6ゲス
○
斉藤君、前から好きでした。付き合って下さい――。
二人きりの教室で突然そう言われた。
ダンボールに描いた切り抜き線の内側に、ハサミが食い込んでいた。
僕は戸惑った。相手はクラスで一番可愛い子だ。いや僕がそう見ていた相手だ。
まさかと思った。嘘だろうとも思った。だけど心臓は破裂しそうだった。
「ぼ僕なんかで、良ければ」
よろしくお願いします――胡座をかいたままで、不格好に頭を下げた。
本当に良いんだろうか。僕みたいな地味で不細工な男が。
「おい、由樹ィ。もう帰ろうぜェ」
突然の声にびっくりして顔を上げると、戸口に男子が立っていた。
クラスメートではない。だらしなくシャツを出した、キツネ顔の男子だった。
「あれからどォよ、サイテーくん」
そう訊かれたのは一体何度目だ。いちいちカウントしていないが、日に1度だとしたならもう10回になるだろう。どうもしねえよ、と10回も答えた事になる。
だから。つまんねェな、と言われるのも同数だろう。
「恋人なら恋人らしくしろよ。デートしたり、手ェ繋いだりィ……」
「しねえよ」
続きを言わせまいと遮った。口を突き出した顔が不愉快だ。殴りたい。
土日を挟んで今日で12日目。まだ半分にも満たない。その間、校内で話はしていない。放課後にいくらかメールのやり取りをするだけだ。登下校を共にするのもやめようという事にしたし、高津の言う様な恋人ごっこは当然していない。
「お前それってさ、付き合ってるって言えんの?」
「言えるだろ。そういう付き合い方もある」
あるはずだ。文句があるなら、期間内に最低何回デートをしろとか手を繋げとかキスとか色々――折角避けた地雷を自分で踏みに行ってしまったが、兎も角厳密にルール設定をしなかった方が悪いのだから、自分に言えという話だ。
高津はさもつまらなさそうな仏頂面をする。
「あ。ケータイ貸してくんねェ?」
「2度も同じ手食うかアホ」
ちっと舌打ちして、今度は屈み込み机に両肘を突いてくる。どこまで食い下がるつもりなのだ、このキツネの悪党は。
「なァ、デートしろよォ。土日ィ、明日か明後日ェ」
ガキが甘えた様な声を出す。気持ちが悪い。俺はすかさず嫌だと答えた。
「断んのかよォ。だったら言うぞ、園崎に」
「てめえまた脅迫かよ!」
思わず声を荒げてしまって、牧原の様子を見た。幸い聞こえなかった様だ。声のトーンを一段下げる。
「何がしたいんだよ、お前」
「斉藤オレはな、ヒヒヒ。お前の中の悪魔が見てェんだよ」
何を言っているのかさっぱり解らないが。
しかし――そういう事になってしまった。
マタニティウェアというのを知っている。去年姉が着ていたからだ。腹の辺りが緩く仕立てられている、妊婦用の洋服である。
まあ牧原のワンピース姿がそう見えたというだけの話だ。
ベージュだかクリーム色だかのワンピースは長袖で、下はジーンズ姿だ。洒落た格好とは言い難い上、靴は通学と同じ白いスニーカーである。よっぽど出掛ける事とは縁が無いらしい。それでもリボンなんかがあしらわれたハンドバッグを持っているのは、流石に女子の嗜みと言ったところだろうか。
パーカーなんぞで来た俺がひとの事を言える筋ではないのだが。
学校から2駅先のショッピングモールで待ち合わせた。約束の時間より数分早く着いてしまったが、なのに牧原は既にそこに居た。その体格はよく目立った。遠くからでもすぐ見付かる。そわそわ落ち着かない様子で、声を掛けると跳び上がって驚いた。それから、よろしくお願いします、などと言って頭を下げた。ドが付く程緊張しまくっているのは明らかだったから、そのおかげで、じゃあ行こうか、などと余裕ぶったセリフが言えたのだった。
初デート、いや希望としては最初で最後のデートは、映画館に決めた。バイトもしていない俺の財布に2人分の入場料は痛いが、手近な上お喋りをしなくて良いし歩き回る必要も無い。訊いてみると、映画はあまり観ないらしく、また映画館には入った事も殆ど無いと言う。俺の方は親父の影響で映画の知識を少しは持っているし、中学の頃までは1人で映画館に来る事もたまあった。
これがまともなデートなら一方の趣味に付き合わせるなんて落第点だろう。だがこれは普通のデートではない。罰ゲームの一環なのだ。
観るのは予め決めてある。ハリウッドのSFアクション3D映画。楽に観られて良いだろうという判断だ。恋愛映画だと変なムードになりかねないし、ホラー映画なんかは手を握られかねない。デートらしからぬ選択ではあるが、牧原は気にしていない様だった。意見や文句を言う余裕など無いのだろう。
上映時間には少し間があったので、取り敢えず売店に並ぶ。
「ポップコーン買う? 奢るよ」
牧原は両手と頭とを同時にぶんぶん振った。
「じゃあ飲み物は?」
「い、良いよ。あの、おトイレ近くなっちゃうし……」
肩を縮めて目を逸らす。もじもじと膝を擦る。残念でならなかった。
これが牧原でなかったら、仮に園崎さんなら、いわゆる萌えどころだったろう。
最終上映日間近という事もあり、館内はまあまあ空いていた。客層は家族連れやリピーターらしき男単身、または男のグループばかり。予想通りである。
内容はまあ凡作だった。爆発とスローモーション、3Dに頼った演出が続いて、ごちゃごちゃした画面構成に目が泳ぎ、無理矢理恋愛要素をねじ込んだ脚本も粗が目立った。何よりも、大音響と3Dで飛び出す爆煙や瓦礫やロボットの拳やらに、牧原がいちいちびくっと体を震わせるものだから、釣られて俺までびくびくして、妙に疲れた。
いや当の牧原の方が疲れていた訳で、館を出る時、足取りがふらついていた。
しかし開口一番、今まで聞いた事も無いくらい声を高くして。
「面白かったね!」
と言った。
まだ午後3時前。疲れもあったし、じゃあこれで、という訳にもいかないから、取り敢えずコーヒーショップに入る事にした。ここは結構混んでいたが、2人分の席は空いていた。俺はアイスカフェラテとソーセージをぐるぐる巻きにしたパンを注文し、牧原は抹茶ラテとチョコクロワッサン。憎たらしい程女子らしい選択だ。
席に着くなり、牧原は分厚い瞼を見開かせた。
「すごい面白かったね! わたし、びっくりしちゃった」
脇にパンフレットを抱えて、興奮冷めやらぬという様子で声を上げる。
「アクチュエータの駆動音が全部再現されてて! 配線が剥き出しだったり動くと火花が散るのはどうかなと思ったけど、でもすごい格好良かったよね!」
息継ぎ代わりに抹茶ラテを吸い込みながら捲し立てる。
びっくりしちゃったのはこっちの方だ。
ああ――そう言えば電子工作部だっけ。電子工作系女子にはヒットだった様だ。まさかこんなにウケるとは思いもしなかった。当初の計画では、まあうん、な感じで終わるはずだったのだが。
やはりどうも釈然としない。
がちゃがちゃ動くロボットを格好良いと言う女子というのは、どうなんだか。
意外な饒舌さに映画以上に圧倒されていると、牧原は、あ、と急に萎縮した。
「ご、ごめんなさい。何だか1人で興奮しちゃって……」
いや良いよ、と俺は返した。
「楽しめたなら、まあ」
「うん。ありがとう」
はにかんだ笑顔を見せる。
今日は良く笑う。いや、こんなにも楽しげな牧原を見るのは初めてだ。そもそも付き合い始めるまで見てすらいなかったのだけれど。
改めて正面から見るに、活き活きとした表情はブタと言うより犬っぽい。パグかフレンチブルドッグか、そういう系統だ。まあ犬の場合はブサカワが通用するが、それを人間に当てた場合は、カワの部分が欠けてブサだけが残ってしまう。
無理に良く言えば愛嬌のある顔立ち――かも知れない。
そう思わされるのは状況のせいだろう。仮にも今はデートの体なのだし、向かい合って座ってしまっているし、沢山の人目に付いている。俺と牧原の関係が他人の目にどう映っているか解ったものではない。だから、なるべく良い方に考えようという心理作用が働いているに違い無い。
体型にしてもデブではなくぽっちゃり――いややっぱりデブだ。揺るがない。
兎も角、あまり長居はしない方が良いだろう。ショッピングモールなんて場所は知り合いに出会す危険性が極めて高い。ここはさっさと食い切ってさようならするのが賢明だ。課せられたミッションは十分果たしたはずである。
と――思っていたのだが。
「あっれェ、斉藤じゃァん?」
珍妙なイントネーションの聞き慣れた声が背後からする。
振り返れば、稲荷神社が悪魔崇拝に鞍替えした様なキツネ顔。
「えェ。牧原も一緒とかァ、どういう事ォ?」
どういう事かはこっちが訊きたい。