13ゲス
○
あれは告白と受け取って宜しいだろうか。
宜しいでしょう。宜しいに決まっている。
だって、ただの善意であんなセリフは出て来ないだろう。普通は。
明るい方が良い――ここまではまあ良い。多少知った程度の仲では突っ込んだ方だとは思うが、お前くよくよしてるなよ、と言うのと同等で、あって良い。
しかし問題は次だ。
明るくしてあげたい――これはどうだ。ひとにああしろ、こうしろと喧しく言うのとは訳が違う。全然違う。犠牲的精神さえ伴っているのではないか。
これが好意からの、いや恋愛感情からのものでなければ何だと言うのか。
そうだろう。そうは思わないか。
「まァ、そうかも知んねェけどさ……」
「だろう?」
「や。それは良いんだけどさ、お前」
何でオレに電話してんの――と高津は倦怠感まる出しの声で言った。
お前以外に誰に電話するんだよ、と俺は返す。
「他に誰が居るんだよ。牧原か? 嫌だよ。嫌だよって言うか無理だろ」
「そりゃァそうだろうけどよ。お前の興奮っぷりとかダチの少なさとかは解るよ。そうじゃなくて、何で電話して来んだよって話だろォが」
いつもの巻き舌がより強い。まあちょっと苛ついているのだろう。
「それは、お前」
興奮しているからだ。こんな話を出来るのが高津くらいしか居ないからだ。
仰る通り、たったそれだけの理由だ。
電話越しに肺の中身を全部出し切った様な溜息がする。
「つまり、そのォ、あれじゃねェか。トラのタヌキのカワザンショウ」
取らぬ狸の皮算用。そォそれ、と高津は適当に言う。
「まあな。俺が心配してるのはそれなんだよ」
「心配してたのかよ」
「だからさ。どう思う?」
どう思うたってさァ、と実に、実に面倒臭そうに呟いた。
「好きなんじゃねェの」
やっぱり――やっぱり、そうなのか。
そう思ってしまって良いのか。
今度は、面倒臭ェな、とそのまま口にされた。
「まァ、良かったじゃん」
「それだけか」
「それだけだろ」
それもそうか。高津にしてみれば全く他人事なのである。メールアドレスを手に入れて来たというだけで、別に友情厚く恋の応援をしてくれたのではない。それで言える感想はそんなものだろう。
そもそも俺だって高津から祝福の言葉など期待していた訳ではない。この興奮と喜びとを誰かにぶっちゃけたかっただけなのだ。
でもさァ――遠くで指を弾く音がスピーカーから鳴った。
「牧原との事はどォすんの」
「あ」
何が、あ、なんだか――俄に冷静になって、自分に呆れた。
それは最大の問題ではないか。浮き足立つばかりにすっかり失念していた。
俺は今、牧原と交際しているのだ。都合上形式的ながらそうなっている。いや、牧原を彼女として扱おうと決めたのは俺自身なのだ。35日間、残り11日間は、形式的どころか実質的な恋人という事にしてしまったのだ。
まさかこんな事になろうとは思っていなかったばっかりに。
だから園崎と上手く行ってしまって付き合う事になってしまったなら――それは二股を掛ける事になるではないか。
と言うと、高津は大いに笑った。
「二股! お前が二股って。ウヒヒヒ! ウケんなァそれ」
ウケるウケる、と枕かクッションを叩く音がする。それ程面白い事だろうか。
「いやァ、オレァどうかと思うぞ、人道的に」
お前の様な魔窟のキツネに人道だの倫理だの説かれたくない。
とは思うのだが――ごもっともだから返す言葉も無い。
二股など最低だ。サイテー大地が更に最低さを増してゲスになる。クズ。カス。ゴミ。クソ。各種とりどりの最低さを取り揃えてもまだ足りないくらいだろう。
地の底まで堕ちる事になる。
いいや、俺だけがそうなるならまだ良い。牧原をも園崎をも傷付ける事になると解り切った、背徳行為に他ならない。
これは――絶対にしてはならない事だ。
「じゃ、ケジメ付けるしか無ェんじゃねェの」
と高津は軽く言った。
選択だ。園崎を取るか、牧原を取るか。
俺にそんな選択をするだけの資格があるとは思えないけれども、いや、そもそもはなっから選択肢など無いのだ。片やかねてから思いを寄せていた可愛い女の子、片や罰ゲームで付き合わされただけのブタである。100人に訊けば余程の変態を除いた97人くらいが同じ方に票を入れるだろう。変態は少なくない。
しかしケジメとは、そういう意味ではないのだ。
勿論小指を詰めろとか血判を捺せとか、そういう意味でもない。
牧原に別れを告げろという事だ。しっかり向き合い、お互い納得した上で、決着を付けなければならない。
――本当は罰ゲームだったんだ。
――本当は好きじゃないんだ。
――だから別れてくれ。
そう言わなければいけない。そう残酷な無残な残忍なセリフを、口にしなければいけない。俺が直接言わなければいけない。
それがケジメだ。
きっと牧原は泣くだろう。あいつはたぶん泣き虫なのだ。ちょっとした嫉妬心で泣く。そんな自分が惨めだからもっと泣く。泣いてひとを困らせたなら号泣する。そういう奴だ。
その時俺はどうする。慰めるか。胸を貸して泣きたいだけ泣かせてやるか。
そんな権利は――無い。
やっぱり選択肢は1つきりだった。
俺は悪人になる。悪人になるしか無い。
電話をしよう。そう決めた。電話口でなら、自分を偽れる気がした。
案外指は動く。人間、吹っ切ってしまうと楽なものらしい。けれど、未だにこの新しいケータイの操作には慣れなくて、着信履歴を見れば良いのに、遠回りをして電話帳から牧原の名前を探した。
登録件数は少ない。父母と姉、園崎や高津の名前がスワイプで送られていく。
漸くマ行に辿り着いて俺は――狼狽した。
牧原恭子の上に、前田由樹の名前があったからだ。
前田由樹。初めての彼女。忘れたくても忘れられない、電話帳から消したくても消せない名前。
うろたえて、折角進めた足をすくい取られた気がして、俺はケータイを置いた。
そして枕で顔を覆った。それでもまだ、頭が膨張するのを抑えるのには足りない気がして、両手で挟み込む。
サイテーだよな――と高津が言った。
「お前さァ、由樹と付き合ってただろ」
僕をトイレに連れ出して、高津が言った。僕は、ああうん、と答えた。
もう1ヶ月以上も前の事だ。急にメールをくれなくなって、こちらからメールをしても返事をくれなくなって、教室で目も合わせてくれなくなって、僕らの関係が無くなった――自然消滅したのは。
高津は、それまで見せた事も無い真剣な面持ちだった。いや哀れんでいる様な、怒っている様な顔だった。眉間に縦皺を刻んで、片頬を歪ませていた。
「あれさァ……お前、聞いたか?」
「何を?」
問い返すと、高津は皺を一層深くした。
「お前にコクったの、あれ」
罰ゲームだったんだってよ――。
「え?」
「罰ゲームだよ。クラスで一番嫌いな奴にコクれっていう、罰ゲーム」
「そう、だったんだ」
そうだよな――と僕は思った。
僕みたいな、地味で根暗で、勉強も運動もあんまりで、どうしようもない奴を、彼女みたいな子が好きになってくれる訳が無い。
――それはそうなんだよな。
悲しみは涌いてこなかった。怒りも特には抱かなかった。
ただ当然そうだろうと、その方が自然だと思った。
そして自分が惨めになった。
サイテーだよな、と言って、高津は僕の肩を抱いた。
「ホント、サイテーだよ。クズだ。オレはもう二度と関わらねェ」
「うん」
なァ斉藤――と低い声で言った。
「オレの友達になんねェか」
「え? だってもう、僕は君の」
友達じゃないか。そう思っていた。
そうじゃねェ、と高津は頭を振った。
「オレがお前を守ってやる。お前が二度とあんな風にされる事無い様にしてやる。オレがお前を改造してやるよ。それで見返してやるんだ、由樹とかそういう女を」 ナメられちゃなんねェ、と高津は強く言った。
「だからさ。友達になろうぜ、斉藤」