メイドの言い分を聞こう
死んでもやり直せるから大丈夫だと、ちらりとも考えなかったといえば嘘になる。だって夢の世界なのだ。少々無鉄砲なことをしても、どうにかなるだろうと楽観していた。
けれどもまさか食事に毒を盛られているなんて、考えもしなかった。死ぬことがあんなに苦しいなんて思いもしなかった。
どことも知れぬ空間で、凛子は目を固く閉じて体を丸める。
死んでもやり直せるということは、死ぬほどの苦しみを何度も繰り返さなければならないということに他ならない。
「もう死にたくない。夢なら早く覚めてよ。こんなに長い夢なんておかしいよ」
一縷の望みを託して瞼を抉じ開ける。はたせるかな、そこは天蓋つきのベッドで、凛子はすんでのとこで悲鳴を上げそうになった。両手で口を塞ぐことで堪える。
(なんであたし、こんなところにいるの。もういやなのに)
鼻の奥が痛くなって、涙が勝手に滲んでくる。泣いてもどうにもならないとわかっていても、それ以外にできることが思い浮かばない。たとえば窓から飛び降りたとしても、死んでしまえばまたリセットだ。凛子に逃げ場はない。
どれほどの時間、ベッドで泣いていたのか。やがて死刑宣告の小さなノックが耳に届く。失礼します、と入ってくるのは茶髪のメイドで、相変わらず表情は硬い。それもそうだろう、これから殺そうとする相手に、にこやかに接する人間なんて、それこそ頭がいかれている。
違ったことといえば、ぐずぐずと鼻を鳴らしている凛子を認めた彼女が、食事を持って来たと告げる代わりに、怪訝そうな表情を浮かべたことだった。
「どうかなさったんですか?」
その問いに答える言葉を凛子は持たない。しばしの沈黙ののち、メイドはベッドの傍まで来て、もう一度同じことを尋ねた。
「あの、どこか痛いのでしたら、医者を呼んできます」
首を振って否の意思を示す。毒殺しようとしている相手の体調を気遣って、医者を呼ぼうとするなんて、彼女はいったいなにを考えているのだろう。凛子が顔を上げると、メイドとばっちり目が合った。先に目を逸らしたのはメイドだった。
「落ち着かれましたら、向こうに朝食を用意していますので、召し上がってください」
そう言ってそそくさと退室しようとするメイドに、気づけば凛子は声をかけていた。このままでは終われない。涙は止まっていた。
「それは、だれから頼まれたんですか?」
「え?」
予想外の問いだったのだろう、こちらを振り返ったメイドは茶色の目を丸くしている。感情が現れると、途端に幼い印象が強くなる。
「朝食をあたしに持っていくように頼んだひとが、毒を入れたんですか? それとも毒を盛ったのは、あなた?」
さあっと、血の気が引く音が聞こえた気がした。それほどにメイドの顔は一瞬で蒼白になると、そのまま貧血でも起こしたのか、すとんと膝から崩れ落ちた。
「あ、ちょっと、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ると、驚くことに彼女は凛子に抱きついた。しがみついてくる彼女は、傍目にも可哀想なほど震えていた。庇護欲が湧き上がってきて、背中を優しく撫でると、顔を上げた彼女は涙交じりで答えた。
「わ、わたしは、候補さまになんてことを……! 罰をお与えください! わたしを殺してください!」
「そんなことしないよ」
ぎょっとした凛子の答えなど耳に入っていないようで、メイドはかぶりを振って断罪を乞う。
目の前の相手が自分よりも取り乱していると、不思議とこちらの頭は冷えていく。凛子もその例に漏れず、少し前までの恐慌が嘘のように落ち着いていた。メイドを宥めつつ、聞き出した事情を繋げると、どうやら彼女は柏呂なる人物に命令されて、凛子の毒殺を謀ったらしい。理由は桃という彼女の主人が殺されるのが怖かったから。だれが殺すのかといえば、驚いたことに凛子だという。
こんなに簡単に洗いざらい吐いてしまう少女に毒を渡すなんて、柏呂はなにを考えているのだろうか。
(この子がどうなっても構わないと思ってた、とか?)
自分の思いつきにぞっとした。ありえる可能性だった。
そのとき寝室の扉が開き、観津帆が慌てた様子で入ってきた。
「ご無事ですか、リンコさま!?」
「は、はい、無事です」
裏返った声で答える凛子を見て、観津帆は安堵の溜め息を吐いた。そして凛子と少女を見比べて驚いた顔をしてから、ゆっくりとこちらに近づいてきた。膝を折って、少女の様子を窺う。
「あなた、桃さまに仕えているメイドですね。名前は柚鳥といったかしら。あなたがどうしてリンコさまのお部屋にいるのです」
柔らかな、けれども詰問する観津帆の口調に、凛子に縋りつく腕に力が籠った。凛子以外、柚鳥を庇える人間はいないという、謎の使命感に捕らわれる。
「あの、観津帆さん、あまり責めないであげてください。反省しているようですし、あたしはこの通り無事ですし」
「リンコさまは黙っていてください。私は彼女に尋ねているのです」
「すみません……」
すごすごと引き下がるしかなかった。
だれひとり口を開かないために、重い沈黙が落ちる。耐えきれない居心地の悪さを打開したいが、観津帆に叱られるのも遠慮したい。凛子がまごついていると、柚鳥がするりと離れて絨毯にこするほど低く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。わたしは、候補さま――リンコさまを、柏呂さまからいただいた毒で殺そうとしました。いかなる罰も受ける所存です。だからどうか、桃さまには手を出さないでください。これはわたしの責任です」
馬鹿正直すぎる告白に目を丸くしたのは凛子だけでなく、観津帆もまたぽかんとしている。柚鳥の声には覚悟が滲んでいて、それが一層聞く者の調子を狂わせる。
観津帆が呆れた声で言った。
「あなた、そんな性格でよく王宮勤めができるわね。向いていないでしょう」
「追い出されそうになったところを、桃さまが拾ってくださったのです。だから、リンコさまを殺して、桃さまに女王になっていただこうと短慮を起こしました」
笑みさえ浮かべた柚鳥の純粋な狂気に、凛子は悪寒を感じて腕を抱える。嘘をついているようには見えなかったから、それが余計に恐ろしかった。柚鳥といい、雷という青年といい、この世界は人の命を軽んじる狂った人間ばかりだ。
「リンコさま、この者の処遇はいかがいたしましょう?」
はたと顔を上げる。観津帆は凛子を試しているのだと直感し、少し胸が痛んだ。優しく宥めてくれた彼女でさえ、甘えさせてくれない。
二対の視線を感じながら、凛子は考えを巡らせる。お咎めなしで放免するには、柚鳥の存在は脅威だった。彼女は桃のためなら平気で道を踏み外すのだから。かといって、柚鳥が望む通り死を与えるのは重すぎる。
(ん? そもそもこれってあたしが悩む必要ある? 警察に引き渡せばいいんじゃないの? 警察って呼ぶかどうかわかんないけど)
素人の凛子ではなく、しかるべきところでしかるべき人が下した判断のほうが正しいに決まっている。しかし観津帆が望む答えではないような気がする。唯一の味方といってよい彼女に失望されたくない。
凛子が逡巡していると、絨毯でも吸収しきれない慌ただしい足音とともに、扉が開いた。
「候補さま! ご無事ですか!?」
ピンク髪の少女が息を切らせてそこにいた。