでいるように見える。

「あの子がいるのか……?」

 テセウスの脳裏に咄嗟に浮かんだのは、砂漠で出会った少女のことだった。

 あの夜も、ザークスは何も言わずにテセウスを導いた。

 そして出会ったあの少女からノストール、ラウ王家の継承の証である《アルディナの指輪》を受け取ったのだ。

 テセウスは急いで着替えると、警護の兵の目を盗んで屋敷を抜け出した。

 厳重に警備をしているはずの部下達の姿が見当たらないのもこの時は気にならなかった。

 もう一度あの少女に会いたいという気持ちと、銀色の指輪のことをたずねたいという気持ちが、テセウスをつき動かす。

 ザークスのいた場所へ行くと、馬具をつけた馬がゆっくりと姿を現した。

 「なぜ?」と、考えている余裕などなかった。

 テセウスはその馬の背に飛び乗った。

 あの時のように、はるか先に姿を現し続けるザークスのあとをひたすら追う。

 奇妙な既視感が全身にまといつく。

 砂漠の時ではないと感覚が訴える。これと似たことがずっと過去にあったのではないかと。

 誰にも見咎められず、さえぎられることなく、ただ何かを追いかけた感覚が――。

 天空にはまばゆいばかりの星が輝き、冷たい空気と土を蹴る馬の蹄の音だけが、この世の生のように響き渡る。

 星空の下を一頭の馬に乗り走り続けながら、テセウスは自分の存在の小ささを感じずにはいられなかった。

 国を離れて既に半年近くを異国で過ごしている。

 その旅の途中で父の訃報を知り、砂漠の夜に《アルディナの指輪》の半身である金の指輪を受け取った。

 そして、今日はアンナのリリーから奇妙な問いかけをされた。

――子供達はどうしたのですか?

 繰り返し、繰り返し、責めるようにその問いかけはテセウスの中で響き続ける。

 テセウスは何度も小さく頭をふってその言葉を追い出そうとした。

「子供達を連れてくることなどありえない」

 否定しても、否定しても、声は消えることはなかった。

 やがて馬は、木立の中を走り抜けた場所で急に止まった。

「?」

 テセウスが驚いて、だが目をこらしてゆっくりと周りを見渡す。

 いつの間にか町の外に出ていた。

 暗闇の為にはっきりはわからないが、周囲に木々が点在する草原だと認識する。

 草原を見渡すと、視線の先、なだらかに下る斜面の先に、闇が広がっていた。

 馬がその闇に向いゆっくりと歩き出す。

 近づくほどに、闇は小さな湖なのだということがわかってくる。

 馬上で揺られながら夜空を映し出す黒い湖面湖を見ていると、視線がある場所で止まった。

 湖のほとりに、人がいた。

 それが人だと気づいたのは、闇の中で、その人物の輪郭がうっすらと輝いているようにみえたのだ。

 既視感はますます強くなる。

 テセウスは、過去のある場所へと記憶が引き戻されて行く感覚に陥った。

 心がざわめいた。

 その人物は湖を見ていた。

 髪の長い少女のようだった。

 暗い闇の中で、一人たたずんでいる。

 いや、たたずんでいるというより、その足元はわずかに大地から離れて浮いているようにも見えた。

(人間ではないのか?)

――やっぱり、お化けなのかな?

 記憶の中で、誰かの声が問いかける。

(昔……似たようなことが……?)

 テセウスは馬を降りると、一歩、二歩と、足を踏み出した。 

(そう……同じことがあった……)

 だが、思い出そうとすると霧がかかったようにすべてが遠のく。

 パキリ、と小枝を踏みつけてしまいその音が響いたとき、浮かんでいた人物の足下がゆっくりと地面に降り立った。

「ここは……?」

 長い髪の少女は我に返ったかのように自分のいる場所を見渡していた。

 どうして、自分がこの場所にいるのか驚いているようだった。

 その心の動きがテセウスには不思議とわかった。

 少女は、すぐ後ろに誰かがいる気配を察して、振り返り、声を上げそうになる。

「ひさしぶりだね。エディ」

「え……」

 叫ぶ前に、名を呼ばれてさらに驚いたのか口元を両手の指先で隠したまま、目にうっすらと涙を浮かべている。

 あまりに驚いた様子にテセウスは苦笑交じりに、エディスに笑いかけた。

「わたしはテセウスですよ。ノストール国ラウ王家の王子の……」

 からかい半分で名乗った言葉が、いつかの同じ場面を繰り返している錯覚を呼び起こす。

「テセウス様……?」

 ようやく目の前に立っている人物がテセウスに間違いないことを知って、エディスは紫色の目を丸くした。

「あの、どうしてここに……」

「君こそ?」

「え……」

 答えに窮するエディスに、テセウスはくすくすと笑いかけた。

「また寝ぼけたのかい? これで二度目だ」

 そう言ったあと、当のテセウスの表情が凍りついた。

「二度目……?」

 自分で自分に問いかける。 

「テセウス様?」

 テセウスの様子に、今度はエディスのほうが心配そうに近づき顔を見つめる。

「エディスは……二度目なのか? いや……その……前にも……いまと同じことが?」

 エディスは、テセウスの問いかけに嬉しそうにうなずいた。

「はい。忘れはいたしません。テセウス様方と初めてお会いした夜は、私が初めてノストールに行った時で、月がとても美しい夜でしたもの。大切な思い出です」

「そうなのか……。それで、エディはどうしてここにいるんだ? サーザキアたちも一緒に来ているんだろう?」

 テセウスは自分が何を言っているのだろうと、思わず喉元に手をおいた。

 話を逸らそうとする自分の奇妙な心に疑問がわく。

「長はここにはいらっしゃいません。私は他の二人と共に〈星守りの旅〉の途中です」

「ああ、エディスは十三歳になったんだね。そういえば今日、〈星守りの旅〉をしている別のアンナの女性にあったよ。名はリリー、ジーシュの一族と名乗っていた」

 その名を口にした瞬間、リリーの責めるような声がよみがえる。

――覚えていないのですか?

 直後、吹雪の中で叫び続ける自分の声を聞いたような気がした。

「……」

 大勢の子供たちの瞳が嬉しそうに誇らしげに、そして自分を尊ぶように見つめている場面がよぎる。

(いや、そんなことはありえない)

「ありえない……」

「テセウス様……!」

 ぐらり、と体が傾くのをエディスが支える。

「エディ……」

 テセウスは、エディスの小さな両肩にすがるように手をおいた。

「私はどうかしてしまっている……父が死んだという報を受けても、国に帰ろうとせず。前へ進むことしか考えなかった。砂漠で銀色の髪をした少女から《アルディナの指輪》を受け取るまで、どうしてだろう、父の死さえ忘れかけていた。毎晩ひどい悪夢にうなされるのに、夢の内容も思い出せない……」

 自分よりも年下のアンナの少女に、訴えるようにテセウスは苦しげな声で続けた。

 やはり、まえにもこうしてエディスにだけ、自分一人の心におさえておけない思いを聞いてもらったことがあるのだという感覚がよみがえってくる。

 だが、どうしても思い出せない。

「いまも……自分で知らない間に、本当に聞かなくてはいけないことから逃げようとしている。この指輪を受け取る前は……それを考えることすらできなかった」

「テセウス様……」

 エディスは悲しげな瞳でじっとテセウスの瞳を見つめていた。

 その視線が夜空の月を見上げ、再びテセウスに戻った。

「きっと……すべて思い出せます。ただ……」

「ただ?」

 エディスの小さな口元が、きゅっと固く結ばれるのを見て、テセウスは目で続きを促した。

「思い出した時、お辛くなった時、その先にあるものを見つめる努力をしてください」 

 エディスはサーザキアがいつも言っている言葉を思い出しながら、胸元に両手をあてて、ゆっくりと言葉を綴る。

「逃げることなく、自分のいま行わなければいけないことを、お苦しくても見つけてください。陛下が、お父上様がそうしてこられたように。テセウス様が、今までそうして来られたように」

 エディスは、二人にささやきかけるように吹き抜ける風が、少しでもテセウスの悩みを軽くしてくれたならと祈るような思いで語る。

「大丈夫です。テセウス様にはそのお力がありますもの」

 エディスのあたたかい言葉が染み込んでいく。

 固く凍りついた心の一部を包み込み、全身に染み渡っていくような安らぎがテセウスの心を満たしていく。

 テセウスはゆっくりとうなずいた。

「エディは覚えているんだろう? どんなことがその時にあったのか」

「でも、わたしの思い出とテセウス様の思い出は、一緒ですけど、違いますから」

「違う?」

 テセウスはエディスの肩からゆっくりと手を離すと、困ったようにエディスの見ていた月をみつめた。

「はい。テセウス様の思い出は、テセウス様のものですから」

「エディのとは違う、と?」

「はい」

 紫の瞳はまっすぐに、テセウスの瞳を貫くように見つめる。

「同じ場所にいても、同じものを見ても。同じ記憶ではありません」

「記憶……」

「そして、それはどなたも奪うことも、消し去ることもできません」

「奪えない?」

 なぜエディスがそうした話をするのか、奇妙に思える。

 エディスが知っていることを、ただ、教えてほしいだけなのだ。

「テセウス様のお心に刻み込まれた思い出は、例え思い出せない出来事があったとしても無くなりはしません。テセウス様だけのものです」

「私だけの?」

「はい。良いことも、お辛いことも、お心と共にある、テセウス様だけの記憶です」

 エディスの凛とした声が、その言葉が、一瞬にしてテセウスのなかの何かを断ち切った。

「……!」

 同時に、それは恐ろしい記憶の蘇生の波となって、テセウスに襲いかかった。

 突然、崩れるようにその場に膝をつき、前のめりに倒れるそうになるのをエディスが支える。

「テセウス様? ご気分が?」

「エディ……」

 テセウスは口元を固く握りしめた拳で押さえつけていたが、やがてその唇から押さえ切れぬ慟哭と、嗚咽とが漏れだした。

「わたしは……」

 その青ざめた顔に悔恨と悲しみと苦痛が沸き上がる 唇がわななき絞るような言葉が喉の奥から漏れた。

「わたしは……子供たちを……雪山で見捨てて来てしまった……」

 そう言葉にすると、テセウスは拳を激しく地面に打ちつけたまま固く目を閉ざした。

 その瞼からは、とめどもなく涙があふれ、地面へと吸い込まれていく。

 エディスはそのテセウスの傷ついた拳に、そっと自分の小さな手を重ねた。

 そして、テセウスの背後に青い瞳を宿した妖獣がいるのに気がつく。

「うん……」

 エディスは、テセウスの守護妖獣ザークスにうなずいて見せ、その背にそっと手をふれた。

 テセウスは夜な夜なうなされる悪夢の正体を思い出した。

 子供たちのけなげな笑顔、送り出す家族たちの心配そうな、それでいて誇りにみちた表情を。

 けっして泣くこともせずに、雪をかき分けエーツ山脈を幼い体で必死に歩いていた子供たちの姿を。

 テセウスは、子供たちの姿を吹雪の中見失ったという報告に、子供たちを見失った場所まで引き返そうとした。

 見つけられなくては、このまま前へ進む訳には行かなかった。

 元気な少年たちの顔を思いだし、自分だけでもと周囲の反対を振り切り、吹雪の中、飛び出そうとしたはずだった。

 だが、いまその少年たちはどこにもいない。

 エディスと、守護妖獣の瞳に見守られながら、テセウスは苦悩の渦の中で突きつけられた真実から目をそらしたかった。

 だが、逃げてはいけないと言ったエディスの言葉にしがみつく。

 「忘れてしまったほうが楽なのに」「忘れていいんだよ」と、囁き続ける甘美な声とに葛藤しながら、戦い続けた。

 長い夜が過ぎて行く。

 空が明け始めるころ、テセウスはエディスと共に湖を静かに見つめていた。

 その表情は、昨日までの穏やかな瞳の青年から、苦悩を瞳に宿す厳しい男性のものに変わっている。

(取り返しのつかない残酷なことを……非道なことを……私はしてしまった)

 だが、テセウスはおぼろげに感じていた。

 取り戻したのは、失った記憶のほんの一部に過ぎないということを。


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