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丘の上は、今日も綺麗な花でいっぱいだった。
近くにある小さな泉も澄んでいて、すうっと深く息を吸い込む。
ばさり、と大の字に草の上に倒れると、近くの切り株に座ったイルが笑った。
「そんな風に草の上に寝転がるの、町の女の子じゃハイレンだけだよ」
「・・・いーのいーの。私、お行儀よくなんてできないんだから」
そんな性じゃないしね、と付け加えると、イルが「そうだね」と小さく笑った。
穏やかな風が、小さな丘の上を流れてゆく。
草花がかさかさと揺れる音を聞きながら、そっと瞼を閉じた。
「ここでよく、兄さんと僕が騎士ごっこをして、ハイレンが怒ってたよね」
「綺麗な花をぐちゃぐちゃにするんだもの。ふたりとも、頭にきたわ」
----・・・
『邪悪な魔王め!俺の剣でさばいてやる!』
『ぐはは!貴様のそのような攻撃でやられるものか!』
『ちょっと、ふたりとも!お花が痛むでしょ・・レオン!!イル!!もうっ』
『わ、レオンお兄ちゃん。やめて、ギブアップ!』
『男に限界なんてないぞ!イル、騎士はいつも強くないといけないんだ!ほらっ』
『わー!』
『こらーーーーー!!やめなさーーーい!!』
----・・・・
「でも、暴れたあとにハイレンからこっぴどく怒られるのはいつも兄さんだけだった。僕はその隣で、反省してる顔をすればいいだけで・・」
「まあ・・!」
「ふふ。僕は今も昔も、ハイレンが思っているような、良い人じゃないよ」
悪戯めいた視線で笑みを寄越すイルに、怒った顔をして眼を釣り上げた。
懐かしい記憶を掘り起こしながら、肘をつき、身体を起こす。
「でも、イルは良い人よ。私はそう思う。だからみんな、あんなにも盛大にお祝いしてくれたんだと思うから」
「--ありがとう。ハイレンは優しいね」
「事実を言ってるだけよ」
くすぐったくて、顔を背けるとイルが優しく笑う声が鼓膜を撫でた。
早朝をもうすぐ過ぎるころ。そろそろ、イルも私もそれぞれの仕事に戻らなければいけない。
ここで時間を気にせずに無邪気に遊んだ子供時代の事が、最近になって妙に懐かしく、恋しく思ってしまう。もう、あの時間は戻らないものだと言い聞かせても、胸が疼いた。
太陽が雲間から覗き、ふとあの笑顔を思い出す。
唇の隙間から、思いがけず名前が飛び出した。
「レオン・・元気にしてるかなあ」
太陽みたいな力強さで、笑顔を浮かべていた彼の最後の言葉は何だっただろう。
おやすみ?それとも、さようなら?
・・・何だったんだろう。もう一生会えないかもしれない幼馴染の最後の言葉を覚えていない自分をもどかしく思う。
「ハイレンは、兄さんが好き?」
静寂を打ち破るように、イルがそう尋ねた。
思いもよらない質問にはっとして顔を上げれば、イルはどんな感情か読み取れない顔つきで、私を見下ろしていた。
「どうしたの、いきなり」
「気になって。どうなの?」
「好きってそりゃあ、ねえ・・・。がさつだし、優しくないし、乱暴だけど、幼馴染だから」
「---違うよ。そうじゃない。そうじゃなくて、ひとりの男として好きなのかってこと」
硬質なイルの口調に、なにか、いつもと違う雰囲気を感じて身体が固まってゆく。
幼馴染じゃなく、ひとりの男として・・・・?
「そんな風に考えたこともなかったよ・・・だって私たち、小さい頃から一緒だったもの」
「・・・じゃあ、僕の事も?」
「え?」
その瞬間、風が一際強く吹いて、草花が大きく音を立てて揺れた。
最後の一風が流れていき、顔にかかった髪を指で振り払う。同時に、耳元で草が揺れる音がして、身体の上に影が差した。
「・・・・イ、ル・・?」
「もしかすると、兄さんの方が僕よりも紳士で、誠実かもしれない・・・。がさつで、優しくなくて、乱暴なのは---僕の方だよ」
「----え?」
耳元で囁くようなイルの声がして、頬に柔らかな感触がした。
何?そう聞く間もなく、反対側の方にまたさっきの感触がする。
なに・・・何が起こってるの・・・・。
何が・・・・。
私は今、草の上に倒れてて、でもその上にはイルがいて、起き上がれなくて。
両手はイルに掴まれて、びくともしない。
イルが顔を近づけるたび、イルの香りがして頭がおかしくなりそうだった。
「イル・・・やめ・・・て・・・」
「好きなんだ。ずっと」
はっとしてイルの顔を見上げれば、苦しそうに顔を歪めた彼が私を見返していた。
茫然とする私の上で、イルはさらに顔を歪め、もう一度言った。
「好きなんだ。幼馴染の男の子じゃない、僕を僕としてみてよ。ハイレン」
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「まったく・・・騎士としてあるまじき失態だな。奴は」
「騎士としての能力・記憶を封じ込められ、”対象”の近くにいれば本能は牙をむかない。それどころか、恋さえしてしまえる。これは有意義な実験結果ですよ、ニール」
「ふん。モルモットの管理は怠るなよ、元は貴様が始めたことだ。」
「もちろんですとも。ところで、我らが姫のお加減はどのような状況ですか?」
そう尋ねられた男は、にこにこと笑みを浮かべるメガネの奥の瞳に、思念で映像を送り付けた。
古く荘厳な城、赤い絨毯の敷かれた廊下、大扉、天蓋に囲まれた寝台、その中で眠るひとりの少女。
「・・・・なんと安らかな寝顔。もうすぐお目覚めになるのですね」
「忌まわしき呪縛から解き放たれるのだ。今度こそ、完全にゼウスの鎖を絶ち、光の姫の息の根を止める
」
「---そして、我らが姫の望むままに」
並んで丘を見下ろしていた男たちの隣に、影が突如としてひとつ増えた。
小柄な影が、にやりと笑う。
「姫の”目覚めのキス”は、俺がやる」
「キース。貴方、城の守備はどうしたんです」
「半身を置いてきた。文句ないだろ」
「・・・はあ。仕方ありませんね、私も最後の仕上げを目にしたかったんですが、姫が目覚めたときの準備もありますし、今回は貴方に任せましょう」
やれやれ、と肩を竦め、メガネの男が草の上に倒れたままの少女を見つめる。
「また、お会いしましょうね。”愛しの君”」
男は、ふ、と風の気配だけを残して、その場から消えた。
鼻につく香水の香りだけが、さきほどまでそこに男が居たことを証明していた。
小柄な少年が、傍らに立つ男を見上げる。
「いいだろう、ニール」
「構わん。が、殺すなよ。姫は自らの手ですることをお望みだ」
「分かってる。殺しはしない。ただ・・・あの馬鹿には、お仕置きしなくちゃいけないから」
残忍な笑みを浮かべた少年の背後で、男はそれよりもいっそう陰を帯びた笑みを浮かべた。
「ねえ、兄ちゃん。晩餐会の始まりだ・・・・」