メッセージカードを書こう
好奇心の強いふたりは案の定、メッセージを書きたいと言い出した。忍に異論はないが拒否権もまたない。
小さなカードになにやらキャラクターを描いているのを眺めていると、凛子が不満げな顔でカードを差し出してきた。
「シノは書かないの?」
「書くことないからなあ。ちなみに凛子はなんて書いたんだ?」
「あたし? あたしはイケメンがいっぱいいる逆ハーレムを作れますように!」
忍は凛子の背後にきらきらと輝くエフェクトを幻視した。
「……本気?」
「願うだけならタダなんだから、夢は大きくなくちゃ。シノもおんなじにする?」
「いや、どうせ囲まれるならむさい男より女の子のほうが……」
「了解!」
満面の笑みを浮かべた凛子が書いたのは、『一級フラグ建築士になって美少女ハーレムを作れますように!』だった。忍の人間性が疑われる願い事である。けれども嬉々として忍の分のカードにイラストを描く凛子を止められるはずもなく、直視しないよう、真剣な面持ちでペンを握る亨の手元を覗き込んだ。
「あー、えっと、亨はなんて書いたんだ?」
「シノくんと似たような感じだよ」
「へ?」
「俺様最強で無双したいって書いたの。主人公補正がかかるなら、どうせならチートがいいよね」
そう言って亨はにっこりと邪気なく微笑んだ。もはやバレンタインと関係ないじゃないか、という突っ込みが喉まで出かかったのをなんとか堪え、そうなんだ、とお茶を濁す。
類は友を呼ぶという言葉がある。ということは、他人から見たら忍も彼女たちと同類なのだろうか。想像したら少し寒気がした。
カードを貼りつけて、さあ帰ろうか、という段になったとき、不意に呼び止める声があった。
「ねえねえ、お姉さんたち」
なにか忘れ物でもあったのだろうかと、声のほうを振り返った忍は、なんともいえない奇妙な感覚に囚われた。
声の主は、小学校に入るかどうかの男の子である。室内だからだろう、やや薄着ではあるものの、服装に別段奇異なところはない。だがその愛らしく整った顔立ちは、簡潔に表すならば、生気がなかった。精巧な人形が動いているような不自然さを感じる。
一分の隙もない計算しつくされた完璧な笑顔で、少年は言った。
「お姉さんたちの願い事、叶えてあげるよ。その代わり、僕になにかちょうだい」
「なにかって?」
少年に目線を合わせてしゃがんだ凛子が、柔らかな声で尋ねる。
「できれば手作りがいいな。その腕の飾り紐とか」
「これ?」
凛子は手首のミサンガを示してみせる。
「そう。お姉さんたち三人ともそれを持っているでしょう。思いを込めて編んだ紐というのは、僕としても都合がいい。悲願成就の暁に、縁がなくてこちらに戻ってこれないとあらば、さすがに良心が痛むからね」
そのいとけない外見に釣り合わないほど、口が達者である。あまつさえ忍たちの無知を諭す色さえある。
いよいよ危機感を覚えた忍は、凛子がミサンガを少年に渡しているのを見てぎょっとした。
「凛子、なにしてるんだ」
つい咎める声音になった忍を、亨がおっとりと宥める。彼女もすでにミサンガを外しており、少年は受け取ろうと手を伸ばしている。
「いいじゃない、シノくん。あげてしまっても」
「亨まで……」
これはおかしい。絶対におかしい。不覚にも涙が出そうになった。
行きかう人々は日常の中にあって、だれひとり忍の存在に気づかないような顔で通り過ぎていく。助けを求めて周囲を見渡しても、目が合うことはない。
「さあ、あとはお姉さんだけだよ。それを僕にちょうだい」
差し出された少年の手には、凛子と亨のミサンガがかかっている。忍は丸い手に自分のそれを並べた。
* * *
「椋野忍。黒崎凛子。矢神亨。神は願いを聞き届けた。あとはきみたち自身の力量にかかっている」
寄せあって貼られた三枚のカードを指でなぞり、少年は瞑目する。それは、敬虔な祈りを捧げているようにも見えた。しばらくの間そうしていたが、やがて彼は空気に溶けるように姿を消した。
それから幾分も経たず、火災報知器がけたたましく鳴り響いた。火元はバレンタイン特設掲示板だったが、カードを数枚焦がしただけですぐに消し止められ、幸い負傷者は出なかった。当初はたちの悪い悪戯として捜査されたものの、出火の原因は杳として知れず、人々の記憶はあっという間に風化した。
小火騒ぎの少し前、三人の少女がそこから消えたことを知るものは、いない。