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10ゲス

  ○


 駐輪場で待つ俺は、自身のそわそわを抑えるので精一杯だった。

 今日は園崎さんと一緒に下校する約束を交わしたのだ。

 水泳部は着替える前に解散になり、女子の方が遅れて出てくるのが常だ。3年や1年の男子連中はとっくに下校したし、2年は高津の計らいで俺を残して帰った。こういう時は本当に頼りになる男だ。

「斉藤先輩!」

 漸く現れた女子の一群から、園崎さんが駆け寄って来る。臆面も無く手を振り、一直線に向かってくる姿は、眩しい。後光が差している。美術の教科書のどこかに掲載されていても何もおかしくない。

「お待たせしてすみません」

「い、いや、良いよ」

 1年から3年生まで、全ての女子部員の視線が突き刺さる。これだけ急接近したのだからそれはそうなのだが、一方の園崎さんは全く気にする素振りが無い。

 寧ろ、同じ1年生に呼ばれても。

「ごめんね、今日は斉藤先輩と帰るから」

 なんて、平然と言い放つのだ。

 ――眩しすぎるぜ。


 そんな訳で、女子の群れを遠くに見ながら、俺と園崎さんで肩を並べて歩く。

 俺は夢でも見ているのではないかと疑いたくなる。いや本当に夢かも知れない。メールのやり取りが始まった時には、これから少しずつ仲良くなっていければ良いくらいにしか思っていなかったのだ。ところが昨日の今日でもう一緒に歩いている訳だから、これは妄想以上の出来事である。

 もう死んでも良いとさえ思う。

「先輩。何か喋りましょうよ」

「あ、ああ。うん」

 しまった。浮かれるあまり現実を疎かにしていた。落ち着かなければ。

 で、何を言えば良いんだ。

「えっと、その、園崎さんは、良いの?」

「何がです?」

「いや、そりゃあさ。だって……」

 俺だぞ。

「あー、だから高津先輩が来たんですね。斉藤先輩、控えめだから」

「ご、ごめん」

 俺の横で、園崎さんはいたずらっぽくにっこり微笑んだ。やっぱり可愛い。

「でもさ、変な噂立てられたら、困るかなって……」

「私は気にしませんよ?」

 レスポンスが早い。

「噂好きな子はどんな小さな事でも大事にしちゃいますよ。そんなの放って置けば良いんです。先輩後輩とか、男子女子とか、いちいち気にしていたら何も出来なくなっちゃうじゃないですか。それに同じ水泳部ですもん。メールとか、一緒に帰るとか、普通の事だと思いますよ」

 口振りは極めて明るい。それはもう夕暮れを真っ昼間に変えてしまうくらいだ。

 男女分け隔てなく接する子だ、とは知っていた。上級生女子部員連中とも仲良くしているのを見る。でもそれは裏を返せば八方美人に見えなくもなくて、悪く思う人間は少なからず居るだろう。だが、だからこそなのだろうか、園崎さんは醜聞を真っ向から跳ね返せるだけの明るさと前向きさ、1本の筋がしっかり通った考えを持っている訳だ。

 それはものすごく、格好良いと思う。

 ――痺れるぜ。

「じゃあ、俺の方だわ。気にしてんのは。自信無えんだよ、俺」

 解り切った事ではあるのだが。園崎さんがあまりにも眩しいから、当てられて、明るく振る舞おうと思った。

 しかし強い光に照らされている分、自分の影がくっきり見えてしまう。

 自分の内側のほの暗い部分を見詰めながら、ただ喋る。

「小中までさ、いじめられてたんだよ、俺。中学の終わりに高津と知り合ってさ、まあ何と無く抜け出したけど、たぶん、本質的には何も変わってねえんだ。地味な癖に卑屈だし、何が得意でもねえし。だから」

 駄目なんだよ――園崎さんに言っているのか、自分に言っているのか、途中から解らなくなっていた。自分語りは苦手だ。

「駄目じゃないですよ」

 そう言う園崎さんの口調は強かった。振り向くと、真剣な眼差しが真っ直ぐ俺に注がれていた。また、駄目じゃないです、と強調する。

「それは先輩の良いところなんだと思います。そういう人の方が、いざという時に人の為に真剣になれたりするんです。誰よりも痛みや悲しみを解ってあげられると思うんです。それってすごい事ですよ。私はそう思います」

 つぶらな瞳が薄暗がりの中でもきらめいて、俺の目と脳とを射貫いた。

「それに自信満々だったら、私が入るゆとりが無いじゃないですか」

 そう言って、照れた笑みを浮かべる。

 ――素敵すぎるぜ、園崎。


 使い古した安物のベッドなのに、まるで雲の上に寝そべっている様な心地だ。

 電車通学の園崎を駅まで送り、また明日、と手を振り合った。明日は新人大会の予選である。園崎も俺も出場予定に無いが、応援に行く事になっている。

 しかし本当に夢心地だ。園崎との仲が1段2段、いや4段抜きくらいで、一気に深まった気がする。話し振りからするに、ひょっとすると園崎の方も以前から俺を意識していたのかも知れない。今日までは会話もあまり無かったし、そんな要素がどこにあるとは思うのだけれど、あり得ないとは思いたくなかった。

 園崎に言われた言葉を1つ1つ思い返す度に、胸が締め付けられる。

 何だか急に世界が輝き始めた気がする。ただ可愛い、憧れる、付き合えたら良いと思っていただけなのに、突然、恋愛が始まった様に思えた。

 と――ケータイが震えた。振動の仕方からして、メール着信ではない。電話だ。

 画面には牧原恭子の文字。

「はい?」

 俄然現実に引き戻されながら、電話に出る。

 ところが、さらさらというホワイトノイズが聞こえるばかりだった。

「もしもし。牧原?」

 回線は繋がっている。電波状態も悪くない。それを確かめてから、もう1度耳に当てたところで、ごめんなさい、と牧原の声がした。蚊の鳴く様なか細い声だ。

「急に電話したりして……」

「いや、別に良いよ。何?」

 応じると、また無言。一体何だと言うのか。

「何か用じゃねえの?」

 つい語気を荒くしてしまった。すると牧原は慌てた様に言う。

「う、ううん。違うの。特に用事があるんじゃないんだけど……」

 けど、何だ。焦れったい喋り方だ。あっそうじゃあ切るよ、と言いたくなるのをぐっと堪えて、続きを待った。

 深く息を吸う音。束の間の沈黙。それから。

「……わたし、斉藤君の彼女で良いのかな」

「ああ?」

不意に喉の奥からそんな声が出る。体を起こしてケータイを耳に擦り付けると、微かだが、しゃくり上げる声が聞こえた。

 泣いているのか。

「どうしてそんな事言うんだよ」

 そう言った俺の言葉は、不可解さよりも不機嫌さがにじみ出ていただろう。

 だって――と言ったきり、また暫く押し黙る。

 苛つく。

「だってじゃ解んねえよ」

「だって……わたし、こんなだから……」

 またそれか。

 いい加減にしろよと突き放したくなった。だがそうしたってこじれるだけだし、こじらせても高津の様に楽しめないし、嫌な気分になるだけだ。だから。

「そんなで何か悪いのかよ」

 俺は言った。

「俺がコクったんだぞ」

 つまり俺まで否定する事になるんだぞ。そういう意味を込めて言った。

 また暫くひっくひっくと泣きじゃくるのが聞こえたが、やがて、そうだよね、と牧原は言った。

「ごめんなさい」

「謝るなよ。それだって大して変わんねえよ」

 溜息が出る。と同時に、肩が軽くなった。1つ遣り過ごした感じだ。

 しかし代わりに、ふと疑問に思った。牧原がこんな電話をしてきたきっかけだ。だがそれも、ちょっと考えただけですぐに答えが出た。

「お前さ。もしかして、俺が帰るところ見てた?」

 園崎と並んで歩くのを。

 牧原は聞き返しも否定もしなかった。無言の肯定か。

 その間に、牧原の心境を想像する。

 可愛い女の子と一緒の彼氏。きっと、楽しげに見えただろう。嫉妬する光景だ。それで自分を省みる。根暗でデブなブス。負けた気持ちになる。そして思う。

 わたしなんかが彼女で良いのかな――。

 容易に想像出来たし、恐らく間違っていない。

 俺にも経験があるから、解るのだ。

「なあ、牧原」

 返事は無い。

「牧原……おい、恭子」

 敢えて下の名前で呼んでも応答無し。構わず続ける事にした。

「俺の彼女なんだぞ、お前は」

 そう。曲がりなりにもそうなのだ。例え罰ゲームでも例え嘘でも、好きと言って付き合い始めてしまった以上、そう扱わなければいけない。

 いや――ふと考える。

 そんなルールがあっただろうか。あったとして誰が課したのだろうか。いつだ。一体いつ誰が、そんなルールを決めたのだ。

 牧原に告白する。35日間付き合う。高津が決めたのはそれだけだ。

 なら、俺が勝手に決めたのだろう。いつの間にか、俺の良心がそう決めたのだ。

 罰ゲームだとしながら。デブだブスだと内心罵りながら。無闇に傷付けるだけと解っていながら。人としてやってはいけない事だと知っていながら――。

 恋人として扱わなければいけない――そう決めたのだ。

 このちっぽけで腐った良心が。

 よォ。サイテー大地くん――。

 高津の声が聞こえた気がした。

 なのに牧原は、ありがとう、と言った。

「斉藤君」

「……何だよ」

「わたしね……重たいと思われるだろうけど……ずっと、死にたかった」

 急に落ち着いた声音になった。しゃっくりもぴたりと止んだ。

「誰にも要らない人間なんだって思ってた。居なくなったって、誰も悲しまないし誰も困らない存在だと思ってた。こんな不細工で暗い女、死んじゃえば良いって。なのに、斉藤君が好きだって言ってくれた。話をしてくれて、付き合ってくれて、映画にも連れて行ってくれた。だから、嬉しかった」

 ありがとう――と牧原は繰り返した。

 ――ああ。

 頭が重い。ケータイが手から滑り落ちそうになる。体中が重力を感じている。

 重たい。本当に重たい。牧原はきっと、彼女か恋人として、あるいは人としての意味でその言葉を使ったのだろう。けれど、違う。そうではない。

 俺の心が重いのだ。固く蓋をしていた部分をこじ開けられ、そこから溶けた鉛が溢れ出したのだ。重くどろりとして煮えたぎった鉛が。

 胸が内側から焼かれている。俺はそれに負けない様に、無理矢理喋った。

「牧原。お前……俺の事好きだって。あれ、嘘だろ」

 答えは無い。それで十分だった。

「良いんだ。別に。俺だって」

 嘘なんだから――とは口に出来なかった。今それを言ってしまったら、俺は俺が恐ろしくなっていただろう。化け物に思えたはずだ。

 だから逃げた。

「俺だって……まだお前の事、ちゃんと好きになってねえ気がするから」

 ずるい言い様だ。嘘にはならないというだけのただの誤魔化しだ。牧原の思いも俺の思いも、うやむやにしただけだった。

 ――ずるい人間になっちまった。

 ――サイテーなんだ、俺は。

 けれど牧原は言う。

「ありがとう」

 ふ、と息を吐くのが聞こえた。笑ったのだろうか。

「ごめんね、いきなり。部活で疲れてるのに。ちゃんと休んでね」

「ああ」

 それじゃあ、と言われてすぐに、電話は切れた。

 それから暫く、ノイズさえしなくなったケータイを耳に当て続けていた。


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