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12ゲス

  ○


「あれからどォよ」

「てめえ何回訊くんだバカヤロー」

 うんざりして言い返すと、そうじゃねェよバカヤロウ、と応酬された。

「園崎との事だよ」

 一段声を低くして囁く。ああ、と応えた時、勝手に眉根が寄るのを感じた。

「まあ、ぼちぼち。良い感じ」

 かも知れない。へええ、と化けギツネは小馬鹿にした声を上げた。

「なかなかやるじゃない。それなりに顔が良いからかねェ」

 以前は半端と言われた気がする。かつそれなりの良い顔というのは、つまり凡庸という事にならないか。まあそれは置いておくとして。

 園崎――今まさに飛び込みの姿勢を取っている彼女とは、日にいくらかメールを送り合うくらいで、あれ以降から距離が縮まった感じはしない。先日の急接近も、翌々考えてみれば園崎にとって自然な距離感になったというだけの話で、俺が変に意識しているに過ぎないのである――と、綺麗な飛び込みを見て思う。

 誰とも打ち解け合える女の子が園崎で、それに一喜一憂する愚かな男が俺、と、そういう事だろう。だから正確には、良い感じにしてもらっている、なのだ。

「じゃあ牧原とは」

「やっぱり訊くんじゃねえか。そっちもまあ、ぼちぼちだよ。上手くやってる」

 上手くやってしまっている。付かず離れず、園崎のそれとはまた違った距離感を保っている――はずだ。

 近頃はもう、上手く立ち回ろうという意識をあまり持たなくなった。そもそも、牧原って奴は奥手も奥手で、成熟する分の栄養素が殆ど全て脂肪になってしまった様な女であるから、特段気を遣うところと言えば勝手に凹んだのをなだめすかす事くらいである。

 だいぶ慣れてしまった。

 それに最近は高津のちょっかいも無く平和なものである。

 たぶん飽きたのだろう。高津というのは飽き性なのだ。

 キツネというのはきっと、ものすごく刹那的な生き物なのだ。

 で――当のキツネは、へえええ、とより一層人を馬鹿にした様な相槌を打った。

「あと何日だっけ?」

 11日だ。お前が決めたのだからそれくらい憶えておけよ、とは思うが、極めてテキトーな生態を持つ高津ギツネには無理な注文である。

 しかし、11日か。学業に追われ部活に追われ――なんて事も無いがまあ長い。そして今更に気付くのだが、その日は文化祭最終日ではないか。

「11日経ったら、お前どォすんの?」

「は?」

 どうするって、何をだ。

 牧原をだよ、と高津は顎を突き出した。顎に刺されそうである。

「別れんだろ?」

「ああ、まあ」

 ――そのつもりだ。

「どうやって?」

「どうやってって。そりゃ、まあ、悪いけど別れようって言うだろ」

「何で?」

「いやだから別れなきゃ」

「バァカ。違ェよ。これは牧原のセリフ」

 眉尻を下げてわざとらしくいかにも哀れな顔で、ねえ何で、と再び言う。たぶん牧原の真似なのだろうが、似ていない。顔の肉が薄すぎる。

 それで俺は――何も言えなかった。

 デブだから。ブスだから。オタクだから。適当な理由はいくらでも思い付くが、当を得ないと言うか何と言うか、そうではない気がする。一緒に居ても楽しくないと言う程は一緒に居ないし。ウザいと言えばウザいが、付き合い始めた男女なんてみんなウザいだろうとも思うし。誰よりもウザい高津と連んでいる俺の言って良いセリフではない訳だし。

 罰ゲームだったからと正直に言うか。いや、それは避けたい。嫌だ。

 じゃあ。

「何て言やあ良いんだよ」

「さァね。他に好きな奴が出来たから、とかァ」

 言って、視線を横に走らせる。その先には、ちょうどクロールで息継ぎした園崎の顔があった。

「園崎とはまだそんなんじゃねえよ!」

 俺は即座に返す。即座すぎて、つい本音が混じってしまった。

 まだね――高津は俺の肩に手を置いて、耳元でヒヒヒと下品な笑い声を立てた。


 そしてまた、園崎と並行して歩いている。どういう訳か、先輩今日も一緒に帰りませんか、と声を掛けられたからだ。

 高津とあんな話をした直後の出来事だから、タイミングが良い様な悪い様な。

 まともな色恋とは縁の薄いさしもの俺も、この至近距離が園崎特有の性格ゆえと解ってしまえば気楽になれる。俺にそうなら、つまり誰にでもそうなのである。

 だから、ああ良いよ、と軽く二つ返事で了解した訳だ。

 とは言え――ひょっとすると、何か思い詰めている様に見えたのかも知れない。それで気を遣わせた可能性は大いにある。

 何を考えていたかと言えば、牧原をどうするか、どう処するかという事だ。同じ煩悶を繰り返すのは馬鹿馬鹿しいと思いつつ、けれどもやっぱり、どうして別れを切り出そうかというのは最大の悩みの種だ。

 なるべく傷付けたくないと、そういう風に思い始めている。

 そもそも俺は進んでひとを傷付けて喜ぶ様な人間ではないし、そうはなれない。ただ押しに弱くて流されやすい小心者で、とてつもなく、愚かなのだ。最初っから断る勇気を持ち合わせず、そして結果を想像出来ない、馬鹿なのである。

 どうしようも無く、駄目な奴――。

「まーた考え込んでる」

 園崎に顔を覗き込まれて我に返る。咄嗟に苦笑で応えた。

 まただ。どうもこのところぼんやりしてしまい、園崎に引っ張り戻されるというシチュエーションが続いている気がする。

 文化祭前のこの時期になると、どうしても悪い気の様なものが満ちてくる。

 そして園崎には、足を絡め取る影から救い出す引力、いや魅力がある。ちょうど【蜘蛛の糸】で例えるとお釈迦様だ。とすると俺はカンダタか。

 なら最後は、己の浅ましさで糸を切り、地獄の血の池に沈む運命にある訳だ。

 ――自業自得だ。

「先輩。暗いですよ」

「あ。ごめん」

 元気出して、と背中を2度程叩かれる。何を悩んでいるか訊かないのは、優しさからか、それとも訊いたところで明確な答えが無いと見抜かれているからか。

「意外ですよ。もっと明るい人だと思ってたんだけどな。ほら高津先輩と居る事が多いじゃないですか。だからもっとはっちゃけた人かと」

「心外だなあ。はっちゃけてるのはあいつだけだろ」

 そう。俺というのは元来大人しい人間なのだ。世の中に宣戦布告してやるとか、人の頂点に立ってやろうとか、そんな野心とは全く無縁の男なのだ。したがって、友達などは極々少数で構わないし、勉強にしろ運動にしろ落第点さえ回避出来ればいや後々困らなければそれで良いと思っている。

 平々凡々として人畜無害。

 ミクロな存在なのだ。

 それを高津という奴は引っ張り回し振り回し、投げたり転がしたりして楽しんでいるのである。愉快犯だ。地獄の鬼である。

 だから一緒にしてもらっては困る。

「でも先輩。高津先輩と居る時、すごく楽しそうですよ」

 そうなのか。そうかも知れない。

 実際、今の俺があるのは高津によるところが大きいと思う。あいつが居なければ今頃どうなっていたか知れない。

 腐っていたか、死んでいたか。

「先輩は明るくしてた方が良いと思うけどな」

 そりゃそうだよな――と応えてから、胸のあたりがつっかえた。

 何だか、園崎の口振りは意味深に思えた。

 前回同様に駅前まで送り届け、それじゃあ、と自転車の向きを変えたところだ。

 園崎が俺を呼び止めた。

「先輩、私……」

「何?」

 言い淀む園崎は初めてだ。そう言える程は言葉数を重ねていないが、不似合いに思う。それに、少し眉間に皺を立てた何か迷いがある様な表情も。

 意を決したという風に息を深く吸い込んで、園崎は言った。

「私、先輩の事、明るくしてあげたいです」

「え? あ、ああ。うん。ありがとう」

 咄嗟に礼を言った。欠点を矯正してくれようと言うのだから、有り難い事だ。

 ――いや馬鹿。

「それじゃ先輩、ありがとうございました。お先に失礼します」

 園崎はいつもの朗らかな顔付きに戻って、ぺこりと頭を下げた。

 やや大股に駅の中へ消えていく。

 俺はただそれを呆然と見送った。俺の中の自分にケツを蹴っ飛ばされながら。


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