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第13章〈警鐘〉-7-

「アンナ……ですね」

 思いがけない相手の穏やかな口調に好意的なものを感じて、エリルの限界に達していた緊張の糸がほどけそうになる。

 テラスにいた人物は、窓際におかれた燭台の蝋燭に火を灯した。

 部屋に小さな明かりがともり、そこに立つ人物をほのかに浮かび上がらせる。

 穏やかな瞳をした青年が、そこにいた。

「驚かせてしまいましたか。月がきれいなので、部屋の明かりを消して見ていたのです。あなたはどのアンナの一族ですか?長の名は?」

 声の主は落ち着いた口調でエリルに話しかけた。

 アンナのことをよく知っている人物の言葉だった。

「わ、わたしは……」

 エリルは名を告げようとして、再びためらった。

 ガーゼフが近くにいる以上、自分の正体を気づかれるような真似だけはしたくなかった。

「リリー……」

 エリルは緊張でかすれた自分の声に、落ち着けと言いきかせる。

「リリー・ド・リア・アンナと申します。一族の長の名はジーシュ・ド・リア・アンナ。大地をことほぐ一族です」

 咄嗟に出たのは、リア・アンナたちと一緒に過ごした時、仲良くなった少女の名前だった。

「大地をことほぐ……。ああ、王家にではなく、自然と大地のあらゆるもののために、その息吹を人々に語り継ぐ一族がいると聞いたことがあります」

 目の前の青年は、エリルよりもやや年上のように見えるのだが、その物腰からはるかに大人びた印象を受ける。

「そのアンナの女性が一人……ですか? ほかにもだれか一緒に?」

「いいえ……あの……私は〈星守りの旅〉り途中ですので」

 〈星守りの旅〉のことはアンナたちからよく聞かされていたので、とにかく、この場をやりすごすために何でも言ってしまえという思いで、その言葉を口にしたのだ。

「一人で……?」

 その人物は、やや不思議そうな表情をしたが、部屋の長椅子を手で示しエリルに座るようにすすめた。

 自分は月が見えるテラスの窓際に手をかけたまま立っている。

「あの……あなたは……?」

 エリルは、長椅子には座らずその背もたれに手を置いて正面に立つ青年を見つめた。

 アンナをよく知っているこの人物は何者なのだろうと純粋に興味がわいたのだ。

 アンナはふつう、ひどく近寄りがたい存在として扱われる。

――天の声を聞く者。人の心を見抜く者。未来(さき)を見る者。

 畏怖心をもたれ、警戒されることはあっても、このように初対面から親しく語りかけてくることはまずないといってよかった。

「わたしはノストールから来ている者です。下があまりにも賑やかだったので、少しゆっくりと月を見たくなって上に上がってきました。あなたも同じですか?」

「え、いや、その……」

 うす暗くてよくわからないが、衣裳は簡素ではあるが高価な生地で仕立てられているように見えた。

 また、この集まりに招かれているとのだから、将軍以上の人物なのだろうと推測できる。

 相手はアンナであるエリルを怪しんでいない。ならば、と、エリルはこの機会をのがす手はないことに気がついた。

「ノストール……あの、険しいエーツ山脈を越えていらしたんですよね」

 思いきって聞いてみようと心に決める。

 脳裏には、忌まわしい場面が浮びあがる。

 エーツ山脈の吹雪の中、崖から次々と転落して行く幼い少年たちの姿。

 それを見つめる少年の妖しい笑み……。

「ええ、山越えは大変なことです。わたしたちにはあの山をよく知っていますから、危険を回避するためにいろいろな工夫をしています……」

「子供たちのことをお聞きしたくて……」

「子供たち?」

 子供たちをどうしておいて来たのか、どうして探さずに山を越えてしまったのか聞こうとした瞬間、ナーラガージュの杖が震えた。

 エリルは開けていた唇を閉じ、言葉を飲み込んだ。

 口にしてはいけないと、杖が警告したように感じたのだ。

(でも……彼がノストールの人間なら、将校なら、ジーンの兄やランレイのことを知っている人を見つけ出せるはずだ。それを聞ける絶好の機会なのに……)

 エリルはゆっくりと息を吐き出し、言葉を慎重に選びながら再び口を開いた。

「ある……噂を耳にしたのです。あなたがたノストール軍とともにエーツ山脈を越えて来たという少年たちの噂を……。行軍の途中の山の中で、吹雪に遭ってはぐれた少年が、ノストール軍を探しているらしいと……。そして、軍にいる兄を追いかけてきた別の少年がいることを」

「…………」

 青年は、エリルの言葉にじっと耳を傾けていたが、途中からあきらかに不思議そうな表情を浮かべた。

「私たちが子供を連れて山を越えた? そんな噂があるのか? 今回の援軍に子供は連れて来てはいない。その噂は間違いです。なぜそんな噂が……」

「え……?」

 今度はエリルが驚く番だった。

 しかし、その青年は別になにかやましいことを隠しているといった様子は見られない。

 むしろ、エリルの言葉に困惑している様子さえうかがえる。

「そんな……覚えていないのですか……? だって、あなたたちは一番下の王子様と同じ年の少年たちを大勢連れて国を出たんじゃ……」

 エリルは、ジーンやランレイ、そして死んで行った子供達の姿を思い浮かべながら、気分が悪くなりそうだった。

「どういうことだ?」

 突然、部屋続きの隣の部屋の扉が開いた。

「……!」

 エリルは隣の部屋に人がいたことに驚き思わず息を飲み込んだ。

 だが目の前に現れたのが、ジーンと変わらない年頃の少年であることに気づいて胸をなでおろす。

 少年は背後にいる複数の大人たちに、待つようにと短く命じてエリルを見上げた。

 エリルは凍りついた。

 あの豪雪の中で崖から落ちて行く少年たちを笑いながら見ていた馬上の少年の顔が、目の前にあった。

 似ているとか、酷似しているとか、そのような次元ではなかった。

 あの少年冷酷な笑みをたたえて、崖下へ落ちていく子供達を冷徹に見下ろしていたあの子供だった。

「……」

 軽い痺れと、自分を包み込んでいくような息苦しい空気、、頭が締め付けられそうになってエリルはナーラガージュの杖を握り締めた。

 エリルの体を圧迫するような奇妙な力が部屋の中に流れ込んでいるのが感じられる。

「いまの話は……本当か?」

 高圧的な言葉が向けられる。

 とても強い瞳だとエリルは思った。

 しかも、その瞳を見つめた時、エリルは頭の中の自分がかき消え、すべての記憶が真っ白になっていくような錯覚と衝撃に見舞われた。

(この力は……?)

「その噂は本当なのか?」

 たたみかけるように問われて、エリルは自分の意志とは関係なくうなずいていた。

「本当です」

 心なしか少年はひどく動揺し、そしていらだっているように見えた。

 それを見ているエリルの意識は朦朧としはじめていた。

 頭の芯がくらくらとし、立っていることがひどく辛くなっていく。

 少年が口を開いた。

「わたしはノストール、ラウ王家の王子アウシュダール。わたしが問う。その噂はどこで広がっている? どのような噂なのだ。申してみよ。 アンナはノストールの王家の問いに答えるのがつとめ。答えよ」

――『答えよ』

 エリルの意識に、アウシュダールの声とは別のもう一つの声が重なり、直接響く。

(なに……?)

 眠りに誘うような甘美な心地良いしびれが頭の中に広がり、考えることを放棄したくなる。

 その一方で眠ってはいけないと懸命に警告をする自分の声が邪魔をしていた。

 ナーラガージュの杖に両手をあずけ、重く閉じそうになる瞼を必死で見開く。

(なにが……起きて……)

 自分の体を支え切れずに倒れそうになった時、テラスから動いた影が、その体を抱きとめた。

「大丈夫ですか? しっかりなさい」

 それはもう一人の青年のものだった。

 その声が消えそうなエリルの意識をわずかにだが、呼び覚す。

「アウシュダール、彼女はサーザキアのアンナではないのだよ」

 ノストールの王子を敬称もつけずに若者はたしなめた。

「ですが……、ノストールに関する悪しき噂を看過するわけにはまいりません。それに、サーザキアの一族ではないアンナと兄上が、どうしてここで会って話をされているのですか……。アンナが招かれていることなど、わたしは聞いていません。それに、いつも申し上げていますが一人で動かれてはわたしの気が落ち着きません」

 ややすねたような口調と会話の内容から、二人が兄弟なのだと気づく。

「月を見たくなってね。彼女も、同じようにこの部屋へ来ていて出会った。それだけだよ。名前もたったいま知ったばかりだ」

 エリルは自分を支えているこの腕の持ち主がノストールの皇太子テセウスであることを悟り、偶然とはいえ、すごいことになったと消えそうになる意識に抵抗しながら、他人事のように驚いていた。

(次期国王同士の初対面がこれじゃ……さまにならないよなぁ……)

 そんな場違いなことを考えた時、ナーラガージュの杖が一瞬大きく手の中で震えた。

 エリルの意識が目を覚ましたように鮮明になる。

(ジーシュ……?)

 エリルは杖を託してくれた長の顔を思い出すと、エリルは一礼をしてテセウスの腕から身を起こし、立ち上がろうとするが、まだ体に力が入らなかった。その腕に支えられながら、片手を胸に当てて、何度も深呼吸を繰り返して息を整える。

「噂では、ノストール軍にいる兄を追いかけてこの国に旅して来たという少年と、ノストール軍と共にエーツ山脈を越える途中ではぐれたという二人の少年がいると聞きました」

「……」

 エリルは薄明かりの中、なぜかアウシュダールの顔から血の気が引いていくのをはっきりと見た。

「山ではぐれた? そんなことはありえない。だが、噂だとしてもその子供の名前は聞いたことはあるのか? 噂はどこで聞いた?」

 感情の見えない冷静な言葉の奥に、違和感があった。

――『子供の名を答えよ』

 頭の中で命じる声があった。

(ランレイのことを知りたがっているのか……?)

 エリルは、エーツ山脈の深淵でただ一人奇跡的に生き残ったランレイの顔を思い浮かべた。

 堅く閉ざした心は、まだエリルやネイにはどうすることもできないが、命を救ってくれたジーンに対してだけは、まるで親鳥を追うひなのようにいつもジーンを目で追い、離れようとしない。

 その姿が一筋の希望のようだと笑いかけるネイの言葉に、エリルがうなずいたのはついこの間のこと。

「その少年がいまどこにいるのかは知りません。ただ、二人ともノストール軍を探して後を追っているらしいと……」

「二人とも? 兄を追ってノストールからリンセンテートスに来たという子供の話が一人歩きしたのではないのか? もう一人の名は?」

「噂ですから、名前までは」

「噂はどこで耳にした?」

「それは……

「ただの流言だ」

 遮ったのはテセウスの声だった。

「リリー・アンナ。名乗るのが遅れましたが、わたしはノストールのテセウス・デ・ラウ。ラウ王家の人間です。ここにいるのは弟のアウシュダール。わたしたちは子供を連れてエーツ山脈を越えるような無謀なことはしない。アウシュダールは姿は幼いが、シルク・トトゥ神の転身人。リンセンテートスのビアン神とも言葉を交し、あの砂嵐を終らせるように導いた特別な力をもっている。アウシュダール以外の子供を連れて来るような危険な真似はしない。嘘ではありません」

 テセウスの断言する言葉に、エリルはあっけにとられた。

(知られたくないことなのか? それとも、本当に知らないとでもいうのか?)

 少年達が死んでいく残酷な光景は、夢や幻ではないはずだった。

 炭化した子供の亡骸、ネイを襲った妖獣、それらをエリルは実際に見ている。

 ノストールの子供達の死を、アウシュダールは誰よりも知っているはずなのだ

(いや……)

 アウシュダールはエリルの瞳をじっと見つめていた。

(この目は人の心に入り込む……)

 だが、その瞳から放たれる奇妙な力は、ナーラガージュの杖に守られ、心に警鐘をならすエリルの心に入り込めない。

 やがて力が及ばないことに気がついたのか、圧迫がふっと消えるのをエリルは感じた。

「リリー・アンナ。私たちは下に戻ります」

 アウシュダールの様子に気がついていないのか、テセウスはエリルが立ち上がるのに手を貸しながら、自らも立ち上がるとその手を離した。

「アウシュダールと私が姿を見せないとなると、今度は別の者が探しまわるだろうから」

 テセウスが側近達が控えている隣の部屋に行こうと促すと、アウシュダールの表情が微かにゆがんだ。

 そして、その視線は、扉が閉められるまでエリルから離れることはなかった。


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