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9ゲス

  ○


 遅れた事を詫びながら更衣室に入る。別段、誰に叱られる事も無かった。俺とはそんな扱いを受けるべき男であって、電光掲示板で応援される程の身分ではない。

 腰にタオルを巻いたところで、ノックも無しにドアが開けられた。

「よォ、やっと来たな」

 妖怪の如くぬるっと体を滑り込ませてきたのは、そう、高津だ。

「牧原からの呼び出しかい?」

「だったら何。良いからさっさと閉めろよ」

 いつものにやけ面は、ただ挨拶をしに来たのではないと物語っている。

「あれェ。何お前、今日は泳ぐの?」

「まあな」

 触発された、と言うべきだろうか。別に、好意に応えようというのではない。

 今更練習を再開したところでどうなるものでもないし。まあ少し真面目にやってみようかという気分にさせられただけだし。

 牧原のためとか、そんなんじゃないし――いいや断じてない。

 妙なわだかまりを抱いているところに、高津が擦り足で寄って来る。にょろりと体を当ててくる。

「何だよ気色悪い」

 ヒヒヒ、と笑いながらポケットをごそごそやって、何か紙切れを差し出した。

「だから何だよって」

「まァ見ろ。見りャ解るんだ見りャ」

 受け取ってみると、ノートの切れ端だった。そしてそこにはボールペンで誰かのメールアドレスが書かれている。筆跡からして高津が書いたものではない。高津の字なら判読不可能なくらい雑であるはずだ。

「何だよこれ。誰の?」

 俺が訝しむと、高津は口元を歪ませた面相で俺の肩を掴み、耳打ちする。

「そ、の、ざ、き、ひ、め、の」

 園崎姫乃――。

「園崎さんの!」

 思わず声が引っ繰り返る。頭をぺんとはたかれた。

「いきなりでっけェ声出すなよバカ。驚きすぎなんだよ」

「そ、そりゃあ、だってお前……ええ?」

 驚かないでいられるか。今、俺の手元に彼女のメールアドレスがあるのだ。あの園崎さんの連絡先なのだ。しかも高津の手によってもたらされたのだ。当然驚くに決まっているのだ。殴られたら痛いというくらい当たり前なのだ。

「ちょ、ちょちょちょちょっと待て。何でお前がメルアド知ってるんだよ。いや、て言うかこれ、園崎さんが書いたやつだろ。どういう事だよ」

 どういう事だ、本当に。

 高津はわざとらしく高笑いした。

「ハッハッハ。お前は一体何年オレと付き合ってるんだね、斉藤君よ。メルアドを聞き出すくらいオチャラカホイホイなんだぜ」

 正しくは、お茶の子さいさい。

「いや、それはお見それしましただけどな高津。それをどうして俺によこすんだ」

 すると今度は哀れむ様な目付きで俺を見る。愚問だと言わんばかりだ。

「お前に渡す為に書いてもらったからだろォ」

「はあ?」

 訳が解らない。

「斉藤。オレはいくら何でも個人情報を横流しする様なワルじゃない。横領政治家じゃないんだ。あ横領じゃねェや。ま、ちゃんと、お前が知りたがってるからって伝えた上での事だ。この意味解るかァ?」

 解らない。と答えかけたところで、解った。

 つまり――高津の手を伝っただけで、園崎さんが直接くれたのと同義なのか。

 園崎さんが俺にメールアドレスをくれたのか。

 いや。いやいや。そもそも俺は園崎さんのアドレスを知りたいなんて、高津には一言も言っていない。それはまあ出来る事なら知りたかったし、何なら飛び跳ねて喜びたいところではあるが。

 しかし。

「何だって、高津お前、こんな……」

「ご褒美だよ、ご褒美。罰ゲームをしっかりこなしてるんだ、見返りがあったって良いだろ? それにお前じゃどォせアプローチ出来ねェんだから。ま、ババアの心ってやつだ。感謝しろよなァ」

 ――感謝、ねえ。

 高津はたぶん老婆心と言いたかった。しかしその口で老婆心などと言われても、素直に受け止められない。

 とは言え――だ。

 丸文字ながら一文字一文字が丁寧に書かれていて、HSとイニシャルもあるから園崎さんの手書きに間違い無さそうである。高津は一杯でも二杯でも食わせようとしてくる気を許せない男だが、良くも悪くも全く無計画に人を騙す奴ではないし、牧原との罰ゲームを遂行中のこのタイミングで別の罠を掛けてくるとは思えない。だからこれは本物だと断定して良いだろう。

 だとしたら。

「園崎は別に嫌そうじゃなかったぜェ。脈、あるんじゃねェの」

 だとしたら尚更――これは胸が高鳴る展開だ。


 良し良し。

 部活中は気が気でなかったし終ぞ園崎さんを目で追っていたが、はやる気持ちを抑えに抑えて、やっと帰宅した。アドレスの紙片は失くさない様に財布にしまっておいたし、今もしっかりと手元にある。

 焦らず慌てず電話帳に登録し。いざ。

《お疲れ様です。斉藤です》

 送った。

 良し良し良し。我ながらそつが無い文面だ。初めてのメールとして実に簡潔で、質素でありながら上品である。正直言うと送信ボタンを押す指は震えていたが。

 そして。

《おつかれさまです! 園崎です!》

 俺は一人ガッツポーズを取った。メールの返信があっただけでこれ程喜んだのは 生まれて初めてだろう。

《いきなりごめんね。高津からどんな風に言われたか知らないけど、ビックリさせちゃったでしょ?》

 ここでちょっと牽制だ。高津に何を吹聴されたか知れない。

 送信から1分もしない内にメール着信。早い。俺はケータイに飛び付いた。

 しかし。

《部活おつかれさま。今帰りました》

 送信者を見てがっかりした。牧原だ。

 お前ではない。俺が求めているのは園崎さんなのだ。

 牧原からのメールを無視して数分後、今度こそ園崎さんからのメール。

《はい! ちょっとビックリしちゃいました! 高津先輩からは、斉藤先輩が私のアドレス知りたいけど恥ずかしがってると聞きました。全然気にしないでよかったのに(笑) せっかくですから、電話番号も交換しませんか?》

 ――はい喜んで!

 本日2度目のガッツポーズ。俺は今、世界で一番幸福な男に違い無い。


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